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稲葉山城

 城下町には一切の手出しをせずに、稲葉山城いなばやまじょうを取り囲んだ織田軍だったが、向こうは打って出てくる気配はなかった。


 長期戦になると誰もがそう考えて、父は兵三千を置いて包囲を命じた。

 そして残りの半数は、離れた場所に野営地を築くために一旦引き上げることに決めたのだった。




 なお、ここに来る前にも二千の兵を道中の小城や砦に回したので、織田は合計八千の大軍勢となる。


 それはともかく、一旦後方に下がって野営を行い、攻めるのは明日からにした。

 空には茜色の夕日が広がっているので、辺りが暗闇に包まれる前に陣地を築くべきだろう。




 敵地の奥まで、何の妨害もなくすんなり来れたのは良いことだ。

 おかげで兵糧以外は殆ど消耗もないので、戦力を温存できて皆の士気も高い。


 しかし数日かけての進軍により、兵たちが疲れているのも事実だ。

 そのために誰もが、稲葉山城の攻略は一晩休んで明日からと考えていた。


 だが、そう上手くはいかなかった。

 周りで見張りをしていた斥候が、大声で知らせを届けたのだ。


「てっ、敵襲! 敵襲ー!」

「敵だと!? まさか、この状況で打って出たのか!」


 家臣の一人が驚愕の声を漏らしたが、悪い知らせはそれだけではない。


 茜色の空に狼煙のろしがあがったのだ。

 これは後方の織田軍が、危機に陥っていることを意味する。


「殿! 狼煙でございます!」

「まさか! 包囲が破られたのか!?」

「如何されますか!」


 家臣たちが緊張した表情で尋ねると、父は迷うことなく素早く答えた。


「撤退する!」


 ここまでは斎藤道三さいとうどうさんとの打ち合わせ通りなので、トントン拍子に進む。


 しかし家臣たちの一部は納得していないようで、口々に反論してきた。


「しっしかし! 稲葉山城は目の前でございますぞ!」

「たとえ包囲が破られたとて、織田軍の力を結集すれば──」


 血気盛んなのは良いことだが、彼らがさらに言葉を重ねる前に、父の怒声が辺りに響き渡った。


「この愚か者どもが!」


 あまりの大きな声に、周りの者たちが一斉に驚く。


「儂らは稲葉山城いなばやまじょうまでの行軍で、疲勞ひへいしておる!

