おせち料理
天文十一年もあと僅かで終わる頃に、私は寒天作り以降は母と顔を合わせることもなく、武家屋敷で毎日仕事をしていた。
今は自室に籠もって、未来の知識を書物に書き記している。
正直何が役に立つかわからないので、覚えているのは全て記録しておくに越したことはない。
だが、自分は頭を働かせるより体を動かすほうが得意であり、今もい草の円座に腰かけて机に向かって筆を走らせているが、集中力は長くは保たない。
ふと自室の外に人の気配を感じたので、一旦筆を置いて伸びをしながら、大きく息を吐いた。
「林さん、何か用かしら?」
簡単な挨拶をした後に、襖を開けて林さんが入ってきた。
「殿から美穂姫様に、言伝を預かって参りました」
書類仕事にも飽きてきたので、そちらに顔を向けると、どうやら父から伝言を預かってきたらしい。
「元旦は、古渡城で祝の宴が開かれますが、美穂様もご出席されるようにと」
去年までは武家屋敷でひっそりと祝いの宴を行っていたが、今年は古渡城らしい。
「また、家臣たちをもてなす料理で、良いものがあれば頼むと」
「はぁ、お父様も無茶振りするわね」
やってられんわとばかりに仰向けに倒れて、天井を仰ぎ見る。
未来の両親は共働きだったので、家事は私の仕事だった。
それでも本職には負けるし、戦国時代は素材や調味料も少なく、ガスコンロではなく薪と竈だし、調理器具もまだ試作段階だ。
勝手が違うため、私が行って役に立てるととは思えないが、ここで少し考え方を変えてみた。
「でも、書類仕事の息抜きに、少し体を動かすのも良いかも知れないわ」
引き篭もるにしてもテレビゲームやインターネットならまだしも、ずっと書類仕事だと滅入ってくる。
ならば、体を動かしての気分転換も必要だろう。
「古渡城に向かわれますか?」
「ええ、向こうの料理人と打ち合わせをするわ」
元旦まで、あと七日しかない。
殆ど直前での無茶振りに溜息を吐きつつも、私は断る気はなかった。
(熟練の料理人や高級食材で未来の料理を再現できると思えば、悪くないわね)
私はよいしょっと体を起こして、自室に置かれた厚手の和服を着用する。
そして林さんや他の護衛を引き連れて、お正月のおもてなし料理を作るため、古渡城に向かうのだった。
古渡城に入った私は、父への報告を護衛に任せて、自分は真っ直ぐに厨房へと向かった。
話は既に通っているようで、専属料理人は私を出迎えるように一同に整列しており、姿を見せると一斉に頭を下げた。
「美穂様! お待ち申し上げておりました!」
「これはまた、凄い歓迎ね」
あらかじめ話を通していたし、身分的に頭を下げられるのはわかるが、それにしては料理人たちの興奮は凄いものがある。
なので、疑問に思って尋ねると意外な答えが返ってきた。
「新たな食材や調理法は! 美穂様以上に詳しい方はございません!」
「おっ……おう」
確かに言われてみれば、その通りだ。
去年から新たな作物や家畜などの生産が、ごく一部だが試験的に始められている。同時進行で料理方法や器具も、試作を行っていた。
彼らが実際にそれに関わっているとは言い辛いが、名前程度は知られているのだろう。
何しろ戦国時代に実物が存在しなければ、第一人者は何でもかんでも私になるのだ。
しかし後の偉人に申し訳ないので、露骨に視線をそらした。
「全ては稲荷神様の知識の賜物よ。私の功績ではないわ」
羞恥のあまり咄嗟に言い訳したものの、料理人たちは相変わらず羨望の眼差しで見つめている。
まだ何か言いたそうにしていたが、これ以上褒め殺しされては背中が痒くて堪らない。
なので私は、慌てて両手を叩いて大声で命令した。
「それより! 祝いの宴まで、もうあまり時間がないわ!
私の知りうる限りのおもてなし料理を伝授するから、気合を入れなさい!」
そう言うと、料理人たちは自らの仕事を思い出したのか皆が真面目な表情になる。
調理場に緊張が広がっていくのがわかる。
「まずは、食材と調味料、調理器具等の確認するわ。
それと、例年のおもてなし料理も教えてちょうだい」
メニューの被りと食材や調味料や調理器具の不足。場合によっては、取り寄せも考えなければいけない。
取りあえず調理場をあちこち見て回りながら、現場の料理人から詳しい説明を受ける。
大雑把でも理解した私は、両手を組んで思案する。
「全体的に数が少ないわね」
「申し訳ございません!」
あくまでも未来の日本と比べればなので、私は頭を下げる料理人に向かって慌てて訂正した。
「責めているわけじゃないわ。足りなければ工夫で補えば良いのよ。
手間隙をかけることこそ、料理人の腕の見せ所と言えるわ」
もっともらしいことを口にしたが、本場の料理人を前に自分がどのぐらい役に立てるかは不明だ。
最悪足を引っ張ってしまうかも知れない。
「では美穂様! ご指導ご鞭撻をお願い致します!」
「ええ、まあ努力はするわ」
未来の大晦日では、母と一緒に台所に立っておせち料理を作っていた。
冷凍や加工食品も使っていたが、それでもきちんと下準備を整えれば、やってやれないこともない。
さらに今回は秘密兵器も用意してきたので、お目付け役の林さんに声をかける。
「林さん、例の物を」
「ははっ! こちらにございます!」
林さんが持っていた葛籠を机の上に置き、蓋を開ける。
料理人が一斉に中を覗き込むが、理解が追いつかないのか揃って首を傾げた。
「あの、美穂様。こちらは?」
「最新の調理器具よ」
どれも二千年代の日本の一般家庭ではありふれた器具だが、戦国時代にはまだ存在していない。
鍛冶職人に頼んで作成してもらった一品物だが、これまでの私は調理場に立つ機会がなかった。
なので実際に試作するのは、今回が初めてとなる。
そもそも今は美食を追い求めるより、まずは国力を高めるのが先決だ。
それに高級食材等の生産も、まだ一部しか行われていない理由もあり、水面下では進めているものの、どうしても後回しにならざるを得なかった。
「この四角く浅い鍋は?」
「フライパ……卵焼き器よ」
外国の言葉だと意味不明になるため、日本語に言い直す。
どれも手工業で作られた試作品のため、形は不格好で完全に再現できていない。
だがそれでも、職人が頑張って作ってくれたし、一品物なので壊さないように大切に扱わなければいけない。
そしてここで料理人が、葛籠とは別に運んできた水瓶の中身を覗いて質問する。
「では、何故鰻を?」
「私が食べたかったからよ」
「なっ、なるほど」
せっかく古渡城に保管されている食材や調味料を好きに使えるのだから、秘伝のタレの完全再現は無理でも、それっぽい物なら作れるだろう。
この絶好の機会を逃すわけにはいかず、泥抜きした鰻を林さんに購入してもらった。
護衛の人が水瓶を抱えてここまで運んだので、徒労には終わらせたくなかった。
「時間もないし、さっそく仕事に移るわ。
新たな調理方法を教えるから、ちゃんと覚えなさい」
「「「はい! 美穂様!!!」」」
やけに統率の取れた料理人たちが、一斉に気合を入れる。
何故こんなに忠誠心が高いのかは理解できなくもないが、背中やお尻が痒くなるので共感できなかった。
だが今は何より、正月まで七日しかないことのほうが重要だ。
その間に料理人たちを鍛え上げて、二千年代のおせち料理の再現を成し遂げようと、心の中で気合を入れるのだった。




