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せなかのぬくもり

『卵二個、バター百グラム、砂糖大さじ……』

 

「……大さじ? 大さじとはどのスプーンだ? カレー用のやつか?」

 

 テレビから聞こえてくる声に、私はメモをとっていた手を止めた。エプロンをつけた女性が何か喋っている。ああ、待ってくれ待ってくれ。進むな。大さじ、って、何なんだ? それは説明してくれないのか? 気になって止めたメモの手、もう追い付けない。

 べ、別に私が作るわけではないんだからなっ? 美味しそうなデザートを作っているなと思ったから、書き留めておいて後で真子に作ってもらおうと思って。しかし、ああ、手を止める必要はなかった……そうだとも、真子ならばわかるはずなのだから。あー、もう向こうは次の段階に進んでいる……。

 私はため息を吐いてソファーに横になった。どうせ続きを見たところでわからぬ。

 

「……暇だ」

 

 思わず呟いた言葉は空虚な大気に溶けるのみ。大して広い部屋でもないが、ひとりでいるとなると空間を持て余すというか。これも私が真子との生活に慣れた証なのかもしれない。万魔殿の私室は、ここの更に数倍はあるから。

 彼女は。今日も学校に行っている。まだ昼だから……帰るまでにはあと数時間。

 今日は少年への家庭教師の予定もないし、特に買い物も頼まれていないし。こうも話し相手がないと気持ちが沈みそうになる。何だ、このもやもやとした感覚は。正直、戸惑う。

 ――こういう時は甘いものに限る。

 丁度小腹も空いてきたことだし、何か食べようと身を起こした。確か“ましゅまろ”なる珍妙な菓子があったな。甘味を食べると気が落ち着くのだ。

 くしゃくしゃと髪を掻きつつ台所へと向かう。はて、あの感触の魅力的な白い塊はどこにしまってあるのだろうなー。

 その時だ――電話が鳴ったのは。

 

 

***

 

 

「どう? 痛む?」

「あー、はい、ちょっと……」

 

 えー。只今の進藤さん イン 保健室。

 ……。

 えぇそうですよ! 体育でドジりましたよ!! バスケ中にクラッシュして足首ぐねったこのあたしを笑えばいいじゃないかー!!

 ……ぐすん。

 もうびっくりした。痛いっていうより先に自分の鈍臭さに呆れた。

 ゲーム中の接触はよくあるけど(よくある、よね? 別にあたし達がバイオレンスなプレイしてるわけじゃないよね?!)、ちょこっと足の着き方を間違ったというか。捻ったのかな。走るのは難しそうだと思ったから、先生の促しもあり、授業を抜けて保健室にやってきたのだ。

 

「んー。骨は何ともなさそうだけど、足首赤く腫れてるもんねぇ。軽い捻挫かな」

 

 あはは、やっぱりですかー……。

 

「午後どうする? 早退する?」

 

 あたしが怪我したのは幸か不幸か四限目。この後は昼休みを挟んで残りは二限。あたしの場合は補習も部活もないためすぐに帰宅できる。

 まぁそれより早く……

 

「じゃあ、はい、そうします」

 

 帰ってもいいわけで。

 大した怪我じゃないのはわかっている、頑張れば頑張れる範囲だ。けど…………ごめん! 午後の数学出たくないっ!

 

「うん、そっかそっか。まぁそれがいいかもねぇ」

 

 “おばちゃん”の愛称で親しまれる養護教諭はにこにこしたまま何度もうなずいている。雰囲気も性格も包容力抜群のおばちゃんは生徒達のオアシスだ。癒されるぜー。

 

「何日か様子見て、腫れがひどくなるようだったら病院に行った方がいいね。まぁ歩けるみたいだから大丈夫だとは思うけど、あまり動かしちゃダメだよ」

「はぁい」

「じゃあ湿布持ってくるからね。ああ、お家の人はいるの?」

「あ……は、はい。一応は」

「歩いて帰るの辛かったら、お迎え頼んでもいいよ」

 

 一応は堕天使がいます、けど。む、迎えっすか? 案外大事(おおごと)みたいな。

 ――もしも、もしも頼んだら、来てくれる……か?

