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聖女様



朝起きたエーレは顔を洗い、いつもの大きめのローブに袖を通した。

履き慣れた靴を履き、愛用の肩掛け鞄を肩に掛け、大きな薬箱を背に担ぐ。


今日は、この塔を出ていく日。



「エーレさん、お元気で!絶対、またここに戻ってきてくださいね!」


ハンカチを既にぐちゃぐちゃにしているマリーと、「ありがとう聖女様」と呟きながら深くお辞儀をする側妃に見送られ、ウッソリとした庭を出た。

錆びた門をくぐって、フードを深めに被る。


くるりと振り返り、石造りの塔を見た。


最初は、冷たい塔だと思った。

でも今では、なかなかいい場所だったと思うのだ。

長い階段はきつかったけど、一日に何回も上り下りして愛着がわいた。

窓が少なくて暗い部屋が多かったけれど、慣れればちょっと落ち着く薄暗さ。

特に恵まれた厨房ではなかったけれど、マリーやグラディウスと一緒に料理をして楽しかった。

小ぢんまりした食堂も、みんなと食べた思い出の所為でレストランにも負けないのではと思えてくる。

でも、それも今日で終わり。


旅の薬師は、旅をする。

どこか彼らが知らぬ地で空を見上げて、今まで出会った人たちの顔を思い浮かべる。

そしてまた立ち上がり、新しい薬を求めて進む。


では、またね。

みんな、元気で。





塔が見えなくなったところまで歩いてきて、買い忘れたものを補充していこうと思いついたエーレは城下町の市場に寄っていくことにした。

市場に着いたので店を見ながら歩いていると、小さな乾燥ハーブの屋台が目についた。

思わず近づいてみてみると、なかなか手に入りにくいハーブが格安で売られているではないか。

エーレはそれを手に取った。


あるだけくださいと店主に声を掛け、肩に掛けた鞄の中からお金を引っ張り出す。

側妃の件で謝礼も貰ったので、今日は少し太っ腹になってもいい。


「あっ」


チャリンチャリンチャリン。

ポーチの中から小銭が転がっていった。

だがエーレが声を上げたのは、落ちた小銭に対してではなかった。


ポーチの中に、見たことの無い髪飾りが押し込まれていたのだ。

精巧な作りで、綺麗な色の石が付いている。

日が暮れてからの色と、日が暮れる間際の色をした宝石が妙に印象的だった。

何となくグラディウスの髪の色と目の色に似ている。


……そういえば、前に箸で髪をまとめてたら呆れられたことがあったっけ。

だから、くれたのかな……

あっ。でも差出人が書いてあるわけじゃないから誰がくれたか分からないんだった。


ポーチの中をガサゴソやって、他に手紙なんて入っていないだろうかと探してみたが、他には何も入っていなかった。


……髪飾りなんて、普段付けないけど。

特に旅をしている時は、極力高価なものと女性らしいものは身に付けないようにしているけど。


お金を払ってハーブを大量に買い込んだエーレは、フードの下に髪飾りを付けるくらいならいいかなと思い、小さくフードをずらした。

エーレの綺麗な髪が一房、フードから下に伝って垂れた。




「あの珍しい髪の色!聖女様、ここにいらっしゃったのですね!」


市場の賑わいの中に、ひときわ通る声が響いた。

それはエーレの身をビクッと震わせるには十分な声だった。


塔を離れる前は塔の中にいるか、フードですっぽり顔も髪も隠して買い物に行くだけの毎日を送っていたので、エーレを聖女だと呼ぶような人間には会っていなかった。

まして、道行く大勢の人の前で大声で呼ぶ人間なんて。


恐々様子を窺ってみると、その声の主はエーレをしっかりと見つめて、まっすぐにこちらにやって来る。


「日に透ける淡い色の髪、森に薫る雨のような瞳の色。間違いない、聖女様。あなたの噂を追って探してようやく見つけました。そして今日塔にお迎えに上がったのに入れ違いになったと聞きまして。でもよかった、見つけられて」


