西暦二千二十年
完結まで毎朝六時に投稿する予定です。よろしくお願い致します。
西暦二千二十年のお正月のことだ。
実家では父母と私の三人で、今年も無事に迎えた新年を祝っていた。そんな割りとありふれた一般家庭の光景ではあるが、去年までとは少しだけ違っていた。
それは父が私に、美穂も高校一年生になったのだからと、酒を飲ませたことであった。
しかも一杯ではなく何度もなので、今は意識もはっきりしないし足がふらついて、頭もズキズキ痛みっぱなしだ。
「ああー、……気持ち悪いわ」
そのせいで娘に強引に飲酒させた父は母に怒られているし、居間に留まっていると大音量の叱責が頭に響く。
なので火照った体を冷ますために、我が家の庭を散歩することに決めて、両親にもそう告げておいた。
ちなみにうちは仏教だけでなく神道も信仰しているので、裏庭には古びた小さな祠が建てられている。
元々は先祖が稲荷神様を祀って熱心に崇めていたらしいが、現代になると殆ど放置状態になり、もっぱら一人娘である私に任せっきりであった。
なお私は去年まで、神様や不可視の存在が居るかも知れないと思っていた。
厨二病というやつだが、天罰や祟りが怖いので、祠に毎日お供え物や参拝するのは習慣になってるし、大晦日には一年分の汚れを落とすために掃除も念入りにした。
だがそれでも信仰心は薄く、あくまでも共働きで忙しい両親に任されたから、自分の仕事をしているだけだった。
それはともかくとして、新年になったしお稲荷様に初参りしようと思い立った私は、厚手のコートを羽織り、お供え物を手に持った。
そのまま玄関の扉を開けて外に出ると、良く晴れていて日差しは眩しいものの木枯らしが吹いており、火照った体を冷ますにはちょうど良いと感じた。
しかし相変わらず頭痛が酷いが、何とか千鳥足でも歩いて裏庭の祠に向かう。
「……あら? 小狐がいるわね」
裏庭の祠の前に、小狐が行儀よく座っているのを見つけた。
向こうは私を視界に収めているにも関わらず、逃げる様子が全くなかった。
気にはなったが深く考えようとすると頭がズキズキ痛むので一旦置いておき、お稲荷様が宿っていると言われる祠にお供え物を丁寧に置き、二礼二拍手一礼を行い目を閉じてお祈りする。
新年の抱負はこれといって思いつかなかったので、無病息災でいられますようにとお願いをして目を開ける。
「うむ、良い心がけじゃ」
突然目の前の小狐が喋った。そんな気がした。
「はあ、それはどうもありがとうございます」
内心では思いっきり驚いているのだが、すぐに落ち着きを取り戻して返事をする。
(酔っ払うと幻聴が聞こえるらしいし、きっとそのせいね)
聞こえているのは女性の声だが、祠の前に座っている子狐は口を動かしている様子がない。
このことから考えて幻聴である可能性が高いし、もしかしたら誰かが何処かに隠れて神様のフリをして、私を驚かせようとしているのかも知れない。
「願いのついでと言っては何だが、妾の話を聞いてくれぬか」
「ええまあ、聞くだけなら」
火照った体を冷ましに外に出たので、頭痛が治まるまで話を聞くのは構わない。
ずっと立ちっぱなしだと疲れるので、子狐の近くの庭石に腰を下ろして一息つく。
「実は妾は、この祠に宿る稲荷神なのじゃ」
「はぁ、稲荷神様でしたか。これは失礼を」
脳の働きが鈍化していても、取りあえず身なりを正して丁寧に対応する。
彼女が幻覚かトリックかは知らないが、あれこれ考えると頭痛が酷くなるため、ここは聞き役に徹することにした。
「ほほほっ、気にせずとも良いぞ」
見た目は普通の小狐なのに稲荷神様とは大きく出たなと思いつつ、今はお酒の見せる夢だからと楽観的に振る舞う。
「実は妾を参拝に来る者が、ここ最近はめっきり減ってのう」
「うちは神職ではない一般家庭なので、仕方がないですよ」
稲荷神様を祀る神社なら、今頃何処も参拝客でごった返しているはずだ。
そして家は先祖代々の祠があるとはいえ、管理は娘に任せっきりで共働きの両親は毎日忙しく、滅多にお参りに来ない。
「確かに、今はそうじゃがのう」
「今は? 昔は違ったんですか?」
ふと気になって首を傾げる私に、普通の小狐にしか見えない稲荷神様が、事の顛末を語ってくれた。
「この家の先祖は、織田家が天下統一を成し遂げると信じておった」
「はぁ、天下統一ですか」
いきなり話がでかくなったなと思いつつ、取りあえず相槌を打っておく。
そして自分は日本史が苦手教科で、赤点ばかりだった。
しかし最終的に天下を統一したのが徳川家康なのと、他に織田信長や豊臣秀吉ぐらいは知っている。
なお、具体的に何を成したのかはさっぱりで、あくまでテスト対策で人物名を丸暗記しただけであった。
「そしてお主の先祖は、織田家が天下を取ったら、この地に稲荷神社を建てると豪語したのじゃ」
「何となくですが、察しました」
結局、織田信長は天下統一を目前にして、本能寺というところで討ち死にしたのだ。
少し前に両親が視聴していた大河ドラマの麒麟がこないを、風呂上がりにチラッと見かけた。
歴史には興味がないので記憶は曖昧だが、タイトルに偽りなしで、本当に麒麟がこなかったことだけは覚えている。
