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堕天使と子猫

 朝が苦手なあたしは、今日もまた慌ただしく支度をして台所へと向かう。今朝のおかずはちくわの天ぷら(冷凍食品)と、切り干し大根の煮付け(昨夜の残り)、それから味付けのりも添えよう。あとはご飯とお味噌汁。

 居間を通る時に見えた堕天使様の寝顔にちょっと苦笑い。平日だってのに、気持ち良さそうに寝てるなぁ。さすが毎日がエブリデイ――じゃないじゃない、黎香の言い方が伝染(うつ)った――毎日が日曜日、な魔王様だ。

 今日はいつにもましてお疲れかな。昨夜のルシフェルはベルゼブブさんに誘われたと言って、夕飯を外へ食べに行っていたから(もちろんルシフェルの……ひいてはあたしのお金で、だが)。夜中の九時過ぎに帰って来ての第一声、「真子の作るご飯の方がいいよ」という言葉が嬉しくて、だから今日は気合い入れるつもりな真子さんです。……あ、朝の手抜きは仕方ないのっ。夕飯は頑張るもん!

 

 お味噌汁が入った鍋を火にかけてから、彼が眠るソファーを上から覗き込んだ。気の抜けた無防備な寝顔になんだか癒される。

 けど、そろそろ起こさなきゃ。

 そりゃ少しは躊躇いもしたが、平日の朝は忙しいのだ。悠長なことを言ってたらあたしが学校に遅刻してしまう。

 

「ルシフェル、朝だよー」

 

 一発で起きるなんて甘い幻想を抱くあたしじゃないぜ。百戦錬磨の猛者と呼んでくれ。

 

「ルシフェルー」

「……ん、ぅ……」

 

 肩を軽く叩いてやれば、寝返りのつもりかちょっと身動ぎ。

 ここであたしは必殺の一撃を繰り出す。

 

「朝ご飯いらないの――」

 

 ……の、つもりが。

 

「……?」

 

 ん、あれ? ルシフェルの膝が三つに見えるよ。あれれ?

 ――あ、ヤバい、ひょっとしてあの、あれは、いわゆる……!

 

「ん……っ」

 

 彼が目を開ける。

 何も言えずに突っ立ったままのあたし。

 あたしの視線の先を見る彼。

 

「…………」

「…………」

 

 己の下腹部を暫し見つめる彼と。間の悪さを呪い絶句赤面するあたしと。

 沈黙が、降りた。

 

「――わ、ぅわぁーっ!」

 

 先に動いたのはルシフェルの方。叫ぶと同時に飛び上が……ろうとして床に真っ直ぐこんにちは。どんがらがっしゃん。痛そうな音は下の階にも響いたんじゃなかろうか。

 本人はといえば慌てて毛布を抱き締め、真っ赤な顔をこちらに向けてぺたんと正座。というか俗に言う女の子座り。

 

「おとっ、男には事情ってモノがぁぁ!」

 

 ……こういう場合、あたしはどうリアクションすればいいんだろうマジで。今更見なかった振りとかできないし、何よりあっちが涙目で見上げてきてるし。くっ、悔しいけど可愛いし……!

 

「……いや、別に、えっと……」

 

 まぁ生理現象ならしょうがないよねああ堕天使さんもやっぱあるのか安心してよ何も訊かないっていやぁ知識としちゃあったけどなんかこう初めてだから笑っちゃうねHAHAHAー!!!

 ……。

 むっ、無理ー! この状況を打破するリアクションはあたしには思いつかないってー!!

 

「ご、ごめん真子! 謝るから、なっ?」

「や! 謝る必要は、ないっていうか……」

「ホント、すまない。だから捨てたりは、しないで」

「す、捨てるぅ?」

 

 思わず声が裏返る。あたしがルシフェルを、ですか? ハッ、ないないない!

