寒天作り
父である織田信秀に新しい浴場の許可を取るため、古渡城まで行き、そこで石鹸についても根掘り葉掘り聞かれた。
まあそこまでは予想していたのだが、何故か私が管理している六つの村の全てに公共浴場を作ることになった。
何でやねんとツッコミを入れたいところだが、疲労回復や怪我や病気の予防、領民の不満の解消などの効果も見込めると聞いて、俄然やる気になったらしい。
確かに民衆が一揆を起こす原因は、日頃の鬱憤や生活苦が殆どだ。
他には信仰が影響しているが、公共浴場を利用することで発生率が下がるかどうかまでは、情報がないのでわからない。
しかし自分も、わざわざ馬を走らせて茸村の温泉に行くのは面倒だ。拠点にしている米村に公共浴場を建設するのは、悪いことではない。
あとは私用の小さな風呂を作ってもらえるように、ちょっとだけわがままを通すのだった。
話は変わるが、尾張は元々は経済的に豊かな国だが、現在はかなり財政が傾いている。
先行投資や技術開発、田畑や河川の整備、新品種や作物を取り寄せたりと、各方面に銭を使いすぎたせいだ。
美穂協に強制加入させて年会費を徴収してはいるが、入ってくるのは微々たる額である。
やはり何処の国も収入の中心は年貢なので、成果が出るまでは非常に苦しい財政状況と言わざるを得ない。
だがしかし、美穂印の農作物や事業には例外として、売上に応じた課税が発生する。
春になったら、田畑に蓮華草の種を蒔いて肥料にするだけでなく、養蜂で蓮華蜜を採る。
温泉と卵を組み合わせた未来では別に珍しくない新商品も開発しているし、菌床栽培の成功率も少しずつだが上がっている。
さらに薩摩芋や綿花も、来年から本格的に生産が始まるのだ。
年が明ければ一気に巻き返すことも、夢ではなかった。
しかし、それは全てが上手く行った場合であり、現時点では期待半分不安半分なのが正直なところであった。
少し時は流れて天文十一年の冬、尾張全土が雪で閉ざされたある日のことだ。
私は春になるまで、古渡城下の武家屋敷に帰郷していた。
六つの村には、雪が溶けるまでは緊急性のない連絡は控えるように伝達してあるので、あとは美穂協支部が独自の判断で動いてくれるはずだ。
そして本当は暖かくなるまでゆっくりしたいが、尾張の財政はあまりよろしくない。
なので、私に休んでいる暇はなかった。
寒い木枯らしが吹く中で、厚めの木綿の着物を羽織って武家屋敷の庭に出て作業に勤しんでいると、厚着をした吉法師が通りかかって声をかけてきた。
「姉上は何をしておるのじゃ?」
本当にわからないのか、弟は首を傾げている。
「心太を干してるのよ」
「いや、それは見ればわかるが、何の意味があるのじゃ?」
確かに心太を干しているのは、見ればわかる。
しかし意味がわからないのは当然なので、私は作業の手を止めることなく答える。
「寒天を作ってるのよ」
なお心太は八百年ほど昔から存在している食物で、寒天はそこに一手間加えるだけなので、作業自体はそこまで複雑ではない。
寒冷地で干して乾燥させることだけは、テレビのニュースを見てぼんやりとだが覚えていた。
そこまでわかっていれば、あとは試行錯誤で何とかなるだろうと考えた私は、冬仕事として寒天を試作することに決めたのだ。
ちなみに林さんや他の護衛、ついでに家の使用人にも手伝ってもらっている。
何しろ他の事業や業務と同じく、寒天作りも最初から成功するとは思っておらず、そこに至るまでには数をこなさなければいけない。
しかし、もし上手くできたら試食させる約束をすると、皆は喜んで協力してくれた。
自分的にはありがたいことだが、食に対する興味が半端ではないと身震いする。
「心太とは違うのか?」
「素材は同じ天草で、見た目もあまり変わらないわ」
庭の干場に心太をせっせと乗せながら、首を傾げる吉法師の質問に答えていく。
「でも、磯の香りはしないから、寒天のほうが食べやすいわよ」
