第64話:それぞれの思惑
アイス。
生クリーム。
バナナ。
フレーク。
イチゴ。
俺は、次々に消えていくパフェの具をぼんやりと見ていた。こんなに食べて、どうしてそんなに細いんだろうか。
「もぐ……――で、話とはなんだ?」
スプーンでミントをよけながら、ルシフェル兄貴が俺を見た。
俺達はいま、喫茶店っつーところにいる。俺にとってはなんだか落ち着かねえ場所だが……まあ仕方ない。
おまけに兄貴がなぁ。なんつーか、浮いてるんだよな。
……その、なんだ。綺麗すぎて、とでも言うのか? 男の俺からしても惚れ惚れするような顔立ちなんだよ。しかも性格いいし喧嘩も強いんだ、これが。こりゃ間違いなくモテるわ。
ま、とりあえず隅っこの席には座ってるが。兄貴の目の前には大きなパフェ。俺はウーロン茶を頼んだ。……ああ、こういう甘いもの好きなところも、女子にモテる理由なのか兄貴。
「ああ、えーと……」
慣れないことばっかだがしょうがねぇ。……進藤さんのためだからな。
俺は思いきって兄貴の目を見――
……やっべえ、惚れる。
げほげほ。
よし、改めて。
「兄貴は――クリスマスは誰と過ごすんです?」
「クリスマス?」
ああ、と呟いて兄貴はアイスを掬った。
「誰かがそんなことを言っていたな。別にいつもと同じだが。何か特別な日なのか、それは」
……。
もしかして、クリスマスを知らないのか? キリスト教の行事かなんかだと思ってたんだが、もしや天使様本人は知らないのか……?
「あの……クリスマスって何か知ってます?」
「それはな。人間が救世主、キリストの生誕を祝う日だろう?」
天然発言キター!
え、え。これって俺が説明すんの? クリスマスがどんな行事かってところから? 嘘だろ……。
“やだなぁ兄貴。クリスマスといえば、愛し合う恋人達がこぞってデートしちゃう日じゃないですかー♪”
……うざ。なんかめっちゃ恥ずかしいんですけど。つーか俺は何キャラだよ。
「それ以外に“ここ”では特別な意味がある日なのか?」
細長いチョコのお菓子を指でつまむ兄貴。ふざけてる様子はこれっぽっちもなかった。
どうしよう。なんとかしねぇと。しかしまぁ、兄貴と進藤さんは恋人ってわけじゃねえしなぁ……。
「えーとですね兄貴、クリスマスっつーのは――」
***
「――クリスマス」
夕飯を終えて、のんびりテレビを見ていた時。唐突にルシフェルは言った。
「クリスマス?」
あたしは思わず聞き返す。まさか彼の口からそんな単語が出るとは思わなかったから。
それに……実は学校で、黎香や奏太とその話をしたばかりだったのだ。
―――――
「真子ちん! もちろんクリスマスはルーたんとデートでしょっ?」
「で、デート?!」
「否定しちゃダメよ♪ せっかく俺達が応援してあげるんだから」
「いや、でも……」
「いいから誘っちゃえYO!」
―――――
……とかなんとか言われて。
……。
うん、正直に言おう。ルシフェルの方から話を持ち出してくれて、あたしはとても嬉しかった。
「そう、クリスマス。一緒に出掛けないか?」
ひ、ひゃぁぁぁ……!
これってデートのお誘い? しかもクリスマスに?
いつも一緒に買い物とかは行ってるけど、クリスマスってのが重要なわけで。あたしはめちゃくちゃ動揺しつつ、それでも努めて冷静を装って笑った。
「いいよ」
「良かった」
ルシフェルも笑う。
……。
……。
やっほぉぃ!!
「……真子?」
「はっ!」
知らないうちにガッツポーズしてたらしい。恥ずかしッ!