 

「そんなことしないよ」

 

 いくら“健全”を掲げててもね。

 

「本当に? 平気?」

 

 泣きそうな顔で聞いてくる。大袈裟だなぁ。あたしがうなずくと、ルシフェルは恐る恐る毛布を取り去り……

 

「――は、はぁ?!」

 

 ダメだ、うん。あたし、さっきうなずいたけど、この超展開に素っ頓狂な声を出さずにはいられなかった。

 あたしが、その、そういうアレだと思っていた三つ目の膝頭の正体は。

 

『にゃぁ』

 

 一匹の、子猫だったのだ。

 

 

***

 

 

「…………」

「…………」

 

 朝の食卓には相応しくない気まずい空気。食器が触れ合う音とテレビの音声だけが虚しく響く。

 いや、何も気まずくなる必要はないんだけど……と、ご飯を口に運びつつ、そもそもの元凶(?)たる毛玉を盗み見た。ルシフェルの膝の上に乗っかって眠っている小さな猫。詳しくないからよくわからないけど、とりあえず白地にぶち模様の猫だ。毛並みはきれい……って当たり前か。ルシフェルが昨夜一緒にお風呂に入ったらしいからな。

 どうやらこの子猫、ルシフェルが昨日拾ってきたもの。あたしに今朝まで悟らせないとは無駄に感心してしまうが。先にしどろもどろになりながら彼が展開した言い訳を、どうにか意味の通じるようにまとめると……「連れて来たまではよかったが、マンションで動物を飼えないことに気が付いた。けれどまた外に連れ出すのは酷だと思い、とにかく夜が明けてからきちんと話をしようと思った。それが予想外に早く発見されそうになり、怒られるのではないかと焦った」、だそうだ。

 “男の事情”とか言っていたのは、この諸々の事情を総括して口走ってしまったことらしい。彼の名誉のために恥ずかしいけど付け加えておけば、“そういう”事実はなかったということで。……なんでその語句をチョイスしたんだあんたは。あたしのイメージを返せっ。

 

「あの、その猫って」

 

 米を飲み下して、尋ねる。

 

「首輪してるみたいけど」

「ああ……。飼い猫、なのだろうか」

 

 小さいけれど、立派に赤い首輪がつけられている。うーん、一見して新品っぽいけど?

 

「こう、連絡先とか書いてないの?」

「首輪にか?」

 

 片手に箸を持ったまま、もう片方の手で白い毛並みを探るルシフェル。あ、猫が起きた。

 

「何も書いていないな。無地だ」

 

 ぬぬ、そうか。

 彼はちゃっかりちくわの天ぷらを子猫に分け与えている。油っこい衣、大丈夫かな。夢中で食べているところを見れば、お腹は相当減っていたに違いないけれども。出汁に使った煮干し、取って置けば良かったなぁ。柔らかくて食べやすかったろうに。

 

「でもさ、ルシフェルがそういう猫とか拾ってくるとは思わなかったよ」

 

 ややあってあたしが正直にそう口にすると、ルシフェルは紅の瞳を少しばかり見開いてみせた。

 

「何故?」

「んー。いや、ほら、前に公園で小鳥を助けたでしょ? あの時にあんまりいい顔してなかったよなぁ、と思ってさ」

 

 堕天使様がうちに来て間もなくのことだ。散歩に出かけた公園で、ある雛鳥を巣へと戻してやる時も彼は最後まで渋々といった様子を見せていたのを思い出す。あの時に彼は……そうそう、「自然の流れに介入したくはない」とか何とか言っていたような。

 だからあたしは、彼が捨て犬なんかを仮に見たとしても、そう積極的に関わるとは考えなかったのだ。堕天使様なりの想いがあるのかな、なんて漠然と。

 

「む……それは、そうなんだが。この猫は別に私が自分から拾ったわけじゃない」

「そうなの?」

「ああ。何と言うか……ついてきた、から。少しくらいなら休ませてやりたいと思ったんだ」

 

 この子もルシフェルには何か感じたのかな、と、撫でられて幸せそうに喉を鳴らしている猫を見る。堕天使様の指先は正確にツボを押さえているようで、お腹をみせる小さな獣は本当に気持ち良さそうだ。

 親近感、みたいなものがあったのか? あたしは時々ルシフェルが猫みたいだと思う。気紛れな感じとか、優雅な所作とか。

 

「真子。飼いたいとは言わない、ただ少しの間だけここに置くことを許してくれないか」

 

 おずおずと見上げてくる視線に、あたしは。

 

「うん、いいよ。でもちゃんと飼い主さんも探さないとね」

 

 ルシフェルはとても嬉しそうに顔を綻ばせた。ああ悩殺スマイル!

