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第8話:銀色の髪の訪問者

 《ピンポーン♪》


 家のチャイムが鳴ったのはのんびりした休日の昼下がり。


「はーい」


 あたしは読んでいた漫画を床に伏せて、のそのそと玄関へ向かう。

 ちなみにルシフェルは買い出しに行っている。アイスも買って来るよう言ったら、「見たことない」って言ってたけど……大丈夫かな。


 さて誰だろう。

 戸を開けて、


「…………」


 すぐに閉めた。なんか見てはいけないものを見た気がする。

 だってさ、普通の人間には、


 ……羽根生えてないよね?


 今のは見間違いに違いない。もう一回……


「こんにちは」


 眼前にはニコニコ笑顔。

 その男性の背には


「…………」


 やっぱり羽根生えてた。しかも――黒い。


「こちらに堕天使がひとりお邪魔していると思うのですが――」


 《ガチャン》


 あたしはとりあえず戸を閉めた。落ち着け自分。

 いやわかってる、わかってるんだよ。彼は多分ルシフェルのお仲間さん。けど……


「また住ませろって言わないよね……?」


 そこが問題! さすがに二人は厳しいよー。

 そんなあたしの考えを知ってか知らずか、ドアの向こうで客人が叫ぶ。


「ここに、堕天使がいると聞いたんですが! どうなんでしょう! すみませーん!!」


 やめやめやめ! 近所に聞こえたらどうすんの!


「ちょっ……!」


 慌ててドアを開けると、現れたのは変わらぬニコニコ顔。


「お邪魔しても?」


 礼儀正しそうなこの堕天使。

 その足がしっかりとドアを押さえてたのをあたしは見た。


***


「自分は地獄の大公爵、アシュタロスと申します」


 客人はそう名乗った。

 やはり堕天使……。というか、公爵って結構偉いよね。しかも大公爵って!


「突然伺ったにもかかわらず、御自宅にあげていただきありがとうございます」


 おまけに超礼儀正しい。話している間も笑みを絶やさない。

 冴えた銀髪、紫苑の目。付け加えるならば……ルシフェルに匹敵するくらいの好青年。堕天使はみんなこうなのか?


「いえ……あの、食べます?」


 あたしは一応、家にあったクッキーをテーブルにのせ勧めた。


「どうぞお構い無く」


 アシュタロスとかいう彼は笑顔で返す。構わないのは……無理っすよ。


「……あのー、やっぱりルシフェルを連れて帰るために来たとか?」

「ええ、そんなところです。ルシフェル様がご迷惑をおかけして」


 大公爵に深々と頭を下げられてうろたえるあたし。


「いやそんなとんでもない――」


 ん?

 あれれ?

 さっきこの堕天使、ルシフェル“様”って言った? 公爵に様付けされるって、奴は一体何者なんだろうか。


「ルシフェルってそんなに偉いんですか?」


 あたしが聞くとアシュタロスさんはちょっと驚いたが、すぐにもとの笑顔に戻って言った。


「偉いですとも。なんと言っても堕天使の総帥にあたる方……魔王と言っても過言ではありませんからね」


 嘘! あれが?!

 魔王ってもっと怪物じみた感じだと思ってた。そこでようやくあたしは、ルシフェルが最初に言ったことを思い出した。


 ――“私はルシフェル。堕天使の長だ”


 そ、そういえば言ってたかも。


 にしても……ルシフェル、いなくなっちゃうのかな。わがままかもしれないけど……寂しいな。

 ――まぁとにかく、


「ただいま。真子、アイス買ってきた」


 そういうことは、


「お帰り」


 本人に聞くのが早いでしょ。


「ルシフェル、お客さんだよ」

「客? 私に?」


 ビニール袋を両手にぶら下げて部屋に入ってきた魔王。袋から覗いたネギと魔王。なんともミスマッチで笑える。

 だが彼は客人の姿を見るなり、明らかに顔を強ばらせた。


「アシュタロス……!」


 低く呻いて硬直したルシフェルに、アシュタロスさんは変わらぬニコニコで。


「お久しぶりです、ルシフェル。探しましたよ」


 …………。

 今あたしの背筋が寒くなったのは何故だろう。


「さて。言い訳します? おとなしく帰ります? それとも、煮立った釜にぶち込まれたいですか?」


 ヤバいってヤバいって!

 アシュタロスさんの顔は怒ってなどいない。むしろ朗らかに笑っている。だが……先程からひしひし伝わってくるこれは“殺気”というものではないだろうか。

 しかしそこはさすが魔王。ルシフェルも負けてはいない。


「アシュタロス。我々堕天使を釜にぶち込んだところで、人間ほどには苦しまない」


 ルシフェル頑張って!


「知っています」


 それでもアシュタロスさんは動じない。


「しかし百年……いえ、千年経ってもまだ冷静でいられましょうか?」


 こいつ、目がマジだよ!


「……私は帰らぬ」


 ついにルシフェルが拗ねた! そんなん言って……

 と、次の瞬間


 《ばしゅんっ》


「おぁ?!」

「…………」


 思わず素っ頓狂な悲鳴をあげるあたし。眉をぴくりと動かしたルシフェル。


「問答無用、ですよ」


 あたしは本気でビビった。そりゃもう泣きそうだった。

 だっていきなり、ナイフが猛スピードで飛んできたんだよ!

