京の都
天文十九年の秋の終わり頃に、私と尾張の精鋭百名は京の都を目指して上洛を開始した。
しかし道中でやけに統率の取れた野盗に遭遇して、不意打ちやら包囲殲滅を仕掛けてきた。
だが、稲荷神様から御加護を授かった私の敵ではない。
縦横無尽に暴れまわって一人も逃さずにボコボコにして、さらに身ぐるみまで剥いだ。
冬の寒さで風邪を引くだろうが、命は奪わずに褌も残したので優しいほうだろう。
そのおかげで、道中の銭や物資が潤った。
しかし昔のゲームのような鬼エンカウントで遭遇するのは、少しだけ面倒に感じた。
何にせよ命賭けの上洛に付き合ってくれたお供の者たちを労うため、あぶく銭として使えたので良かった。
そう前向きに考えたのだった。
天文十九年の冬になったばかりの頃に、一人も欠けることなく京の都に着いた。
そんな私たちだが、まずは伏見稲荷大社に向かった。
弟の信長が事前に話を通してくれていたおかげで、神主さんや神社の関係者が、滞在場所として使わせてくれることになった。
もちろん慈善事業ではない。
銭や物資を融通するだけでなく、大岩を手刀で真っ二つにするという演出までやらされた。
おかげで私が稲荷大明神様の化身だと信じてくれたので、説明が省けて何よりといえる。
とにかく京の都までに辿り着いたが、道のりは長く苦しかった。
皆が疲れているのは明らかなので、今日の所はしっかり体を休めるようにと、命令を出したのだった。
神主さんに個室を用意してもらい、落ち着いて休むために人払いをしてもらう。
そして取りあえず部屋の真ん中辺りに円座を敷いて、よっこいしょと腰を下ろし、天井に視線を向けて声をかける。
「銀子は居るかしら?」
「はっ! ここにおります!」
私が小さく呟くと、天井から返事が聞こえた。
そのまま木板が横にズレて、美しい女性が音もなく目の前に降り立った。
それを見て、相変わらず神出鬼没で優秀な忍びだと思った。
(さて、上洛は果たしたけど。問題は次よね)
林さんに相談しても良いが、銀子は織田忍軍の百地三太夫の右腕なので、情報収集と分析はお手の物だ。
さらには京の都にも忍びを放っているため、当然状況を掴んでいるはずである。
「早速だけど、今の京の都について教えてちょうだい」
「かしこまりました」
長丁場になるかも知れないので、尾張から持ってきた愛用の座布団を引っ張り出した。
そして少しだけ座ってほんのり温かくなった円座は、彼女に手渡す。
自分と銀子は付き合いが長くて気安い関係だし、一度決めたら決して曲げない性格だと理解している。
なので彼女は大人しく円座に座り、少し頬が緩んだがすぐに引き締めて、コホンと咳払いをして説明を始めた。
「現在の京の都を支配しているのは、三好長慶でございます」
三好長慶の名前は知っているが、具体的な情報は出てこない。
「どんな人なのかしら?」
乱世の勢力図は変動が激しく、新しい大名が生まれたり滅んだりが割と頻繁に起こるので、私は尾張の周辺勢力だけ覚えてれば良いやという感じであった。
とにかく、三好長慶の名前に聞き覚えはあっても、何処の誰で何をしているのかは知らなかった。
なので銀子が、集めた情報をまとめて報告してくれた。
「三好長慶は、畿内と阿波国を統治している大名でございます」
畿内とは、都や皇居に近い地域を指す呼称だ。
さらに、その周辺五ヶ国という意味も含まれている。
「それはまた、とんでもない大勢力ね」
つまりは京の都だけでなく、周辺地域の殆どが三好長慶の領地ということだ。
さらに未来で四国と呼ばれた地域、そこの阿波国も支配している。
「征夷大将軍や朝廷に拝謁する前に、許可を取る必要がありそうね」
私は腕を組んで、大きく溜息を吐いた。
