大樹と朝廷
天文十一年の秋、今まではただ稲荷神様に命じられてやらされていたが、今は自分でも天下を統一して戦国乱世を終わらせたいと思うようになった。
だがほんの少し心境が変わったと言っても、私の仕事は特に代わり映えはしない。
新しい農法や道具を試作運用したり、未来の知識を書物に書き記す等、忙しい日々を送っていた。
そんなある日のことだ。
特に何の前触れもなく突然、父に呼び出された。
もしかしたら、あまりにもやりたい放題し過ぎたので、お前いい加減にしろよと叱られるかも知れない。
そのような予想が容易に立てられるため、内心ビクビクしながら古渡城の正門を抜ける。
そして織田信秀の待つ個室の前で、ここまで案内をしてくれた林さんが襖の向こうに話しかける。
「美穂様をお連れ致しました」
「うむ、入れ」
これまでと変わらずに父の小姓をしている吉法師が、中から襖を開けて、案内してくれた林さんは一礼して下がる。
彼はどうやら、不審者が近寄らないように室外に立って警護するらしい。
私は緊張しつつ中に入り、あらかじめ敷いてあったい草の円座に、静かに腰を下ろした。
「目付役の林秀貞から、報告を受けた」
「そっ、そうですか」
期限まで余裕がないため、何とか成果を出そうと盛大にやらかしてきた自覚はある。
なので、内心で震えながら声を出した。
「では、私を村の管理人から下ろすのですか?」
今までやりたい放題したツケを払う時が来たかと、私は恐る恐る口を開いた。
しかしそれに対して、自分の予想とは違った言葉を父からかけられる。
「何を言っておるのだ? 美穂を辞めさせるわけがなかろう」
「えっ?」
「えっ?」
一瞬、父が何を言っているのか理解できずに、変な声を出してしまった。
何のこっちゃと首を傾げながら、それでも目の前の彼に真面目な表情で尋ねる。
「それでは何故、私を呼んだのでしょう?」
「少し尋ねたいことがあってな」
「尋ねたいこと、……ですか?」
手紙や吉法師、林さんを通してではない。
直接顔を合わせて、密談をする必要があると言うことだ。
しかしそうは言われても、これっぽっちも内容が思い浮かばないので、私は父が口を開くのを黙って待った。
「美穂は天下統一を成し遂げると豪語しておるが、具体案はあるのか?」
私は日頃から、天下統一して戦乱の世を終わらせると口にしているが、具体的には何をどうするとは考えていなかった。
「ありません!」
なので、間髪入れずに答えた。
これには父だけではなく、小姓をしている吉法師も揃って頭を抱えた。
だが普通に考えれば、九歳の子供が天下統一の具体案を提示できるほうがおかしいのだ。
なので、やはり私が行き当たりばったりでアホの子だと再確認し、それを嘆くような態度を取るのは止めてもらいたい。
御加護が抑制されていても子供らしからぬ怪力で、狐憑きとか色々言われているが、中身は脳筋ゴリ押ししかできない頭の悪い元女子高生なのだ。
おかげで母からは嫌われているが、屋敷の者や領民は優しく接してくれる。
体は強くても知能面は子供並と、多分そんな感じで大目に見てくれているのだろう。
それはともかくとして、少々微妙な空気になったが父は大きな溜息を吐いて、私を真っ直ぐに見つめて説明を始める。
「尾張の周辺諸国に睨みを効かせるのは、現状では難しい。
ゆえに、今すぐ全国を平定するのは夢物語だ。
それはわかるな。美穂よ」
確かに父は頑張って尾張を治めているが、周辺諸国は虎視眈々と隙を伺っている。
正直、いつ攻め込まれてもおかしくないどころか、国境沿いでは頻繁に小競り合いが起きていた。
父の説明に納得した私は、少しだけ体を前に傾けて尋ねる。
「では、どうすれば良いのでしょうか?」
父はそんな私を真面目な顔で見つめ返して、堂々と返答した。
「それは儂が知りたいことよ」
「……ええー」
何の答えにもなっていなかったため、思わず素に戻って本音が漏れてしまった。
しかし父は全く気にすることなく、続きを話して聞かせてくれた。
「しかし、手はなくはない」
「流石お父様!」
なくはないと言うことは、難易度がかなり高いのだろう。
それでも現時点では唯一の希望のため、私は緊張しながら続きを待った。
「上洛して足利将軍家を支え、大樹を立て直す。
もしくは、朝廷にお力添えをお願いする。
どちらか一つを成し遂げれば、天下統一となるだろう」
