背中の傷
「おい……」
うたうたと舟をこいでいるエーレを呼ぶ声がする。
掠れた低い声が、耳元で聞こえる。
いや、どこか遠いところから聞こえるような気もする。
「おい」
「ああ!すみません、寝てしまっていました!」
がばーっ!
グラディウスの枕元に突っ伏していたエーレは飛び起きた。
朝方グラウディスの呼吸が落ち着いてきたので安心したら、ぽっくり寝てしまっていたらしい。
目の前には少しとろんとしたグラディウスの顔がある。
彼もまた起きたばかりなのだろう。
窓の外を見れば、もう朝の光がキラキラ輝いていた。
「具合はどうです?」
「大分、楽になった」
「そうですね。汗も引いてきましたし、視界も戻って来たみたいですね」
「ああ……」
エーレは横になっているグラディウスの額に手を当て、簡易的に熱を測る。
酷い汗ももうないし、鋭い眼光も戻ってきたようなので一安心だ。
よし、次は毒の具合を診ようか。
「あ、手を放してもらっていいですか?ちょっと眼球を確認したいので」
「手っ?!」
指摘されて目を丸くしたグラディウスは、熱いものにでも触ったかのように手を引っ込めた。
苦しんでいた本人は握った記憶などなかっただろうし、まさか朝になってもまだ自分がエーレの手を握りこんでいたとは全く思っていなかったのだろう。
だが患者の手を握ることなんて、薬師として腐るほど経験してきたエーレにとっては手馴れたものだ。
さっと開放してもらって、自由になった両手を使って下瞼を引き下げる。
そして覗き込む。
毛細血管を見ることで、毒の状態と影響がある程度分かるのだ。
「よし、毛細血管の変色も見られません。後遺症もなく回復するでしょう。後は傷ですね。診せてください」
目の毛細血管を確認した後は、グラディウスを座らせて後ろに回り込む。
そして肩に巻いた包帯を取っていく。
肩があらわになったところで、傷口を確認する。
「うん、悪くないです。矢自体は特殊なものではありませんでしたから、この大きさなら傷跡もほとんど残らず治せます」
エーレは二度目の消毒を施して、綺麗な包帯を巻きつけていった。
その間も、病み上がりのグラディウスは大人しい。
静かな彼の隣では、エーレと同じくグラディウスに付きっ切りだったコレちゃんがきゅんきゅうんと鳴いている。
それに気づいたグラディウスに頭を撫でてもらうと、嬉しそうに黙った。
「この背中の傷、大きいですね」
肩の包帯をきつく結びながら、エーレはそう思わず口にしていた。
巻き付けた包帯の隣、グラディウスの広い背には、大きく斜めに入った傷跡がある。
他にも細かい傷はあるが、斜めのものが一番大きい。
つい、手のひらでぺたりと触ってしまった。
もう痛くは無い筈なのにグラディウスは驚いて肩を震わせ、身をよじった。
「っ、触るな……」
「ああ、すみません」
これは当たり前のことだが、エーレは薬師だから患者の体にお構いなしに触る。
と、言えば所かまわずベタベタ触るように聞こえるが、勿論触る必要がないところは触らない。
例えば素晴らしい大胸筋だと言って触ったりもしないし、かっこいい腹筋だからと触ったりはしない。
どこかの国で出会った、なまぐさ女医のような医者とは違う。
職権乱用はしない。
というか、薬師目線だと筋肉は体を動かすもので、筋繊維の塊で、たんぱく質の集まりとしか見えないので、触ってみたい欲求など感じたことがない。
だが、どうしても気になってしまった。
だって、この傷は。




