長尾景虎
天文二十二年の春、日の本の国の覇権を賭けて、関ヶ原で東軍三万と西軍七万が激突した。
その戦いの最中に私は武田軍を下して、味方につけた。
次なる標的は上杉憲政であり、彼を屈服させるために疾風のように駆ける。
厄介な武将が居るらしいが、こっちは稲荷神様の御加護があるのだ。
もしそれでも勝てないようなら、きっとその人物は神の領域に足を踏み入れている。
私としてもそんな恐ろしい存在とは出会いたくないが、現実的に考えて居るわけがなかった。
なので楽観的に考えながら、立ち塞がる足軽たちを次々に薙ぎ倒して、上杉軍の総大将を探していた。
すると、私の前に一人の武将が立ち塞がった。
「拙者は長尾景虎なり! 世の平穏を乱す逆賊め! 義によって成敗致す!」
武田信玄が言った通り、私は彼を一目見て、本能的にヤベー奴だと理解してしまった。
「……うわぁ」
私は思わずしかめっ面になってしまったが、彼の顔が女性と見間違えるほど整っていた。
そして立ち振舞いから見て、並の武将よりも強そうだ。
周りの足軽や他の武将は手を出さずに遠巻きに見守っている。
つまり下手に助力するのは彼の邪魔になるか、もしくは巻き添えを食うと判断したのだろう。
なお、長尾氏は馬上では不利と感じたのか、素早く地面に降りて自らの刀を勢い良く引き抜いた。
「そなたは何者だ! 名を名乗れ!」
長尾景虎が名乗ったので、私は足を止めて堂々と宣言した。
「私こそが次代の大樹になる者! 織田美穂よ!」
すると彼はこちらの名乗りを聞いて、おかしそうに笑い始めた。
「はははっ! そなたが織田美穂か!」
一体何事かと思ったが私はその次の瞬間、これは絶対にアカン奴だと察してしまう。
「今代の征夷大将軍を利用し、朝廷をも踏みにじる!
史上最悪の悪鬼を討ち取る、絶好の機会よ!」
長尾景虎は自らが信じる義のためなら、その命を惜しまない。
正義を成すためには死力を尽くして戦い、決して屈しないのだろう。
「人の世を乱す悪鬼め! 成敗致す!」
やはりと言うか、全く信用されていなかった。
敵側に居るので当たり前だが、一応弁明させてもらう。
「馬鹿言うんじゃないわよ! 私は戦乱を終わらせようとしてるのよ!」
だが彼は話を全く聞かずに、他の武将よりも素早く洗練された素早い動きで、あっという間に距離を詰められてしまう。
流れるように斬りかかってきたので、私は咄嗟に背後に飛ぼうとした。
しかし何故かこちらが判断を下すよりも先に右手が引っ張られて、見事に投げ飛ばされてしまう。
「きゃうん!?」
どうやら私の動きを読んで片手で刀を振るい、自由な片手で引っ掴んで強引に投げ飛ばしたようだ。
さらには何とか受け身は間に合ったが、不安定な姿勢で着地した私に止めを刺すべく、流れるように喉元目がけて突きを放ってきた。
「あっぶなっ!?」
慌てて首を捻り、際どいところで回避する。
何となく横目で見ると、彼の刀が地面に刺さっていた。
別に当たっても体は傷つかないが、やられて気分の良いものではない。
ついでに衣服は普通に破損するので、服装が乱れたり全裸になる可能性はあるのが何よりも恐ろしい。
しかしさらなる追撃を受ける気はないので、私は一瞬の隙を逃さずに何処かの金髪軍人のように、しゃがみからのサマーソルトキックを放った。
それでも不安定な姿勢だったことと、長尾景虎の反射神経が予想以上のため、間一髪で避けられてしまった。
それでも体制を立て直す時間は稼げたので、着地と同時に亀仙流の構えを取って呼吸を整える。
「強いわね!」
「そなたもな!」
私のように稲荷神様から与えられ、何も考えずに脳筋ゴリ押しているわけではなく、 彼は戦い慣れているだけでなく天性の才能も持っているようだ。
しかしだからと言って、負けてやるつもりはない。
今度はこちらの番だとばかりに、私は長尾景虎に真っ直ぐに突っ込んだ。
そして接触寸前で急停止して、同時に彼の腹部に拳を重ねる。
「受けなさい!」
柴田勝家を仕留めた漫画の技だ。
そして口には出していないが、八門遁甲も二門まで開いている。
結果的に、ゼロ距離でも鎧を陥没させるほどの威力を秘めた拳を、彼にぶつけることになった。
「なんのっ!」
しかし残念ながら、私の拳は空振りしてしまう。
長尾景虎は、咄嗟に体を捻って強引に受け流したのだ。
「これを避けるなんて!?」
だが彼は無理な姿勢で躱したからか、地面を転がりながら距離を取った。
「今のは危なかったぞ!」
今度は反撃を受けることはなかったが、初見の技なのに見事な対応であった。
ならばきっと二撃目を放ったら完全に見切られて、逆に反撃を受けてしまいそうだ。