「あ、あの」


目を白黒させているエーレは、いつの間にか目の前の男に両手を握りこまれていた。


「私はこのエーガルディア王国の第一王子、ゲラン・エーガルディアと申します」


金糸のような髪に、新緑の瞳。華々しく女性受けがよさそうな甘い顔をしている男だった。

鋭い印象のグラディウスとは正反対だ。


「我が国に折角おいでくださったのに、あんな暗くて汚い塔に裏切り者らと閉じ込められて。辛い思いをさせてしまいましたね、申し訳ありません」


「い、いえ。閉じ込められたわけじゃ、」


「やはり聖女様は人の子とはどこか違う。その慈悲深さも人のものでなければ、感性も違うのでしょう……ああ、でも心配しないでくださいね。あなたを存分にもてなすこともせず監禁したあの男には罰を与えておきましたから」


「えっ。罰?!」


エーレが驚いて肩を震わせても、ゲランは微笑を崩さない。

崇拝し切った瞳でエーレを見つめるこの男から後ずさって距離を取りたいのに、掴まれた両手が動かない。


「はい。あの男には死ぬまで北の砦を守らせます。王都には戻ってきませんから安心してください。ああ、価値もないのに聖女様のお手を煩わせた母親も忘れずに砦に送ってやりましょうね」


「そ、そんなことは駄目です!何言ってるんですか!」


「……そうですか?聖女様がそうおっしゃるなら善処いたしましょうか」


「というかそもそも私、聖女なんかではありません」


「おやおや。聖女様は往々にして自らは聖女などでないと言う伝説も本物だったのですね。聖女様は自らを言葉で定義されたくないから、そのような呼び名で呼ばれることを嫌ったとか……それでは何とお呼びすれば?」


「私、本当に聖女なんかじゃないんです。ただの旅の薬師なんです」


違う違うと叫ぶエーレの事など意に介さず、恭しく姿勢を低くしたゲランは首を傾けた。

その間にも市場には人が集まって来ていて、現れた聖女を一目見ようと人を押しのけている人や、膝を折って祈り始めた人もいた。

エーレはどんどん逃げ道が失われていくような閉塞感に包まれていた。


「私はただの……」


「でも聖女様。あなたが起こしたのは紛れもない奇跡ですよ。王国中の名医が不治の病と診断した病気を治したのです。若い女性がいとも簡単に人命を救った、それが奇跡でなくて何というのでしょう。奇跡を起こした女性が聖女ででなければ、それは何だと説明できるのでしょう。それに聖女様は、いつも見る者の心を奪う美しい女性の姿をしていらっしゃる。ちょうど、あなたのように」


「もう放してください……私、次の場所に行かなきゃならないんです」


「次の場所?」


「はい」


「ああ、そうですね。こんな場所で立ち話もよろしくないですね。王宮にご案内しましょう」


ゲランはにっこりと笑った。

傍から見ていればただの綺麗な微笑に見えたのだろうが、聖女だと勘違いをされているエーレはこの微笑が薬師の自分に向けられたわけではないと知っているので、ただただ居心地が悪いだけだった。


半分無理矢理に案内されて足を踏み入れた王宮の中は、まるで物語の城のように綺麗だった。

広い庭には上品な花が咲き乱れ、すれ違う使用人たちは皆一様に美しい衣装を着ている。


護衛が一定の距離を開けて立っている長い廊下を奥へと進む。

幾つもの大きな扉を開けて広間から広間へ移動していく。

途中、教会のような大ホールもあって、神聖な空気の中で祈りを捧げていた街人らしき人達にじろじろ見られたりもした。


階段を登り王宮の最上階に到着すると、一番大きな客室だと言ってビックリするほど豪華な部屋に通された。

途中で何度も断ったのだが妙に巧みな話術と圧力に負け、エーレはやんわりと客室に閉じ込められた。




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