第7話:黎香がうちにやって来た?
あーあ……。どうも、進藤です。
なんであたしがこんなテンション低いかって、もちろん学校であの小娘に今日も振り回されたからですよ。
黎香のやつ、フェイントとかいう姑息な手段を覚えやがった。おかげで朝一発目からアッパーがかすったっての。また慣れるまで大変だわ。
しかもあの子には“うちに来てもいい”って言ってあるし……面倒なことにならないといいな。
あっ、でももしかして、いざとなったらルシフェルがどうにかしてくれるんじゃない?!
そんなことを考えつつ部屋でのんびりしていると、携帯電話のバイブが鳴った。
「はいもしも――」
『ハロー♪ ご機嫌いかがかなぁ?』
「…………黎香?」
あんたのせいでご機嫌はよろしくないわよ。
『ご名答! いやぁ奇遇だねー。黎香も今ぼんじゅーるな気分なんだよぉ』
もはやツッコミ所が多過ぎて泣ける。
「……で、どしたの?」
『この前遊びに行くって言ったじゃん? 今から行くねー』
「え?! 今?」
『あ、もう家の前にいるからぁ。じゃあねぇ!』
《プツッ! ツー、ツー、ツー……》
……。
家の前?! 来るの?!
ヤバい! ルシフェルにも知らせなきゃ――
「たーのもーぅ!!」
早ぇよ! ホントに家の前じゃん!
うわっ、そういえばあたし玄関の鍵かけ忘れた?!
あぁぁ……最悪だぁ……。
「いぃやぁぁあっ!」
?!
こ、これは黎香の悲鳴?
まさか……羽根生えたルシフェルに会っちゃったとか?! まずい!
「黎香!」
「きゃーんっ♪」
……。
…………。
えーっと?
居間はある意味すごいことになってた。
黎香がルシフェルにしがみついてる。(この時点でかなり謎)
で、ルシフェルは何故か上半身裸。(もう何がなんだか)
「…………」
ルシフェルは、明らかに狼狽した様子であたしに視線を寄越してくる。
いや、一番困ってるのあたしなんですけど……。
……仕方ない。じゃあまず、
「ルシフェル、なんで裸?」
良かったねー上半身だけで。……え? 違う?
「あぁ……風呂の掃除をしたら濡れてしまって。着替えようと思ったのだが……」
ルシフェルは腰にしがみついたものを見下ろして
「……これは一体?」
助けを求めてきた。
「んふふー♪ 腹筋、上腕二頭筋ー♪」
あたしはとりあえず、上機嫌な黎香をルシフェルから引き剥がす。
「あんた何してんの?」
「えー? 遊びに来てやったのぉ」
ふーん、そうなのぉ……ってコラ。
「で、ドア開けたらパラダイス! 黎香、筋肉好きなんだよねー♪ ……まっ、もうちょっと鍛えてある方が好みだけどさ」
改めて見れば、確かにルシフェルはただ細いだけじゃなかった。なんか、無駄がないって感じ? 綺麗な体してる。
けど、あの傷はなんだろう? もったいないくらい大きな傷痕が胸から腹にかけて……ってなんでこんなこと言ってんだ! 恥ずかしっ!
「ル、ルシフェルとりあえず服着て」
あたしに言われてようやく思い当たったかのようにルシフェルは頷き、置いてあったシャツに袖を通す。ふーっ……
「ルシフェルさんっていうの? 変わった名前ー。ガラパゴス諸島人?」
絶対違うと思う。
「ねぇねぇ、いい体してるね兄ちゃん。なんかスポーツとかやってたのかぃっ?」
「スポーツ……? 剣をちょ、ッ……!」
不自然な呻き声の原因はあたし。剣って多分本当だろうけど、もともとの服装から想像するに“ソード”とかのことだろう。そりゃもうファンタジーなやつ。
変に黎香に興味持たれても困るから、急いでルシフェルの足を踏んだのだ。が。
「剣って剣道? すっごいねぇ! 真子もやってたからねぇ」
そっちの話題できたかー……。
「真子も?」
ルシフェルが驚いたようにこちらを見る。……あ、涙目。思いっきり踏んだからなー。ごめんよ。
「うん。中学ん時やってた」
「そうだったのか。たくましいな」
いや恐らくルシフェルが考えてる剣じゃないと思うけどね。
まぁそんな時期もあったねー。もう、やめちゃったけど。
「ねぇねぇ」
黎香が服の裾を引っ張ってくる。
「真子とルシフェルさんって、本当にいとこ?」
「う、うん」
「あんまり似てないね」
「まっ、まぁ従兄だしね」
まずい。平静を装ってはいるけど、内心ばっくばくだ。
黎香はまだ不思議そうにあたしを見つめている。
「じゃあ真子も飛べる?」
「飛べ……――え?」
何言ってんのこの子?
