引越し準備
天文十三年の正月までに成果を出すと啖呵を切った私は、吉法師に手加減したデコピンを食らわせたあと、急いで武家屋敷に戻った。
そして使用人と一緒に引っ越しの荷物を急ぎでまとめながら、父が付けてくれたお供の一人に大声で指示を飛ばす。
「林秀貞さん! 早速頼むわよ!」
「美穂様のお目付け役として、微力を尽くしましょう」
林さんは護衛四人のまとめ役であり、私の行動を事細かに父に報告するお目付け役でもある。
確か織田信秀の重臣という噂だったが、随分と気前良く貸してくれたものだ。
だが脳筋ゴリ押ししかできない自分にとっては、仕事のできる部下が一人居るだけでもありがたかった。
「村の木工職人や鍛冶師だけじゃ足りないから、もっと職人を雇いたいの!」
再来年までに成果を出すには、専門知識と技術を持った人物が必要になる。
当然、私だけでは手が足りるわけもないし、かと言って村一つで全てを回していくのは、絶対に不可能だった。
「美穂様、具体的にどれ程の職人が必要になるのか、教えていただきたく存じます」
林さんがそう尋ねてきたが、行き当たりばったりでしか行動できない私は、常日頃からかなり適当であった。
「ええと、とっ……とにかくたくさんよ!」
この発言を聞いて、林さんだけでなく他の護衛も揃って頭を抱えた。
しかし、自分の頭が悪いのは今に始まったことではない。
殆どの家臣や領民に、力は強いが年相応の幼児だと思われる程に知能指数が低いのだ。
時々やらかしはするが、もっとも身近に居る母以外には、そこまで気味悪がられたりはしなかった。
だがそれは置いておいて、今は何よりも新たな職人の確保が先決だ。
「では、古渡城下の職人連中に声をかけておきます。
あとは美穂様のお考えがまとまり次第、順次手配しましょう」
頭の悪い自分と違って、何という適切な判断なのだろうか。林さんの頼もしさに感心して、すぐにお礼を口にする。
「流石は林さんね! これからも頼りにさせてもらうわ!」
「ありがたき幸せに存じます」
子供に褒められても嬉しくないようで、林さんはそっぽを向いて返答する。
表情は見えないが、きっと自分の無茶振りに嫌々従ってるんだろうなと、普段から鈍い私でも容易に察しがついたのだった。
期間は最低でも一年と少しの間、父に任された村の管理をすることになる。
なので取りあえず引っ越しの荷物をまとめていたが、ようやく一段落がついた。
そして林さんが護衛や使用人と今後の打ち合わせをしているのを横で聞きながら、自分もこの先どうしたものかと思案する。
今日は天文十一年の初夏なので、期日まであと一年以上の時間があった。
それまでに成果を出せなければ、怪力はともかく知識に関しては根も葉もない嘘になる。下手をすれば夢のお告げや、織田家の天下統一までもが偽りではないかと、家臣や領民から疑いの目を向けられるのだ。
なお成果さえ出せれば、多くの者の信頼を勝ち取れるので、稲荷神様の大望に向かって一歩前進となる。
「はぁ、綱渡りの人生とか嫌になるわね」
「美穂様、それが戦乱の世の常でございます」
私は本音しか口にしないので、愚痴を漏らせばいつもこんな感じだ。
たまたま聞いていた林さんの言う通り、戦乱の世は誰もが身近に命の危機に晒されており、失敗が許されない状況と言える。
だがそれでも、自分ほど切羽詰まってはいない。
私は大きな溜息を吐き、他の護衛や使用人との打ち合わせを終えた彼に声をかける。
「鉄はどれぐらい使えそうかしら?」
「戦に用いるため、あまり多くは融通できませぬ」
「まあ、そうよね」
武器や防具を作るために鉄を使うのはわかっていたが、それでも少しは融通してくれるらしい。
上手いこと取り計らってくれた林さんは、やはり優秀なのだと前向きに気持ちを切り替えて口を開く。
「とにかく一度、村を見てみないと何とも言えないわね」
「出かけるのですか?」
「ええ、現場の状況を見てから、今後の方針を決めるわ」
引っ越しの荷物をまとめるのが一段落したので、引越し先の家が決まったら運んでもらうように、あらかじめ指示を出しておくだけでなく、外出のために自分の馬も手配させる。
とにかく今は現場の状況を確認しないと、具体的にどのように動けば良いのはわからなかった。
そんな脳筋女子を見て、林さんが大きな溜息を吐いた。
「はぁ、美穂様が男児ならば、織田家も安泰でありましたのに」
何てことを口にするのかと思いきや、護衛や使用人まで揃って小さく頷いている。
なので、これは不味いと思った私は慌てて否定した。
「いやいや! 私は頭が良くないし当主なんて無理よ!