「なるほど、実食せねば何とも言えぬのう」
そう言って吉法師はこちらに近づきながら、声をかけてきた。
「姉上、儂も手伝うぞ。その代わり──」
「試食ね。わかってるわ。手伝ってくれてありがとうね」
私は心太を干す作業を手伝ってくれることに、感謝する。
そして弟は、続けて尋ねてきた。
「しかし寒天ができたとして、どのように食すのだ?」
「食べ方は色々あるんだけど、……そうねぇ」
定番なのが果物と一緒に固めたり、牛乳と砂糖を混ぜるものだ。だが、戦国時代は甘味が少ない。
未来で容易な寒天料理を再現するのも、一筋縄ではいかなさそうだ。
「ここは麦芽糖を混ぜて甘みを出して、山羊の乳で色をつけようかしら」
サトウキビはないが水飴や麦芽糖なら、戦国時代の日本にも存在するのは確認している。
あとはホルスタインのような乳牛は居ないが、山羊のミルクを使うという手もある。
「山羊乳寒天は、ちょっとゴロが悪いわね」
「そうか? 儂は気にならんぞ?」
「私が気になるのよ」
そんないつも通りの気楽な会話を挟みつつ、武家屋敷の使用人や護衛と一緒に、せっせと心太を干していると、ふと視線を感じた。
(お母様だわ)
稲荷神様の御加護を授かった肉体は、伊達ではない。
五感に優れているので、すぐに視線を特定してさり気なく顔を向けると、私の実母が屋敷の影から様子を窺っていた。
そしてその隣には、彼女と手を繋いでいる幼い男児もいる。
「……母上」
吉法師の呟きが聞こえたのか、母はバツの悪そうな顔をして幼子を連れて武家屋敷の奥へと足早に去って行った。
これを見て、元々腹芸が苦手な私は大きな溜息を吐いて、堂々と口に出した。
「こりゃ完全に嫌われてるわね」
「姉上のせいでは──」
「気を遣わなくていいわ。狐憑きは事実だしね」
自分が母にどう思われているかぐらい、昔から気づいていた。
抑制が解除されて記憶を取り戻して過去を振り返ると、特にいけなかったのは三歳で拙くても言葉を喋り、野山を駆け回り、林さんに外科手術をしたことだ。
その後は、彼を救うためとは言え強引に解除した反動で三日三晩寝込んでしまったが、助けられたので後悔はしていない。
それはともかくとして、母からしてみれば娘は狐憑きだと罵るのは当たり前だ。
たとえ私が周囲から認められて、これまでは彼女に同調していた取り巻きが、一斉に手の平を返したとしてもだ。
父の正室と私の実母という立場が守っているが、ある意味では余計に拗れたと言っても過言ではない。
「上辺だけなら我慢して付き合えるけど、あまり長くは保たないわ」
ただ幸いなのが、知識や行動力はあっても普段から馬鹿っぽいため、周囲の者にはやはり子供だと笑われていることだ。
おかげで屋敷の者や領民には、結構可愛がられていた。
だが母は、完全に私を敵認定している。
稲荷神様が本来ならば生まれないはずの赤ん坊として生ませたので、もしかしたら聖母マリアのように種もないのに身籠ったとか、そういうパターンだろうか。
何にせよ、母と仲直りするのは無理だろう。
同じ武家屋敷でも滅多に遭遇しないし、顔を合わせれば小言ばかりだ。ならば、いっそ和解しなくても良いかなと考えている。
「お母様と仲直りするのは、諦めましょうか」
「諦めるのか?」
別に深い考えがあるわけではないが、何となくそう思った。
「血は繋がってるとはいえ、私は普通の子供じゃないわ。
幼い頃から身近で見せつけられたら、気味悪がられて当然よ」
「……姉上」
私を気遣う弟の頭を軽く撫でて、言葉を続ける。
「だから、大人になるまで待ちましょうか。
今は子供で不自然でも、時が過ぎればきっと──」
大人顔負けの子供が受け入れられないのなら、釣り合うまで待てば良い。
長い時間をかけて母の心境が変化すれば、和解の道も開ける。
しかしやたらと私に甘い父と違って、分の悪い賭けだと、内心では半ば諦めていたのだった。




