上洛の壁
父である織田信秀に古渡城に呼び出されて、吉法師も立ち会いながら、私たちは天下統一について話し合っていた。
そこで二つの方針を提示される。
まずは現在、日本を統治している足利将軍家を立て直す。
もしくは朝廷にご助力を願い出るのがもっとも堅実で、なおかつ近道なのだと知った。
少し休憩を挟んで乾いた喉をお茶で潤して一息つき、私は姿勢を正して父に向けて発言した。
「では何はともあれ、京都を目指すのが天下統一に繋がるのですか?」
「うむ、その通りだ」
深く頷く父を見て、これで方針が決まったので、あとは行動あるのみだと私も納得する。
たとえ京の都が悪鬼羅刹の巣窟であろうと関係ない。
征夷大将軍か朝廷に話を通して、手っ取り早く終わらせてしまおうと考えて、ここで手を上げてあらためて提案した。
「では早速、上洛しましょう!」
「それは無理だ」
「えっ?」
またもや驚いて素が出てしまったが、父は構わずに説明を行う。
「上洛して天下を統一するには、代理ではなく当主自らが顔を見せる必要がある。
その際に敵地を通り抜け、なおかつ留守中に尾張が攻め込まれんとも限らん」
空き巣狙いも戦略のうちだ。それはわかるが、私は天下統一して太平の世を築きたいだけである。
皆が幸せになるために頑張ろうと気合を入れたばかりで、何で邪魔されなければいけないのか。これがわからなかった。
「私は戦乱を終わらせて、平和にしたいだけなのですが」
「そのような夢物語は、誰も信じぬであろうな」
父の言うこともわからなくもなかった。
誰もが鼻で笑うだけでなく、大樹や朝廷を体良く利用する腐った輩だと思われる可能性もある。
織田信秀がさらに言葉を重ねることで、私は苦虫を噛み潰したような表情に変わる。
「利権を得るためには、他人がどれだけ死のうが構わぬという輩も大勢いる。
時代に合わせて制度や方針は柔軟に変えていくべきだが、そういった者たちは改革を嫌うのだ」
話せばわかるのは幻想だと、父の発言で明らかになった。
私がどれだけ戦乱の世を終わらせたいと思っても、利権を手放したくない特権階級に潰されてしまうのだ。
理不尽な現実に大きな溜息を吐き、もはや体裁を取り繕うことも忘れてしまう。
そしてせっかく入れた気合も何処へやら、天下統一を目指すのは無謀なので、諦めたほうが良いかもと思い始めた。
「あーもう、止めたくなりますよー。天下統一」
そもそも女である私が、懸命に頑張るのがおかしいのだ。戦国時代の主役は男性で、自分はただ行く末を見守っているぐらいでちょうど良い。
ここは父と吉法師に丸投げして、他所の家に嫁入りして一番に足抜けするのが賢い選択かも知れない。
私の考えは単純なので父にはお見通しらしく、彼は慌てて口を開いた。
「待て待て! 今ここで美穂が投げ出したら、織田家の天下統一はどうなるのだ!」
「大丈夫です。私なんて居なくても、お父様と吉法師なら、きっと何とかなりますよ」
父も吉法師も凄い人だ。
私のように稲荷神様から御加護を授かったわけではないが、努力と才能がずば抜けている。なのできっと何とかなる。
私はそう楽観的に考えていると、織田信秀の顔色がみるみる赤くなっていった。
「だから待てと言うに!」
古渡城の室内に突然の怒声が響き渡った。
「美穂! 話は最後まで聞かんか!」
「「はいっ!」」
久しぶりに父に怒られたので、私だけでなく吉法師まで反射的に背筋を伸ばして、慌てて姿勢を正す。
なお、あまりにも恐ろしかったので、漏らしはしないが二人揃って若干涙目になってしまった。
「あー……すまん。少々言い過ぎた。
美穂も吉法師も、まだ子供だったな。忘れておったわ」
向こうの年齢を加算すれば、九歳ではなく二十歳を越えているのは黙っておく。
それはともかく父は呼吸を整えた後に、コホンと咳払いをしておもむろに口を開いた。
「話を戻すが、上洛は決して不可能ではない。
尾張の国力を高め、周辺諸国の脅威を退ければ良いのだ」
ようは、力こそが正義だ。
何処かの世紀末の人が、良い時代になったものだ。勝者は心おきなく好きなものを自分のものにできるとか言いそうだが、マジで大体合っているのが恐ろしい。
しかし、中身が元女子高生の私には、日常的に命のやり取りをしたいとは思えず、できればもっと穏便に済ませたかった。
なので、オズオズと手を上げて父に尋ねる。
「あの、他の道はないのですか?」
「ない!」
「とても辛い!」
救いのない無慈悲な答えが返ってきて、私は思わず天を仰ぎ見た。
そこには古渡城の天井があるだけなので、大いに嘆いたものの、すぐに溜息を吐いて気持ちを切り替えた。
「上洛するには、どうしても軍を動かさねばならぬ。
大樹を支えるにせよ、朝廷にご助力を求めるにせよな」
顔合わせや拝謁するだけなら代理や少数で済むが、それでも命がけだ。
そして大きな要求をする場合は当主自らが出向いて、周辺勢力には力を誇示し、足利将軍家や朝廷には彼らを敬う姿勢を見せる必要がある。
私はそれを聞いて頭の中で整理することで、一つの結論が出た。
「ようは、急がば回れですか?」
「うむ、その通りだ」
尾張の国力を高めれば、いつか上洛が叶うかも知れない。
問題はどれだけ時間をかければ良いのか、皆目検討がつかないことだ。
私は内心で嘆いていると、父は真っ直ぐこちらを見つめて声をかけてきた。
「だが、美穂のおかげで上洛を早めることができる」
「えっ?」
はてと首を傾げると、普段は強面の父が私に優しく微笑みかける。
「美穂が稲荷神様から授かった知識や、それを用いて作り出した新たな道具を尾張に広めておる。
おかげ民たちは日々の生活が楽になったと、とても喜んでおるぞ」
尾張の民が喜んでいるなら、私も頑張ったかいがあったというものだ。
天下統一はまだまだ遠くて終わりが見えないが、真っ直ぐに褒めてくれる父を見て、私はもう少しだけ頑張ってみようかなと、嬉しい気持ちになったのだった。




