規格統一
天文十一年の初夏に古渡城下の武家屋敷を出て、山沿いの村に引っ越してから十日ほど経った。
引越し先のボロ屋を人が住めるように改築するのは必要だが、小さくても良いので稲荷神様の祠を庭に作ってもらうのは大切だ。毎日の参拝が習慣になっている自分には、なくてはならない。
そして美穂様に家事をさせるなど恐れ多いと言われて、実家でもっとも若い使用人を、一人だけだがつけてくれた。
仕事漬けの毎日になるのは確定しているので、個人的にはとてもありがたい。
しかし炊事場に立てないし多忙で心身共に余裕がないため、未来の料理を再現できないことだけ、ほんの少しだけ残念に思ったのだ。
それはともかくとして、使用人が作ってくれた朝餉と朝のお参りを済ませた私は、新しい道具の開発を行っていた。
村の鍛冶と木工の工房に直接出向いて、古渡城下から呼び集めた職人たちとの協同作業である。
実用化は来年以降の予定だが、その前に試作と実験を何度も繰り返して正規品を組み上げ、最低限の必要数を確保しなければならない。
なお、林さんが父を説得してくれたので銭や物資の心配はいらなくなったが、これは先行投資で確実に成果を出すようにと再三言われ、重圧がさらに酷くなってしまう。
だが結果を見れば良いことで、綱渡りの人生は変わらないので、私は前向きに考えることにしたのだった。
そして何故か吉法師が護衛を引き連れて、私が管理する村に見学にやって来た。
古渡城から近いので来ようと思えばいつでも来れるが、小姓の仕事を放り出すのは如何なものかと、新たな道具を作成しながら弟を横目で見つめて尋ねる。
「父上から、姉上の様子を見てくるようにと言われたのじゃ」
「へえ、そうなのね」
私は木工職人の工房を借りて、作業机に素材と工具を広げていた。
そして何の変哲もない細長い木の板に向き合い、表情はまさに真剣そのもので、吉法師の答えに相槌を打つ。
「姉上は何をしているのじゃ?」
細長い木の板を規則正しく削っていた私は、弟の質問にすぐに返答する。
「物差しの基盤を作ってるのよ」
「物差し?」
吉法師が興味津々に眺めているので、良い機会だと考えて手を止めて一息つく。
そして精神的な緊張感でかいた汗を軽く拭って、弟に顔を向けて答えた。
「長さを厳密に測定する道具で、新しい単位に規格統一するのよ」
「ふむ、道具は理解したが腑に落ちぬな。
長さならば、寸や尺があるではないか」
吉法師が言うことはもっともで、長さの単位は既に存在している。
私はそこに新しい基準を作ろうとしているので、無駄だと考えるのも無理はなかった。
「あれは誤差が酷くて、使えたものじゃないわ」
自分が知る未来では、単位の規格統一が成されていた。
機械化しているからこそ可能なこともあるが、たとえ人力だろうと極力揃えるべきだ。
今の時代は、そこら中の職場や家庭で複製するので誤差が酷い。
なのでもういっそのこと、逐一修正をかけるよりも一から新しい単位を作ったほうが面倒がないと考えた。
「では姉上は、新たな単位を制定するのか?」
疑問を浮かべる吉法師の質問に、私は小さく頷いた。
「そうよ。ただし、私が管理する村のみだけどね。
基盤を元に生産して複製を禁じる代わりに、格安で提供するのよ」
父に任されているのは一つの村だけだが、これから最低でも一年以上は付き合いが続くのだ。
ならば作業の効率化を進めるのは、当たり前のことだろう。
「しかし、そこまで厳密に決めねばならぬものか?」
今までは問題が起きていなかったのに、わざわざ厳密に定める必要はあるのかと、吉法師はそう尋ねてきた。
私はそれをどう説明したものかと口元に手を当てて考えて、今度は逆に彼に尋ねてみる。
