第60話:堕天使とコタツ♪
大分涼しくなって来た夕暮れ時。我が家の居間からは上機嫌な鼻歌が聞こえる。
「~♪」
もちろんその主はルシフェル。堕天使様はソファーで毛布に包まりながら、幸せそうにドーナッツを頬張っていた。あたしが学校帰りに買ったものだ。
ドーナッツくらいならあたしも作るけど、今日は平日だったし。それに何故かたまに食べたくなるんだよね、お店のドーナッツって。
「美味いー♪」
「良かったね」
本当に嬉しそうに食べるなあ。これはCMの依頼が来るかもしれん。
あたし達はテレビを何となく眺めていたが、ルシフェルはドーナッツを食べ終えると立ち上がった。向かうは台所。飲み物かな?
「寒ーい寒ーい」
フンフフン♪と呟きながら堕天使長は台所へ。……毛布をずりずり引き摺りながら。
いくら朝起きるのが辛くなってきたって言っても、ねえ。さすがにそこまで毛布には依存しないよ。
「寒いの?」
「ん、少し」
マントのように毛布を握ったまま、ルシフェルはすとんと再びソファーに納まる。あれだ、“こたつむり”になるタイプだなルシフェルは。
……んー。こたつ、かあ。
「真子は寒くないの?」
逆に聞かれる。
「あたしはまだ大丈夫だよ。朝晩はちょっと辛いけど」
「そうか。人間は皮が厚い?」
「……いや、それはどうだろう」
ルシフェルは寒がりなのかな? 夏は夏で暑くて大変そうだったけどさ。
そのままあたし達は他愛もない会話をしながら、ぼんやり夕方のニュースを見る。
今日は平日とはいえ学校の課題も少ないし。何よりドーナッツと温かいお茶が目の前にあったら、誰でも動きたくなくなるよね。ってことで、本日はいつもよりのーんびりお送りしてまーす。
キャスターのお姉さんが『冬将軍がやって来て……』とか言っている。いやぁ、秋はあっという間だもんねー。
「ふゆしょうぐん……?」
ルシフェルがふと首を傾げる。
「……って、誰?」
「げほっ!」
思わずお茶でむせてしまった。誰、と言われても。
「客人? それとも敵? 強いのか?」
うん、まあ。どちらかと言えば強いんじゃないかね? 冬将軍……将軍だし。ロシア?
一瞬……、一瞬だけ、ベルフェゴールさんが頭をよぎったのは内緒。あの悪魔さんは将軍なんてもんじゃないよ。冬を体現したみたいな極寒の悪魔さんだ。
「地獄には冬って季節もないんだよね?」
「ああ。それなりに寒い地域はあるがな」
そういう地域に行った時はどうしてたの?……なーんて聞くと、また夏の時みたいに金持ちぶりをアピールされそうだ。従者がたくさんいて~、とか。
毛布の塊と化したまま、ゆらゆら前後運動をしている堕天使様。ぼけっとしてても美しい横顔……と見惚れていたら、不意に目が合ってしまった。
「……ね、真子」
「んっ?」
「人間は冬眠するのか?」
しねえよ!!
「んなクマじゃあるまいし。堕天使さん達だってしないでしょ?」
「するよ?」
「え?!」
「……冗談」
ルシフェルは肩をすくめてみせる。むうっ、騙された。
ちなみに彼は終始真顔。さらっと嘘を吐きよってー。
「扇風機の温風版はないのか?」
……温風機? ヒーターってことかしら。
「一応電気ストーブはあるけど、こたつもあるよ」
「“虎竜”?」
誤変換ッ。めちゃ無理あるし。つーか何げにカッコいいよ。
「真子、こた……なんとかって暖かい?」
「そりゃね。うちは冬はこたつで乗り切るんだよ。ぬくぬくしててねえ、すごく気持ちいいの」
堕天使長の顔がパッと輝く。く、食い付いたぞ。
「欲しい!!」
うーん、言うと思った。
まあどうせそろそろ出す予定だったしな。ルシフェルが寒いって言うんなら、ちょっとくらい早く出してもいっか。
「どこにあるんだ? 金ならばいくらでもあるが」
「いや、例によって……」
言い淀むあたしを見て、ルシフェルはきょとんとした表情で首を捻る。
「どうしたんだ真子?」
「実はその、また“開かずの間”に……」
我が家の通称・開かずの間。一般的には“納戸”というらしいよ☆
もうね、皆さん既にお分かりとは思うんですが。片付け下手なあたしが物を詰め込み過ぎたせいで、開けるに開けられない物置場。ルシフェルが来てからは、堕天使パワーで物を出してもらっている。浴衣然り、扇風機然りね。
「“開かずの間”だと?!」
が、ルシフェルのリアクションが尋常じゃなかった。
「ん? ルシフェル、その言葉がどうかしたの?」
「開かずの間、というのは万魔殿の“あそこ”のことではないか。何故そんな場所に“こたなんとか”が……」
「ち、違うよルシフェル。うちにあるんだよ」
「……そうか?」
なーんだ、と笑う堕天使様。ふう。
そして万魔殿にも“開かずの間”が存在することが判明。どんな場所か気になるけど、今はとにかくこたつこたつ!
