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妖しの悪魔と午後の一時

 

「あー」

「ん?」

 

 休日の昼下がり、まったりとしたおやつタイム。お菓子と紅茶を楽しんでいたあたし達だったが、唐突にルシフェルがクッキーを手にしたまま固まった。視線はぼんやりと虚空の一点に。あたしの方を見ようともしないで、彼はぼそっと呟いた。

 

「“来る”ぞ」

 

 何が、とか誰が、とか聞く必要もなかった。いつものあの耳鳴り――“彼ら”が来る前兆があったから。

 けれど今回は魔方陣が見つけられない。床のどこにも光が見当たらないし……。

 

「多分な、真子」

「うん?」

「避けた方がいいと思うが」

 

 へ?、と視線の先を見ると。あー、あったじゃん魔方陣。

 ……あたしの真上に。

 

「のわあぁぁっ?!」

 

 するりと抜け出る黒い物体。見えたのは漆黒のブーツ、そして風に広がる豪奢な金糸。顔を確認するより先にその物体……いや、その人物は重力など無意味と言わんばかりのあり得ない動きで方向転換したかと思うと、真下にいたあたしではなく、ルシフェルへと一直線に飛び付いたのだった。

 

『――ルシフェルぅぅ!!』

「どわっ?!」

 

 まさか自分に来るとは思っていなかったのだろう、ルシフェルは盛大に後ろへと転ける。訪問者は顔を見るまでもない。堕天使長にこんなことができるひと、あたしはひとりしか知らないもの。

 

「うーん、やっぱり君は最高に美しいねっ。あ、いただきまーす♪」

 

 倒れてなおルシフェルが手に持ったままだったクッキーをパクリと一口。ルシフェルのその意地にも感動したが……それよりも!

 

「アスモデウスさん?!」

「なっ、何故お前が……」

 

 金色の長髪と、同じく黄金の双眸を有する妖艶な悪魔さん。これでも万魔殿の幹部の一員だ。彼はしっかりとクッキーを咀嚼し味わって飲み下し、最後にぺろっと薄い唇を舐めてから、実に満足げにその中性的な顔を綻ばせた。

 

「えーとね……大好きなルシフェルに会いに来ちゃった?」

「帰れ。今すぐ帰れ」

 

 お菓子を取られたこともあってか、堕天使長はちょっぴり不機嫌だ。

 

「だって僕の中の“ルシフェル分”が不足したからさー。本能的に求めちゃうんだよ」

「ひとを栄養食品みたいに言うな。というか、まず退け」

「ええー、いいじゃないか」

「……斬るぞ」

「わかった、わかったよ。照れちゃってもう」

 

 渋々立ち上がるアスモデウスさん。盛大なため息と共に身を起こすルシフェル。“うっかりボーイズラブ未遂”に引きつった苦笑を浮かべていると、悪魔さんの金眼がこちらを見た。と思えば、いつの間にやらすぐ眼前に。早っ!

 

「んんー、君の上でも良かったよね。可愛いお嬢ちゃん?」

 

 あたしの上?

 ……はっ。さっきの落下地点のことか! やめてー! なんか顔が本気っぽくて怖いよー!

 にしても相変わらず派手な装飾品の数々だ。あたしの顎を持ち上げる指にも、大振りの宝石が乗った指輪がはまっている。本物の金や銀でできているのだろうか。高そうだなぁ。……そういうことを考えて意識を逸らそうと努めてみる。アスモデウスさんの目は、なんていうか、本当に悪魔の目って感じで幻惑的なのだ。

 しかも不思議な香りまで。香水? ルシフェルのとは違う、頭の芯がぼうっとするような……。

 

「……アスモデウス」

 

 唸るようなルシフェルの声がした。助かった! けどそんなに殺気立たなくてもいいのに。

 

「ふふ、冗談だよ。僕の本命はもちろんルシフェルだからね~。ごめんね、ハニー」

「は、はあ」

 

 へらりと笑うアスモデウスさんはルシフェルの怒りなど意に介していない様子。鈍いのか、鋼鉄のハートの持ち主なのか。……きっと後者だな。あたしが言うのもなんだけど、本命までの道程が果てしない気がするんだが。

 まあこんなやり取りは、アスモデウスさんがいると毎回のことだ。それより急にどうしたんだろう? というか、よく我が家に迷いなく不法侵入したな。

 