あたしが返答に窮していると、黎香はとてとてとルシフェルの方に歩いていく。
そして何を思ったか、そのまま彼の背中をするりとひと撫で。
「ぁ……!」
身を捩ったルシフェルの口から漏れた小さな声。なんか……エロい!
「ん――ちょっ……やめてくれないか」
絶妙な流し目!
擽ったそうに黎香を見る顔つきが、なんだか色っぽくて、あたしはひとりでドキドキしてた。
だが、対する黎香は不満顔。
「むぅ」
ぺたぺたとルシフェルの背中を触っては首を捻る。
「どうしたの?」
「羽根がない」
「は――?」
「黎香、この間見たの! ルシフェルさんが空飛んでたんだもん!」
うそーん……。そこまで見られてたのか。
っていうか普通、堕天使は見えないはずなのになんで?!
「えーと……黎香? それ見間違いじゃない?」
「ううん、黎香確かに見たよ! それはもうファンタジスタな羽根が、ばーっと!」
「それは……」
ルシフェルも穏やかに笑って黎香を見下ろす。
「きっと見間違いだろう、娘」
ルシフェルの有無を言わせぬ朗らか笑顔に、何故か黎香は余裕の表情。
ニヤリと笑って何かを取り出した。
「フッフッフ……これが目に入らぬかー!」
突き付けられたものは――
「羽根……?」
黎香の手には、ふわふわと靡く羽根が一枚。……ルシフェルの翼と同じ色の。
「さぁこれをチミ達はどう説明する?!」
目の前で真っ黒な羽根を揺らされ、あたしは言葉に詰まってルシフェルを見た。
彼もまたあたしの方を見て、諦めたように首を振ってみせる。
まあこんな絶対的な証拠を出されたら、隠し通すことはできないだろう。
「ルシフェル……」
彼は頷き、僅かに上を向いて目を閉じた。背中の辺りの空間が、蜃気楼のように歪んで見え始める。
「お……おおーっ」
やがて現れた黒い影が、次第に翼を形づくる。
黎香は目をまるくして声をあげた。
「すげー! これ本物っ?」
あーあ……ついに黎香にもバレちゃうのか……。
……バレすぎ。そして早すぎ。
「あのね黎香。ルシフェルは従兄なんかじゃないんだ」
ついでに人間でもないんだけど。
あたしは掻い摘んで事情を説明した。黎香はしばらくぽかんとしたようにルシフェルを見上げていたが、やがて目を輝かせて翼に手を伸ばした。
「堕天使かぁ」
その手が触れた途端、ルシフェルはバサッと羽ばたいた。黒い羽根が数枚舞う。
「くす、ぐったいっ」
堪え切れないのか、顔には微かな笑いが滲んでいる。さっきの背中といい、余程翼の辺りは敏感なんだろう。
びっくりしたように手を引っ込めた黎香。だが、めげずににぱっと笑ってきた。
「ねぇねぇ、黎香、ルシフェルさんと行きたいところがあるんだけどー」
「行きたいところ?」
「今日じゃなくていいや。今度の休みに一緒に遊ぼうよぉ」
いつでも黎香の思いつきは突飛だ。さすが三ノ宮家の娘……げほげほ。だからあたしは特に驚くでもなく、ただルシフェルに尋ねただけだった。
「ルシフェルは、いい?」
「真子がいいならいいよ」
ルシフェルは、ほんのちょっと黎香から身を引き気味で頷いた。
「じゃ、決まりぃ♪ ……とドリームマッチ……ふふふ……」
最後の方は聞き取れなかったけど、まぁいいや。
黎香は嬉しそうに足取りも軽く玄関に向かう。
「あれっ、もう帰るの?」
黎香がこんなに早く帰るなんて珍しい。
「うん。ルシフェルさんに会ってみたかっただけだし」
「あ、そう」
来るのも帰るのも唐突だな。黎香の行動は読めない。
「じゃあまた明日学校でー」
「え、うん、じゃあね」
「ルーたんもまたねん」
「ルっ、ルーた……」
なんつーネーミングセンスだ。ルシフェルが絶句してらあ。
あたし達が半ば呆然としていると、黎香は急にドアを開けた姿勢のまま立ち止まった。
「あ」
「ん?」
こちらを振り向いた黎香の顔には、怪しい黒笑。
「いいこと教えてあげるー」
「な、何?」
嫌な予感がした。それはもう、すごく。
「あの羽根………さっき家の前で拾ったんだよー!」
「……はぁ?!」
「だから烏の羽根かなんかかもねーっ! あ、でもルシフェルさんが飛んでるのを見たのはホントだよ! じゃねっ!」
「ちょっ、黎香!」
黎香は逃げるように帰って行った。
「…………」
……やられたぁっ!
