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夏のホラー2020

ニューイラ

 素晴らしい朝が来た。窓から出した頭を、穏やかな陽光が撫でると、ウキタロウの毛髪が艶やかに光る。階下から仲間たちの呼び声がする。ウキタロウは早足で狭い階段を駆け降りた。

「やあ、ウキタロウ。元気かい」

「もちろんさ、君はどうなの?」

 ウキタロウの問いかけに、宙返りで応えるモンキチ。その様子を見て笑う仲間たち。しばし全員でダンスを踊った。

 やがてウキタロウ一行は、ビルの影から覗く積雲を追いかけるようにして、街へ繰り出した。

 開いたままのコンビニの自動ドアから彼らが闖入しても、誰も姿を現さない。ウキタロウたちは大して気にもとめずに、スナックや缶詰を拾う。

「これがうまいんだよ」

「どうやって開けるんだい?とても固いけれど」

「固いのはウキタロウの頭じゃないか、ほら」

 モンキチが缶詰をコンクリートの欠片で叩いた。するとたちまちに、辺りを甘辛い芳香が満たす。

「うわあ、茶色くてつやつやしているね」

「初めはイマイチだったが、食べ続けるとくせになるんだぜ」

 得意顔のモンキチは、何でも知っている生き字引だ。ウキタロウとは年がそれほど変わらないのに、流石シティボーイの貫禄が後光となって透けるようだ。

 その後も馴れた手つきでガラス戸を開けて、ペットボトルの水を片っ端から喉に放り込む。汗がみるみる引いていく。

 仲間たちはウキタロウ同様に、モンキチに絶大な信頼を置いている。このご時世、彼の右に出るものはいない。

「今日は久しぶりに水浴びしようか、なあ、みんな」

 即座に頷く仲間たち。ウキタロウの胸も早鐘をうち始める。

「もしかして、山に遊びに行くの?」

 もうウキタロウは黙っていられなかった。懐かしい田舎の風景がありありと蘇る。川のせせらぎ、小鳥のさえずり、そして木々を揺らす薫風の清々しさよ、ウキタロウの網膜に焼きついて離れないそれら全てが、欠けがえのない思い出だ。

 長らく故郷に帰っていない仲間たちも、声高らかに宙返りを繰り返している。

 モンキチを先頭にして、街の真ん中にある駅へと向かった一行は、ホームに整列した。

「ようし、ついてこい!」

 太い柱を足がかりにして、碍子を乗り越え送電線に跨がったモンキチに負けじと、ウキタロウたちも続く。

「山へはこれが一番の近道だからな」

「全く便利だ」

 送電線にぶら下がった姿は豚の丸焼きよろしく、幾つもの影が連なる光景は些か滑稽であった。

 遮るもののない線路の上を、モンキチたちは悠々と通り過ぎていく。

 ビルが林立してした都心を離れ、やがて荒れ地や草原に挟まれるようになると、いよいよ山に戻ってきたという実感が胸に満ちてくる。

 ただ真っ直ぐに送電線を伝うだけで、山へと導いてくれるのだから有り難いことだ。

「少し前まではこんなこと夢にも思わなかったな」

 モンキチの背中が語る。ときどきモンキチは過去を回想する癖がある。ウキタロウは黙って耳をすます。

「ウキタロウたちは知らないと思うけど、少し前のこの世界は酷く狭いものだった。名前もモンキチなんて洒落たもんじゃなかったさ」

 街で初めてモンキチに出会ったとき、彼はとても驚いていた。ウキタロウに近づくなり、髪の毛や手のひらを物珍しそうに、ためつすがめつ眺めていたモンキチはまるで、池に映るナルキッソスのように驚いていた。

「そうだね、モンキチと呼んだのは、ぼくらが決めたことさ」

「生まれたときからモンキチだったような気がしてならないよ。それくらいしっくりきている。有難う」

 感極まっているのだろうか、片手を離したモンキチは目の辺りを擦っているけれど、後ろからでは良く分からない。

 それからウキタロウたちは蔦で覆われた駅舎の屋根に飛び移り、滝を目指すために、木々の生い茂る森へと足を踏み入れた。

 広葉樹の傘下は涼しく、夏の暑ささえ忘れてしまう。

「山はいいな、森はいいな」

「モンキチ、急にどうしたのさ」

「ウキタロウたちは知らないと思うけど、森は恵みの宝庫さ。バナナやリンゴばかり食べて、辟易していた当時を振り返ると虚しいよ」

 バナナとリンゴも悪くはないと思うウキタロウは、一方で缶詰の味しか知らない。生のバナナとリンゴを食べてみたいと、モンキチに言ったことがある。

「あんなもの、毎日食べると飽きてしまうよ」

 ため息を吐いたモンキチに、ウキタロウはそれ以上踏み込むことは躊躇われた。

「うきゃー!」

 水の轟く音を耳ざとく聞きつけた仲間の一人が、林を突っ切って姿を消した。次から次へと仲間たちが見えなくなっていく。

「ははは、あいつらはしゃいでやがるな。相当に楽しみだったらしい」

 腹を抱えて笑うモンキチも、無意識に前傾姿勢になっていた。どちらからともなく走り出したウキタロウとモンキチの目の前が開け、滝壺に注ぐ水を体いっぱいに受け止める仲間たちが手を振っている。

 乾いた都心では味わうことのできない雄大な自然を懐かしむことなど後にして、あっという間に水面へ飛び込んだモンキチとウキタロウ。

 ぽつぽつと波紋が広がる滝壺に、黒い積乱雲が映る。

「畜生、嫌なタイミングだ」

 楽園のひとときは、突然の雨に妨げられてしまった。残念がるモンキチの肩を叩き、滝の裏の洞穴で雨宿りすることにした。

 先に洞窟に潜っていた仲間たちが一つに固まっていた。暗くて判然としないが、奥を警戒しているようだ。

「おい、みんなどうしたんだい」

 振り向いた彼らの瞳はギラギラと輝いていた。モンキチもすかさず牙を剥く。

「あれは、もしかして」

 洞窟の深部に目を凝らすと、こちらを見つめる夥しい数の瞳が闇に浮かんでいた。

「まだ生き残りがいたなんてな」

 威嚇するモンキチの顔が赤らむ。闇に浮かぶ肌色の表皮、紛れもない、怪獣たちだ。

 怪獣たちは、数年前の大地震以降、様子がおかしい。それもそのはずだ、ビルは薙ぎ倒され、街は夜になると深い闇に包まれた。海が山の麓まで押し寄せて、全てを飲み込んでいった。

 住む場所を追われた彼らは、成す術なく、どんどん息絶えていったのだ。今日もレールの上には白い骨が幾つも転がっていた。街で生きられなくなった怪獣は絶滅したとばかり思っていたのだが。

「なあ」

 ふいにモンキチが呟く。

「どうした?」

「あの日、狭い檻から抜け出したオレは、バナナとリンゴ以外に初めて食べたものの味が忘れられない」

 コンビニの缶詰よりも美味しいものがあったなんて、ウキタロウは知らなかった。

「それは一体」

 モンキチはウキタロウの問いかけに応えない。

 その代わりによだれを垂らしたモンキチは、洞窟の奥をじっと見つめたまま、舌なめずりを繰り返していた。(了)



シカミやクマノスケ、ヘビオたちは元気にしてるだろうか

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