今川と松平
竹千代の前で堂々と啖呵を切ったのは良いが、相変わらずの行き当たりばったりなのが私である。
そこで困った時の神頼みならぬ父頼みをするために、恒例の流れで古渡城へと向かったのだった。
先触れは出しておいたので、門番は素通りしていつもの部屋に案内された。
座布団も人数分敷かれていたが、あまりにも突然の訪問のためか、父は頭が痛そうにしている。
「お父様、何とかなりませんか?」
なかなか答えが返ってこないのに、どうしたのかなと首を傾げる。
すると小姓の代理で記録を取っている信長が、呆れたような表情で口を開いた。
「姉上が安請け合いをしたせいで、父上が頭を抱えておるのじゃ」
弟に指摘されたので、足りない頭を捻って問題点を考える。
確かに、もし三河を取り戻そうとすれば、今川と松平を両方を相手にしなければいけない。
しかし、今の尾張の国力なら多分勝てる。
だが決して楽勝ではないので、消耗は避けられない。
そこまで思い至った私に父は重い溜息を吐いて、渋々と言った感じで口を開いた。
「今川からの解放を前面に押し出せば、大義は我にありと主張できるだろう」
攻め込む理由が正しいとゴリ押せるなら、あとはいつ実行に移すかだけだ。
しかし父はここで一度言葉を切って、思わぬことを口に出した。
「だがもし今川の支配から解き放てば、三河は滅ぶぞ」
「ふえっ!? なっ、何故でしょうか!」
父の言葉に私は大いに驚き、すぐにその理由を尋ねる。
竹千代を三河に帰す約束したので、駄目でも何でもやるしかないのだ。
私が父の次の言葉を待ったが、なかなか答えが返ってこなかった。
「しかし、美穂は本当に素直だな」
ようやく口を開いたので、てっきり理由を教えてくれると思った。
しかし、父は何故か話題を変えてきた。
「決して己を曲げぬし、常に対策を模索し続ける。
逃げたり諦めたりせず、一歩ずつでも前に進もうとしている」
何のこっちゃと首を傾げながらも、結局自分の足りない頭では答えが見つからないので、疑問をそのまま口に出す。
「ええと、何のことですか?」
相変わらず脳内にハテナマークを浮かべる私だが、父は明確な答えは口にしないまま咳払いをした。
そして、三河が滅びる理由に話を戻した。
「今代の松平が今川に助力を願い出たのが、八年前のことだ」
何でまた急に話題を変えたのだろうかと気にはなるが、今は父の説明を聞くことが重要だ。
「つまり今川が三河の支配を始めてから、それだけ長い年月が経っていると言うことだ」
八年もずっと三河に手を貸していれば、もはや三河は今川の属国と言っても過言ではない。
もしかしたら国の中枢近くまで根が張ってるかもと、最悪の予想に小さく震える。
「当然だが、今川家の息がかかった武将も大勢入り込んでいるだろう」
それはまた何とも面倒で、根が深い問題だ。
たとえ直接送り込まなくても、松平の武将を今川に寝返らせることは容易だろう。
「今川を倒して万事解決とはいかん。
次は三河で内乱が起きるのは、確実と言えよう」
松平の勢力に潜ませていた、今川派の戦いが始まるのだ。
もし内乱を静めるために織田家が介入したら、滅茶苦茶すぎてわけがわからなくなる。
なので私は頭の中がこんがらがってしまい、溜息を吐いて愚痴を漏らしてした。
「面倒この上ないですね」
「さもありなん」
ゲームや漫画や小説ならば、ご都合主義で敵の親玉さえ倒せば、洗脳が解けてハッピーエンドだ。
しかし、現実はそうはいかない。
おまけにさらに面倒なことに、今川を攻めるためには、まず松平家を黙らせなければいけない。
三河の東にある駿河と遠江は、容易には辿り着けない場所にあるのだ。
当然、今川も松平に加勢するだろう。
さらに、時間をかけると周辺諸国が武力介入してくる可能性もある。
むしろ漁夫の利を狙って、横槍上等でヒャッハーしない理由がなかった。
ここで私がガチギレして即効で終わらせれば手っ取り早いのだが、天下統一のやる気はあっても、やはり人はなるべく殺したくない。
なので戦に加わるとしても、手加減して戦うという縛りプレイを余儀なくされるのだ。
「尾張の国力は高いが、多方面作戦はまだ厳しい。
周辺諸国が介入してきた時点で、急ぎ撤退して守りを固めねば厳しいだろう」
「とても辛い!」
またもや面倒な事態に陥ってしまったが、竹千代との約束を反故にはできない。
今まで自分の命令や作戦で、犠牲にしてきた命に報いるためにもだ。
天下統一は、必ず成し遂げなければいけない。
自身の精神衛生上の問題だが、この程度では諦める気は毛頭ない。
そのために私は、たった今思いついたこと口に出さずに心の中で考える。
(斎藤道三と、同盟を組むのはどうかしら?)
