花林糖
天文十九年の冬、堅田の武家屋敷で細川晴元を織田家が引き取ると申し出た。
その際に色々あって、尾張が日の本の国でもっとも栄えていると証明することになった。
なお、途中で征夷大将軍が布団に入って熟睡してしまったので、私たちはなるべく足音を立てずに隣の部屋に移動した。
だがまあ正直なところ、私は色々と面倒になってきていた。
自分は別にリアクション芸を見たいわけではないのだ。
細川晴元とその派閥の要人を殺したくないので、尾張で大人しくしていてもらいたいのだ。
全て私のわがままだが、今さら方針を変えるつもりはない。
何にせよこれ以上、献上品の説明を長々と続けるのは時間の無駄だと思い始めた。
そこで細川晴元に、ある提案をすることに決めた。
「次の葛籠の食べ物を美味しいと感じたら、尾張に来てちょうだい」
「はぁ? どういうことだ?」
細川氏が理解できずに尋ねてきたので、私は率直な答えを返す。
「結果がわかりきった勝負を続けるのは、いい加減面倒なのよ。
だから、次で終わりにしたいの」
「確かに、儂も同意見だ。……良いだろう」
細川氏は不敵な笑みを浮かべて返したきたので、双方の思惑は違うが合意が取れたので良しである。
とにかく、次の葛籠で最後ということになった。
念の為に甘味は好きかと尋ねると、首を縦に振ったので問題ないことを確認した。
そこで私は、先程と同じように蓋を開けて中身を取り出した。
そのまま大きな巾着袋を手に持って、彼らに見せる。
「これは花林糖よ。毒味は必要かしら?」
花林糖は、かなり歴史のある和菓子だ。
しかし私が作った物は、未来に限りなく近くしている。
例えば、甘みを麦芽糖や蜂蜜で強めたり、発酵を長めに行って軽い食感になるように工夫を施している。
私の毒味発言を挑発と受け取ったのか、細川氏は不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「そのような脅しに、怯むと思うてか!」
そう言って彼は、紐を緩めた巾着袋を乱暴に取り上げた。
そして最初の一本を口に放り込んで、ボリボリと噛み砕く。
すると先程までの態度は何処へやらで、驚愕の表情を浮かべる。
しかし、その後は一言も喋らない。
ただ、花林糖を無心に食べ続けていた。
それを見た私は、呆れた顔で声をかける。
「他の人の食べる分も、残しておいて欲しいんだけど」
細川氏が美味いと感じるのが、勝利条件だ。
しかし本来なら、一本齧るだけで十分わかるはずだ。
「花林糖は全て儂の物だ!」
あまりにも酷い言いように、私は腹を立てた。
「おのれ! 何をするか!」
なので、花林糖の入った巾着袋を強引に取り上げた。
「花林糖は美味しかったかしら?」
若干の怒りを顔に出して、細川氏に尋ねた。
「むっ……それは! もっ、もう一口食べねばわからぬな!」
それを聞いた私は、巾着袋の中に入っている残りの花林糖の数を確認する。
そして問題ないと判断して、一本だけ指で摘み出した。
「口を開けなさい」
「はっ? あっ、ああ」
まさか二十代後半の男性に、あーんをさせるとは思わなかった。
「はい、これで終わりよ」
目的を達成するためなので、羞恥心はあっても我慢して放り込んだ。
「尾張に来れば、花林糖が毎日食べられるわよ」
ようやく一区切りついたので、私は軽く息を吐きながら話を進める。
「ふむ、毎日か」
細川晴元は、口の中の物をバリバリと噛み砕いていた。
そして、まるで子供のように純粋な好奇心を表情に出し、興味津々といった様子で相槌を打つ。
「他にも、様々な味があるわ」
「ほう、興味深いな」
そして私は、先程から羨ましそうに見ている人たちにも花林糖を食べさせるように、銀子に手渡して指示を出した。
「もちろん、花林糖だけじゃないわ。
尾張には京の都にない物がたくさんあるのよ」
未来の知識を使って、色んな物を再現したのだ。
「ああ、先程も見せてもらったが実に素晴らしかった」
どうやら尾張が田舎という認識は正すことができたらしいが、細川氏は挑発的な笑みを浮かべたままだ。
そして私を、真っ直ぐに見つめてくる。
「だが、花林糖も珍しい尾張の品々も、銭を払えば買えるぞ?