京の都を支配しているのは三好長慶なので、勢力範囲に含まれている将軍や朝廷に拝謁するには、まず彼を通さなければいけない。
別に無断でも会えないことはないだろうが、相手は織田家とは比較にならないほど強大だ。
あまり迂闊に動くと、後でどうなるかわかったものではなかった。
しかしここで銀子が、何とも申し訳なさそうな表情になる。
そしておずおずと口を開いた。
「ですが、今代の征夷大将軍様は──」
「どうかしたの?」
何か言いたいことがあるのかと尋ねると、彼女はそこで言葉を止めて少しだけ迷った。
しかし諦めたような表情で、続きを話した。
「実は、京の都にはおられません」
「えっ?」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
京の都に居るのが征夷大将軍と朝廷で、長年続く慣習である。他所に行くなんて、普通じゃ考えられない。
なので私は、慌てて銀子に尋ねた。
「ちょっと理解できないんだけど。つまり、どういうことなの?」
私はどういうこっちゃと右手で頭を押さえながらも、銀子に問い質す。
「将軍様が京の都を追われることは、とても珍しいことです」
珍しいと言うことは、絶対に起きないわけではないのだろう。
「……勉強になるわ」
理解を深めたところで、現状は何も変わらず、事態が好転したわけではない。
「美穂様が京の都に到着されるよりも、一年ほど前のことです」
それから銀子は、詳細な説明を語っていく。
「三好との間に大きな戦があり、不利と悟ったのか近江坂本へと退避されました」
ごく最近起きたであろう過去の出来事を聞いて、私はふむふむと小さく頷いた。
「さらについ最近、中尾城を自焼され、堅田にお逃げになられたのです」
堅田と言えば、琵琶湖の近くだったはずだ。
だがまあとにかく、今代の征夷大将軍が無事に逃げ延びてくれて良かった。もし死んでたら、さらに面倒なことになっていた。
「しかし、どうしたものかしらね」
三好長慶の勢力範囲から逃げ出して、今は六角氏に匿ってもらっているらしい。
天下統一には近づいているはずなのに、何故か三歩進んでは二歩下がってしまった。
思うようにいかない厳しい現実に溜息を吐くが、私は現状を打開する案を腕を組んで考える。
「あちらを立てれば、こちらが立たずね」
正直八方塞がりなので、愚痴もこぼしたくなると言うものだ。
「片方に肩入れすれば、もう片方を敵に回す。
それは世の理でございます」
銀子が小さく頷いて、肯定してくれた。
なので現状が相当面倒臭いことになっているのを、否応なしに理解させられる。
何となく天井を見ながら考えるが、当初の計画を考えれば大樹を支えるべきなのは間違いない。
だが、三好を敵に回すのは不味い。
ぶっちゃけ戦国時代で屈指の大勢力であり、私が血の雨を降らせれば別だが、今の織田家では逆立ちしても勝てない。
しかし、征夷大将軍と三好は敵対関係だ。
一も二もなく大樹に尻尾を振るわけにはいかず、本当に困った状況である。
なので私は足りない頭を捻ってしばらく思案して、やがて結論を出した。
「……三好長慶に付くわ」
大きな溜息と同時に口を開いたが、ぶっちゃけ物凄く気が重い。
「では、将軍様はいかがされますか?」
銀子が当然の疑問を口に出したので、私は淡々と告げる。
「京の都に引っ張ってきて、三好氏と和睦を結ばせるわ」
なお、具体的な方法については何も考えていない。相変わらずの行き当たりばったりだ。
だが、多分これが一番穏便に済むし、織田家の受ける被害も少ないし、京の都の権力争いには、これっぽっちも興味はない。
私はとても欲望に正直であり、適当な誰かを矢面に立たせて、天下統一したという実績さえ得られればそれで良しと考えていたのだった。




