美濃攻め
天文十三年の秋、稲の刈り取りが終わった頃に、いよいよ美濃攻めが始まった。
その際には、稲荷神様の御加護を受けている自分も同行する。
おかげで、織田軍の士気がかなり上がった。
戦に反対した穏健派の家臣たちは、留守中の尾張を守るために残してきた。
何も起きないに越したことはないが、万が一の備えも必要なのだ。
つまり今回の戦に参加したのは、一部を除けば父の意向を無視して、それなりに力のある者ばかりであった。
それはともかく、いよいよ尾張と美濃の国境を越えて、軍団は奥深い山に向けて進んで行く。
私は父の少し後ろで周囲を警戒しつつ、味方にぶつからないよう気をつけて馬を操っていた。
途中で木曽川を越えたが、最近は晴れ続きなようで渡し船も使う必要はなかった。
浅い場所の水かさは大人の腰ほどなので、そのまま進軍して全員が無事に渡り切る。
ちなみに、私は鎧姿ではない。外出用の動きやすい服装だ。
攻撃が当たっても痛くも痒くもないため、あまりゴテゴテした装備は邪魔なのだ。
しかし服は普通に破損するので、羞恥心には気をつけないといけない。
美濃に入った織田軍は、道幅が狭く曲がりくねった街道を進んでいった。
お世辞にも整備されているとは言えない山道だが、文句も言わずに歩く。
野山を駆け回っていた私からすれば、かなりゆっくりな進軍速度だ。
ふと横を見ると、同じく馬に乗っている家臣たちは皆緊張しており、割と退屈していた私にあれこれ話しかけてきた。
「美穂様の初陣ですな!」
「怖いでしょうが、心配ご無用ですぞ!」
「斎藤軍など何するものぞ! 決して近づけはしませので、ご安心くだされ!」
確かに私は、戦は怖いものだと思っている。
それは決して間違ってはいないが、自分が殺されるからではない。
稲荷神様から授かった御加護で、容易に人を殺せてしまうからだ。
命が軽い戦国時代とはいえ、私の根底は元女子高生だ。
できればもっと話し合いなどで、穏便に済ませたかった。
(だからと言って、わざと負けるのはね。
本当に、苦肉の策だわ)
斎藤道三には、なるべく殺さないようにと伝えているが、戦とは命の奪い合いだ。
生きるか死ぬかの戦いで余裕があるはずもなく、怪我人や死傷者が出るのは避けられない。
「奴らは恐れをなして、城や砦に籠もりっきりではないか!」
「然りよ! 我らが稲葉山城に到着後に、挟撃する策なのであろう!」
「はははっ! 殿は全てお見通しよ!」
道中の小城や砦は、織田軍を分けて包囲している。
囲みを打ち破って挟撃するのは、容易ではないだろう。
さらに、万が一に備えて狼煙台も築いた。
もし包囲が突破されるか、不測の事態が起きた時の合図である。
そのせいで進軍にはかなりの時間がかかっているが、これも全ては負け戦での損害を軽くするためだ。
私が緊張気味に相槌を打っていると、父がおもむろに口を開いた。
「敵は美濃の蝮だ。くれぐれも油断するでないぞ」
馬に乗って進む父が周りの家臣や兵たちを激励するのを聞き、誰もが気を引き締める。
「ははーっ! 承知の上でございます!」
「確かに小城や砦にたなびく旗、そして赤々と燃える篝火が置かれていたのう!」
「これは相当の数の兵が待ち構えているのは、間違いあるまい!」
稲葉山城に続く街道は細く曲がりくねった悪路であり、そこに至るまでに多くの城や砦があったが、夜間になると篝火が焚かれて昼のように明るかった。
おまけに無数の旗がたなびいていたので、相当数の兵が籠もっているのは間違いない。
いち早く侵攻を察知した斎藤道三が、守りを固めたのだ。
これには容易に攻め落とせると楽観視していた織田軍の者たちを、大いに驚かせたのだった。
「我らの動きをいち早く察知するとは! 敵ながらあっぱれよ!」
「しかし、最後に勝つのは我らよ!」
戦に対して士気が高いのは、歓迎すべきことだ。
しかし、織田が負けるような作戦を立案した当人としては何とも気が重いが、それでも時は無情にも流れていく。
やがて美濃に深く入り込み、稲葉山城のすぐ近くまで、私たちは進軍したのだった。
数日かけて稲葉山城下町に辿り着いた織田軍だが、そこで家臣たちは父である織田信秀に詰め寄り、あることを進言した。
「殿! ここは城下の家々に火を放ち! 斎藤道三の戦意を挫くべきかと!」
「さようでございます!