私は父の言葉の意味を考えるために、口元に手を当てて深く思案した。
足利将軍家と朝廷が、京都に存在しているのは知っている。
しかし、尾張から向かうにはかなりの時間がかかる。
それでも行けない距離ではないし、周辺諸国に攻め込んで領地を広げて全国統一するよりも、攻略難易度は低いだろう。
ようは将軍家や朝廷の影に隠れた虎の威を借る狐であろうと、織田家が支援したから天下統一したのだ。
そう民衆に知らしめれば良いのだ。
遠回しでも稲荷神様の大望は果たされれば、私はようやく肩の荷を下ろせる。
だが、ここで少し疑問に思った。そんなに良い方法があるのに、何故か誰も戦国乱世を終わらせていないのだ。
なので私はおもむろに手を上げて、素に戻ったことも気づかないまま率直に尋ねた。
「そんな便利な方法があるのに、どうして誰も天下を統一しないの?」
「邪魔が入るからだ」
「邪魔?」
邪魔とは何ぞやと、私はコテンと首を傾げて父の答えを待つ。
「大樹を支える者、自ら成り代わろうとする者、利益や権力を求める者。
朝廷も腐敗や貧困で、京の都は悪鬼羅刹の巣窟よ」
「……うわぁ」
権力者たちの足の引っ張り合いか、天下という極上の餌に群がる獣同士の闘いだ。
何にせよ面倒この上なく、私はたちまちしかめっ面になる。
それは父も同様だったようで、重苦しい溜息を吐いたあとに話題を変えた。
「そもそも、大多数の者が考える天下とは、自らの勢力や日々の生活の安定だ。
日の本全てを統治しようなどと、大それたことは考えぬものよ」
父が言うには戦国時代を生きる人々には、自領やその周辺勢力を安定までしか目が届かないらしい。
「大樹や朝廷とは言え、日の本の全てを見通せぬし、統治下に置いているとも言い辛い。
いわば美穂は、例外中の例外だ」
かつては日本全国を統一した足利将軍家でさえ失格とは、父の採点基準はかなり厳しいようだ。
(それを堂々と口にするお父様も、並の戦国大名じゃないわね。
でも、明らかに娘贔屓が過ぎるわ)
ぶっちゃけ自分はそこまで先を見通してないし、場当たり的に動いているだけだ。
未来知識は持っているが、上手く活用できているとは言えなかった。
そんな微妙な表情を浮かべる姉が気になったのか、記録係を務めている吉法師が声をかけてきた。
「姉上、何か気になることでもあったのか?」
「別に? お父様は凄いなと思ったのよ」
父は領土を拡大するだけでなく、朝廷に献金したり、上洛して征夷大将軍の足利義輝に拝謁している。
さらには伊勢神宮に材木や銭七百貫文を献上するなど、多方面にも活躍しているのだ。
結果、従五位下に叙位され、備後守に任官されたり、去年はとうとう三河守に任じられたのだ。
言葉の意味は良くわからなかったが、とても凄い身分なのは察しがついた。
しかし私が父を褒めると、吉法師は明らかに不貞腐れたような表情になった。
急にご機嫌斜めになったため、何となく悪いことをしたような気がして、彼も慌てて励ます。
「吉法師も凄いわよ。子供とは思えないぐらい賢いし、きっと私なんてすぐ追い越しちゃうわ」
「むうっ、褒めずとも良いわ!」
ムキになって反論する弟を見ていると、やっぱりまだまだ子供だなと再確認する。
なので私は、肩をすくめて軽く受け流した。
「はいはい」
「はいは一回で良いわ!」
普段は知的で機転が利くが、私が相手だと年相応の子供らしい一面を見せる。
ただ、賢さという点では既に自分を越えている気がする。
そんな姉と弟の様子を黙って眺めていた父が咳払いをして、話を戻すぞと一声かけた。
なので、私と吉法師は慌てて姿勢を正した。
「天下統一は茨の道だ。
それでも美穂は目指すのか」
これは父なりの気遣いだろう。女である私に重荷を背負う覚悟があるか。そう尋ねたのだ。
(そんな覚悟はないけど、……無理よね)
稲荷神様が御加護を授けたのは、織田家に天下統一させるためだ。
ならば最初から考えるまでもなく、私が選ぶ答えは決まっている。
自信も覚悟もこれっぽっちもないが、その場のノリと勢いで堂々と大声で啖呵を切った。
「私も織田家の娘! 天下統一を成し遂げるまで、全速前進あるのみよ!」
父と吉法師が苦笑しているのは気になるが、取りあえずは小さく頷いたので、認めてくれたのは確かだ。
そして自分に何ができるかは置いておくとして、これから織田家が天下統一できるように頑張ろう。
そう心の中で、こっそり気合を入れたのだった。