一体何処まで八門遁甲を開けば、長尾氏を倒せるのかと考えたが、確実に仕留めるなら、四か五まで解放するべきだと判断した。
しかしどれだけ戦闘に優れた達人であろうと、自分のように怪我や病気にならない御加護を授かっているわけではない。
なので、もし鎧や兜に守られていない箇所に攻撃が当たれば、ギリギリまで手加減しても死ぬこともありえた。
天下分け目の戦をしたのも、人をなるべく殺したくないからだ。彼にもできれば生きて欲しい。
そう思った私を構えを解いて、こちらを討ち取る気満々の長尾氏に大声で呼びかけた。
「長尾景虎に提案があるわ!」
そのまま、彼に向けて手を伸ばす。
「貴方も私に手を貸して、悪鬼にならない?」
長尾氏が私のことを悪鬼呼ばわりするので、少しカチンときていたのかも知れない。
若干の皮肉を含めて、悲しい鬼退治の漫画のような台詞を口に出した。
「断る!」
そう簡単に説得できたら苦労はしないし、行き当たりばったりの行動には慣れている。
ならばと、苦笑しつつ言い方を変える。
「私は戦乱の世を終わらせたいの。
そのためにも貴方の力が必要なのよ」
これなら少しは心に響くかなと、長尾氏の返答を待つ。
「ならば何故! 将軍様や朝廷を脅迫して、戦火を広げるのだ!」
本当に義の人なのだと納得する。
彼の憤りは真っ直ぐに私に届いたが、同時にやりきれないものを感じて大きな溜息を吐いた。
「それがもっとも効率が良かったからよ」
「効率だと? 戦乱の世を終わらせるために他者を操り! 支配することがか!」
否定する必要はなく、その通りなので恥じることなく言い切る。
「その通りよ!」
長尾景虎は唇を噛み締めて、まるで親の仇でも見るような視線を向けてくる。
しかし、今さらその程度の威圧で、天下統一を目指す決意が揺らぐことはない。
「何も知らない貴方たちからすれば、私の行いは下劣、非道、情け無用の悪鬼羅刹に見えるでしょう」
古きを終わらせて、新しいことを始めるのだ。
何も知らず、ただ純粋に日々を生きている者から見れば、悪鬼の所業そのものである。
「でも、足利義輝様や朝廷は、そんな私に日の本の国の未来を託してくれたのよ」
それ以外にも、私が語る天下統一という夢を信じてくれた大勢の者たちも居る。
彼らの思いと犠牲を無駄にしないためにも、歩みを止めるわけにはいかなかった。
「戯言を申すな! 将軍様や朝廷が、そのような愚かな行いに加担するわけがなかろう!」
これ以上の説得は難しい。
多少は心を見出したのだろうが、聞く耳を持たないなら仕方がない。
長尾景虎は殺したくはなかったが、時間をかけすぎて大勢死者が出るぐらいなら仕方ない。
「仲間にならないなら、……殺すわ」
私は覚悟を決めて、彼を真っ直ぐに見つめる。
「くっ! 拙者は負けぬ!」
先程の説得で動揺したのか、長尾氏は気合を入れ直すように大声を出した。
だがもう、全てが遅かった。
彼の言葉が終わるや否や、私は真正面から突っ込んで、勢いのままに跳ね飛ばしたのだ。
「がはっ!?」
私は体当たりをしても傷一つできないが、正面衝突した者は無事では済まない。
まるで暴走トラックに跳ねられたように、長尾景虎の体が放物線を描いて宙を舞う。
そして勢いを緩めなかったため、たとえ避けても衝撃波で怪我をするため、無傷では済まない。
攻撃とも言えないゴリ押し上等の突進を終えた私は慌てて進路変更して、彼が地面と接触する前に空中に飛び上がって捕獲する。
「……危なかったわ」
鎧にくっきり衝突の跡が残っているうえ、結構な距離を飛ばされたようだ。
これで固い地面に叩きつけられたら、大怪我どころか即死しかねない。
「なっ、何故……助ける!」
「さっきも言ったけど、貴方に仲間になって欲しいからよ」
だが別に、必ずしもそうとは言えない。
天下統一の邪魔をせずに大人しくしていてくれれば、それでも良かった。
「まあそれは建前で、やっぱり人を殺すのは嫌だからね」
別に隠す必要もないので、堂々とぶっちゃけた。
すると長尾氏は一瞬物凄く驚いた顔をして、やがてぎこちなく微笑む。
「なっ、なるほど! そなたは、悪鬼ではない、……ようだ!」
しかし喋るのも辛そうで、咳き込みながら何とか口を動かす。
「真に……稲荷大明神様の……ごほっ! けっ、化身であった!」
それだけ言って、長尾景虎は私の手の中で気を失った。
何とか勝利したが、かなりの時間戦っていたので周りをすっかり囲まれていた。
だが別に、焦ったりはしない。
苦しそうに呼吸をする彼を静かに地面に下ろして、私は呼吸を整える。
そして不敵な笑みを浮かべて、再び上杉憲政を探し始めるのだった。