 

「自分で連絡する?」

「はい……って、え?」

「携帯電話持ってるでしょう? いいよ、使っても」

 

 マジかー! 先生なのに平気で校則スルーしちゃうおばちゃんが好きだぁ。

 湿布を取りに向こうの戸棚、あたしの座る椅子から死角になる辺りに消えたおばちゃん。その間にあたしは携帯電話をカバンから取り出す。……授業を抜けて直行したにもかかわらず何故この場にカバンがあるかというと、あたしがここに来てすぐに黎香が荷物を持って飛び込んで来たからだ。

 

 “真子ちん、足首が破砕したってホント?! ちゃんと休んで、早く復活してまた黎香のボケに耐えてくれたまえよっ! じゃ!!”

 

 とか何とか言って飛び出していった。体育館と教室をダッシュで往復してくれたのだと思うけど、本当に足首破砕してたら相当ヤバいだろう。おばちゃんは笑うばかりだったが。

 カバンがここにある。それもあって、早退することにしたんだけどね。

 

 さてと。愛器を開き電話帳、電話帳っと。学生の一人暮らしながらも携帯電話とは別に置いてある我が家の固定電話、その番号をプッシュして、それからふと冷静になって考える。

 ルシフェルの名前をおばちゃんに聞かれるのは何か嫌だから、早目に通話を終わらせるのはもちろんのこと。翼で飛んで来られたらまずいし、ましてやワープはもってのほかだし、あんまり早くても怪しく思われそうだし……少し時間をおいてから歩いて来てもらおうっと。

 ……?

 歩いて、来る。そりゃそうだ、当たり前だ。

 ……!

 ルシフェルが来て、どうする? 何故こんな初歩的なことに気付かなかったあたし! 車なんて持ってないんだから、ルシフェルが来ても歩いて帰らなきゃいけないことに変わりはないじゃないか。あ、うわ、どうしよう。

 短時間で思考を展開、アイタタタな結論に着地。慌てるあたしにお構い無しで呼び出し音は途切れてしまう。で、出た!(当然だが)

 え、ええい、ここは勢いだー!


 

***

 

 

 鳴り響く電話へ自然と足を向けて、そして、少し躊躇った。

 ――出ても、いいよな?

 いや。今この家には私しかいないのだから普通に出れば良いのだが、普段、真子は私が同居していることをあまり明かしたがらない節がある。私が部屋にいることがバレても構わない相手か? ……電話だと当然出るまで相手はわからない。

 よし。まぁ今更知られたとて些細なこと、気にすることではあるまい。実際、私は受話器をとる気満々である。いざとなれば間違い電話扱いにしてやれ。応対の仕方も、真子のを見ているから完璧だ。

 

「はい、ええっと、進藤です? ――」

『も、もしもしルシフェル?!』

 

 受話器を落としかけた。向こうも進藤だとは。

 

「まっ、真子?!」

『ああ良かった出てくれて! あのさ、ちょっと今から言う通りにしてもらっていい?!』

「は、あ? えっ?!」

 

 何だ何だ、すごく慌てているぞ。その割にこしょこしょと小声で聞き取り辛い。

 

『あたしの学校の場所わかるよね? 今から……そうだな、三十分後に迎えにきて欲しいんだ!』

「迎え? 何故?」

『いや、ちょっと怪我しちゃって、』

「怪我?! 任せろ、すぐに行くっ!」

『いやーぁ! だから三十分後でって!』

 

 どうして?!

 

『大した怪我じゃないんだ。ルシフェルが堕天使パワー使うまでもないから、三十分くらい後に着くように歩いて来てくれないかな。ね? ――あ、先生が来たから、切るね!』

「お、おいっ――」

 

 ……わけがわからない。この私に迎えを要請しておきながら大した怪我ではないと? むむむ。

 しかし……言われた通りにするしかないか。

 その後部屋を出るまで私がずっとそわそわしっ放しでいたことは言うまでもない。怪我人の存在を知りつつ放置するなど、一体どんな気分でいろと言うのだ?