わざわざ尾張に行く理由にはならぬな」
確かに細川晴元は、尾張は田舎だと馬鹿にした。
しかし認めたら隠居するために引っ越すとまでは、口にしていなかった。
そう言えばそうだったと思い直した私は、ならばと話題を変える。
「でも、堺の商人は強欲よ?
運送費もかかるし、現地生産でも足元を見られるのは間違いないわ」
京の都でも尾張の品はたまに見かけるが、値段は二倍や三倍か、それ以上が当たり前だ。
あれでは庶民は手が出せず、完全に贅沢品になっていた。
「だがそれは、尾張も同じであろう」
不敵に笑う細川氏の発言から考えると、それ程の銭を払う必要がある高級品だと評価してくれたのだろう。
それは嬉しいのだが、私は首を振って否定した。
「いいえ、尾張では庶民も買えるわ」
まだ量産化が始まったばかりなので、品質も量も安定には程遠い。
それでも、一般家庭がギリギリ手が届く価格に抑えている。
さらにいつかは尾張の領民全てが気軽に買えるようにと、情報収集や作業の効率化に余念がない。
「尾張の民衆は、美穂協同組合に加入させているのよ」
すぐに美穂協同組合とは何だと聞かれたので、座や市のようなものだと簡単に説明した。
尾張以外の周辺諸国にも広まっているが、そこまで説明する必要はないので、先に進める。
「集めた情報を独自に分析して、徹底した品質管理と効率化、改善を図っているわ。
値段が抑えられているのは、そのおかげね」
私がトップに立って徹底管理しているので、何だか共産主義に片足突っ込んでいる気がする。
しかし特権階級や中間搾取を追い出すには、もっとも手っ取り早かったのだ。
いつかは各々の支部に委任するが、やはり戦乱の世が終わらないと経営の安定化は不可能だ。
今は長期の出張中だが、尾張に帰ったら仕事が山積みになっているのは間違いない。
「しかし、商人や特権階級の恨みを買うのではないか?」
「無論、覚悟の上よ」
正論が返ってきたので、私なりの考えを細川氏に説明する。
「座や市や特権階級も、時代に合わせて柔軟に変えていくべきよ」
私はそう考えているだけで、もっと別のやり方があったかも知れない。
しかし何も思い浮かばなかったので、これでいくしかなかった。
「苦しむ民から搾取を続けたら、最悪共倒れになってしまうわ」
さらには、特権階級の者たちにも利益があることを説明していく。
「そもそも私は、彼らにも機会を与えているわ。
刹那ではなく長期的な視野で見れば、より多くの利益が得られるとわかるはずよ」
美穂協同組合は彼らの利益や特権を奪うが、それだけではないのだ。
組織の運営に手を貸せば、相応の収入を得られる。
もちろん前よりも少なくなるが、長期的に見れば徐々に上がっていき、最終的には前よりも遥かに利益が得られるのだ。
そうはっきりと告げると、細川氏や周囲の者の表情が強張った。
「美穂殿は、……危険だ」
「でしょうね」
今の時代の慣習を壊して、改革を成そうとしているのだ。
少なくとも大樹を私欲のために利用するぐらいは、平気でやる。
「だが、嘘偽りは申しておらぬ。信用はできるだろう」
「そうかしら?」
嘘を言わないとしても、隠していることはある。
それに、細川氏や征夷大将軍を裏切らないとも限らないので、信用されても困ってしまう。
「美穂殿は、己の懐に迎え入れた者を裏切ったりはせぬよ」
「買いかぶり過ぎよ」
かつての美濃攻めでは、味方を欺いて大勢の命を奪った。決して裏切らないとは言い切れない。
なので、大きな溜息を吐いて彼の発言を否定する。
すると彼は、何がおかしいのかクックックと笑っていた。
「この細川晴元、美穂殿の世話になろう。
派閥の者も、よろしく頼む」
私に向かって深々と頭を下げる細川氏だが、悲壮感は全くなかった。
「政権を取り戻すよりも美穂殿に付いて行ったほうが、贅沢な暮らしができそうだ」
確かに尾張と京の都と比べると、引っ越したほうが良い暮らしができるのは間違いなかった。
それに政権を取り戻すのも命がけで、生涯果たせない可能性も十分にある。
しかし本当のところは、細川晴元に、どんな心境の変化があったのかは想像することしかできない。
それでも、これで和睦の条件は整った。
私はようやく故郷に帰る目処がついたのだと、心の中でホッと息を吐くのだった。




