第65話:堕天使と聖夜
クリスマス・イブ。
ああなんて素敵な響きッ。
外は晴れてるし、目の前には美しいお兄さんがいるし……しかもその美形お兄さんとデートだなんて! そりゃ朝からテンションも上がりますわ。
「嬉しそうだね、真子」
「まっ、まあね」
ルシフェルが落ち着いているのが気になるけど。それでも、ご飯を食べながら微笑んだ彼は……やっぱりカッコいい。
「もぐ……ね、ルシフェル、昼間はちょっと準備あるから手伝ってね」
「準備?」
つーことで。
ルシフェルが堕天使パワーで納戸から取出しましたのは、クリスマスツリー。うちの両親が買ってくれた、小さめのやつだ。当初はひとり暮らしに必要か?、と思ったけど、思いがけず役に立つ日がきた。
「何これ? 木?」
「これはクリスマスツリーって言って、クリスマスの日の飾り付けのひとつだよ」
「ほおー」
プラスチック製の飾りや、雪を模した綿をつけていく。完成したツリーを見て堕天使長は第一声に、
「美味しそう!」
と言った。気持ちは、わからんでもないが。
ツリーを組み立ててしまうと、もうお昼時に。起きたのが遅かったからなあ。
夕飯に備えて昼食は軽めに済ます。だって夕飯はルシフェルと……ふふふ~♪
「どうしたんだ? さっきからひとりで笑って……変なキノコでも食べたか?」
……。
「な、なんでもないって。あっ、そうそう。あたしさ、午後はちょっと行くところがあるから。約束の時間には間に合うと思うけど」
言うと、ルシフェルは些か目を見開いて。
「奇遇だな。私も出かけなければならないんだ。ちょっと地獄に用事があってな」
地獄に? 珍しいなあ。
あたし達はそれぞれの用事を済ませたあと、待ち合わせ場所に直接行くことにした。
あたしは奏太が用意してくれた服に着替え、一足先に玄関へ。
「じゃあまた夕方の5時に」
「ああ。……っと真子!」
「ん?」
彼は何やら言いにくそうに呟く。
「もしかしたら……少し遅れるかもしれない。その時はすまない」
「あ、うん。大丈夫だよ」
じゃあね、とあたしは家を出る。……こんな女の子な服、滅多に着ないから動きにくいっ。奏太のやつ! でもありがとう!
***
『いらっしゃいませー』
で、あたしが来たのは一軒のお店。ジュエリーショップみたいな感じの。
落ち着いた雰囲気の店内には、たくさんのアクセサリーがあって眩しいくらい。店員さんも上品な服装だし。場違い感満載です。
実は、ここは奏太に教えてもらったお店で。
「すみません」
「はい」
カウンターで店員さんに声をかける。うわ、緊張~。
「えっと、前にここでクリスマス用にプレゼントを買って、預けてあるんですけど……」
「わかりました。お名前をお願いします」
「進藤です」
待つこと暫し。
「お待たせ致しました。進藤様ですね。こちらのブレスレットでよろしいでしょうか」
「あ、はい」
店員さんが持っているのは、確かにあたしが買った、ちょっと細めの銀のブレスレット。当然、ルシフェルのための。
ルシフェルはネックレスは既にしているし(というか、外したところを見たことがない)、指輪なんてなんだか意味深だし……と色々考えた結果が、これだ。やっぱりさ、形に残るものをあげたいよね。
「ラッピング致しますので、少々お待ちください」
「お願いします」
その間に、あたしは店内を見回す。
ガラスの陳列ケースの前で楽しそうに話す男女。彼女と思しき人に電話しながら、ネックレスを見定める男性。……
……。
「――大変お待たせ致しました。お客様、どうぞ」
「えっ? あ、ありがとうございます」
あたしは受け取った小箱をカバンに入れた。へへっ、楽しみだなあ。ルシフェルはどんな反応するかな?
