夢のお告げ
天文十一年の初夏、古渡城の一室で、父の織田信秀と小姓を務める弟の吉法師と面会した私は、戦国乱世のやるせなさに大きな溜息を吐いてしまった。
それでも父にとってはこの程度は慣れっこなのか、おもむろに口を開く。
「美穂よ。この父に、何か用があるのではなかったのか?」
「あっ、そうだったわ!」
改めて言われて思い出した私は、条件反射でポンと手を打って姿勢を正す。
そして真っ直ぐに父を見つめて、真面目な口調で話しかけた。
「実は昨晩、私の夢枕に稲荷大明神様が立たれました」
父と吉法師が揃って驚愕するが、私は構わずに説明を続ける。
「そして織田家に天下を取らせるために、私に御加護を授けてくださったのです」
私はそこで口を閉じた後も、二人はしばらく呆然とした様子で続きを待っていたが、やがておずおずといった様子で吉法師が尋ねてきた。
「あの、姉上。続きは?」
流石に遥か未来から転生したとは言えないので、その辺りを端折って簡単に説明するとこんな感じになる。
「続きも何も、これで終わりですが?」
父と弟は頭が痛いようで、揃ってこめかみを押さえている。
そして織田信秀がおもむろに口を開いた。
「正直に言えば、とても信じられん」
「まあ私も、最初から信じてもらえるとは思っていません」
もし嘘か真かを証明しろと言われたら、身体能力の高さは岩を砕けばすぐに理解するだろうが、知識のほうは難しい。
何しろ尾張のお転婆姫は頭が悪いのだ。
「しかし、美穂の嘘はすぐわかる。ゆえに夢を通じてお告げがあったことは、真実なのであろう」
元々未来でも嘘はド下手くそだったし、稲荷神様の御加護を得ているのは本当のことだ。
なので、信じてくれることには異論はない。
「ぐぬぬ! どうせ私は嘘が下手よ!」
だが馬鹿正直という図星を指された悔しさで、あっという間に被った猫が剥がされてしまった。
「しかし、織田家に天下を取らせよか」
「稲荷神様はそう言ってたわ」
取りあえず、乱れた気持ちを落ち着かせるために深呼吸をしてから、父の言葉を肯定する。
「となれば、周辺諸国の統一が望みか」
顎髭を弄りながら思案する父に、はっきり否定した。
「いいえ、全国統一を成し遂げるのが望みよ」
堂々と告げた私を、二人が何とも言えない表情で見ているのがわかる。
だが、自分だって正直に言えば本当に困っているのだ。
そして父と吉法師にとっては、天下というのは自分の領土とその周辺だと考えていた。一般的な戦国大名にとっては、それが普通なのだ。
稲荷神様がこの時代の常識を破壊したことで、少し空気が重苦しくなって、しばしの時間が過ぎた。
だが今の発言も嘘ではないと察したようで、父はとても大きな溜息を吐いた。
「……はぁ、何という大望だ」
「私もそう思うわ」
苦虫を噛み潰したような表情をする父に、偽りなく同意を示す。
一部をぼかして大雑把とはいえ、今説明したのは全て本当のことだ。
そして神仏を熱心に信仰し、その存在を当たり前に信じられているのが戦国時代である。
稲荷神様のお願いに逆らうことなど、夢のお告げが事実だと知った二人には不可能なのだった。
父は何とも気が進まなさそうな表情をしていたが、それでもやらないわけにはいかず、せめて情報を集めようと私に質問する。
「では、稲荷神様の御加護は何だ?」
「健康な体と知識よ」
「「えっ?」」
正確には無病息災の肉体と未来の知識だが、簡略化したほうがわかりやすいと考えて口にしたのだが、父と弟は何とも納得しかねるような表情であった。
「だから! 健康な体と知識よ!」
わざわざ聞き返したので、はっきりもう一度答えておく。
流石に未来から転生しましたとは言えないので、そっちは墓まで持っていくのは確定だ。
それでも稲荷神様から貰った知識だと誤魔化したが、嘘は言っていないので問題はない。
だが、弟がすかさずツッコミを入れてきた。
「知識とは何じゃ? 姉上は体は無駄に頑丈じゃったが、頭は悪かったはずじゃぞ?」
確かに私は、野山を走り回って遊んでいた。頑丈な体については疑う余地もないし、頭が悪いのも事実だ。
しかし正論とはいえ、そこまではっきり言われるとカチンと来てしまう。
「吉法師、あとでデコピンね」
「ひえっ!?」
小さい頃から弟とは仲が良く、互いに木刀を持って訓練という名のチャンバラごっこもやった。御加護が抑制されているとはいえ疲れ知らずで、吉法師はいつも途中でへばっていた。
だが、たびたび姉の頭の悪さを馬鹿にするため、そのたびにデコピンやらシッペで強制的に黙らせる。
つまりは、トラウマを思い出して怯えるのも無理のない話であった。
しかし父は家族関係よりも稲荷神様の御加護のほうが気になるようで、コホンと咳払いをして話題を戻す。
「美穂の肉体面は疑う余地はないが、知識については半信半疑だ」
尾張のお転婆姫などという不名誉な二つ名がついてしまったのは、華奢な女児なのに大人と対等にやり合える程の力を持っていたからだ。
なお知能に関しては、年相応かそれ以下のお察し状態である。
家臣や領民からは、力持ちで優しいアホの子として親しまれているが、当人にとっては全然嬉しくない。
とにかく父が信じられないのも無理もないのだ。
「稲荷神様から知識を授かった確信を得たい」
「どうすれば確信が得られるのでしょうか?」
先程までは素が出ていたが真面目な話に戻ったので、私は再び姿勢を正して返答する。
「儂の直轄領の村を一つ任せるゆえ、天文十三年の正月までに成果を出して見せよ」
真面目に受け止めてくれたことには感謝したいが、自分は領地経営の経験が皆無だ。
なので、一年と少しという短い期限は厳しい。
「ううん、天文十三年の正月までかぁ」
思わず低く唸って腕を組んで思案するが、娘の嘘っぽい話を半信半疑でも聞いてくれるだけありがたい。
それは父が親身になってくれたのか、織田家が神官の家系なのか。
もしかしたら血筋的にあり得るかもと、ちょっとは期待しているのだろうか。
ただの夢だと笑い飛ばされないだけマシだが、正直ド素人の私にやれる気はしない。
しかしウンウン悩んでいても埒が明かないと考えたのか、父はもう一度尋ねてきた。
「できぬのか?」
「できらぁ!」
そして私は、昔から負けん気が強かった。今回はそれが災いして、条件反射的に啖呵を切ってしまった。
もちろん勝算はなく、ただの行き当たりばったりだ。
何にせよ織田家の天下統一を成し遂げるために、再来年の元日までに成果を出すハメになったのだった。