新農法
ワッショイワッショイが静かになった頃合いを見計らい、村長に頼んで山沿いの村を一通り見学させてもらった。
そして日が暮れて来たら、古渡城下の武家屋敷に帰って今後の方針を考える。色々と足りない頭ではあるが、取りあえず満足のいくものが組み上がった。
一晩ぐっすり眠って次の日の早朝になったので、今回は護衛だけでなく使用人も連れて村に向かう。
到着したら引っ越し予定の空き家を簡単に掃除して、会議の場を作った後に村長を呼んだ。
古渡の武家屋敷と比べれば狭くて隙間だらけで、地震が来たら即倒壊しそうだが、贅沢は言えない。
管理者になったのも新居を決めたのも昨日のことで、取りあえずは雨風を凌げて人が住めるだけでも良しとする。
私はギシギシと軋む板張りの居間に、実家から持ってきた愛用の円座を敷いて腰を下ろした。
そして、引っ越しの家具や荷物を忙しく運び入れている使用人たちを見て、若干肩身が狭そうに座っている村長に、気にせず声をかけた。
「第一目標は、米の収量を増やすことよ」
村中を見て回ったり説明を聞いて思ったのだが、やはり現代よりも農作業の技術は低かった。
それは人力が主で自動化や機械化されていないせいもあるが、改善の余地は十分にあると感じた。
「あの、それは一体どのようにしてでしょうか?」
村長がおずおずと尋ねてきたので、私は当然の疑問だと考えて小さく頷く。
(前世に米作りのゲームをプレイしてて、本当に良かったわ)
米は力だというキャッチフレーズのテレビゲームを、私はかなりやり込んでいた。
農林水産省や各農家のホームページだけでなく、機械化する前の稲作動画を閲覧する程の熱中ぶりであった。
「誰か、紙と筆を」
「しばしのお待ちを」
武家屋敷から連れてきた使用人に筆と紙と墨汁を用意してもらい、早速使わせてもらう。
そして呼吸を落ち着けて描いたのは、田んぼの田の字であった。
「美穂様、これは?」
「これから説明する新農法を、一言で表す字よ」
はっきり言って一目見ただけでは意味不明だが、今の時代は田んぼはあってもコレとは違うので仕方ない。
「はぁ、では何故、田なのでしょうか?」
なので、村長さんが首を捻るのも無理はなかった。
私は未来で見た田んぼと言えば、殆どの場合は四角かそれに近い形だったが、戦国時代は何処もかしこも変に曲がりくねっている。
これでは不便極まりないのだと、村長さんに説明する。
「四角のほうが、面積や年貢の計算がしやすいからよ」
まず私が新農法として最初に田を示したのは、収量の予測や計算をしやすくするためだ。
去年はこれだけ年貢を納めたので、今年も同じぐらい出せば良い。そんなどんぶり勘定を慣習で続けているのが今である。
たとえ新たに開拓しても、領主に入ってくる米の量が変わらないし、計算が困難で誤魔化しやすいから、横領が頻繁に行われる始末だ。
これを知った私は、自分が管理する村では田んぼを四角く区切り、面積や収量をきっちり計算しようと考えたのだ。
だがそれでは、農民には損ばかりで簡単には納得してくれない。
そこで一旦呼吸を整えて、話題を切り替えることにする。
「それじゃ貴方たちが新農法を行った場合の、利点について説明するわね」
「我々の利点ですか?」
村長は半信半疑で首を傾げているが、私は構わず続けた。
「新たな農具や育成方法の提供。そして品質の向上と作業の効率化よ」
これに関しては、まだ絵に描いた餅だ。
しかしちゃんと農民にも得があることを伝えると、村長は興味があるのかすぐに質問してきた。
「それは一体、どのようなものでしょうか?」
「ええと、少し待ちなさい」
私は口元に手を当てて思案して、今度は先程描いた田んぼの中に、規則正しく点々を打っていった。
そしてその点に沿うように新しく一本の線を引き、村長に良く見えるように手に持つ。
「来年からは正条植えにしなさい。乱雑植えは今年でお終いよ」
今年までは、種籾を田んぼに直接ばら撒いていた。
私はそれを止めるようにと口に出すと、彼は再び口を開いた。
「美穂様、正条植えとは何でございましょうか?」
すぐに飛んできた質問に、私は新しく線を引いた箇所を指差して答える。
「この線は縄よ。型付け代掻きでも良いけど。
とにかく線に沿って、規則正しく束ねた苗を植えていくのよ」
田植え機がないので人力に頼ることになるが、やってやれないことはない。
「これで本当に効率が上がるのですか?