乱取りを行い、美濃の地の者から銭や物資を押収すべきですぞ!」
今の時代なら誰もがやっていることで、戦術としても正しい。
父も普段なら一も二もなく承諾していたが、ここには私も居るのだ。
いくら非道な行いに耐性がついたとはいえ、本心ではそんなことやりたくないので、速攻でブチ切れてしまった。
「稲葉山城下で略奪を行い、あまつさえ火を放つなど以ての外です!」
いきなり周囲に響き渡る怒声に、誰もがギョッとした表情で見つめてくる。
しかし私は、構うことなく続ける。
「稲葉山城を落としたら、私たちの領民になるのですよ!
そんな蛮行を行った者たちに、一体誰が従いたいと思うものですか!」
それでも家臣たちは微塵も納得しておらず、すぐに反論してきた。
「しっ、しかし! 美穂様! 戦で放火と乱取りはつきものですぞ!」
それはわかっているが、根っこは二千年代の元女子高生だ。
同じ日本人を相手に蛮行をしたくないし、斎藤道三を刺激するのは避けたかった。
彼にはなるべく殺さないようにと指示しているが、放火や乱取りの仕返しに、協定を破るかも知れない。
段取りを無視して織田軍を殲滅するために動き出したら、作戦立案者としては目も当てられないのだ。
そこで私は、何としても家臣や兵たちを押し留めるために、大声をあげる。
「黙らっしゃい! そのような乱暴狼藉は、稲荷大明神様は決してお許しになりません!」
きっと周りの者たちは、戦に付いてきた私のことを面倒臭い女だと思っている。
だがこの先の被害のことを思うと、泥をかぶるぐらい何てことはない。
それにこちらの言い分にも、一理あるのだ。
周りで聞いている者たちは善悪の天秤が揺れているのか、何ともバツの悪そうな表情をしている。
ちなみに、通り過ぎた村々で乱取りをしなかったのは、自分という抑止力があるからだ。
弱き者の味方である豊穣の美穂が、織田軍に同行している。
それなのに乱暴狼藉を行うなど、決して許されることではない。
しかしそれでも限界があり、稲葉山城に辿り着いたことで、とうとう理性のタガが外れてしまったのだ。
このままで不味いと考えた私は足りない頭を働かせて、あることを思いつく。
そして、父に真っ直ぐ視線を向けた。
「ならば、稲葉山城を攻め落とした暁には!
放火や乱取りの代わりに、特別な褒美を出しましょう!」
褒美と聞いて、周りの者たちは明らかに目の色を変えた。
「それは本当でございますか!」
「おおっ、ありがたい!」
父に何とか承諾して欲しいという視線を送ると、織田信秀は若干苦笑気味な表情を浮かべる。
しばらく思案して顎髭を弄っていたが、やがて小さく溜息を吐いた。
「うむ、まあ……良かろう。稲荷大明神様も、蛮行は望んでおらぬだろうな。
何より、可愛い娘の頼みだ」
娘に言われたからを強調することで、父は何とかこの場を切り抜ける。
暴走した家臣たちをなだめるのに失敗した場合に備えて、身代わりとして使うのだ。
「「「おおー!!!」」」
家臣や兵たちが喜んでいるのを見て、何とか丸く収まったことに心の中でホッと息を吐いた。
なお、一部はこっそりやるだろうが、少数ならば何とかなる。
それを見越し、私は明後日の方角に視線を向けて小さく呟く。
「陽炎銀子」
「ここに」
声を漏らした瞬間、私のすぐ近くには銀子と、彼女以外の数名の忍びが音もなく現れた。
しかも今は褒美が貰えることで大盛りあがりなためか、誰も気にも留めていなかった。
それに変装しているので、織田家の兵士と思われている。
「よろしく頼みますね」
「お任せを」
忍びたちは小さく頭を下げて、音もなく姿を消した。
流石に、この場で堂々と命令するわけにはいかない。
短い言葉しかかけられなかったが、銀子や他の忍びは私の内心を良く理解している。
行動原理が単純明快なので、予想しやすいだけかも知れないが、今の所は困っていないのでそれで良い。
(適当な指示しか出せてないけど、本当に忍びが優秀で良かったわ)
行き当たりばったりの指示で、よろしく頼むとしか伝えていない。
普通ならば、一体何をどうしろと大いに混乱する。
だがきっと銀子たちは、私が乱取りや放火を嫌がっていたので、そういった者たちを秘密裏に処理してくれるはずだ。
(でも、私ってそんなにわかりやすいのかしら?)
嘘をつけないし、感情のままに行動して、脳筋ゴリ押しばかりだ。
言動の裏を読まなくても良いので、忍びの上司としては物凄く扱いやすいように思えた。
(織田忍軍は高待遇だけど。人生綱渡りは怖いわね)
父も吉法師も、私に求心力を求めている。
しかし現状は、授かりものの御加護があっても四苦八苦していた。
これでもしすっ転んだら、酷いことになるのは目に見えている。
相変わらず全然気が休まらない綱渡りの人生を歩きながら、織田家の天下統一は遠いと、思い知らされるばかりだ。
私は早く肩の荷を下ろして楽になりたいと、内心で大きく溜息を吐くのだった。




