尾張の大改革
正月の祝いの宴で、織田家が天下を統一できなければ生涯独身と宣言した。
新年の無礼講と酒の席で、さらに日頃から口にしているため、そこまで重く受け止められなかったのが幸いしたのか、父が親族や家臣たちを上手く執り成して大事にはならなかった。
それから時は流れて、天文十二年の春になった。
私は十歳になり、いよいよ新農法を実行に移す時が来た。
元はテレビゲームで得た知識だが、農林水産省や稲作農家、様々な農業関連のホームページを閲覧した。
それでも、成功するかどうかはまだわからない。
実際のところは、もし失敗したらどうしようと不安になり、正直物凄く緊張していた。
おまけに最初は私が管理する六つの村で試作するはずだったが、急きょ予定変更となった。
何故か父が、尾張全土に新しい農具と農法を広める通達を出したのだ。
そのせいで、もし失敗したら尾張の治安やその他諸々が急激に悪化してしまう状況に変わった。
戦々恐々とする私は、雪が溶けてからは古渡城下の武家屋敷から、米村に移動した。
まずは引越し先の家屋に籠もって、冬の間に各々の村から送られてきた書状に目を通していく。
林さんから先程、尾張全土の大改革を行うこと聞かされたのだが、何とも納得しかねる惨状に、天を仰ぎ見て絶叫してしまう。
「どうしてこうなったのよ! 便利な道具を広めるのはまだわかるわ!
でも、新しい農法や制度も一気に普及するのはやり過ぎよ!」
私が発狂するのは予想していたようで、お目付け役で常に側に控えている林さんが、すぐに答えを口にする。
「殿が申されるには、投資の回収を迅速に行うためでございます」
「数年かけてゆっくりで良いじゃない!」
今の尾張は農具や商品、産業が次から次へと生まれている。
さらには新たな作物や農法などを積極的に取り入れており、一見すると豊かに見えなくもない。
だが実際は先行投資したは良いが、実を結ぶまでは時間がかかるし失敗の危険もあるため、容易には回収はできない状況だ。
そんな痛し痒しの状況で、しかも次から次に無茶振りするのだ。
おまけに尾張全土に事業を拡大させたことで、とうとう台所事情が火の車になってしまった。
焦ったり欲張る気持ちはわかるが、もし失敗したら目も当てられない。
何より、私の受ける重圧が半端ではない。
稲荷神様の御加護で胃に穴が開かないのが、本当に助かっている。
だからと言って、決して気を抜くことはできず、林さんはさらに残酷な真実を突きつけてきた。
「尾張はいつ攻め込まれてもおかしくなく、内乱の懸念もございます」
「わかってはいるけど、乱世すぎでヒクわ!」
いつ他国から攻められらたり、一揆が起きるかわからないのは、戦国時代の悲しき宿命と言える。
軍備を整えるにも銭や物資が要り、国力を上げて少しでも優位に立つの世の習わしだ。
それでも、今回に限っては明らかに常軌を逸している。
「はぁ、一世一代の大博打とはこのことね」
普段は娘に甘い織田信秀だが、今はまさに噂に聞く尾張の虎そのものであり、死中に活を求めるが如く、何とも思い切りが良い。
「殿は美穂姫様を信頼しております」
それに関して林さんはフォローを入れるが、私はかえって気が重くなってしまう。
「お父様が信頼してくれるのは嬉しいけど、期待しすぎよ」
戦国時代は神仏の存在が信じられており、信仰は大きな力を持っている。
去年の実績を考えれば、私が稲荷神様の御加護を授けられたのはもはや疑う余地がない。
なので、父や家臣だけでなく領民たちも大いに期待するのも無理はなかった。
これだけならまだ良かったのだが、中間搾取や特権階級の者たち、さらに寺院に目をつけられたのは非常に不味い。
もし失敗すれば、不満を溜め込んだ農民を扇動して、尾張の各地で一揆を起こされるかも知れない。
私は毎日せっせと稲荷神様に参拝しているので、神道には好かれているが仏教には嫌われている。
別に喧嘩をするつもりはないが、色んな意味で彼らの領分を侵しているのは間違いなかった。
「やっぱり、私の人生って綱渡りだわ」
民衆が望んでいるのは、去年よりも収量が増えたり生活が向上することだ。
自分が管理する六つの村だけならともかく、尾張全土となるとその反動もとても大きく、正直物凄く気が重かった。
「ご安心を。美穂様には、この林秀貞が付いております」
真面目な表情で告げる林さんに、何と言葉をかけようかと考えた。だが、結局思い浮かばなかった。
自分を助けてくれるのはありがたいし、常日頃から感謝を口にしている。
なので、一言だけありがとうと告げて、気持ちを切り替える。
「はぁ、いっそ豊穣の美穂と自ら名乗ろうかしら?」
戦国乱世を生き延びるためには、実績を着実に積み上げていき、いつの日か名実共に日の本の国に轟く豊穣の美穂になる。
そうすれば一度や二度の失敗では、自分の立場は容易には揺るがない。
「美穂様! それはよろしゅうございます!」
林さんだけでなく護衛の人たちが喜んでいるが、私は適当に頑張る宣言をしただけだ。
米作りに失敗すると尾張国が思いっきり傾くので、何としても成功させるしかない。
しかし、思い悩んでいても良いことはないので、気分を変えるために冬の間に溜まった書類を持って、外に出かけることに決める。
ストレス解消には陽の光を浴びるのが良いと、何処かで聞いたからだ。
なので私は、円座からよっこいしょと立ち上がる。
「美穂様。お供致します」
「当たり前よ。林さんは私のお目付け役なんだから」
「はははっ、その通りでございますな」
彼の勤勉さは凄いと思うし、父も信頼を置いているのは間違いない。
本当に優秀な人をお目付け役として付けてくれたものだ。
それはともかくとして、今は気分転換がしたいので、静かに息を吐いた私は、草履を履いて家の外へと向かったのだった。