もし継いだら内乱待ったなしだし、織田家が滅んじゃうわ!」
そもそも織田家の跡継ぎは吉法師だ。これもまだ確定ではないが、自分は多分そうだと信じている。
何より戦国乱世は男尊女卑であり、女性は留守番をして家を守るのが普通なので、表舞台に立つことは殆どなかった。
「そもそもお父様が現役なのに! 後継ぎの話とか早すぎるわ!」
確かに稲荷神様から無病息災の御加護を受けているので、体は物凄く丈夫だ。
それでもやはり、頭の悪い自分が当主には相応しいとは、到底思えなかった。
「皆も、あまりからかわないでちょうだい!」
私はこれ以上付き合ってられないとばかりに、恥ずかしさのあまり頬を朱に染めながら慌てて立ち上がる。
そして大股で歩いて廊下に出るだけでなく、村を見に行くためにまずは玄関に向かう。
自分は何処かの乙女座のパイロットと同じように、我慢弱くて落ち着きがなく、しかも姑息な真似をする輩が大の嫌いなのだ。
最後は全く関係ないが、準備が終わるまで待っているのは退屈極まりない。
引越し先の準備ができてなくて日帰りすれば良いので、今日中に顔見せと見学だけは済ませておこうと考えた。
そして林さんと他三名の護衛を引き連れて、父から任された村に向かうのだった。
ぶっちゃけ自分で走ったほうが早くて疲れないが、馬にまたがって街道をしばらく進むと、やがて父に管理を任された村が見えてきた。
古渡城下から比較的近いので、一日もかからず武家屋敷に戻れるが、仕事場と実家を往復するのは面倒だ。
なので適当な空き家を借りて、そこに引っ越す予定だ。
現代日本からすれば規模は村よりも集落に近く、総勢百人ちょっとの山沿いの小さな村である。
あらかじめ先触れは出しておいたので、村人たちは既に入口付近に集まっていた。そのことに気づいた私は、かなり近づいたところで馬の足を止める。
「美穂様、そしてお供の方々も、ようこそいらっしゃいました」
村長らしき老人がにこやかな笑顔を浮かべて、丁寧な口調で返答する。
「気遣われると疲れてしまうわ。
普段通りの対応で構わないし、私が許可するわ」
自分の根っこは永久不変の元女子高生なので、あまり気遣われたり畏まられると疲れてしまうし、背中やお尻が痒くなる。
これから一年以上の長い付き合いになるのだから、できれば気楽に話したいものだ。
私がにっこりと笑いかけながら伝えると、大勢の村人たちが驚いたような表情でこちらを見つめる。
「そっ、そう言っていただけると助かります」
前に出ている村長らしき老人がホッと息を吐き、少しだけ緊張を解いたのだった。
その後は、私を含めた皆が馬に乗ったまま、目線だけは上の状態で村人たちと話し始める。
「それで美穂様、本日のご用件は?」
「引っ越すのは明日だけど、先に村を一通り見たいの。良いかしら?」
「ええ、もちろん構いません。とは言え、あまり興味を惹かれるものはないかも知れませんが」
村長さんは申し訳なさそうな表情で謝るが、別に私はお遊びで村を管理するわけではない。
きちんと成果を出して織田家に天下を取らせるために、本気で改革に乗り出すのだ。
それを集まった村人全員に、はっきりと伝える。
「最初に言っておくけど、私は遊びで村を管理するわけじゃないわ。
稲荷神様の化身として、必ずや五穀豊穣を成し遂げてやるわ」
そんな自分の言葉を、村民たちは黙って聞いている。
反応がないので呆れられてしまったのか戦々恐々するが、今さら引き下がれないので続きを口にする。
「そしてこの村から最初の一歩を踏み出して、織田家の領地も豊かにするの。
最終的には日の本の国を統一し、長き戦乱を終わらせ、天下泰平の世を築くのよ」
少年よ大志を抱けではないが、壮大な目標を掲げてスタートダッシュに全てを賭ける。
どの道、失敗したら全てが水の泡になるのだから、何事も言ったもん勝ちで意気込みを伝えるのだ。
なお時間を指定していないので、別に達成できなくても詐欺ではない。
「わっ、我々の村が、最初の一歩となるのですか!?」
「そうなるわね」
最初の一歩も何も、始めて村の管理を任されたのだ。
本当に試行錯誤の連続と手探りで、下手をすれば初っ端から足を踏み外して、奈落に一直線の可能性すらある。
「ほっ、本当に五穀豊穣を成し遂げられるのでしょうか!?」
「誠心誠意、努力はするわ」
正直やるだけやってみるとしか言えないので、内心では冷や汗を流していた。
しかし村人たちに意気込みが伝わったのか、やる気になって大興奮状態だ。
五穀豊穣や天下統一を成し遂げるのは、あくまでも最終的な努力目標であることは黙っておくが。何事も始めが肝心と開き直った私は、大きく深呼吸をして発言する。
「皆! 私を信じてついて来てちょうだい!」
取りあえずの信頼を勝ち取るために、そう堂々と大声を出した。
「美穂様!」
「我々を導いてくだされ!」
「どうか五穀豊穣をお願い致しまする!」
少し薬が効きすぎたようで、なかなか静かにならない。
もし具体的な方針は何も考えていませんとか口にすれば、手の平を返して暴動が起きても不思議ではなかった。信用が大きいほど、裏切られた時の絶望も深くなるのである。
そんな村人たちの様子を見て、私は綱渡りの人生が始まったなと、内心ではガクガクブルブルと震えが走り、否応なしに覚悟完了させられたのだった。