足利義輝
天文十九年の冬、私は琵琶湖の西にある堅田に向かった。
行き当たりばったりの交渉次第では一戦交える場合もあるため、逃げ切りを考慮して私と銀子と林さんの三人の少数精鋭である。
ついでにフットワークが軽いので、計画を練った次の日には即出発だ。
何とも慌ただしいが、そのおかげで天文十九年が終わる前には、雪を物ともせずに堅田に到着した。
防寒具が最新の物なのもあるが、やはり稲荷神様の御加護は凄いのだ。
そして今代の征夷大将軍である足利義輝だが、父の織田信秀が拝謁したことを覚えていてくれた。
だがしかし、普通は征夷大将軍には簡単に会えない。
それに六角氏の領地なので表向きは普段通りを装い、裏では関係各所に賄賂を配って拝謁を願い出たのであった。
何とか許可が取れたが、将軍様が住んでいるという武家屋敷の正門で、万が一に備えて武器を取り上げられてしまった。
自分たちは突然尋ねてきた余所者なので仕方ないし、会えるだけでも幸運だと割り切る。
とにかく身辺警護の者に囲まれたまま廊下を歩き、大広間へと入室する。
そして私は指示された通りに、一段低い木床に座る。
目の前には十代半ばという若い征夷大将軍が静かに佇んでおり、彼に向かって深々と頭を下げた。
しかし、自分よりも歳が若いとは思わなかった。
少し動揺したが、表情には出さずに冷静に振る舞う。
「お側の方まで申し上げます。織田信秀の娘、織田美穂と申します」
「おお、織田信秀のことは覚えておるぞ。その娘か。直答を許す」
目上なので猫を被っている。なお、本当にこのやり取りが正しいかはわからない。
何しろ征夷大将軍に会って直接会話するのは、今回が初めてなのだ。
だが、元々行き当たりの脳筋ゴリ押し上等な性格だ。
いざとなったら笑って誤魔化せばいいやと前向きに考えて、このまま進めることにした。
「それで、本日は何用で拝謁したのだ?」
これに関しては腹芸が得意な者なら、波風立てずに上手く理由を説明できるだろう。
しかし、残念ながら私は嘘はつけないため、包み隠さず堂々と口に出した。
「三好長慶様と、和睦をしていただきたく存じます。
その説得をするために、私は拝謁致しました」
「何だと!?」
途端に足利義輝の顔つきが変わり、あからさまに不機嫌になる。
さらには大広間に集まっている家臣や護衛にも緊迫が広まり、刀に手をかける者まで現れた。
しかし、この程度で動じる私ではない。
なので気にせず、さらに言葉を重ねる。
「ですが、私は三好長慶様の味方ではありません」
ここで彼は少しだけ思案して、すぐに合点がいったのか口を開いた。
「では先程の言葉は計略か? 本当は我の味方と言うことか」
割と物騒なことを考える将軍だが、戦国乱世は裏切りや騙し討ちは当たり前のように行われている。
何もおかしいところはないが、私は首を横に振って彼の言葉を否定した。
「いいえ、将軍様の味方でもありません」
「何だと! ならばお主は一体誰の味方なのだ!
まさか、自己保身しか考えておらぬではなかろうな!」
彼の味方だと答えても良かったが、誤魔化したところですぐにバレる。
そして保身には近いが少し違うので、歯に衣着せぬ発言を口にする。
「私は乱世で苦しむ民の味方です。
そして、戦火を広げる者の敵でございます」
最初こそ、天下統一は稲荷神様の大望だった。
しかし今は、私自身が戦乱の世を終わらせたいと願って行動している。
こんな自分に付き従い、そのために犠牲にしてしまった命を無駄にしないためにも、必ず成し遂げなければいけない。
なので私は真面目な表情になり、今代の征夷大将軍に質問する。
「将軍様にお尋ねします。貴方は、私の敵ですか?」
相手の方が目上なので、この発言は不遜だ。
しかし、もし今代の大樹が民を苦しめているなら、断じて認めるわけにはいかない。
そして自分の質問に、若い将軍は明らかに戸惑っていた。
「わっ、我は! 民の……ために!」
即答できないのは、きっと足利義輝に、後ろめたい気持ちが僅かでも存在するからだ。
聞けば若くして将軍職を継ぐことになり、京の都から追われて波乱万丈の人生を歩んできたらしい。
私は静かに答えを出すのを待っていたが、広間に居る家臣たちが喧しく騒ぎ立てた。
彼に自分と向き合う暇を与えないつもりだろうか。
「騙されてはなりませんぞ!」
「さよう! この者は三好が差し向けた刺客でございます!」
「将軍様を籠絡して! 罠に嵌めようと企んでおるのでござる!」
他にも、口々に罵詈雑言を飛ばしてくる。
いちいち対処するのが面倒になった私は、思わず立ち上がって床板を踏み抜き、大声で一喝する。
「黙らっしゃい!」
「「「ひえっ!?」」」
カチンと来て思わず素が出てしまったが、もう止まらなかった。
「私は将軍様と話してるのよ!
それを主の許可なく横槍を入れて、煩いったらないわ!」
怒りのままに堂々と声をあげる。
「将軍様が京の都から離れているのに、戦乱の世が終わるわけないじゃない!
民衆のことを考えるなら、三好と和睦しても戻るべきよ!」
足利将軍家としては、私の提示した条件は容易に飲めるものではない。
だが京の都に居ないと、この国の統治機関はまともに機能しないのだ。
少なくとも互いの仲が悪くて嫌々でも、仕事をしてくれていたほうが、民衆にとっては良いのである。
「利用されるのが屈辱でしょうし、将軍家を立て直したいのもわかるわ!
けれど民のために泥を被るのも、統治者の役目なのよ!」
思えば私は何度も、羞恥心という泥を被ってきた。
彼の屈辱とは全然違うが、決して平坦な道ばかりではない。それなりに苦労してきたのだ。
今だって征夷大将軍に勢いのままに説教とか、本当に何やってるんだかと自己嫌悪に陥る。
だが私は脳筋ゴリ押ししかできず、感情のままに動く人間だ。
一度ブチ切れて素が出てしまった以上は、溜め込んだモノを残らず吐き出さないと止まらなかった。
「この期に及んで、自身で決断できないのかしら!」
優柔不断な彼に喝を入れたい気持ちが口から出た。
「だったら悪いけど、足利義輝様は征夷大将軍の器ではないわね!」
普通の人なら、もう少しオブラートに包むなど出来たはずだ。
しかし、頭に血が上って感情のままに突っ走ったので、今さら引っ込みがつかない。
なので私はやっちまったものは仕方ないと開き直り、同席している銀子と林さんに目配せする。
かくなる上は、交渉が失敗した場合のプランBだ。
ドッタンバッタン大騒ぎのどさくさに紛れて、征夷大将軍を攫って三好氏に届ける。
私は気持ちを切り替えるために深呼吸をして、この後の戦いに備えるのだった。