思考が脱線している間に、稲荷神様は続きを話してくれた。
「その名残が、この小さな祠ということじゃ」
寂しそうに語る稲荷神様だが、まだ話は終わっていなかった。
「もし織田家が天下統一を成し遂げておれば、妾は稲荷神社に祀られておった。
きっとそこで、多くの民から信仰されたはずじゃ」
ご先祖の予想が外れたとはいえ、小さな祠を建てて子々孫々まで受け継いでいるのだ。
もし織田家が天下統一していれば、本当に神社が建っていた可能性は十分にあった。
「妾はそれが悔しくて堪らぬ」
「心中お察しします」
口は動いていないが悲しい話を聞かされて、私も同情してしまう。
しかしそこで、彼女から思わぬことを告げられた。
「そこでお主に頼みたいのじゃが」
「えっ? 私に頼みですか?」
古来より神様からの頼みごとは、ろくなものがない。
だが、逆らったらもっと恐ろしいことになるので、私には最初から拒否権はないと言える。
幸いなのは、これが酒に酔って見た夢だと思い込めるので、多少は楽観的に受け入れられることだろう。
「お主を戦国時代に転生させるので、織田家に天下を取らせて欲しい」
やはりと言うか、平凡な女子高生には達成困難な任務だった。
だがそれを口にする前に、別のことが気になったので率直に質問する。
「過去を変えたら、この世界はどうなるんですか?」
「お主の精神を複製して平行世界に飛ばすゆえ、こちらは変わらず時が流れていく。心配はいらぬ」
さっぱり意味がわからないが、多分大丈夫なのだろう。そして段取りまで既に整えられていることを、丁寧に説明してくれた。
いよいよ私に逃げ道がなくなったものの、まだ質問が残っている。
「どうして私なんですか?」
「み……いや、稲荷神としての直感じゃ」
みの続きが凄く気になったが、若干視線を彷徨わせて直感と言い直した。
しかも、それ以降は決して口を開かなかったので、どうやら稲荷神様は説明する気はないらしい。
ここまで聞いて私は、いよいよやってられないとばかりに大きな溜息を吐いた。
「私は全くできる気がしません」
そもそも戦国時代に転生した現代人が、まともに生きていけるはずがない。
餓死か凍死か病死か殺害か、様々な要因によってすぐに何処かで野垂れ死ぬのがオチだ。
自分がそう嘆いていると、稲荷神様が優しく微笑みかけながら声をかける。
「では、無病息災の加護を与えよう。もちろん、自衛の力ものう」
他にも色々と詳細を述べたり、時が来るまで抑制と言っていたが、酔いが回っている私には早口過ぎてついていけなかった。
とにかくこれが転生特典かと思いながら、祠の前に座っている稲荷神様を真っ直ぐに見つめる。
「織田家の天下統一を忘れたり放棄されては困るゆえ、今の記憶と人格を固定させてもらうぞ」
言っていることは良くわからないし、できれば今すぐ辞退したい。
だが、こうして戦国時代で生きられるように力をくれるだけでも、優しい神様なのは違いない。
「転生先は、目標達成に近い織田家にしようぞ。
だが、本来存在しない赤子を産ませるゆえ、これ以上の干渉は無理なようじゃ」
歴史の教科書に載り、頭の悪い自分でも名前だけは知っている戦国大名だ。
そして転生特典はありがたいが、十中八九で頭のおかしい子供になるので周囲の者に嫌われたらどうしようと、今からかなり不安ではある。
「ありがとうございます。これで何とか生き残れそうです。……多分」
しかし、それでも私は稲荷神様に深く感謝した。
何も成せずに野垂れ死ぬより、生き残る可能性が高いのは明らかだからだ。
それでも、私の頭はお世辞にも良いとは言い辛い。
歴史はいつも赤点だったし、他の教科も平均スレスレで、得意なのはサブカルチャーぐらいだ。あとは基本的に感情的で行き当たりばったりに行動し、後先を考えない。
「もう一度聞きますけど、本当に私で良いんですか?
もっと歴史に詳しかったり、機転が利く人のほうが良い気がしますけど」
へっぽこな女子高生が織田家に天下を取らせるなど到底不可能に思えるが、稲荷神様は口は動かないが首を左右に振った。
そして、落ち着いた口調で語りかけてきた。
「お主を転生させた時点で、本来の流れから外れるのじゃ。
もはや全てが正史通りに進むなど、ありえぬことよ」
言われてみれば確かにそうだと、納得はする。
だがそれでも歴史の修正力が働くと、何処かで聞いた覚えがあった。
「そんなものはない」
「……ええー」
口に出したつもりはないが、頭の中を読まれて先回りされてしまった。
ここまで言い切られたらもう諦めるしかないと考えた私は、大きな溜息を吐きながら発言する。
「一応、やれるだけはやってみます」
神様のお願いを断るという選択肢は、最初から存在しない。
悲しいが、頼まれた時点で私の運命は既に決定してしまっている。
「うむ、期待しておるぞ。では、美穂よ。息災でな」
稲荷神様が最後に私の名前を口にした瞬間、急激に気が遠くなっていき、やがて視界が暗闇に閉ざされる。
それはまるで、深い眠りに落ちるような感覚だった。
しかし私は酒に酔って気が大きくなっていることもあり、どうせ夢だからと気楽に現状を受け入れるのだった。