 その凶器はもちろん笑顔のアシュタロスさんから放たれ、不機嫌そうなルシフェルの頬を掠めて壁に突き刺さった。

 黒髪が数本床へ落ち、ナイフは未だに震えている。


「地獄へお戻りください、ルシフェル様」


 びっくりして動けずにいるあたしを尻目に、アシュタロスさんは再びどこからともなくナイフを取り出す。


「頷いて下さらないと、僕は貴方を串刺しにしなければならなくなります」


 怖っ……!

 ところがルシフェルは、あろうことか――笑ったのだ。


「それはできないな」


 訝しむあたし達の前で悠然と。


「何故ならば、」


 余裕の笑顔で、言葉は勝ち誇り。


「――私は既に契約した」


 ……契約? よく本で読むけど、自分の魂を差し出して願いを叶えてもらうっていうアレ?

 そうなんだ……。でも誰と?


「そのお嬢さんとですか?」


 アシュタロスさんがあたしを指差す。いやいや違いますって――


「ああ」


 ええぇぇえーっ!!? なんで頷いてんの?!

 してないしてないしてない! あたしは魂なんて差し出してません!


「ルシフェル! あたし契約なんてした覚えはないよっ?」

「いいや。確かにした」


 いつだ?!

 完全にパニックに陥るあたし。だって普通、契約ってお互い合意の上でされるものなんじゃぁないの?

 するとアシュタロスさんが静かに口を開いた。


「確かに、もし契約が成されたのならば人間界にとどまらねばなりませんが……。内容は? そちらのお嬢さんは覚えていないようですが」

「“私が真子を守る”」


 ――あ。

 いつか彼がかけてくれた“呪”。まさかあれが……。


「……対価は」


 唇を僅かに噛んだアシュタロスさん。対するルシフェルは喉の奥で小さく笑った。


「彼女の自由、世間体、その他諸々。私が訪れたことにより失われた彼女の“普通の日常”」


 あぁ……なんとなくわかったぞ。

 あたしが“普通の”平和な日常生活を送れない代わり、ルシフェルがあたしの身を守る。それが契約内容。

 ――つまりは。彼は魂を取るどころか、あたしに不利な条件ゼロで契約を成立させたのだ。この地上に留まるために。


 やがてアシュタロスさんは目を伏せ苦笑し、深く息をついた。


「……ルシフェル。貴方は相変わらず頭がいい」


 彼の手の上のナイフが消える。


「お嬢さん――真子さんといいましたか」

「え、あ、はい」

「貴女が契約を破棄しない限り、ルシフェル様が地獄に帰ることはありませんが……どうなさいますか?」

「どうって……」


 全部あたし次第ってことか。二人の堕天使は黙ってあたしの言葉を待っている。

――でも答えはもちろん、決まってるんだな。


「まだ、居てもいいよ」


 それを聞いてアシュタロスさんは“仕方ない”と言わんばかりに微笑んだ。


「そういうことならば今日は帰りましょう。……真子さんは、優しい方なんですね」


 穏やかに言われて照れるしかないあたし。

 そして彼はルシフェルに向き直り。


「ルシフェル。貴方に限ってあり得ないとは思いますが。――グリゴリの二の舞になりませんよう」


 グリゴリ?

 アシュタロスさんの謎めいた言葉を鼻で笑うルシフェル。


「当然だ」


 では、と客人は最後にとびきりの笑顔を見せてあたし達に一礼した。


「また伺います」


 また?!

 ふと見るとルシフェルの顔が引きつっている。……まぁあたしは構わないけどね。

 だが何か言う前にアシュタロスさんは黒衣をはためかせ――消えた。



「……真子」

 

 ぼんやりしていると頭上から声が降ってきた。


「何?」


 見上げれば紅の視線と交わる。


「怒らないで聞いて欲しい。私はお前に嘘をついた」

「嘘?」

「実は、契約は成されていない」


 ……はい?

 さっき対価とか契約破棄とか言ってたじゃんっ。

 それに。


「前にあたしにかけてくれた“呪”は? あれは違うの?」

「あれは護符のようなものに過ぎない」

「ならアシュタロスさんは……」


 嘘を信じたの、かな? ……それって大丈夫?!

 あたしの心配を余所にルシフェルはただ、


「あれはいい奴だから」


 とだけ言って薄く笑った。


「ふーん……」


 いい奴、ねぇ……。

 あたしの視線に気付いたのか、ルシフェルはおもむろに壁に深々と突き刺さったナイフを抜き取った。


「…………」


 そしてまじまじと数秒見つめ、


「……使うか?」


 聞いてきた。

あたしがただげんなりと首を横に振ると、“そうか”と素っ気なく言ってナイフを消してしまった。……もう驚かないよ、うん。


「時に真子」

「うん?」

「アイスというのは、溶かして食べるものなのか?」


 アイス……?

 ああーっ! 忘れてた!


「これ」


 ルシフェルが掲げたビニール袋の中は。


「あぁぁ……」


 ……汗だくアイスさん達のカオスとなっていました。うわあ。

ちなみに真子さんは堕天使やら悪魔やら天使やらのことをあまり知りません。だから魔王ルシフェル、なーんて言われてもピンとこないんですね。笑

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