化身顕現4
『スンスン』
小刻みに匂いを嗅ぐ仕草をする一如。
『さっきの咆哮で集まった上級ビーストが全部か。この周りには低級しかいねぇ』
ビーストの匂いが分かるのか……? と、三人は似たような思考をする。
『痛むか』
「あ、ああ……」
不意に二重に響く声で問われた虎徹。あばらを抑えながら素直な感想を口にした。
『乙女』
「ッ!」
『瀬那……朝比奈 瀬那は回復系の化身だったよな?』
思考が追いつかない乙女は、首を縦に振るしかなかった。
『よし! 連れてくるから待ってろ』
そう言って去る動作をするが、タクヤが発した。
「き、機関の回復班を待った方が……」
三人の中で一番冷静なタクヤ。もっともらしい追言に二人は内心同意するが、一如がそれを否定する。
『可能性はゼロじゃねぇが、真っ先に来るのは戦闘班だ。これがな』
続けて言う。
『あー。まぁとにかく待ってろ。だから――』
ッビシっと白銀の指がタクヤと乙女に向けられる。
『――戻るまで虎徹を守れ!』
キィイイイドワオ!!
「ッ!!」
風で閉じた瞼を開くと、既に空のはるか上空へと尾を引く青白い光が伸びていた。
「……え?」
その光景に、乙女はどこか既視感を覚えた。
◇
数分前――
場面は変わり、少女と化身が低級ビーストに囲まれていた。
「ブチかませ! ハナミズキ!」
『えーい!!』
額に汗をかく少女――朝比奈 瀬那が化身に指示をする。
「ッ!」
低級ビーストが驚愕を口にした。
今振り下ろさんとするアストラル体の大きな鈍器。いや、十字架。それを片手で振り回す小さな半透明な手。
「キャウン!?」
「ッ!」
潰され霧に変えられた。仲間がやられ委縮する周りのビースト。警戒する瞳には瀬那と瀬那の化身、アストラル体な少女の姿をしたハナミズキが映る。
『えい!』
「キューン!」
横からの重い攻撃に、ビーストは抵抗できずに発散する。
「ブーメランで一掃だ!」
『う~それー!』
同じ背丈の十字架を振り回すハナミズキ。遠心力で威力の付いた十字架を手放すと、吸い込まれるようにビーストたちを襲った。
「――」
回転する凶器に、一体また一体と悲鳴を上げることもなく発散するビースト。やがて全て倒し終えると、ハナミズキの小さな手に戻ってきた。
『ふん!』
「ふぅ……」
威張るハナミズキ。その姿を見ながら、一息ついた瀬那は木に背を預ける。
「ったくよぉ……。下の下ビーストなら倒せるけど、俺はまともに戦えねぇってのー」
『……?』
修道女姿のハナミズキを見ながら愚痴る。
「あつ」
胸元のボタンを外し、蒸れた体を冷やす瀬那。汗が長い谷を流れる。汗ばむ体に気持ち悪さを感じながら、よくこの状況で生きていると自分に感心した。
「あいつら大丈夫かよ……」
あいつら――あいつらとは瀬那のチームメイトのA班の事だ。
順調に義骸を倒し、他のチームとも合流できた矢先にゲートが開いたのだ。襲い来るビーストに、動き回って抵抗しごった返すが、気づけば瀬那一人になってしまった。
「あーだりぃなぁー」
『えへへ』
ヤンキー座りをして化身の頭を撫でる瀬那。しゃくれる顎にだらしない姿勢。その姿勢から直ぐに立ち上がることになる。
「ォォォオオオオオォォ――」
「ッ!?」
『ッ!?』
遠くの方で不気味なビーストの咆哮が木霊した。無視できない危機感。すぐさま翻し、咆哮とは真逆に駆けだした。
「ああもう! 避難場ってどこだよ忘れたしー!」
『むー』
あてもなく走りだしたが、胸の内に募る不安はぬぐえない。
「っはっはっは」
辺りに耳を傾けるが、人はおろかビーストの慟哭すら聞こえてこない。
この辺りは安全なのか? そう思わする程に静かだ。
「――っここは!?」
開けた場所に出た。
『っむ!』
「そうだな。どうやら他チームの開始地点らしいな」
ハナミズキの会釈を返す瀬那。見渡すが人の影すら無く、一層増して不安が募った。
『っむむ!!』
「どうしたハナ――!?」
空を睨むハナミズキの視線の先を見ると、決して合ってはならない目が合う。
「ガアアア!!」
ッドン!
と、地響きを上げるビーストの着地に、鼓動が速くなった。
「……マジかよおい」
『むぅ!』
空かさずハナミズキが十字架を投擲。回転し風を切る鈍器がビーストを襲うが、丸太の様な腕で難なく払われる。
「――」
後退る瀬那。戦闘力に乏しいハナミズキには、否、新米の戦闘員でも目の前の中級以上のビーストに勝てない。
「グゥロロロ! ガグワアア!!」
口を大きく開き威嚇するビーストに、脚の力が抜け力なく尻から落ちた。
「あ……あ……」
『……』
――絶望。瀬那の心は暗い影を落とす。それを物語る様に化身のハナミズキは戦意を喪失。瀬那を庇う様に抱きしめる。
「グウウウウ……」
近づき踏みしめる度に地面を砕くビースト。その光景から目が離せない瀬那。
「――」
「――」
死の縁。大きな手が瀬那に迫るが、諦めきった心が世界をスローへと瀬那に見せる。
「ガアアアアア!!」
――朝比奈 瀬那の、心が壊れた瞬間だった。
キィイイチュドッッッッ!!!!