「い、いや。そっそれにしても、ルシフェルがそんなこと言うとは思わなかったよ」
「真子には世話になったから」
「え?」
「クリスマスは、一年間にいちばん世話になった人と過ごす日だと聞いた」
「誰に?――」
聞いてから、はたと気付く。もしかして。
「今日、圭に聞いたんだ」
あたしの推測は確信に変わる。黎香も奏太も、あんなに自信満々だった理由がわかった。
多分これは“共謀”なんだ。
「うーん。まぁ間違いじゃないよね」
言いながら自然と笑みがこぼれる。ルシフェルが不思議そうに首を傾げた。
「何かおかしいこと言ったか?」
「ううん」
……応援してあげるんだから、って、そういうことね。
「ふふ、あたしには素敵な友達がいっぱいだなぁと思ってさ」
尚も怪訝な顔のルシフェルには何も言わずに、あたしは心の中でみんなにお礼を言った。
***
「――何をしろって?」
私は耳を疑った。目の前の少女を見下ろす。口元には笑みを浮かべた黎香……邪気すら感じる。
「だーかーらぁ。後ろからぎゅう〜って抱き締めて、耳元で『愛してるよハニー』って囁いて、それから唇にブチュ~っと。んで、『結婚しよう!』。これだけでいいんだってば」
「ばっ……!」
馬鹿かこの小娘は! 何がこれだけだ。私に? やれ、と? アスモデウスならいざ知らず……
「冗談を言うな! 私は堕天使長だぞ。人間に対してそんな真似――」
「クリスマスはそういう日だろがいッ!」
「感謝するためだけにそんな行為が必要か貴様!」
「感謝の気持ち with ラブ!! クリスマスは愛も伝える日なんだってお爺ちゃんが言ってたもん!」
し、知ったことか!
これ以上言い争っていても埒が明かん。せっかくこの家を訪ねてくれたのに悪いが、今日は帰ってもらうぞ。
「そんならルーたんは、」
が、私より先に黎香が口を開く。
「ルーたんは、真子ちんのこと好きじゃないの?」
「……」
不機嫌そうにも見える黎香の表情。その目を何故か見ることができなくて、私は顔を背けた。
「ねえ、」
「嫌いなわけ、なかろう」
そう、嫌いなわけがない。私が他人を嫌うことなど滅多にないのだが、それでも真子は……好きなほう、なのだろうな。
「じゃあ好きなんでしょ?! いいじゃん結婚しちゃえば~。真子ちんは地獄のクイーンさ!」
「ま、待て待て待て。確かに私は独身だが、に、人間と我々の寿命がだな、そもそも……」
「ルーたん」
「へっ?」
「問題はそこじゃないと思うにゃあ」
くあぁっ……れ、黎香に突っ込まれただと?!
落ち着け私! 動揺する必要などないのだ。小娘の戯言に心を乱されてはならぬ!
「わかった、わかったから。今日のところは帰れ。そろそろ真子も買い物から戻るだろうから」
私は半ば無理矢理に黎香を立たせ、玄関へと押しやる。えー、という声はしたが、存外に抵抗は少なかった。
「約束だぜルーたん。ちゃんと白黒つけたまえよっ!」
「私は黒の方が……」
「……バイバイ!」
なんだ、最後の間は。まあ、いいが。
ひとりになってからも、私の心には黎香の言葉が引っ掛かっていた。
確かに……確かに真子のことは大事だ。彼女に対する感情は上手く説明できないけれど。
ただ、と一方で思う。私は黎香の言うような台詞は言わない。言わないし……言うことができない。
私には、資格がないのだ。散々我が儘を通してきた私は、これ以上の裏切りなど……
***
「ねえ奏太、クリスマスのこと、みんなで協力してたんでしょ」
あらやだ。もう作戦バレちゃったわけ?! 真子ちゃんってば、可愛い顔して勘がとっても鋭いわね~。
「やっぱりもう知られちゃった?」
「うん。ルシフェルがさ、池田君から話聞いたって言ってたから、もしかしてと思ってね」
て、天然さんだものね、彼。忘れてた。
「もう、ルシフェルさんも人から聞いたなんて言わなきゃいいのに」
「でも奏太達の態度もちょっと不自然だったよ」
そうかしら?