「吉法師は稲作の効率を手っ取り早く上げるには、何が良いと思う?」
流石に八歳児には難しいだろうが吉法師は少しだけ思案すると、私が教えるはずの答えを口に出した。
「やはり道具じゃな。
他にも多数思い浮かんだが、これがもっとも手早く効率を高めるのに向いておるじゃろう」
まさか一発で正解を言い当てるとは思っていなかったので、私は感心したように息を吐いた。
「吉法師って、本当に八歳なのかしら?」
自分のように転生前の記憶を保持しているわけではなく、生まれながらの本物の天才を目の前にして、私は目を白黒させて弟をじっと見つめる。
「姉上があれこれ世話を焼いたからじゃろうよ」
「私のせいなの? それはまた、別に困らないけど困ったわね」
確かにお姉ちゃん子の弟なので、深く考えずに世話を焼いたりはしたが、いくら何でも成長が早すぎる。
それはともかく、私は麒麟児って本当にいるんだなと目の前の現実を受け止めた。
何より頭が悪いより良いほうがいいので、気にせず続きを説明していった。
「話を戻すけど、吉法師が今言った道具のさらなる効率化を図るために、新たな単位と物差しを作っているのよ」
「ふむ、そうなのか?」
今度は弟はすぐに閃かずに、深く考え込んでいる。なので、まだ追い抜かれなくて良かったとホッと息を吐いた。
そのまま続きを説明するために、私は物差しとは別の設計図を手に取って、目の前の八歳児に見せる。
すると吉法師が驚いた顔をしているので、ちょっとだけ得意気になって口を開く。
「これは千歯扱きと言って──」
「姉上、歯は千もついておらぬぞ?」
「もうっ、話の腰を折らないの!」
間髪入れずにツッコミが入ったので、私は吉法師の頭に軽くポンと手を置いた。
別に叩いたわけではないが、昔からデコピンやシッペで黙らせているためか、すぐに口を閉じてくれた。
なのでコホンと咳払いしてから、話を戻す。
「この道具で重要なのは、歯の間隔よ。
広ければ種籾が素通りするし、狭ければ稲穂が挟まらないわ」
身振り手振りでどのような道具か説明していくと、吉法師は明確に想像できたようで小さく頷いた。
「これが完成すれば、脱穀の効率は飛躍的に上がるでしょうし、ゆくゆくは尾張全土に普及させたいわ」
「うむ、理解したぞ」
弟が話についてきていることを確認して、私はいよいよ本題に入る。
「けれど今の尾張国は規格の統一ができてないわ。
他の工房で量産しようと、どうしても無視できない程の明確な差が出てくるのよ」
私は吉法師が深く頷いたことを確認して、これ以上は説明する必要はないと判断し、再び物差しの基盤作りにと戻ることにした。
「それで姉上は、どのような単位にするつもりなのじゃ?」
また一つ賢くなった吉法師が興味津々と言った様子で、作業台の上に置かれた物差しと向き合っている私に尋ねてきた。
「ミリ、センチ、メートル、キロよ」
「えっ?」
明らかに困惑しているが、私は別に冗談を言っているわけではない。至って真面目に答えたつもりだ。
だが聞こえなかったのかも知れないと考えて、もう一度はっきりと口に出した。
「だから、ミリ、センチ、メートル、キロよ」
「えっ? ……えっ?」
相変わらずの困惑顔を浮かべる弟だが今度は聞こえたはずと考えて、基盤作りに戻った。
本来の歴史から逸脱するのは間違いないが、そこは諸外国と交流を持ったときに修正すればいい。
なので長さだけではなく、未来で慣れているリットルやグラムも導入する予定だ。
そしてふと視線が気になったので吉法師を見ると、やはり微妙な表情で姉を見つめていた。
しかし私がやらかすのは今に始まったことではない、この程度は慣れっこのようですぐに落ち着きを取り戻し、弟は口を挟まずに見学に徹するのだった。