「前に来た時に目印をつけておいたからね。それにルシフェルの居場所ならすぐにわかるのさ」

 

 マーキングかよ。

 

「で、どうしたんだ? また従者のひとりにやられたか?」

「う、彼女には見つかってないだろうから……じゃなくって! 今日は人間のお嬢ちゃん達とデートなんだよ。それで地上に来たんだ」

「人間と? 天使の娘達ではないのか」

「たまには気分を変えてみるのもいいかなと思ってね。――人間を誘うのは面白いぐらい簡単だからねぇ」

 

 クスクスと肩を揺らすアスモデウスさん。この悪魔さんは全然怖いひとではないのだけど、人間の敵であるかどうかはともかく、女の敵ではあると思う。

 でもそれも仕方ないかなと感じるんだ。あたしはルシフェルと一緒にいるせいでいくらか慣れているのかもしれないが、いきなりこんなに妖しい魅力を纏った“色香爆弾”みたいな男性が現われたら、おまけに甘い言葉を囁かれたら、どんな人間も抵抗できるはずがない。当然、美形だし。

 

「今日のデートの予定は七件♪」

「多くないですか?!」

「いやいや、一日最低五件は入れておかないと。朝、昼、おやつ、夜、夜食……ほら、余裕じゃないか」

 

 マジかー! そこまでして遊びたいのだろうか、それとも来る者拒まずのスタンスだから? ってか食事ですか。ともかくその体力と精神力には感服だ。すごいなー。

 ん? あれれ、でも……

 

「その服装だと目立っちゃうんじゃあ……」

 

 いくら人間離れした(人間ではないから当たり前だが)美貌であるとしても、真っ黒ローブで全身を包んでいて疑問を抱かれないとは思えない。腰まで届く見事な金髪も、それだけでかなり人目を引くというのに。

 

「人間も結構おかしな格好をしていると思うんだけどねぇ。けど一応、あまり変な目で見られないように気を遣ってはいるよ。こんな風に、ね」

 

 そう言ってアスモデウスさんはぱちんと指を鳴らした。淡い光が悪魔さんの全身を包み、一瞬後には……

 

「わっ」

「どうだい? これで人間に混ざっても平気だろう」

 

 白いワイシャツと黒のスラックスを身に付けた、普通の金髪美青年がそこに立っていたのだ。長い髪もポニーテールのように纏めている。うーん、とりあえずこれなら瞳の金色も、じゃらじゃらした宝石もあまり気にはならないかも。ちょっとちぐはぐな感じはあるけど、そこは美形パワーで充分に押し切れる範囲内だ。はだけた襟元といい、お洒落なベルトのバックルといい、似非ホストに見えないこともない。

 

「お前、そんなこともできたのか」

 

 ルシフェルは何だか呆れ顔。あたしもびっくりしたよ。

 

「どう? 似合う? 惚れ直したっ?!」

「はいはい、似合う似合う」

「やったぁー!」

 

 明らかに棒読み口調の魔王様だったけど、それでもアスモデウスさんは嬉しそうだ。ホントにルシフェルのこと好きなんだね。

 

「おっとっと、そろそろ次の待ち合わせの時間だ!」

 

 合間にわざわざ来てたの?

 名残惜しいなぁ、と呟くアスモデウスさん。居間を何気なく見回していた彼の視線がふと止まる。

 

「……えへ♪」

 

 目の異様な輝きに嫌な予感がしたのはルシフェルも同様らしい。慌てて堕天使様はテーブル上に手を伸ばし――

 

「待……!」

「――ごちそうさま」

 

 ……間に合わなかった。

 

「ルシフェルと間接キス~♪」

 

 ルシフェルが口をつけた紅茶のカップを一気に空にし、アスモデウスさんは鼻歌混じりに人差し指で空中に印を描き出す。……あたしのカップじゃなくて良かったとか、明らかに沈んでいる魔王様を見たら間違っても言えない。

 やがて淡緑色に発光する魔方陣が現われる。その縁に触れながら、ご機嫌な悪魔さんはこちらを振り向いて。

 

「じゃあ、また今度ねっ。あっ、後でデートだよ、ルシフェルも可愛いお嬢ちゃんも!」

 

 絶句するあたし達を尻目、妖艶な悪魔はウインクをひとつ寄越すと、来た時みたいに魔方陣の中へ滑り込むようにして消えたのだった。……彼は何がしたかったんだろう? というか、デートって本気なのかな。

