赤荒縄の結界
「それはどんな術なんだ?」
「術なんて大したモノじゃないけど、形代に書く墨にある植物をすり潰して混ぜるのさ」
なるほど、墨によって効果が変わるわけか。
使う材料も大事だってことだ。
「では紙によっても――」
私が尋ねようとした時、突然嫌な空気を感じた。
少し遅れて月保が苦虫を噛み潰したような顔をして立ち上がる。
「くそっ、今日はもう襲撃は無いと踏んだのに! 式神がやられた」
くそっ、なぜこのタイミングなんだ。
今からがいいところだったのに。
慌てて玄関を飛び出した月保を追った私は、後ろからすくい上げるようにその体を抱えた。
「なっ!?」
「こうした方が早い」
このまま月保のスピードで走って青山陽子の家に向かっても5分はかかる。
だが身体強化をした私が月保を抱えて走れば1分だ。
私は早く話の続きを聞きたい!
風を切り、屋根を飛び越え、一直線で目的地へと跳躍する。
月保は何か言いたげだったが、いまから始まるであろう戦いに備えて、顔つきが変わっていく。
若いがそれなりに修羅場をくぐってきているようだ。
ブロック塀を飛び越え道路に着地すると、先程月保と鬼が対峙した場所で、今度はソラと鬼が向き合っていた。
ソラのやつ、なんやかんや言いながらちゃんと働いているな。
さっさと終わらせようと月保を下ろし、足を踏み出した瞬間――甲高い音が鳴り響き、空間を閉ざす赤い光が四方を包んだ。
その眩しさに一瞬目を瞑ってしまう。まぶたを開くと紫色の霧が立ち込める見知らぬ場所だった。
もしかして瞬間移動か!?
月保は赤い光に触れようとして、その手を弾かれる。
「やられた。赤荒縄の結界だ!」
よく見れば、確かに赤い光の中には呪符の貼られた縄がある。
縄から立ち昇る光が壁となって、出ようとするものを弾くようだ。
「その結界はどこかに転移させるものなのか?」
「違う。場所は変わっていない。だけど完全に世界から隔離されたんだ。俺の式神もここじゃ呼べない」
瞬間移動じゃないのか……。
落胆する私を他所に月保は慌て、呪符を掴もうとして何度もその手を弾かれる。
わずか7メートル四方に閉じ込められた私たち。
まず間違いなく青山陽子の身に危険が差し迫っているだろう。
ソラがこの中に閉じ込められなかったのは唯一の救いだが、ここまで手の込んだ襲撃だとすれば、どれだけ耐えられるかは分からない。
紫色の霧が濃くなり不気味な足音が聞こえだす。縄をすり抜けるように1匹、また1匹と黒い鬼が姿を現した。
「くそっ!」
月保は振り返り、鬼に備えて身構える。
鬼の数は確認出来るだけで6体。
式神を封じられた月保に勝ち目は無さそうだ。
まぁ、いい。なんとなくこの結界の仕組みには想像がつく。
原理としては私の自動障壁に似ている。
私の場合は体の表面およそ10cm内に幾重にも魔塵粒子の膜を張ることで衝撃を吸収したり、熱や冷気を遮断する。
自動の名の通り私の動きに合わせて動くし、攻撃を受けると瞬時にその場所の密度が増すようになっている。
この結界は固定版で、見えない壁で囲まれている状態だ。
恐らくこの黒い鬼は同一の構造粒子の為に、すんなりと入ってこれるのだろう。
ならば対策は簡単。
別の粒子をねじ込んで、光を押し除けてやればいい。
修復機能があるとしても、穴を開けた瞬間に外に出れば問題ないはずだ。
縄を起点に赤い光が出ているなら、狙うは……。
私は身構え背を向ける月保の体を持ち上げた。
「なっ、なにをする?」
「私は少し鬼と遊ぶ。先に行ってくれ」
理解が追いつかず口をポカンと開けた月保を斜め後ろに投げると、地面から3mほど上に魔塵粒子を放出した。
赤い光と青い光が反発しあい、わずかな円形の孔が出来ると、ギリギリのタイミングで月保の体が通り抜けていく。
「えっ? えっ? えっ? あぐぁっ!」
通り抜ける際、しこたま頭をぶつけた感じだが、無事月保はこの結界を出た。結果オーライだとしておこう。
私は半身で立ち、鬼の群れを一瞥する。
取り囲む鬼は増えて、全部で8匹。
すでに飛びかかれる距離だ。
簡単にここを出られるとはいえ、敵の数は減らしておいた方がいい。
幸いここは結界内。多少魔道を使っても周りに影響を及ばさないだろう。
決して月保から話を聞くのを邪魔された腹いせではない。あくまで魔道の確認だ。
私が左足に力を入れると、呼吸を合わせた複数の黒鬼が斧を振りかざす。
予備動作が大き過ぎるが、私はあえて避けない。
両手を頭を護るように掲げると、連続した衝撃が足首まで突き抜ける。
あくまで衝撃だけで痛みはない。
斧を受け止めた両手を広げれば、重心を崩した鬼がたたらを踏む。
たったこれだけのことで、後ろの鬼は前の鬼の体に進路を塞がれる。
半歩後ろに下がり、魔塵粒子を変化させる。
イメージは熱。
突き出した右手から放った炎が集団を呑み込む。
斧を捨て、頭を抱えてのたうち回る鬼。
次のイメージは冷。
左手から放たれた氷の塊が鬼に降り注ぐ。
鈍い音と鬼のうめき声が結界内を埋め尽くす。
うーん。やっぱり属性魔道は効率が悪い。
体表面を焦がす程度の炎に、物理攻撃にしかなっていない氷の塊。
燃費を上げれば威力は強まるが、結局爆発系には及ばない。
私が爆発魔道を多用するようになったのは、それが理由だ。
まだまだ制御技術は修練が必要だが、たった一粒の魔塵粒子の内包エネルギーを解放させるだけで、空き缶が吹き飛ぶくらいの爆発を起こせる。
属性魔道とは雲泥の差だ。
もっともその一粒を抽出するのが非常に難しいのだ。
例えば10kg以上の力で壁を押すのと、10g以下の力で壁を押すのでは、後者の方が遥かに難しい。
そういうものなのだ。
ほら。
鬼たちに極小爆発魔道を放ったはずなのだが、爆音が鳴り響き、爆風が吹き上がる。
全ての鬼が粉微塵に散らばってしまった。
下手に閉じ込められた空間の為に、うるさい、衝撃がすごい、熱いの三拍子だ。
この結界が耐えてくれただけ良かった。
私は冷気魔道で結界内の温度を下げると、縄に貼られた呪符を見て回る。
触ろうとすると反発するように弾かれてしまうので、右手の自動障壁を強めて強引に光を押し退け、引きちぎってみた。
すると赤い光は途切れ、ただの縄になったものが地面に音もなく落ちる。
こんなに簡単に結界が壊れるとは。
霧が薄れ視界が元の風景に戻ると、そこにいたのは尻尾をだらりと下げたソラだけだった。
『ソラ、月保……あの少年は?』
『大男と「場所を変えるぞ」とか言ってどこか行ったにゃ。もうあちきも疲れたにゃ』
取り残された私とソラ。
夜空に浮かぶ綺麗な満月を見て、何故か寂しくなる私だった。