「ッ!?」
『!?』
刹那、衝撃と大きな音を感じた瀬那。耳鳴りが酷く煩く鳴るが、鳴りやみ瞼を開ける。
『セーフ! ギリギリ間に合った!』
二重に聞こえる声。ビーストが消える霧の中から白銀が見える。
『他の奴らは逃げていくのが見えたが……、ッハハ、お転婆もいいとこだぜ? 瀬那』
絶望に染まる瞳に光が宿る。
「鳩摩羅……一如……」
『わぁあ!』
信じられなかった。陰気で物静か、化身も出さない彼が信じられなかった。
『おう』
一如が返事をした。
「お前、その体……」
瀬那の瞳が目まぐるしく四肢を見る。
『俺が化身だ。悪かねえだろ?』
『おー』
ハナミズキは目を光らせるが、瀬那は戸惑いの中にいた。一如が豹変しているからだ。
『ハナミズキだっけ? 瀬那の化身は表情豊かで見てるこっちも笑顔になる』
『ンフ―』
しゃがみこみ白銀の腕で頭をなでる一如。目を細めるハナミズキを他所に、一如が口を開く。
『瀬那の力が必要だ。虎徹が怪我をした』
「伊藤が……? お、乙女は無事なのか! 知ってるなら――」
『無事だ。安心しな』
その一言で心が少し安らいだ。
『立てるか』
目を合わせ、同じ目線で問われた瀬那だが、立ち上がろうにも力が入らない。
「だめだ……膝が笑ってやがる……」
膝の振るえに、さっきまでの恐ろしい光景が浮かび声が震える。
『……瀬那』
「ッ!」
俯く顔が一如の手によって上げられる。瞳と瞳が合わさると、一如が口を開いた。
『人間誰でも絶望はする。まぁそいつの器量にもよるけどな』
紡がれる言葉。
『俺も立ち上がれない程に絶望した事がある。握った拳が砕けた事もあった』
ハナミズキが一如を見る。
『そして悟った。結局はここなんだよ』
白銀の指が瀬那の胸を突く。
「ここ……ろ?」
『そうだ』
押し込まれ柔らかく窪むが、否定するどころか高鳴る心臓の音が瀬那を熱くさせる。
『心が世界だ。強い心を持つと、自ずと見える世界も変わってくる』
「……ッ! おい!」
瀬那は驚愕を口にする。一如に抱きかかえられたからだ。
『今から三人の所に向かう。ハナミズキをしまっとけ』
二人を見上げるハナミズキに光が漏れ、その光が瀬那の体へと入っていく。困惑する瀬那は、言われるがままに化身を胸の内にしまう。
『飛ぶ前に言っとく』
「……」
優しく見下ろされる瀬那。自信あふれる一如の瞳から目が離せない。
『見える景色はテメー次第だ。ッハハ、忘れんじゃねぇぞ』
キィイイイドワオッッ!!
衝撃と風を切る感覚。重力から解放される浮遊感。その一切を感じた瀬那は、今までに感じた事のない胸の高鳴りと苦しく愛おしい感情に見舞われた。
――見える景色はテメー次第だ。
一如の言葉が瀬那の中で繰り返し響き渡る。
「――」
その言葉通り、一如に対する瀬那の見る目が明らかに変わる。見つめる顔から目が反せない。
『着地するから舌を噛むなよ』
「ッ!」
そう言われ目をつぶって歯を食いしばる。ほんの数秒後に激しい着地音が耳に響き、そっと優しく降ろされた。
「瀬那!」
馴染みのある声を聴いて振り向くと、乙女が駆けだしてきていた。
「乙女!」
抱き合う二人。お互いの安否が解き、心が軽くなる。
「乙女、切り傷が――」
「大丈夫。私より加藤くんが!」
促される瀬那。木を背にしている虎徹と寄り添うタクヤに三人が近づく。
「朝比奈……」
「痛っつ、無事だったんだな」
血の跡を顎に残す虎徹にタクヤ。それぞれが瀬那の無事を喜んだ。
「間一髪な所を鳩摩羅に助けられた」
首を縦に振り肯定した。
「ハナミズキ」
瀬那の光から化身が現れる。
「ヒールライトだ。伊藤を癒してやれ」
『ひーる!』
ハナミズキが持つ十字架から緑の光が漏れると、虎徹を包むように光が集まり、癒す。
「っぅう……。痛みが和らいでいくのが分かる。これが朝比奈の化身か」
瞼を閉じ鼻から息を吐いた。和らぐ不思議な感覚に浸っていたが、ふと隣のタクヤへと目が向いた。
「……ゴクリ」
「……?」
喉をならし唾を飲み込みこむタクヤ。疑問を顔に表した虎徹だが、タクヤの見つめる先へと目を向ける。
「!?」
虎徹の瞼が大きく開かれ釘付けにされる。それもそのはず。
「ゴクリ……」
