稲生の戦い
天文二十年の秋、尾張で大乱闘スマ○シュブラザーズが開催された。
もちろん、未来でやるようなテレビゲームではない。
それでも親族同士で合意の上で戦をするので、そこまで間違ってはいなかった。
ともかく私は、那古野城から二千の兵力で出陣した。
そして信行の拠点である、末森城を目指すことにしたのだった。
念の為に全軍出撃ではなく、信頼の置ける家臣に守備を任せたので大丈夫だろう。
しかし尾張全土で一揆が起きたのは困った。
何でも、浄土真宗の本願寺派が仕掛けたらしい。
確かに美穂協同組合が広まるにつれて弱体化の一途を辿っているので、千載一遇の好機を見逃すはずがなかった。
これは何とも面倒なことになったと、馬を操りながら溜息を吐いた。
それでも表情には出さずに、黙々と街道を進んでいく。
やがて於多井川にかけられた橋を渡り、広々とした平野が目の前に開けた。
さらに進軍を続けようとすると、稲荷神様の御加護で強化された五感が大勢の気配を捉えると同時に、足軽に変装した忍びが駆け寄り、急ぎ報告を行った。
一通りの報告が済んだ所で、少し離れていた信長が近くまで来て尋ねてきた。
「如何したのじゃ?」
自分の動きが止まったことで、不審に思った弟が声をかけたのだ。
なので私はすぐに手を上げて、この場で少し待つようにと指示を出した。
「柴田家と林家の軍が、こちらに向かってるわ。
彼らがどちらの陣営かは、まだはっきりしないけどね」
私の言葉を聞いた信長は、多井川を越えた辺りの見通しの良い場所に向かうように命令を下して、兵たちに速やかに陣を敷かせた。
その一方で自分はと言うと、基本的に脳筋ゴリ押ししかできないので、兵を手足のように動かすのは苦手だ。
なので目を凝らして、遥か遠くから近づいてきた柴田家と林家の軍を静かに見据える。
現実には、何もしていない。
だが何となく重要なことをしているような、それっぽい雰囲気だけを演出するのだった。
柴田家と林家は別方向からやって来ていたが、途中で合流して大軍勢になった。
そして私だけでなくお互いに目視で確認して、弓が届くか届かないかのギリギリの距離まで近づいて足を止めた。
どうするのかと思ったら、向こうの総大将が前に出て堂々と名乗りを上げた。
「私は織田信行と申す!」
柴田と林だけではなかったのかと思いつつ、名乗りの続きを待つ。
「家臣の林通具!」
「同じく家臣の柴田勝家でござる!」
その後も一通りの紹介が済んだので、流れ的にこちらも名乗り返すべきだと思った。
そこで私も馬を操り、ゆっくりと前に進み出る。
「私は織田家当主! 織田美穂よ!」
「補佐の織田信長じゃ!」
ここで終われば早いのだが、合戦で目立ったり手柄が欲しい家臣が次々と後に続いた。
「家臣の林秀貞と申す!」
「同じく、家臣の森可成!」
「我は──」
あまりにも長くなりすぎて、時間が勿体ないと思った私は、申し訳ないが途中で割愛させてもらった。
しかし忍びを使って向こうの兵力を調べる隙ができたので、全くの無駄ではなかった。
結果、大体こっちの半分、千と少しだと判明した。
余程の戦下手でなければ、勝利は揺るがない。
しかしお家騒動での合戦は、周辺諸国や別の敵を喜ばせるだけだ。
なのでまともに真正面からぶつかり合って、将兵の命を散らせるつもりは毛頭なかった。
私は最終通告とばかりに、信行が率いる軍勢を視界に収めて、大声を出した。
「貴方たちの主は! 美穂か信行か!
この場で明言しなさい!」
もしかしたら、土壇場になって思い直してくれるかも知れないので、聞かないわけにはいかなかった。
「我々の主は、信行様である!」
「さよう! 美穂様には従えぬ!」
元女子高生が織田家の当主に相応しくないのは、私も良くわかっている。
だがこうまではっきりと断言されると、少しだけへこむ。
しかし、これは予想の範囲内だ。誇り高い武士が、そう簡単に手の平返しはしないのはわかっていた。
「信行も、姉に逆らうのかしら?」
次に私は、敵の総大将である信行に刺すような視線を向けて、堂々と告げた。
「わっ、私は──」
だが、何故か彼は家臣とは違って思いっきり狼狽えていた。
そんな有様で当主として大丈夫なのかと、つい姉の目線で見てしまって不安になってきたので、つい声を出してしまう。
「しっかりしなさい! 信行!」
嘘偽りを口にできないためか、心の中だけではなく現実でも、弟を応援してしまった。
「担がれた神輿であろうと! その道は貴方自身が選んだのよ!」
「……ううっ!」
完全に私の気迫に飲まれた弟を見てしまうと、心の中でこりゃアカンわと大きな溜息を吐いた。
信行は、自分と違って優秀だ。
しかし状況に流されやすく、担がれて神輿をしているのは明らかであった。
実際に父は遺言状以外にも、根回しはあらかじめ済ませていた。
それでも弟は家臣に持ち上げられるまま反旗を翻したので、勝ち目の薄い戦に乗り気になれないのもわかってしまう。
「信行! 貴方を信じて付き従う家臣たちのためにも、弱気になるんじゃないわよ!
己の選択に恥じることなく責任を持って、堂々と胸を張りなさい!」
私だって本音としては逃げ出したいが、神様との契約だけでなく既に外堀が埋められている。
なので仕方なく織田家の当主としての責任を背負い、今もこうして弟と相対しているのだ。
個人的には自由に生きられる信行を、羨ましく思っていた。
「……姉上」
弟は何故か泣きそうな表情をしていたが、気にせず勢い任せで言葉をかけ続ける。
「信行! 姉の屍を越えていきなさい!」
「いやいやいや! 姉上が死んだら駄目であろうが!」
今まで口を出さずに黙って聞いていた信長から、突然鋭いツッコミが入る。
私が行き当たりばったりで喋るのはいつものことなので、当然深い意味はなかった。
「でも、信行は流されやすいけど優秀よ」
私に全く緊張感がないため、途中で割り込んできた信長に顔を向けて、いきなり別の話を振る。
「案外良い統治者になるんじゃないかしら?」
「確かに、統治者の素質はあるじゃろう。しかし戦乱の世で生き残れるかは、わからぬぞ」
「……そうなのよね」
私以上に優れた統治者なのは間違いないが、戦国時代で生き残れるかと聞かれるとわからない。
それなら頭の切れる信長のほうが適任に見えるが、彼は自分の補佐以外をやる気はないと言うのだ。
「信行! 私はやっぱり、ここで死ぬわけにはいかないわ!」
あっさりと前言を撤回して、絶対に死にはない上に、しかも全く悪びれずに堂々と告げる。
「わかりました! ですが姉上、私も覚悟を決めました!」
「ええ! かかってきなさい! 相手になってやるわ!」
ソ連に立ち向かうフィンランドではないし、立場としてはむしろ逆になる。
それでも色んな意味で吹っ切れた信行に、姉としては嬉しく思う。
ただ信長が、姉上の人誑しと小さく呟いたのを、強化された聴覚は聞き逃さなかった。
こっちの弟は戦が終わったら一発殴ろうと、そう心に決めたのだった。