 だが敵は、万全の状態で迎え撃っておるのだぞ!」


 稲葉山城を包囲してしまえば、容易に攻め落とせると考えていた。

 しかしいざ蓋を開けて見れば、実はそれこそが相手の罠であり、危機に陥っていたのは織田軍であった。


 先程までは反論していた家臣たちも、父が伝えた正論を自覚して肝が冷えたらしい。


 なので慌てて、織田信秀おだのぶひでに尋ねる。


「でっ、では! 殿しんがりは如何されますか!?」


 撤退を行う際には後方に踏み留まって敵を迎え撃つ、殿しんがりという役目がある。

 もちろん一番危険で、受ける被害は大きくなる。


斥候せっこうが持ち帰った情報では、稲葉山城を包囲している軍が挟撃されているとのことです!」


 これは斎藤道三さいとうどうさんがあらかじめ外に兵を伏せており、織田軍の本隊が後方に下がった頃合いを見計らい、稲葉山城と伏兵の同時攻撃を行ったからだ。


「急いで救援し、撤退せねば! 進退窮まりまする!」


 もはや考える時間も惜しく、一刻も早く行動を起こさなければいけない。

 そしてその判断を下すのは、総大将の織田信秀おだのぶひでだ。




 父はしばらく思案するフリをしたあと、私を真っ直ぐ見つめて口を開いた。


「美穂よ。危険な任務だが、やってくれるか?」

「あまり気は進みません。ですが、やるだけやってみましょう」


 最初からこういう段取りではあるが、気は進まないのは本当だ。


 手柄や領地を求めて暴走した家臣の後始末と、敵とはいえ同じ日本人を殺しに行くのだ。


 根っこが元女子高生としては、自分で仕組んだこととはいえ好き好んで手を汚したくはない。


「美穂様が殿しんがりを務めるのでございますか!?」


 先程の発言について、家臣たちは大いに驚いていた。

 きっと稲荷神様の御加護を信じていないか、女性が武将の真似事をするのが納得できないのだ。


 その他にも色んな理由があるが、今は考えている時間がない。

 なので、思ったことをそのまま口に出した。


「たとえ殿しんがりであろうと、私なら必ずや生きて帰れます」


 周りの者たちに自信満々に告げると、彼らは一理ありと考えたのか低く唸る。


「むっ……むう、しかしですな!」


 まだ納得していない者がいたので、私は彼に冷たい視線を投げかける。


「では、貴方が代わりますか?」

「そっ、それは……その」


 不満に思っていた家臣たちが揃って視線をそらしたことで、私は小さく溜息を吐いて話を先に進める。


殿しんがりは私が務めます。これは、お父様直々の命令です」


 まだ不満があるなら父に言ってくれとばかりに、はっきりと宣言した。


「うむ、林秀貞はやしひでさだが率いる精鋭百名を同行させる。美穂、頼んだぞ」


 父は満足そうに深く頷いたので、私は小さく頭を下げる。


「お預かりした部下を無駄に死なせる愚行は、決して致しません」


 そう言って私は不満を漏らした家臣たちに背を向けて、大声で林さんたちに呼びかける。


「これより私たちは、殿しんがりを務めるわ!」


 さらに、よいしょっと馬を降りながら続きを口に出した。


「稲葉山城を包囲中の友軍の救援を行い、完了次第、撤退戦に移るわよ!」


 非常事態なので素に戻った私は、大声で宣言した後に夕焼け空の下を駆け出した。


「皆! 遅れるんじゃないわよ!」


 ぶっちゃけ、馬よりも自分の足で走ったほうが早いし疲れない。

 今は孤立無援の戦いを余儀なくされている友軍を助けるために、稲葉山城へと急ぐのであった。







 稲葉山城を包囲していた友軍だが、あらかじめ城外に潜ませていた敵軍と交戦状態に入っていた。

 しかも、正門を開けて打って出た増援に挟撃されたのだ。


 遠目でも、状況が思わしくないことはわかる。


 そして父が全軍撤退の命令を出したのは、今さっきのことだ。

 友軍には、まだその指示は届いていない。


 私は立ち塞がる敵兵を、ヤクザキックを食らわせたり投げ飛ばしたりしながら、敵の包囲網を力技で突破する。


 やがて派手な鎧を着用した友軍の指揮官らしき武将にある程度近づけたので、大声で呼びかけた。


「私は織田信秀おだのぶひでの娘! 織田美穂!

 お父様は、全軍撤退せよと命令を下されたわ!」


 彼はすぐにこちらに気づいて、目の前の敵兵を斬り捨てたのちに、私に顔を向ける。


「それは確かか!」

「私が嘘をつけないことは、知っているでしょう!」


 一瞬だけ考えたが、すぐに納得したようだ。

 彼は急いで全軍に撤退の指示を出す。


「敵の包囲網は、あそこが手薄よ! そこから逃げなさい!」


 私はたった今、力技でこじ開けてきた包囲の穴を指差して伝える。


「かたじけない! 美穂姫も、どうかご無事で!」


 わざと一箇所だけ手薄にして織田軍を逃がすようにと、事前に打ち合わせをしていたし、途中までは段取り通りだった。


 だが現場を目にすれば、斎藤軍には一兵たりとも逃さないという気迫を感じた。


(これは気張らないと、不味いわね)


 撤退戦では敵に背を向けるので、隙だらけになってしまう。

 なので私は味方が逃げ延びるまでの時間を稼ぐため、両足でしっかりと地面を踏みしめて、堂々と啖呵を切った。


「美濃の武士で一番の強者は誰かしら! この織田美穂が相手になってやるわ!」


 稲荷神様の御加護で身体能力が強化されているので、私の声もとても良く響いた。


「ここは女子供の来る場所ではないわ!」


 何処の誰かもわからない人に帰れと言われても、引き下がるわけはない。


 そこで落ちている石を適当に拾い上げると、先程発言した偉そうな武将目がけて手加減して投げつけた。


「黙りなさい!」


 小石は正確に土手っ腹に命中して、敵将らしき人は呆気なく落馬して戦闘不能になった。


「ああ、こうすれば楽ね」


 敵将を探して名乗りを上げて、一騎討ちを挑むこともできる。

 しかし今は味方が劣勢な撤退戦だ。早急に無力化しなければ危なくなる。


 なので私は敵将らしき人を見つけたら、遠距離からの投石で始末することにした。


 稲荷神様の御加護によって、運動神経抜群どころか人間を越えている。

 百発百中なうえに、飛距離もとんでもない。


 一応殺さないように手加減はしているが、指揮官が次々と戦闘不能に陥ったため、斎藤軍の指揮系統を混乱させることに成功する。


 おかげで父に借りた林さんと精鋭百名は、救出した織田軍と共に、さほど苦労することもなく稲葉山城の包囲網を抜けられた。


 挟撃されても味方の損害は軽微という、戦国時代としては異常な撤退戦になったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 織田家内の無駄飯喰らいを処分、あるいは意思をヘシ折ると同時に、蝮殿に「小石で将が軒並み潰されるとかやっべぇ。織田に美穂姫が居る限り、戦してもこれぜってー勝てねえわ」と焼き付ける作戦ですね。 …
[一言] そうか! しんがりに徹すれば、被害は最小限か!
[一言] 稲葉山城まで登って、お弁当を食べて帰る ~これが、毎年恒例になる稲葉山遠足の始まりであった~(※尚、置き去りにされる武将は除きます。)
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