浮気の末
しかし、マリーの態度はエーレが予想した物とは全く違っていた。
頬を赤らめて嬉しそうにするのかなと思いきや、真顔で驚いてあり得ないと笑い飛ばしていた。
「グラディウス様?まさかまさか。確かにかっこいいですけど、お仕えする相手としか思えないですね。一応王子ですし雲の上の人というか、むしろ人ではないというか」
「そうなんですか?でもグラディウスさんはマリーさんのこと気になってそうですけど」
「え?」
「マリーさんだけにちゃんと謝ったりするし」
「ああ……」
言い淀んだマリーを横目で見ると、マリーは穏やかな顔で言い淀んでいた。
しかし少し考えて、マリーはエーレに話すことにしたようだった。
女同士の友情パワーなのか、はたまた同じ湯船につかる裸同士の付き合いということで、口が軽くなってしまったのかもしれない。
「それは多分、グラディウス様は私に引け目を感じているというか感謝しているというか、そんな感じなのだと思います」
「それは、どういう?」
不思議そうに首を傾げれば、マリーは頭の上のタオルで額の汗を拭いて一呼吸おいてから話しだした。
「簡潔に言うと、陛下に見限られて王宮の隅のこの塔に幽閉されたエメラリーネ様の世話を続けているのが、私だけだからです。グラディウス様は母上様であるエメラリーネ様の面倒をみる私に感謝して、同時に面倒を押し付けていることを悪いと思っていてくださるようなのです」
「何で側妃様は王様に見限られたんですか?」
「グラディウス様が陛下の子ではないからです」
「えっ。じゃあ、グラディウスさんって王子じゃない?」
「表向きはまだ王家の一員であるということになっています。でも事情を知る者が多い王宮では、彼を王子と呼ぶ人はいないんです」
だから彼は、こんなに寂しい塔で寝起きしているのか。
それに王子という割には周りに人がいないなと思っていた。
王子なのに傍付きの一人や護衛の一人も連れていないなんて、相当一人が好きなのだろうかとも思っていた。
「原因は側妃さんの浮気、ってことですか?」
「ええと……そういうことになるのでしょうか。エメラリーネ様は王宮に入る前に乱暴をされたことを隠し、陛下の子だと言ってグラディウス様を産みました」
「……」
「昔の陛下は美しいエメラリーネ様を溺愛しておられましたから、エメラリーネ様との子であるグラディウス様のことも大切にしていました。ですがグラディウス様が成長されるにつれて、陛下に似ていない事が顕著になってきました。そこで隠しきれないと思ったのか、エメラリーネ様が過去の事をお話になりました」
「それで、王様は側妃さんを塔に閉じ込めたんですか?」
「ええ、そうです。エメラリーネ様は陛下の許可が無ければこの塔から出られません。それから同じく陛下の怒りを買ったグラディウス様は、他の王族に代わって戦争の最前線に行かねばならないことが多いです。グラディウス様は相当腕の立つ方ではありますし、何日かに一度王都に帰ってくることはできていますが、やはりとてもリスクのある仕事です」
「そっか……。でも王様は怒っているのに、側妃さんとグラディウスさんを追放したりすることは無かったんですね」
「はい。ですが妃様とグラウディス様からしてみれば、追放された方が良かったかもしれません。お二人の王宮内での風当たりも強いですし……」
「うーん。多分一番とばっちりを食っているのはグラディウスさんですよね。本当に何もしてないのに」
「ええ、そう思います。特に第一王子のゲラン様なんてグラディウス様を目の仇のように」
「……大変ですね」
グラディウスはああして飄々として見えるがこの王宮で母と自分を守る為に苦労しているのだ、と最後にマリーは申し訳なさそうに呟いた。
「グラディウスさんは自分から王宮を、この国を出ていくことはしないんでしょうか」
「それは……」
分からない、とマリーは口籠った。
……まあ、私みたいな流浪の薬師じゃなくて王子として生まれたんだから、そう簡単には出来ないか。
色々しがらみも制約もあるんだろうな。
ぶくぶくぶく。
エーレは温かい湯に顔を半分浸して泡を吐く。
……身分が高い人って不自由だなあ。
複雑な鎖に雁字搦めにされて訳が分からなくて、窒息しそう。
ふと。
いつか聞いた、旅など出来る訳が無いと言ったグラディウスの声が蘇った。
興味のなさそうな声だったような、呆れたような声だったような、色々と諦めたような声だったような気もする。
でも何かを我慢しているような声だった気もする。
彼は逃げられない境遇を我慢しながら、諦めるようにそう言ったのだろうか。
ほんとのところは分からない。
分からないし、ただの旅の薬師にはどうすることも出来ない。
どうかしたいなんて、高慢なことも思えない。
薬師ができるのは病気の人を助ける事だけ。
病気が治るように全力で手助けはするけど、出来ることはそれだけだ。
その先のしがらみで本当に頑張れるのは、本人たちだけだ。
「薬師としてできることは……グラディウスさんには怪我の跡が多いようですので少し気になっています。あと一応お伝えしておくと、色覚に異常があるようです。これも怪我の後遺症かもしれません」
エーレは頭からずり落ちてくるタオルを抑えながら、ぽつりと言った。
「色覚……?」
「見えていない色があるようです」
「そんなの、知りませんでした。エーレさんはよく見ていますね」
「そうですね……薬師だからでしょうか。でもほとんどの人は気が付かないと思います」
エーレが気が付いたのも、ほとんど勘のようなものだった。
四六時中グラディウスを見つめているような人間や眼医者、もしくはエーレのように勘が鋭い薬師なら気が付くかもしれないが、そのへんのちょっとした知り合いなら全く気が付かないだろう。
「グラディウス様は他人に弱みを見せることを嫌う方ですから、そういう事は誰にも言ってないかもしれませんね」
「ああ、そんな感じですよね。いつも嫌味とか文句ばっかり」
「いえ、グラディウス様はいつも全然喋らない無口な方なんですけど。でも何故かエーレさんにはよく喋りかけているようです」
「そうなんだ。喋りやすいんですかね?私、身分のない薬師だから」
「ううん、身分の問題なのかしら…………?どうなのでしょうね」
マリーは首をかしげて歯切れの悪い返事をしたが、エーレは特に気にしなかった。
それからまたしばらく浸かって2人で大浴場を2時間みっちり堪能した。
とっても長湯だと思われるかもしれないが、年頃のお湯好き女子が二人いればのぼせるぎりぎりまで入っていられるのだ。
そうしてリラックスしたエーレとマリーは側妃の禁断症状の発作を全力で宥める日々を再び始め、グラディウスはまた戦線に出ていった。
そしてコレちゃんといえば。
グラディウスがいなくなるとコレちゃんがとても大人しく、彼の部屋でずっと眠っている。
エーレがコレちゃんに上げる餌が主にパンの耳だからか、それとも単にご主人がいなくて寂しいからなのか、呼んでも部屋から出てこようとしない。
仕方がないので部屋の中にパンの耳を入れておくのだが、これってまるで引き籠りの息子の世話をする母親のようだ。