 

「しくしくしく……」

 

 うぁ。デート云々より、今は目の前で凹んでいる魔王様だ。

 

「ほ、ほら、直接じゃなくて良かったんじゃない?!」

 

 あたふたあたふた。フォローの仕方がわからないよ。直接だったらガチでまずかったよねー、と考えてみたり。画にはなるかもしれないが差し障りがあり過ぎるでしょう、色々と。

 

「私の……」

「ん?」

 

 ルシフェルはテーブルに突っ伏したまま何やらもごもご言っている。聞き取れなくて顔を近付けた。

 

「私のクッキーと紅茶……貴重なティータイムの平和……!」

 

 あー、そっち?!

 まったく思考回路が理解できないなぁと苦笑いしながらも、少しほっとしたのも事実で。これなら慰めるのは易しい。魔王様、食いしん坊モードである。

 

「お菓子はまだいっぱいあるから食べていいよ。紅茶も残ってるし。あ、ほら、蜂蜜入れたら?」

 

 ルシフェル豆知識。彼はコーヒーには決まって砂糖とミルクの両方を入れるのだが(たまにブラックも飲むけれど)、紅茶は無糖もしくは蜂蜜やレモン、たまに気が向いた時にミルクという主義らしい。あまり紅茶に砂糖は入れたくないんだってさ。わかるようなわからないようなこだわりです。あ、あたしは紅茶にジャムも入れるよ。美味しいんだよねー。

 

「真子ー、私、真子が作ったチーズケーキが食べたい」

 

 んな唐突な。

 

「……はいよ。後でね」

 

 けど作りたくなっちゃうんだよなぁ! 元からお菓子作りは特に好きだし、何より喜んでくれるひとがいるとつい頑張りたくなる。その微笑はダメだって!

 蜂蜜、蜂蜜……と早くも機嫌を直しつつあるルシフェルは、台所に行くと自分で蜂蜜入り紅茶を注いで再び着席。どうやら一応濯いだらしくカップには水滴が。まぁそこはアスモデウスさんに対する好き嫌いの問題とは別だもんね。ルシフェルは綺麗好きだし。あたしも間接だって意識した状態だと、いくら好きな相手でもちょっと躊躇うかもしれない。なんて。

 座る時に一瞬だけカップの中身が見えたのだが……紅茶と蜂蜜が半々くらいの分量だったのは気のせいだろう。なんか妙にどろどろしてたのも恐らく気のせいだ、うん。

 

「真子、アスモデウスに何かされそうになったら言うんだぞ」

「……むしろルシフェルの方が危なくない?」

「……」

 

 気遣いは有り難かったが、ルシフェルが真に心配すべきは己の身じゃないかな。彼はわざとらしい渋面をつくりカップを傾ける。ぞぞぞ……というやけに粘性の高そうな音は、聞かなかったことにしよう。

 

「しかし、何故あいつはああも自由に遊んでいられるのだろうな。監視がいるわけでもないし」

 

 いちばん聞きたいのは最高責任者が放浪してていいのかってことなんだけど。まぁでも確かに。デートは日に最低五件という強者は、果たしてきちんと仕事をしているんだろうか?

 

「もしさ、仮にサボりだとして、そういう皺寄せって」

「……」

「あの……」

「……言うな真子。“あれ”まで来たら、今度こそ私の身が保たない」

 

 大丈夫なのか地獄。白銀の彼は過労とかにならないのかな。少し心配だ。

 さすがにルシフェルも何か思うところはあるらしくて、珍しく

 

「……真子、ケーキ、差し入れしてやろうか」

 

 なーんてことを言った。差し入れより何より、君達が真面目に頑張ればいいと思うんだけど。地獄社会も厳しいのかしら。

 ……ま、いっか。向こうの彼らもきっと同情なんて求めていない。目の前の堕天使様を促すことは、切望しているかもしれないが。

 

「そうだね。じゃ、甘さ控えめで」

 

 こうしてアスモデウスさんが来たあっという間のドタバタ劇は、何故かチーズケーキの話で幕を閉じたのだった。これは失敗できないから気合いを入れねば。苦労しているであろう悪魔さん達のためにも。

 ……今頃あの好色な悪魔さんは、何件目のデート中なのかなぁ。


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