ありがとうございましたー、という声に見送られて店を後にする。これからお菓子屋さんにも行かなきゃ。美味しいエクレアの予約してあるんだ♪
あたしが店を出ようとした、その時だった。
「――今日の夕方?」
優しいテノール。――聞き慣れた、声。
思わずその方向を見る。
「ル……っ?!」
辛うじて耐えた。けれど。
「――いや、構わないさ。可愛らしい……気に入った」
今は地獄に行っているはずの、彼の姿。隣には若くてきれいな女性。ルシフェルは、顔を赤くした彼女に笑いかけた。
「試しに着けてみてくれ」
何? どういうこと? あたしは隠れながら必死で考えた。
あの人は誰? 着けるって……
「――ふむ、似合うな。これを買ってやるよ」
買ったの? プレゼント? ……あの女の人に?
「では、夕方の四時にまた」
そんな声が聞こえた時、あたしはもう店を飛び出していた。
***
……。もう、嫌だ……。
結局あたしは家に帰って来てしまった。布団に顔を押し付けて、さっきの出来事を反芻する。
ルシフェルは、買ったんだ。あの女の人に、プレゼントを。
“また四時に――”
また、四時に。二人はきっと待ち合わせてるんだろう。ああ、だからルシフェルは、遅れるかもしれないって言ったのか。あの人と会ってから、あたしと待ち合わせて。
「……」
わかってた。あんな容姿で、優しくて、面白くて、しっかりしてて。モテないはずがないんだ。あたしは別に彼女じゃないんだから、ルシフェルの行動にとやかく言う資格はないし……
……わかってた、つもりだった。
―――――
……あ。
気付けば外はすっかり真っ暗。寝ちゃってたみたい。
時計を見る。……七時過ぎ。
目をこすりながら居間へ向かう。もうとっくに帰ってるだろうな、って。なんて言って謝ろう?
「ルシフェル……?」
だが、居間の中も同じく真っ暗。電気をつけてみるも、彼の姿は見当たらない。
――まさか、いや、でも。
あたしは家を飛び出した。目指すは駅前の広場。中央にたつ銅像の前。
もちろんブーツは走りにくい。けど体裁なんて気にしていられなかった。転びそうになっても、息が切れても、とにかく必死で走った。
広場に着いたのはもう八時近く。約束の時間からは三時間も経っている。真っ先に銅像の前を確認……って、いるわけないよね。ずっと立ってるわけがない。
傍にあるベンチにも、人影はない。ぐるりと見渡したあたしの目に入るのは、閑散とした広場の姿だけ。誰もいない。
……やっぱり、いないよね。マンガの中の話だけだよ。ここでずっと待ってるなん……て……っ?!
「あっ――」
――銅像の裏手。夜の闇に紛れそうに蹲った……
「うそ……!」
――見上げてきた紅玉は、あたしをみとめて細まり……
「……なんで、そんなっ……」
――彼はいつもと変わらない笑みを浮かべた。
「待ってたよ、真子」
あたしは言葉が出なくて、地面に座るルシフェルをただ見下ろすばかり。
「良かった。何かあったのかと思ってたから」
ルシフェルはいつもより堅い雰囲気の服装で、でもこだわりなく地べたに座っていた。……一体どれほどの時間、こうして待っていてくれたんだろう。
「ずっと、待ってたの……?」
「約束だからな。少し早く着いてしまったし。……って、何故泣いている? どこか痛むのか?」
あたしは首を振る。涙が出てきて、どうしようもなくて。おろおろしているルシフェルに、頭を下げた。
「ごめっ……なさい」
「そ、そんなに気にするな。悠久を生きる我々にとって、人間時間の数時間など刹那に過ぎない。待ったうちには――」
「そうじゃ、なくて」
安心して嬉しいのと、恥ずかしいのと、なんか色々混ざっちゃって。でも、あたしは謝らなくちゃいけない。なんだか力が抜けてしまって、思わずその場にしゃがみこんだ。
「あたし……ルシフェルのこと疑って……っ。他の人と約束してるんじゃないか、って……」
