上洛
天文十九年の秋、古渡城で父と会って、今後の天下統一に向けて話し合っていた。
その中で、今代の征夷大将軍を立て直すのは難しいと教えられた。
枯れかけた大樹の権威を取り戻すのは至難の業で、一朝一夕でどうにかできる問題ではない。
ならばいっそのこと、プランBに移行するべきではないか。
私はビシッと手を上げて声を出した。
「じゃあ、朝廷にお力添えをお願いするのはどうかしら?」
今代の征夷大将軍は力を失っているなら、朝廷に頼んで新たな若木を植えてもらうのだ。
そうすれば周りの害虫を追い払って、世話をして立て直すよりも簡単そうに思えた。
だがこの意見を出した私に、父が顎髭を弄りながら尋ねてくる。
「美穂は、将軍様への尊敬や畏怖はないのか?」
「顔を見たこともない今代の将軍様にはないわね」
堂々で言ってのけるが、実は申し訳ない気持ちは少しはあった。
しかし私にとっては、とにかく戦乱の世を終わらせるのが最優先だ。
他の有力大名に良いように利用されてばかりの征夷大将軍なら、日の本の国に存在する意味がないように思えた。
「確かに現状では、大樹の役目を果たしているとは言い辛い。
だが、権威が完全に失われたわけではない」
つまりは朝廷にお力添えを願おうにも、妨害が入ると言うことだ。
そもそも弱った大樹のほうが神輿として担ぎやすいので、戦国の無情さを感じた。
「中途半端に力を持ってるのは、一番面倒だわ」
今代の征夷大将軍には、まだ力が残っていて利用価値がある。
だからこそ、滅びることなく存在しているのだ。
これでは立て直しが困難でも、古きを終わらせて新政府樹立は簡単にはいかない。
私は思い通りにならない現実にうんざりして、大きな溜息を吐いた。
「何とも、ままならないものね」
天井を見上げて愚痴を漏らす私を、父と信長は神妙な顔をして見つめていた。
今代の征夷大将軍は、確かに弱体化している。
だが上から押さえつけて言うことを聞かせる程の力を、織田家はまだ持っていない。
「足りないものだらけで嫌になるわ」
溜息を吐いた私が改めて父に向き直ると、彼は咳払いをして話を続けた。
「とにかく、朝廷にお力添えを願うのは最後の手段だ」
場合によっては新しい若木を植えるが、現状では難しい。
「まずは今代の大樹を支え、地道に足場を固めていくしかあるまい」
相変わらず一朝一夕にはいかない。
だが進むべき道は、はっきりと示されている。
「はぁ、千里の道も一歩からね」
その後に、父は足場を固めるためには大樹だけでない。
朝廷にも根回しをして支援する必要があり、位を授かって権威を得るのが良いだろうと教えられた。
ちなみに信長は、会話の内容を事細かに記録していた。
だがそんな彼を見て、私はふと思った。
このまま自分が主導になり、天下統一の道を歩んでも良いものだろうか。
何しろ織田家の跡継ぎは、姉ではなく弟だ。
もし信長の方針と違ったら、面倒になってしまう。
そう考えておもむろに尋ねると、彼は何だそんなことかとばかりに呆れた表情で答えた。
「儂も父上も、姉上を信じておる」
二人が信頼してくれるのは本当にありがたい。
しかし、精神的な重圧が半端ではない。
元々頭で考えて動くタイプではないので、どうしても行き当たりばったりで行動してしまうのだ。
それで問題がなければ良いが、現場の状況次第では何が起きるかわからない。
けれど彼らがそれで良いなら、わざわざ縛りを入れることもないかなと、前向きに考えるのだった。
天文十九年の冬になり、上洛の準備を整えた私は、京の都に向かって上洛を開始した。
なお、手勢はたったの百名であった。
本当は大軍を率いて大樹や朝廷を確保したい。
だがそれには、まだ力が足りない。
なので、少数精鋭で出向くのだ。
これなら周辺諸国をそこまで刺激せずに、抗争を避けられるはずだ。
京の都に続く街道を、立派な馬に乗って進み、良く晴れた空を眺めながら呟く。
「やっぱり少数精鋭のほうが気楽だわ」
人数が増えるほどに防衛が辛くなる。自分は一騎当千だが、そこまで手が広いわけではないのだ。
そんな中で、すぐ側に控えているお目付け役が勇ましく声を上げた。
「いざとなれば、この林秀貞! 美穂様の盾となりましょう!」
林さんは相変わらず、妙に忠誠心が高い。
そんな彼を横目で見ながら、私は飾り立てられた馬にまたがって街道を移動しつつ、大きな溜息を吐いた。
「その必要はないわ。一人の死者も出さずに上洛を果たして、無事尾張に帰るのよ」
人を殺すのは嫌だが、慕ってくれている者が犠牲になるのはそれ以上に辛い。
もし敵勢力から襲撃を受けて守りきれないとなれば、稲荷神様から授かった御加護を手加減なしで振るうつもりだ。
そもそもたった百名で上洛をしているので、他国に攻め込む意志はないのは丸わかりだ。
別に悪いことをしているわけではないため、襲撃されたら問答無用で叩きのめす大義名分は十分である。
「お父様は体調不良だから仕方ないわ。でも、弟まで不参加なのはちょっとね」
上洛は命がけだが、使命を果たした時には征夷大将軍や朝廷に感謝され、位を授かれるかも知れない。
さらには、他国の戦国大名からも一目置かれるのだ。
なので本当は私ではなく、織田家の次期当主である信長が行うのが相応しいと思った。
「でもまあ、今回は顔繋ぎだしね」
本番は次からで、今回はお試しだ。
それに領地経営で管理者が二人も抜けたら大変なので、私だけを向かわせるのもわからなくもなかった。
「然り。此度の上洛は、天下に向かう最初の一歩でございます」
「……そうよねぇ」
林さんの言葉で、天下を統一するための道のりは、まだまだ長く険しいことを痛感させられる。
私は溜息を吐きながら、飾り立てられた馬を操る。
そして冬の寒さを綿の防寒具で凌いで、京の都に続く街道をゆっくりでも着実に進んでいくのだった。