真子ちゃんはあっけらかんと笑ってる。俺としてはフクザツな気分。……まあ真子ちゃんも“そういう話”に関しては、勘が働かないみたいだものね。
「真子ちゃん、良かったら当日のお洋服は俺が見繕ってあげるけど」
「ホントっ? 奏太はセンスいいもんねえ。うん、任せた!」
「そ、れ、と。プレゼント買うでしょ? いいお店紹介するから、今日学校が終わったら一緒に行きましょ♪」
「あ、ありがとう! なんか色々と……」
ふふん、全面協力態勢よ!
「けど奏太、なんでそこまで……?」
困ったように真子ちゃんは笑う。俺はこっそりため息。
「……いい? 真子ちゃん。クリスマスにデートなんて、素晴らしいビッグチャンスなのよ。何が起こるかわかんないんだから!」
「ええ?! チャンスって、そんな……」
正直なところ、イライラしてるのよねー。いや、悪い意味じゃないの。ただそろそろ白黒はっきりしてー!って感じ。
お互いの気持ち、第三者の俺にはよ~く伝わるんだもん。見ててもどかしいわ。
「とにかくっ。最高のクリスマス目指して頑張るのよ♪」
「は、はい!」
俺が協力するのはそんな小さなお節介心から。黎香はどうだか知らないけど。あの子はただ面白がってるだけだったりしてね。
けれど……圭君には悪いことしたかも。“恋敵”に協力させるなんて、ね――
***
湿布、という薬は便利なものですね。人間の発明は時に偉大です。
「……っ」
黒衣の袖をたくし上げ、体を捻り。剥き出しの肩は奇妙に熱を帯びているのがわかります。
ふふ、慣れない動きはするものではありませんね。本で読んだスモウの技を熊に仕掛けてみたのですが、どうやら筋を傷めてしまっていたようです。
ここへ来てから、僕も甘くなりました。以前ならばこの程度の痛みは放っておいたでしょうに……
《バタバタバタ!》
おや、来ましたね。
「アッシュぅぅー!」
《どんっ》
「げほっ!」
背中にとてつもない衝撃。小柄なのに、勢いがありますからね彼女は。
僕は苦笑しつつ、ため息をひとつ。
「……黎香さん?」
「みゃはーっ、筋肉だよぉ!!」
ぴったりくっついたままの黎香さんが、僕の首に抱きついてきます。……と、いうか。
「く、苦し……ッ!」
「にょー?! ごめんよアッシュ!」
ち、力の加減を知ってください。危うく窒息するところでしたよ。
「こほっ……黎香さん、良かったら湿布を貼ってもらえませんか?」
「合点承知ぃ!」
ありがたいですね。背中に密着していなければもっとありがたいのですが。そこは贅沢を言わないことにしましょう。
「あのねアッシュ、」
「はい」
「黎香達、今ね、真子ちんとルーたんのために《デート大作戦☆》を実行中なんだよぅ」
「デート……大作戦?」
「そうそうっ。クリスマスには二人で過ごしチャイナ的な?!」
クリスマス……イエスという人間のための祭りでしたか。聞いたことはあります。この地上では、その日に恋人同士で過ごすのがステイタスのようですね。ルシフェル様と、真子さんが、ですか。
……いえ。気にすることではありませんね。僕ら堕天使には、何の意味も持たない行事です。
「我々は、堕天使なんですから――」
自分に言い聞かせるように呟いてみて。幸い、黎香さんは聞いていなかったようです。
「でね、ルーたんったら冷たいんだよー。せっかくの機会にプロポーズもしないんだって!」
「それは……」
当然です、と言いかけて飲み込む。まだ、知らなくていいことがありますからね。
けれど――彼の愛の行方は、今もきっと変わっていないのでしょう。優しい彼が壊れてしまわないように、僕は傍にいなければならない……
「ところでアッシュ」
「えっ? あ、何でしょう?」
「アッシュは黎香のこと好き?! 黎香は大好き~!」
……。
人間というものは、時に理解しがたいけれど偉大です。
……あれこれ考えても仕方ありませんよね。
「はい。僕も黎香さんのことは好きですよ」
「うひょー♪ じゃあじゃあ、クリスマスは一緒だよ!」
「ええ」
僕は僕自身で楽しむことにしましょう。せっかくの機会ですものね。
……信じていますよ、ルシフェル様――。