「私の今日の予定は、真子と出掛けることだけだよ?」
ルシフェルはびっくりしたように首を傾げたけど、どうして、とも聞かずにただ一言だけ
「でも、もう信じた?」
と言った。
あたしが頷くと彼は笑って手を伸ばす。
「なら、いいじゃないか」
そっと涙を拭った冷たい指先。どうにか頷けば、穏やかな笑みが返されて。
「さあ、夕飯を食べに行こう。腹が減った」
「うん」
……が。
「……真子」
再び伸ばされた腕。
「うん?」
「……立てない」
「…………」
ずっと同じ体勢でいたのか、足が痺れて立てないというルシフェルに、あたしは苦笑しつつ手を貸してあげる。ぐ、と握った手は驚くほど冷たくて。影から出てきた彼の鼻の頭や頬は真っ赤だった。
「寒かった、よね。顔、赤い」
「まあな。しかし真子こそ目が赤いぞ」
「……! これは泣いたからっ」
……あっ。さっきのって、手を繋ぐチャンスだったのかな。わぁぁ。
***
ちょっとしたお店で夕飯を食べ、閉店間際の洋菓子屋さんでエクレアを受け取り、街の中をぶらぶら。
「楽しかった」
「うん、楽しかったね」
そのまま帰ってしまうのも惜しくて、あたし達はまた駅前の広場にいた。二人でベンチに腰掛けて、他愛もない話をして。
……このシチュエーションって、なんだか恋人同士っぽいよね!とドキドキしてたり。あたし達以外には誰もいないみたいで、少し安心する。
テンションも上がってきたあたしは、思い切って聞いてみることに。
「ねえルシフェル、」
「ん?」
「昼間さ、女の人といたでしょ? あれ、なんだったの?」
「へ?」
ぽかんとした様子のルシフェルは、本当に何のことかわかってないみたい。
「ほら、お店で。四時に何とかかんとかって……」
彼はしばらく考えてから、ああ、と頷く。
「あれはプレゼントを受け取りに行く時間さ。あの店で買ったから。彼女は真子を想定した女性。全く、見知らぬ人」
全然あたしに似てなかった気がするけど……
って、あれれ、ちょっと待って?
「ルシフェル、プレゼントって、もしかして……」
「ま、まさか真子もあの店に……」
あたしはカバンから、ルシフェルは懐から、それぞれ小さな箱を取出した。――同じ包装の。
「やっぱり!」
「ふふ、すごいな」
いやー被ったか。もしやこれも奏太の仕業?
それからあたし達はプレゼントを交換。その場で開けてみることに。
「――あっ!」
「!」
でもさ、
……さすがに中身まで一緒だとは思わなかったわけね。
「交換した意味ないよね~」
「すごいな私達!」
ふたつのブレスレットを手に、あたし達は笑ってしまった。期せずしてお揃いかよ。
けどなあ。これじゃプレゼントをあげた気がしないや。だからあたしはエクレアもプレゼントとしてあげることにした。
「いいの?!」
「もちろん。ルシフェルのために買ったんだし」
ルシフェルは嬉しそうにケーキ箱を抱える。
「今食べていい?」
「そりゃ、まあ」
「真子は?」
「あたしはお腹いっぱいだから、後でいいよ!」
甘い物は別腹♪と上機嫌なルシフェル。……一応、店でデザートは食べたんだけどな。
「困ったな」
エクレアを頬張りながら、唐突にルシフェルが呟いた。困った?
「私、もう他にプレゼントを持っていない」
べ、別にいいのにっ! あたしはルシフェルと一緒に過ごせただけで満足だよ。
真剣に悩んでいたルシフェルは、はたと手を打って。
「なるほど、そうか。これならあげられるな――」
何、と問う間もなく視界に陰が差す。
あたしの前髪を分けた指先、……そして、額に触れた柔らかい感触。
「え……?!」
慌てて額に手をやる。見上げれば、ルシフェルはくつくつと笑って。
「私からの“祝福”だ。有り難く受け取れ」
あの、ね、祝福っていうか、今のって、まさかその――
「キっキスですかッ?!」
嘘だ信じないぞあたしは。何この唐突な展開。おでこに、キスだって?!