 

***

 

 

 足首に湿布を貼ってもらい、テープでぐるぐると固定され。ついでに待ち時間にはお茶まで出していただいちゃって、ようやくあたしは保健室をあとにして玄関の外に立っていた。おばちゃん、ありがとー。

 陽は高い。昼休み中の校舎から聞こえる騒ぎ声を背後、向こうからやってくる長身の姿を発見した。遠目から見ても目立つ、だって美形オーラがばんばん出ているから。高校の敷地内、彼はどことなく場違いな空気を醸し出しながらゆっくりと歩んでくる。

 何だかんだであまり意味のない行為だったかもしれないけれど、あたしは来てくれたことが嬉しくて。歩いて帰ろうが何だろうが構わないなと思った。手を、あげる。

 

「ルシフェル!」

 

 あっちもあたしに気付いたらしい。一瞬だけ長い脚が動きを止めかけ、また歩みを再開する。ゆっくり、ゆっくり。

 ……変なの。首を捻る。表情を確認できる距離に近づいても彼はゆっくりと歩む。せっかくの端正な顔も今は渋い色。何かを堪えていたように、彼はあたしの目と鼻の先で立ち止まるや否や大きく息を吐いた。

 

「……歩けと言われたから歩いた。これで良かったか」

「あ、いや、うん……」

 

 そういうことか。怒ってるのかと思ったよ。

 

「で、」

 

 麗しの堕天使様は不思議そうに

 

「敵は?」

 

 仰った。て、敵?

 

「私を相手に気配を消そうとはなかなかのものだな」

 

 周囲を見回していた彼は、多分スズメか何かだと思うのだが、昇降口の屋根の上でガチャガチャと音がした瞬間に勢いよく顔をあげた。水平に滑らせるように右手を動かせば、いつの間にかあの剣が握られている。

 

「……!?」

 

 昼間の、高校に、剣。びっくりし過ぎて絶句したさ。

 

「そこかっ!」

 

 止める間もなく剣を手にしたルシフェルは、“ばしゅんっ!”という効果音と共に消えた……いや、跳んだ。地面から遥か上空、屋根を見下ろす位置まで一気に跳躍。翼なくてもあれだけとべるんだーさすがに人外の脚力は段違いだなーっていうか見られたらまずいから早く降りてーっ!!

 

「……チッ、逃げ足の速いことだ。私と剣を交えるのが怖くなったか。だが真子に手を出した罪は重いぞ? ……」

 

 何やらぶつぶつ言っているルシフェル。あたしは叫ぶわけにもいかず、すごく中途半端な身振りでどうにか伝えようと試みる。

 

「(降、り、て、き、て! あたしは大丈夫だから! 敵とか居ないからー!)」

「……む? 何だ真子、口をパクパクさせて」

 

 ふっ、と。これまた一瞬で目の前に現れる美青年。いきなり視界を満たした美貌に仰け反りそうになるのを堪え、あたしはやや必死に諸々の事情を説明した。しかしまずは剣をしまいなさい、怪し過ぎるから。

 

「怪我……そういうことだったか」

 

 話し終えると、薄い唇から吐息混じりに呟きが漏れた。呆れられたかな。

 

「あ、あの、ごめんね? こんなことで呼びつけたりして……」

「まったく……この私を電話一本で喚べるなんて、思えば真子も大した器だよな」

「ごっ、ごめん」

「構わん構わん。ま、敵襲がなかっただけ良かろう」

 

 小さな笑い声と指を鳴らす音。剣を握っていた手で今度はうつむくあたしの頭を軽く叩きながら、ルシフェルは優しい調子で言葉を紡ぐ。

 

「私はお前を守ると約束した。喚ばれて駆けつけるのは当然、本当ならこんな痛い思いもさせたくはないが……」

「で、でもこれはあたしが自爆しただけで! 自分の不注意だから仕方ないし、そんなとこまで守ってもらうのは何か違うと思うっていうか……」

「うん、そう言うと思った。まぁ大したことがなくて良かった。私も暇を持て余していたしな、不快に思ってなどいない」

 

 ちょっと安心する。寛大な魔王様で良かったなぁ。

 