 動物がいることが周囲にバレたら大変だけど、そこは堕天使様がうまくやってくれるだろう。天然という一抹の不安も、なくはないが。

 ルシフェルが押しに弱いという認識はあったが、きっと堕天使長様は長という立場にいることもあって、甘えられるとなかなか断れないタイプなのではなかろうか。ルシフェルの優しい性格を思えばもっともなことかもしれない。

 

 

***

 

 

 夕方。授業を終えて帰宅すると、ひとりと一匹がソファーの上で戯れている最中だった。

 

「お帰りー」

 

 胡坐をかいたルシフェルが手にしているのは猫じゃらし……ではなく漆黒の羽根。もちろん彼自身のものだ。余談だが、最初は耳掻きの“ボンボン”部分を使おうとしていた。しかし小さいとはいえ獣は獣、もしも破壊されたらそれなりに困るので羽根を持ち出したというわけ。

 あたしが帰ったことで彼らは一旦遊ぶのをやめる。戯れかかられていた羽根をひょいと取り上げたルシフェルが片腕を差し伸べると、猫は素直にその腕を駆け上り、彼の頭のてっぺんで『にゃぁー』と一声鳴いた。

 

「猫って結構ひとに懐くものなんだね」

 

 「人じゃない、堕天使だ」といういつものツッコミも入らない。頭からお腹の上に移動させたほわほわ毛玉を大きな手のひらで包み込むように撫で、あの温かい眼差しと蕩けるような微笑を浮かべ、彼は本当に猫に集中しているようだった。猫まっしぐらだった。

 何て言うのかな、父性って、感じ? なかなかに甘えん坊なはずの魔王様の、いつもとちょっと違う一面。微笑ましい、微笑ましいからこそ……あたしは話を切り出せない。

 

「あの、今日ね、ルシフェルが言ってた住宅街に寄り道してきたんだ」

 

 曰く、この猫を拾った場所。少し遠回りになってしまったけれど、天気も良いし、何か飼い主さんが貼り紙とかしてるかと思って放課後に寄ってみたのだ。これもまた余談だが、その住宅街は地元で言う高級住宅街で。この猫、かなりイイトコの子なんじゃないか。

 

「それはまた。遠かったろうに」

「平気平気。でね、……」

「飼い主が見つかったのか?」

 

 先に言われ、びっくりして口をつぐむ。ルシフェルはそんなあたしを見て軽く声をたてて笑った。

 

「な、なんでわかったの」

「顔に書いてある」

「うへっ」

 

 わかりやすいってこと? まぁ、いいや。これでいくらか手間も省ける。

 

「捜索願が出てたよ、ポスターで」

「そうか。では、帰しに行こう」

 

 魔王様は至極あっさりとうなずいた。ちょっぴり意外だ。まさしく猫可愛がりしてたから、もっとゴネるか何かすると思っていたのに。

 

「どうかしたか、真子?」

「いや、やけにあっさりしてるなぁと思って」

「ここで我が儘を言うのはこいつのためにも、私達のためにも、賢くはないだろう。元居た場所に帰るのがいちばんだよ」

 

 「なー?」と同意を求めるように覗くと、猫もそれに応えてか、再度の一鳴きを返してくる。溺愛じゃんルシフェル。端正な顔が弛みまくりだ。

 

「まあ昨日の今日だから、というのもあるかもしれないがな。共に過ごした時が長いほど、別れは辛くなるものだ」

 

 うっかりすると聞き逃してしまいそうな調子で、しかしあたしの心にチクリと残る言葉。理由もわからない不快感に思わず息を呑む。

 ふとこちらを見たルシフェルは微笑ったままだ。甘くて、どことなく、切ない艶のある表情。

 

「どうした?」

 

 ――長い時間を生きてきた彼は、一体何を……

 

「……う、ううん! 何でもない!」

 

 笑う。ああ、変なこと考えちゃってたよ。仲良くなればお別れは寂しい……別にルシフェルは普通のことを言っただけだ。あたしだって経験はある。それより今は猫について考えなくては。