焦ってたからか、あたしもルシフェルも羽根が偽物だって気付かなかった。
「してやられたな」
隣でルシフェルがぼそりと呟いた。
でもあたしはやっぱり
「悔しいっ」
黎香があんなに頭がまわると思わなかったわ。
「まあまあ。そんなに気にすることではないだろう」
中身は当然、見た目もあたしより年上のルシフェルが、諭すように言う。その姿は、本当に親戚のお兄ちゃんって感じだったけど。
だけどあたしは、そのルシフェルが堕天使だってバレて欲しくなかったわけで。あんまり冷静だから、思わず八つ当たりしてしまった。
「もう! 大体、ルシフェルってばエロいんだよっ」
「はっ? えっ?!」
いや、関係ないんだけどね。
けど狼狽えてるルシフェル見たら、ちょっと機嫌直ったかも。だって可愛いんですものー!
「ごめん、冗談。……っていうか、羽根の辺りってホントに敏感なんだねぇ」
あたしが言うと、ルシフェルはわざとらしく顔をしかめてみせた。
「そうだな。私は特にそうかもしれない。何しろ私の翼に触れようなどという、大それたことをする輩はいなかったからな」
「ふーん……」
相変わらず、ルシフェルの背中には真っ黒な大きい翼がある。
ぼんやりと見ていたら、急にルシフェルはそれを広げて。
「触ってみるか?」
あたしに背を向けて言った。も、もちろん触ってみたいけど……
「いいの?」
「少し。真子なら上手く触れそう」
……どういう意味だろうか。
「じゃあちょっとだけ……」
あたしは恐る恐る手を伸ばして、そっと真ん中辺りに触ってみた。
「うわっ」
そして思わず声をあげる。
だってヤバいって! 想像以上にふっわふわ! 超気持ちいいんですけどー!!
「思い切って触ってごらん。逆にその方がいい」
「くすぐったい?」
「真子は結構上手だから平気」
あ、そうなんだ。
「本当にいい?」
「ああ」
……では、お言葉に甘えて。
「とりゃ!」
「えっ」
《ぼすっ》
「……真子?」
あたしは思い切って翼に顔を埋めた。
ルシフェルが困ってるけど気にしないっ。これがやりたかったんだよねー。
「はあ~……」
なんて気持ちいい……。
暖かくて、ふかふかしてて。肌触りは絹みたいにすべすべして柔らかい。おまけに何だか甘い香りがする……。
ああ……このまま寝そう…………
「――子! 真子!」
「はいぃっ?!」
びっくりして顔をあげると、ルシフェルが心配そうにあたしを見ていた。
「よかった。急に動かなくなったから、どうしたのかと思った」
うわぁ、ありがとうルシフェル。
「あんまり気持ちいいから寝そうになった」
あたしが言うと、ルシフェルは目を瞠った。それからふと閉じて、小さな笑いを漏らす。
……怪しいなオイ。
「ど、どしたの?」
「いや――。こんな黒い翼でも、そんな風に言ってくれるのかと思ってな」
なんで、と聞く間もなく、あたしの視界が影で覆われた。ルシフェルが翼で包んでくれたみたいだ。
「ルシフェル……?」
「こうしたら……もっと暖かいだろうか」
あたしからは全然ルシフェルの顔は見えない。
けれどなんとなく、その声には質問することを許さないような響きがあって。
「うん……」
あたしはただ羽毛に顔を押し付けた。
翼の中はほっこり暖かくて、とても優しい気持ちになった。
……まぁ、たまにはこういうのもいいかも。
いよいよ次回、ルシフェルのお仲間さん登場です。