白雪の森の眠り病
エーガルディア王国の王都からほど近い街。
その街を含む地域を治めているギルデロイ侯爵家の屋敷に到着し、早速床に伏している侯爵令息のレオの部屋に通される。
よく手入れされた、日当たりの良い二階の部屋だった。
レオは、従者のアランの説明通り、微動だにしないままベッドの上に横たわっていた。
聞けば、ある日の朝を境に、声を掛けても起きてこなくなって以来ずっと眠り続けているという。
死んでしまったのかと皆は慌てたが、未だに体が温かいのだという。
エーレは手を清め、清潔に洗濯した神官の白衣にも似た仕事着を身に付け、レオの枕の横に座った。
静かに腕を取り、脈を測る。
本当に寝ているだけのような、穏やかな鼓動が確認できた。
爪や髪、発病から微動だにしたこともないという筋肉を確認し、エーレは顔を上げた。
アランをはじめとした数人の使用人と、ギルデロイ侯爵とその夫人が神妙な面持ちでエーレに視線を注いでいる。
その顔にはほんの少しの希望と、たくさんの諦めが見て取れた。
「私、昔母と白雪の森に行ったことがあるんです」
エーレは寝たきりのレオの片腕をゆっくりと毛布の下に戻し、そう切り出した。
「白雪の森?」
「そういう名前の森があるんです。ここからずっと西に行ったところに」
案の定、侯爵たちはエーレの言わんとすることを察することができずに、首を傾げる。
不安そうな皆を労わるように、エーレは小さな微笑を作って見せた。
「その時の私と母は、その森にあるものを取りに行ったんです。それは患者さんの病気を治すための薬でした。その時の患者さんは、丁度このレオさんのように長い間眠ったままの綺麗な女の人でした。食べることも飲むこともなく、ただ死んだように寝ているだけ。でも身体機能はゆっくりと弱っていきます」
「それは……ということは、貴方はこの奇病の前例をご存じであると?」
「はい、前例をいくつか知っています。このあたりでは確かにとても珍しいですが、白雪の森の周辺の国では、奇病ほどに珍しい病気ではありません。母もこの病を治療しました。そして私はその母の姿も、使った薬もばっちり見て学んでいます」
「と、ということは……?!」
「はい。レオさんのこの病気、治せると思います」
エーレが大きく頷くと、侯爵たちは抱き合って歓声を上げた。
従者のアランなんて、まだレオが目を覚ました訳でもないのに涙を流していた。
まったく、気が早い。
「薬を調合します」
エーレは大きな薬箱の蓋を開け、白い陶器でできたすりおろし器と特殊な作りの管、黄ばんだ色の乾いた植物、それから瓶に入った毒々しい色の液体を取り出した。
「あっ、と。綺麗なぬるま湯をいただけませんか。それと、お湯の容器は要らない器にしてください」
機材と材料を目の前に用意されたテーブルに並べてから足りないものにハッと気が付いたエーレは、控えていた使用人たちに声を掛けた。
鼻を啜っていたアランが真っ先に手を挙げて、だっとぬるま湯を汲みに部屋を出ていった。
「それでは」
走って戻ってきたアランのぬるま湯を使い、黄ばんだ色の乾いた植物の欠片を元に戻す。
その際に水を通さない手袋をはめるのを忘れてはならない。
これを忘れると手が酷いことになる。
さて。薬の主原料となるこの植物、もとい果物は、白雪の森にしかない果物だ。
形は林檎に非常に良く似ているが、間違っても食べてはいけない。
毒があるのだ。一口でぽっくり行ってしまうくらいの猛毒が。
だが、この毒々しい色をした獅子蛙の唾液と1対1で中和することで薬になる。
この、眠るように死んでしまう病気を治す薬になるのだ。
エーレは毒にだけ気を付けて2つの材料を調合し、最後の仕上げに薬を一滴自らの手の甲に落として舐めた。
細心の注意を払ったので配合は上手くいったはずだが、万一患者を毒殺したなんてことになったら天国の母に顔向けできないので、毒見をしたのだ。
しばらく待って、エーレが死ななかったので薬は上手く調合できたことが証明された。
エーレは薄青のどろりとした液体が入った器を、侯爵たちにも良く見えるように前に掲げる。
「あとはこれを、レオさんに飲んでもらうだけです」
「え、と……息子は眠っていますが、どうやって?」
「はい、そういう時は特殊な素材で作ったこんな管を使います」
「こんな管を、どのように?」
「はい、レオさんにはベットに座ってもらって、管はこうして口の中に」
穏やかに眠っているレオの体を数人がかりで起こし、彼の口をガッと開ける。
そしてエーレは、その口の中に容赦なく管を押し込んだ。
淑やかそうな顔をしている夫人が小さく息を飲んだが、侯爵や使用人たちは事の成り行きを静かに見守ってくれている。
「はい、それでは薬を流します」