植林
時は流れて、天文十二年の春の終わりになった。
春の農繁期が終わって一段落ついたので、私は別の仕事を行うために米村の裏山に足を踏み入れた。
そこで農民と一緒に緩やかな斜面に登って、木材資源として利用した後の切り株を引っこ抜いては、丁寧に均らして空いた土地に杉の苗を植えていく。
書類仕事か道具の試験と内政ばかりだったので、稲荷神様の御加護を存分に発揮する機会は殆どなかったが、今は地面に根を深く張る切り株を素手で引っこ抜いている。
最初は作業を見た者は大いに驚いていたが、すぐに美穂様の成されることなのでと気にしなくなった。
村民たちは、私を稲荷神様の化身だと信じているので、慣れるのも早かったのだ。
しばらく裏山の斜面でせっせと植林をしていると、そこに興味津々という表情の吉法師が護衛を引き連れてやって来た。
そして、禿山の切り株を引っこ抜いている私に尋ねてきた。
「姉上は何故、切り株を抜いたあとに若木を植えておるのじゃ?」
現在の米村から近い斜面の木々は、その殆どが伐採されて一部が禿山になっている。
なので私は、緩やかな傾斜で踏ん張りながら切り株を引っこ抜き、弟の質問にはっきりと答えた。
「来たるべき木材資源の枯渇に、今のうちから備えているのよ」
戦国時代だけでなく未来の日本も、木材はなくてはならない資源だ。
化石燃料や金属製品がどれだけ普及しようが、その需要が尽きることはない。
海外からの安い輸入木材が入ってくれば別だが、現時点では自給自足で回していくしかなかった。
「しかし木材なら、少し山に入ればたくさんあるではないか」
そう言って弟が山の奥に視線を向けると、そこにはまだ手つかずの大樹がいくつも残っていた。
「確かに木材資源は、まだまだ余裕があるわ」
尾張に関しては、そう簡単に木材が尽きることはない。
だがそれでも、海岸沿いの町村の近くは禿山が目立ってきている。
早めに手を打っておかなければ、手遅れになる可能性もあるのだ。
「でも、需要は増える一方で、手近な山々を刈り尽くしたら、次は何処から手に入れれば良いのかしら?」
「……それは」
私は素手で切り株を引っこ抜くのを一時中断して、深く考え込んでいる吉法師に顔を向ける。
「それに木々が根を張ることで、山や森は綺麗な水を地中に溜め込んだり、地滑りを防いでくれるわ」
特に今の時代は必要不可欠なので、木材が不足するなどあってはならない。
なので、先手を打って植林作業を行い、将来に備えているのだ。
取りあえず山野の自然を保ち、土砂崩れ等の災害への備えや綺麗な水の確保を行えれば、それで良しだ。
後のことは、もっと詳しい専門家に任せれば良い。
「それに、足りない資源を他国から奪ってばかりじゃ、乱世は終わらせられないわ」
生きるためには仕方ないが、誰もが略奪を当たり前に受け入れていては、生き地獄は永遠に終わらない。
「確かに、それもあるか」
吉法師や護衛も心当たりがあったようで苦笑しているが、誰も異議を唱えたりはしなかった。
「これを理解できる吉法師は天才ね」
相変わらずの超速理解に、取りあえず思いついたことから適当に語っていた私は小さく頷く。
「天才は姉上のほうじゃろ」
「残念だけど、私はあまり賢くないわ。
知識はあっても、活用方法は下手くそなのよ」
根っこの元女子高生が固定化されているためか、知識に関しては頭打ちになっているし、機転が利くとは言い辛い。
「吉法師なら、私なんてすぐに追い越しちゃうわ」
彼は物覚えが良いので、まるでスポンジが水を吸うようにどんどん賢くなっている。
私が肩をすくめながらそう言うと、弟は不満気な表情で口を開いた。
「儂は姉上に並び立ちたいのじゃ。蹴落とすことなど、考えてはおらぬよ」
何とも姉思いな弟だと感じて、私は土のついた手を適当に拭い、吉法師に近づいていく。
「気を遣ってくれてありがとう」
そして、彼の頭を優しく撫でた。
「……あっ」
その後に、弟を褒める言葉をかけようと思ったが、私はあることに気づいた。
なので吉法師を撫でるのを止めて耳を澄ませて、周囲の様子を注意深く窺う。
「姉上、どうしたのじゃ?」
吉法師が尋ねてきたので、私は気持ちを落ち着けて冷静になる。
そして、やや緊張しながら質問に答えた。
「複数の足音が聞こえるわ。ここに近づいてきてる」
稲荷神様の御加護は伊達ではなく、怪我や病気にならないだけではない。
切り株を素手で引っこ抜ける程の力があるし、五感にも優れている。
今も遠くから近づいていくる複数の足音を感知したので、私は作業を一時中断させて、全ての者に斜面から下りて、見通しの良い山道に集合するようにと、急いで指示を出した。
「美穂様。動物か人の、どちらでございましょうか?」
私と吉法師の護衛が円陣を組んで万が一に備える中で、林さんが緊張しながら尋ねてきた。
「足音からして人間よ。少なくとも狼や鹿、熊ではないわ。
でも、山道を歩かずに茂みをかき分けながら、気配を消して近づこうとしてるわ」
山で迷った猟師や木こりが麓に降りようとしているのなら、別に警戒する必要はない。
だが今聞こえているのは、気配を消して足取りもしっかりしており、何とも得体が知れない輩だ。
私は念の為に、戦いになるかも知れないので警戒するようにと、緊張しながら命令を出したのだった。




