撤退開始
一万を越える大軍に包囲されている中、私は縦横無尽に駆け回った。
派手な鎧姿や何か目立っていたら、お構いなしに一騎討ちを申し込む。
なので、本多忠高以外にも大勢やっつけたが後半は面倒になり、完全に流れ作業であった。
とにかく、今川と松平両軍の武将をボコボコにしたのは確かだ。
邪魔する兵たちをいちいち相手にするのも面倒なため、突進してまとめて吹き飛ばしていく。
しかし命まで取るつもりはないので、ちゃんと手加減して体を当てるのだった。
おかげで日が暮れる頃には、今川と松平連合軍の指揮系統はガタガタになった。
もはやまともに戦うことも難しいと判断したのか、太原雪斎は包囲を解いて撤退を開始した。
まるであらかじめ定められた段取りのように、見事な手並みであった。
しかし当然、安祥城の城主、織田信広が好機を逃すはずがない。
正門が開いて、大勢の兵士が外へと飛び出した。
私はちょうど討ち取った敵将を担いで城に向かっていたので、追撃を開始した兄とすれ違うように再会を果たした。
「美穂には助けられたな! 感謝致す!」
作戦行動中なので、安祥城から少し離れた平野で話し込むわけにはいかない。
兄は馬に乗ったまま、言葉短くそう伝えると、率いている大勢の部下たちに今一度指示を出す。
「今こそ敵軍に大打撃を与える好機! 追撃に移るぞ!」
撤退を始めた連合軍を叩くために攻勢に出るのは明らかなので、私は慌てて担いでいた敵将を地面に置いた。
「お待ち下さい!」
「美穂は安祥城で体を休め、吉報を待つといい!」
もはや勝ち確定だからか、城主だけでなく兵たちの士気も高い。
そのせいで、私の話をまるで聞いてくれない。
なので早々に猫をかぶるのを止めて、問答無用で兄に大声を呼びかける。
「待てって言ってるのよ! この馬鹿兄が!」
「何を言っているのだ! 馬鹿は美穂ではないか!」
確かに私の頭が悪いのは尾張では有名で、領民なら誰もが知っていた。
「一理ありね! でも、今は関係ないでしょ!」
思わず動きを止めた兄や兵たちに向かって、構わず言葉を重ねる。
少しだけイラッとしたが、非常事態なので一旦置いておく。
「武将を捕らえてるのは、今川や松平と同盟交渉をするためよ!
もし大打撃を与えたら、関係が悪化するじゃない!」
「今川や松平とは敵同士だ! これ以上悪くはならん!」
確かに今川だけでなく、松平とも長年敵同士の間柄だ。
大勢の死傷者を出したところで、互いの関係には殆ど影響しない。
きっと歴史上の数ある戦の一つとして、淡々と処理されるだろう。
それに、交渉が失敗する可能性は高い。
何の成果も得られなかった場合に備えて、今のうちに敵戦力を削っておくのは合理的な判断だ。
「交渉が成功して同盟を結ぶに至ったとしても、いつ裏切られるかわからぬ!
やはりこの機会に、敵戦力を削り取っておくに越したことはあるまい!」
兄の言うことは、戦国時代としては至極真っ当である。
しかし、私はどうにも納得できない。
油断すれば寝首をかかれるのが常識とは言え、いい加減世の習わしにはウンザリしているのだ。
だからと言って、織田信広に口喧嘩で勝てる気はしない。
なのでいつも通り、行き当たりばったりの勢い任せで啖呵を切った。
「同盟は必ず締結させるわ!」
考えなしでも、言ったもの勝ちだとばかりの、清々しい程の勢い任せだったが、残念ながら兄には通用しなかった。
「話にならぬな! 第一、どうやって信用を勝ち取る気だ?
捕らえた武将だけでは、国の命運を賭けるには足りぬぞ!
織田からも人質を出すのか!」
斎藤道三は、次期当主に濃姫を嫁がせることで信用の証とした。
しかし私は人質として向かう気は毛頭ないので、首を振って否定する。
「誠心誠意! 腹を割って話し合うわ!」
実際に腹を割るわけではない。
だが完全にノープランなのは今に始まったことではないので、正直に打ち明けた。
「本気で言っているのか?」
「私はいつも本気よ!」
「……そうであったな」
私が嘘が下手なのと、感情のままに突っ走るのは尾張では有名だ。
そして、一度決めたら決して曲げないこともである。
当然兄も、そんな頑固な妹のことを良く知っていた。
「はぁ、美穂を説得するのは難しいな」
織田信広はどうしたものかと少しだけ思案した。
そして、やがて大きく溜息を吐いた。
「わかった。美穂の好きにするが良い」
「えっ! 本当にいいの!?」
意外にあっさり了承を得られたので、私は驚いて目を白黒させる。
「今川と松平の連合軍を撤退に追い込んだのは、美穂の活躍が大きい」
一万を越える連合軍を撤退に追い込んだが、安祥城の者が何もしていなかったわけではない。
それでも、私が果たした役目は大きいと判断したのだろう。
「敵軍を単独で壊滅に追い込んだ美穂が、やって見たいと言うのだ。
ならば、我々が口を挟むのは野暮というものだ」
妹の性格を良くわかっているだけでない。
私は人間が出来ている兄に深く感謝して、深々と頭を下げてお礼を言った。
「だが、必ず生きて帰って来い」
「合点承知よ!」
控え目な胸をポンと叩いて、大丈夫だと意思表示する。
「では、護衛を──」
「必要ないわ!」
撤退中の連合軍に、今から追いついて交渉するのだ。
とにかく足が早くないと逃げられてしまうかも知れない。
「ならば行くが良い。我々は安祥城の守りを固め、吉報を待つとしよう」
私は地面に無造作に置いた敵将を任せる。
そして兄である織田信広や多くの兵たちに見送られて、遥か彼方に見える敗走中の連合軍に向き直り、意気揚々と駆け出したのだった。