相手が二国で来るならこっちも共同作戦をと考えたが、伊賀国は西側にあって距離が遠い。援軍を送るのは難しいし、既に忍びを大勢雇用している。
なので伊賀国はなしとして、次なる同盟相手に美濃の蝮に白羽の矢が立ったが、彼がそう簡単に首を縦に振るわけがない。
こっちも苦汁を舐めさせられたので、納得できないことはある。
しかし戦国時代で生き延びるには、状況よっては敵だろうと手を組まなければいけない。
でなければ、憎き相手に家族を人質に出したりしないのであった。
そのように考えた私は、父に向かって落ち着いた表情で口を開いた。
「私が斎藤家に嫁いで、美濃と同盟を結ぶのはどうでしょうか?」
これには父だけでなく弟も大いに驚き、慌てて反論してきた。
「美穂! それは断じてならぬぞ!」
父の言うことはわかるが、私は引き下がらなかった。
「私は自分で言うのも何ですが、有用です」
行き当たりばったりだが、結果は出してきた。
戦では常に手加減しているが、それでも一騎当千の強者である。
「それと、稲荷神様からの知識は書物にまとめました」
未来の知識は、分野ごとに書物に書き残している。
自由に動けなくなるのは辛いが、斎藤家と同盟を組めれば、織田家の天下統一に一歩前進だ。
「織田家の次期当主は信長です。
天下統一の礎を築けるのなら、悪くない選択です」
私が自分でできることはやった。
あとは斎藤家に嫁入りして、女の幸せを感じながら余生を楽しむのも悪くない。
そして道三は織田軍を壊滅させようとしたので、数年経過して少しは落ち着いたが、恨みはまだ消えていない。
流石に美濃を滅ぼすつもりはないが、とにかく一発と言わずに、泣くまでぶん殴ってやりたかった。
問題は刃物を通さずに、いつでも脱走できる私に人質としての価値がなく、交渉材料にならない場合だ。
しかし、厄介な存在を監視できるというという点では、それなりに有用だろう。
自分的には良い選択なような気がしたが、父は違うようで大声で叫んだ。
「ならぬと言っておろうが!」
「「ひえっ!?」」
久しぶりに激怒した父を見た気がする。やはり、昔から怒ると怖い。
私だけでなく記録係に徹している信長までも、思わず身をすくませていた。
「美穂は那古野城の城主であろうが!」
「それは信長に──」
「では! これまで管理してきた村々はどうする気だ!」
そう言われて、私は言葉を詰まらせる。
もし斎藤家に嫁入りすれば、引き継ぎが不十分で運営に支障が出てしまう。
さらに書物に書き記したと言っても、未来の知識をきちんと順序立てて理解しているのは、まだ自分しか居ない。
「尾張の領民も、美穂を慕っておる! 竹千代を三河に帰し、母と会わせると約束したのだろうが!」
「むむむ!」
「何がむむむだ!」
まだ三国志の漫画は執筆されていないが、父から的確なツッコミが入った。
確かに尾張の領民は私を慕っているどころか、稲荷神様の化身として信仰している。
そんな私が嫁に行くとなれば、確実に大騒ぎになってしまう。
さらに、竹千代を三河に帰して母親と再会させると約束したのだ。
豪語した人物が不在では、たとえ会えたとしても彼はガッカリするだろう。
「美穂は己の手で三河を取り戻せないだけでなく!
竹千代を母に会わせることもできぬと申すか!」
「できらぁ!」
売り言葉に買い言葉であり、またも同じ手に引っかかってしまう。
だがしかし、約束を守るのは大事だ。
実際に口にした者として、最後まで責任を持って成し遂げなければいけない。
父のおかげで、危うい所で踏み止まることができた。
「とにかく、美濃へは同盟の誘いは出しておく。
しかし、駄目で元々だ。あまり期待はするでないぞ」
今の所はこれといった名案は出てこないが、周辺諸国と同盟を結んで味方を増やすのは悪くなかった。
しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いで国力を高めているのが今の尾張だ。
そんな厄介極まりない勢力と手を組んでくれるかは、提案した私から見ても望みが薄そうだと思ったのだった。