ふあぁっ! どうしよー!
「え、お、おでこ?! 何が……ええー?!」
混乱状態の口からは、わけのわからない言葉しか飛び出してこない。そんなあたしの様子を見て、ルシフェルは更に笑う。
「贅沢だな。この私の祝福の口付けを受けること自体、相当に運がいいのだぞ」
いや、それはありがとうだけども!
「ふふ、面白いな真子は。それほど慌てることでもないだろうに」
ルシフェルさん、場慣れしてるオーラ漂ってます。何、あのさりげなさ!
「も、もうっ! 帰るよ!」
「だな。寒くなってきた」
違うんだよ、あたしが恥ずかしくて隣に座っていられないんだよ!
ベンチから立ち上がり服の埃を払う。
がさっ、と彼が立ち上がる音がした。あたしはまだドキドキして顔も上げられない。
「真子、」
それでも、いつものように投げられた優しい声。不意に呼ばれて振り向けば。
「ん――!?」
――彼の顔が、近すぎる。
色白な目蓋は閉じられたまま。長い睫毛が微かに震え。
僅かに顔を傾け、後頭部を支えた大きな手のひら。あたしの言葉まで飲み込んだ唇は……冷たい。
――チョコ味のキスなんて、ロマンチック過ぎじゃない?
長いようで短い不意討ちのキス。やがて、そっと唇が離れていった。
……心臓は口から飛び出そうなくらい鳴っているし。頭は真っ白だし。
でも目を瞑らなくて良かった。さっきのルシフェルの表情、とっても美しかったもの。あの表情は一生忘れないだろう。
息を詰めていたあたしが見上げるのと同時にルシフェルは、ほうっと小さくため息を吐いた。白い息が、冷えた夜の空気に溶けていく。
「……帰ろうか」
そう呟いたルシフェルも、珍しく目を合わせてくれなくて。照れてるのはあたしだけじゃないとわかって安心する。さすがに経験豊富な堕天使様も、これは慣れないのかな。
「うん、帰ろ」
帰り道の会話はやっぱり普段より少なかった。変な空気……心なしかぎくしゃく。
けれど嫌な沈黙ではなくて。上手く言えないけど、同じ空気を共有できている、そんな確信。
「……あのな、真子」
「うん」
「私、自分から“人間”に口付けたのなんて、初めてなんだ」
「……うん?」
……えーと。ここであたしは素直に照れていいのか? あんまり真剣な様子だから、かえって戸惑ってしまう。
再び見上げた表情は心なしか思い詰めているようで。でも、どうしたのかと訊く前に、その表情は柔らかい微笑みに変わる。こちらを見たルシフェルはいつものように楽しそうに笑った。
「だからな、すごい革命なんだ」
「あ、そ……」
なんか拍子抜け……。別に何かを期待していたわけじゃないけどさ。
そうしてあたしは密かに決意。ルシフェルが時折見せる陰、その理由をあたしは知らない。だけど、支えてもらうばかりじゃ悪いから。もっとちゃんと彼のことを知って、いつかきっと力になりたい。
「そうだルシフェル」
そういえば、忘れちゃいけないあの言葉♪
「メリークリスマス!」
「めりー……?」
暫しきょとんとしていた堕天使様は、あ、と手を打って。
「なるほど、ハロウィンの呪文みたいなものか!」
……?
あ、ああ。お菓子をくれなきゃ~……ってやつね。これは言ってもなにもでませんが。クリスマスおめでとうってことだし。
「メリークリスマスだ、真子♪」
それでもルシフェルの笑顔には、お菓子の山なんて比じゃないくらいの価値があった。
……ふふ、明日はクリスマスケーキを作ってあげようっと♪