見たところ、余計な手間がかかるように思えますが」
もっともな意見だし、種籾を田んぼにばら撒くよりも、手間と時間がかかるのは事実である。
しかし収量増加と品質の向上のためには、正条植えを取り入れるのが確実だし、自分は他の手段は知らなかった。
なので私は、村長や他の農民を説得するために足りない頭を捻り、未来で知った米作りの知識を伝えていく。
「正条植えは株の間隔を揃えることで、稲にむらなく日が当たるわ。
さらに風通しも良くなって、病害虫の発生も減るの」
そこで一旦言葉を切り、少し考えながら続きを話した。
「稲を踏まずに田んぼに入れるから、除草も行えるわ」
今までは乱雑植えだったので、雑草を抜くためには稲を踏みつけて田んぼに入るしかなかった。
そのため滅多に草は抜けなくなり、土壌の栄養は吸われ放題だった。
しかし正条植えで間隔が広まれば、田んぼの中に入って除草ができるため、収量が増えたり味や質は良くなるはずだ。
実際にやるのは初めてなので断言できないのが悲しいが、私が弱気になったら説得も何もないので、堂々と答える。
「将来的に乱雑植えは全て、正条植えに変わることになるわ」
「なっ、何と!?」
村長は驚きの表情を浮かべた。
少なくとも未来では、乱雑植えをしている米農家は見たことがない。
まあそれはともかく、問題はどれぐらいの間隔を開ければ良いかだ。
米作りのゲームや各種サイトの画像や説明文を思い出して、頭の中に想像しながら紙に線を引く。
「苗の間隔は、このぐらい開ければ良いわ。……多分」
最後の多分は小声だったので、誰にも聞かれなかった。
あとは正条植えで除草できると言っても、それをするのはとても面倒臭い。
なのでホームページや動画で調べた田打車も、簡単に紙に描いていく。
「美穂様、こちらの道具は?」
「田打車よ。正条植えの苗の間を転がせば、立ったまま除草ができるという優れものよ」
「そっ、そんな道具があるのですか!?」
村長は大喜びだが、私は若干申し訳なく思いながら露骨に視線をそらす。
これを言うのはどうかと思うが、残念ながら自分は嘘はつけない。
なので、おずおずと口を開いた。
「いえ、田打車はないわ」
「えっ?」
村長が唖然とした表情で私を見ているので、何とも気まずい雰囲気になる。
「まだ構想段階で、これから職人に依頼して開発するのよ」
「あっ、……はい」
新技術の開発は一朝一夕にはいかず、正条植えが真価を発揮するためには、腰を曲げての除草をなくさないと駄目だ。
でなければ手間ばかり増える植え方は思うように広まらず、最悪昔ながらの乱雑植えに戻ってしまう。
厳命しても良いが農民の一揆は恐ろしいため、あまり締めつけると手痛いしっぺ返しを受ける。
あとは、私も一方的な負担を強いるのは心苦しい。
なので嘘偽りのない本心を、目の前の村長さんにはっきりと告げた。
「だからこそ、この村が最初の一歩になるのよ」
「なるほど。美穂様の言う通り、我々は一番槍なのですね」
この村は、私にとっての箱庭だ。
全てが初めて尽くしではあるが、もし失敗しても織田家にはそこまで影響はない。自分が管理人としてギャフンとなるだけだ。
おかげで好きなように弄れるが、これは信用の前借りだ。
もし本当に何の成果も得られなければ、父の叱責を受けるだけではなく、最悪今まで従ってくれていた村民に一揆を起こされる。
たとえ稲荷神様の御加護があろうと、人生の綱渡りからは絶対に逃げられない。
そんな現状を、私は心の中で大いに嘆いたのだった。