「ありがとう、ルシフェル」

「気にするな」

「じゃあ、帰ろう?」

「ああ。……あっ、待て。歩けるのか?」

「んー、少し痛いけど平気」

 

 いくら軽傷っぽいと言ったって、やっぱり痛くないわけがない。でも歩ける。いつもよりスピードが遅くなるから、ルシフェルには合わせてもらうのが申し訳ないけど。

 

「待て、待てって。患部を動かすと治りが遅くなる」

 

 うーん、それはわかるよ。おばちゃんにも言われたしさ。

 

「けど歩かなきゃ帰れないよ」

「私が背負ってやる」

 

 うん……って、ええーっ?!

 

「せ、背負うって、おんぶのこと?!」

「そのために喚んだのではなかったのか?」

 

 いや、思いつかなかった!

 

「恥ずかしいよ、高校生にもなっておんぶは!」

「そうか? ああ、こっちの方が好みなのか?」

 

 ルシフェルはマグロでも抱き抱えるような仕草をした。……って、待ってくれ、その体勢はまさかの“お姫様抱っこ”じゃない?! イヤー! もっと無理ー!!

 

「こっちがいいなら……」

「無理っ。昼間だよ? 人いっぱいいるんだよ? それにあたし重たいし、絶ッ対無理!」

「……重たくは、ないだろ。ふむ、しかしそこまで嫌か。ならばやはり背中だな」

 

 ねぇ歩くって選択肢は? ないの?!

 どちらかにうなずかない限り、まるで退く気のないらしいルシフェル。だんだん疲れてきて、ついにあたしが折れた。

 

「……じゃあ、おんぶ、お願いしてもいい?」

「無論。最初からいいと言っているだろうに。ほら」

 

 屈んでくれたルシフェルの肩に手をかける。ふわりとした浮遊感の後、あたしの目線は普段よりも高いものに。ちょっと、怖いな。この感覚が久し振りというのもあるだろうけど。

 細い身体はしっかりとあたしを支えてくれている。前から逞しく見えていた背中だけど、実際に触れてみるとやっぱり少し印象が違う。何て言うか、かたくて。

 こちらの緊張が伝わったのか、ルシフェルは歩きながらわずかに振り向く素振りを見せる。

 

「恥ずかしい、か?」

「うん……」

 

 正直にうなずく。人目が気になるのはもちろんなんだけど……何よりルシフェルに背負われているという事実、それを意識するともう心臓が飛び出そうなくらい跳ねてしまう。この音は聞こえているのかな。彼の鼓動はぴったりとくっついていても聞こえない。自分のに掻き消されてるみたいだ。

 首筋に艶やかな黒髪が張り付いているのが目に入る。汗をかいていようが全然嫌な気はしないのだから、不思議だなと思う。振動は心地いいし……。ああもうダメだ、顔が熱いよ。

 

「顔を伏せているか? それなら見られてもわかるまい」

 

 信号で立ち止まった時に言われた。声には幼子をあやすような響きが含まれていて、何だかとても温かい気持ちになれる。これ以上ないってくらい顔は熱いが、こうなってしまったらどうしようもないわけで。

 

「うん、そうする」

 

 肩口に埋めるようにして顔を伏せた。ほんの一瞬、ルシフェルの方も体を強ばらせた気がしたのだけど、定かじゃない。

 

「……ルシフェル」

「うん?」

「……ありがとう」

「……ああ。……そうだ、真子」

「ん?」

「帰ったら、大さじ、がどれだか教えて」

「大さじ? って、料理で使うアレ?」

 

 帰り道、お互いどこか緊張してあまり会話は弾まなかったが、それでもあたしは嬉しくて、だからルシフェルもちょっとでもこの気持ちを共有できていたらいいなと思った。

 だって家に着いてから気付いたんだ、それこそ帰りはルシフェルが能力を使えば一瞬だったであろうこと。彼がそうしなかったのは単に忘れてただけ? それとも……

 

 

 ――ちなみにあたしの足首は一週間くらいで腫れも消え、病院に行くこともなく、それからしばらくして痛みもなくなってきたのでした。めでたし、めでたし?


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