瀬那の胸元が大きくはだけていた。学園一と噂される胸部の長い谷。思春期真っ盛りな男子には刺激が強すぎたのだ。
「……」
「……」
もう辛抱堪らないと鼻息が荒くなる二人。危機感有る状況だと言うのに、男子二人はそれを忘れひたすらに眼福する。
「……オイ」
『むー』
目の前の谷から低い声がした。
「ど、どうした?」
「ん?」
瀬那の声に目もくれない虎徹とタクヤ。鼻の下を長くするその顔に、天誅が下る。
「どこ見てんだコラァア!!」
「「ッブフ!!??」」
二人に瀬那のげんこつが鈍い音を出し炸裂。
「痛てぇぇ! 容赦なさすぎぃぃ!」
「あばら逝ってるのにこの追い打ちぃぃ!」
あまりの痛さに頭を抱え苦悶する二人。
「はぁ……呆れた」
「自業自得だバカ!」
『ッハハ!』
乙女は呆れ顔で首を振り、瀬那は目がひん剥き怒る。
『思ったより元気だな。重畳重畳!』
腕を組み白い歯を見せる一如。その余裕ある態度に四人は一如を見る。
間が空き少し寒い風が吹くと、彼が口を開いた。
「……一如」
『どうした虎徹』
先ほどとは違い真剣な眼差しに打って変わる虎徹。
「お前なんだろ……彗星男って」
「え……?」
何の迷いもなく言う虎徹の言葉に、瀬那は驚く。
驚くのは当然だった。瀬那自身は一如に間一髪で助けられ、あまつさえ一緒に空を飛んだ。光の尾を引く一如を見ていない。
「やっぱそうだよな……」
「……」
内心タクヤも思っていた事を告げ、乙女も心の内で問うた。
『ああ。巷ではそう呼ばれてるな』
「ッ!?」
驚きもせず淡々と肯定した一如。瀬那は開いた口が塞がらない。
「――一如!!」
「「「!?」」」
声を荒げ四つん這いになり頭を下げる虎徹。その突然な行動に、三人は驚く。
「彗星男のお前なら、この事態を終息できる! そうだろ!」
『……』
何も言わない一如。その無言を肯定と受け取り、虎徹は続けた。
「散々お前に酷い事をした! そんな俺が頼む事に筋が通らないのは分かる!」
『むー』
ハナミズキの頬が膨らむ。
「だけど……。だけど頼む! 俺たちを、みんなを助けてくれ!!」
決しな心の叫び。
「――俺からも頼む」
タクヤも同じく懇願する。
「俺も同罪だ……一如」
頭を下げる。
「後でボコっても構わない! お前が俺たちに何しようが構わない! だから助けてくれ!!」
心の内を吐露する二人。側には化身が鎮座するが、どこか見守る様に立っていた。
「伊藤くん、上田くん……」
「お前ら……」
女子の二人には映るのは格好の悪い姿ではない。後ろめたい事から逃げず、真摯に受け止めさらけ出す。
二人の印象が変わった瞬間だった。
『……』
無言の一如。虎徹が指で砂を擦ると、回答が帰ってきた。
『仏の顔も三度まで……知ってることわざだろ』
「……」
「……ああ」
頭は下げたままだ。
『どれだけ温厚な奴でも、三度殴られりゃキレるって意味だ』
続けて言う。
『寺で荒行してた頃は別に何も思わなかったが、成して余裕がある時に、ふと思った」
二人に近づきしゃがむ一如。
『おいおい、二回しか許さないって、それって仏としてどうよ? ってな』
少し笑いが込まれる一如の言葉。
『――顔を上げろよ、二人とも』
優しい口調で言われる虎徹とタクヤ。上げた顔は真剣な面持ちで一如を見る。
『俺からすれば許す許さないじゃない。そこに心が在るか否かだ』
自分の胸を叩く一如。その姿に、二人は心の奥底から熱いモノが湧く。
「一如……」
虎徹が思わずこみ上げ漏らす。
『ッハハ、それでも納得いかないなら言ってやる』
立ち上がる。
『タクヤに虎徹。さっき言っただろ、心が世界だ。……覚えとけ』
四人に背を向く一如。その言葉が心に沁み込む。
『安心しな。はなからゲートを維持する首魁を倒すつもりだ』
渦を巻くゲートを見ながら言うと、本能が警告する音が響く。
『おいでなすったか!』
――ォォオオオオオオオォォ。
「ッッ~~!!」
委縮する四人。大気を揺らす重い音。その根源を見る一如。
ゲートの渦。その中心の奥に佇む二つ眼。
『ダチは……お前たちは絶対死なせねぇ!』
睨む一如が言った。
『行ってくる!』
キィイイイドワオッッッ!!
突風で塞いだ瞼を開ける四人。
「頼んだぜ……一如……!!」
青白い尾を残す彗星に、虎徹が代表して呟いた。