 

「というか、帰しに行くって今から?」

「ああ。……もしや向こうは迷惑か? はっ! 夕飯を邪魔するなんてことになったら……!」

「いやいや、そうじゃなくて」

 

 自分が食事の邪魔をされるのを嫌がるせいか、あわあわと挙動不審気味になり始めたルシフェルを宥める。迷惑だってことは、あたしはないと思う。探してた家族には一刻も早く会いたいだろう。連絡先、メモしなかったからなぁ……ミスっちゃったな。アポ無しなのも心配ではあるけれど、

 

「今から行ったら帰る頃には外が暗くなってるだろうと思って。いや、危険だとか言うつもりはないんだけど……」

 

 だって最強無敵の堕天使長様だもんね。でもほら、目の前にいるのが猫溺愛なただの美青年に見えると、万が一についてもほんの少し考えてしまうというか。

 

「心配要らないよ。私にはあの《存在干渉》がある」

 

 あ、それもそうか。かつて行ったことのある場所ならば、彼にかかれば移動は一瞬なのだ。そうかそうか。

 

「今回は使うまでも、ないけどなっ」

「えっ?」

「少し行ってくる。飼い主の情報、行けばわかるか?」

「あ、うん、多分。電柱に貼ってあるのがすぐに見つかると思う」

 

 やや勢いつけて立ち上がり、猫を肩にのせた気紛れ堕天使様は、どこか不敵な笑みを浮かべて。首を傾げたあたしの目の前で漆黒の巨翼を広げてみせる。

 

「さあ、今宵は空中散歩だ」 


 

***

 

 

 しばらくして窓から帰って来たルシフェルは清々しいというか、達成感に満ちた顔をしていた。

 

「ただいま」

「お帰り。やっぱり早いね」

「当然」

 

 誇らしげに胸を張った堕天使様のお出かけ所要時間はおよそ三十分。飼い主さんの家もすぐに見つけられたようだ。

 

「真子の母親ぐらいの女性だったぞ。飼いたての猫だったらしいが、ドアを開けた瞬間に飛び出されたんだそうだ。あ、あとこれはお礼に」

 

 差し出された紙袋を受け取り、早速中身を確認。……お、ラスクだ! やったー!

 

「良かったね、お菓子だよ」

「だな! 行った甲斐があった」

 

 どこまで本気か、肩をすくめて笑った彼は手を洗うために洗面所へ向かう。……ちょっと安心したのが本当のところ。いくら預かっていたのが一瞬とはいえ、お別れするのが寂しくないはずはないのだ。とりあえず大丈夫そうで、良かった。

 あたしはやっと気が楽になって、ラスクを棚にしまうべくいそいそと取り出しにかかる。紅茶味にオレンジ風味、へぇ抹茶もあるんだー……夕ご飯の前だから余計に美味しそうに見える。お腹空いたんだね、あたしも。

 

「いい匂いがする。真子、今夜は何を作ったんだ?」

「今日は煮込みハンバーグだよー」

「本当っ?」

 

 子供のように歓声をあげたルシフェル。地獄では万魔殿の料理人さん達による創作料理豪華フルコースを毎日のように食べてきただろうに、堕天使長様は案外子供が好きなメニューも大好物だったりするから可笑しな感じ。カレーとかハンバーグとかオムライスとか。珍しいのかな?

 さてさて、せっかく楽しみにしてくれてるんだからそっちの準備もしなくちゃ。少し煮てから火を止めて、トマト味のスープからはローリエの葉を取り除き、お皿に盛り付け居間まで持っていく。

 すると、ルシフェルは真剣に、そりゃもう真面目にテレビを凝視中。なんだ? おーい、ご飯できてるよー。

 

「どしたの?」

「……牧場……」

 

 画面の中には草原で羊を撫でている芸能人らの姿。牧場に遊びにいくというロケ番組のようだ。

 何が引っ掛かるのかと思っていたら、こちらを振り向いたルシフェルが

 

「行きたい」

 

 と至って真顔で宣った。猫に触発されて、もふもふした子達と遊びたくなったのかい? ……って、本気ですか魔王様?!


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