「ところで真子、こたなんとかはどこに?」
「ん? だからうちの通称・“開かずの間”に――」
堕天使様は目を見開く。
「何っ? “開かずの間”だと?!」
「え? ルシフェル、その言葉に何か……って、これじゃ無限ループでしょうが!!」
また新たなボケ技術を……。当の本人はあたしのツッコミに、悪びれもせずニコニコ笑っている。しかも、
「真子と遊びたくて」
なんて言うもんだから、すっかり気が抜けてしまった。……可愛いなこのやろー。
「分かってるよ。あの物置の中だろう? 私が出してやるよ」
「……ルシフェル」
「ん?」
「毛布は置いていくように」
「はあい」
一旦立ち上がったルシフェルは、渋々ながら再びソファーへと毛布を置きに戻る。もうすぐ温かくなるから待ってなさいっ。
さて、リビングにある食事用に使っているテーブルですが、実はこたつなのです。毎年、冬場だけ専用の布団をかけて使う。
だからこたつ布団が見つかればもういいんだけど。
いつものあたしなら、ここでルシフェルに堕天使パワーで布団を取ってくれるように頼むところ。
……でもちょっと待てよ。年末の一大行事、“大掃除”に向けて、今から納戸を整理しておくのも悪くない。どうせ年末は忙しいんだし。
「ねえルシフェル、これからちょっと掃除しない?」
「!!」
するとルシフェルはびっくりしたように紅い目を瞬かせ、やがて小さく呟いた。
「ま、真子から掃除しようと言われるなんて……」
てめ、超失礼ー。そりゃぁ片付けられない女だけど、やる気はあるんだぞっ。
「わわ、ごめん真子。そんなジト目で見ないでくれ」
「……」
「い、いやっ、真子が掃除を提案するのが珍しいとかではなくてな、その、休みの日でもないのに掃除しようというのがなっ、えと、あうー……」
天然さんは下手に言い訳すると墓穴を掘りがちだよね。ルシフェルはひとりでテンパっていた。面白いなこの魔王。
「冗談だよルシフェル。そんなに慌てなくていいから。日本では年末に大掃除する習慣があってね、家中全部を一気にやるのは大変だから、ちょっとだけやっておこうかなあって思っただけ」
「そ、そうか。そういうことならば」
ルシフェルはひとつ頷いて腕まくり。
「私に任せろ。いつもの食事の礼だ、そのくらいは喜んで手伝おう」
おお、心強いお言葉! けれど彼はまた首を傾げて。
「……だが、先にその“こたなんとか”を出してからではダメか?」
そう尋ねてくる。寒いのか。
「いいよ」
……あっさり承諾したあたしは、深く考えなかったことを後々後悔するハメになるんだよねー。
***
開かずの……じゃなくて、納戸の前にルシフェルは立つ。手には一枚の紙。こたつ布団の絵はさすがに難しかったので、家具屋さんのチラシを。写真がついてるからね。
いつものように紅い瞳が納戸の上を彷徨い、やがて、止まる。
「見つけた♪」
堕天使様が物を抱える仕草をしたと思うと、次の瞬間には腕の中に布団入りの圧縮袋が。正解だよルシフェル! すごいぜ堕天使パワー。
「……」
ところがルシフェルは浮かない顔。
「……温かくない」
うん、そりゃね。
あたしはツッコミを飲み込み、圧縮袋からこたつ布団を取り出した。それからリビングにあるテーブルにかけて、天板、コンセント、スイッチ……と。
「すごい、合体だ」
「ルシフェル、中に入ってごらん」
堕天使様は恐る恐るこたつの中へ。途端に訝しげだった顔が笑顔に変わる。
「温かい!」
こたつって日本人でも癒されるもんねー。魔王様も気に入ったご様子。
「火傷しないように気をつけるんだよ。あと、こたつに入ったまま寝ちゃダメだからね」
「はーい……」
もう既に寝そうなんですが。返事が眠そうです。
「ちょっ、ルシフェル、掃除は?!」
「やる~……」
もごもご呟いて彼は納戸の方へ移動。
今度はこたつを引き摺りながら。そんなに寒いか。
「ルシフェルっ」
「だって、出たくないんだもの」
よくもまあ、あんなに重たいこたつを引き摺って腹這いで動けるなぁ。自衛隊も顔負けだ。
「んー……」
堕天使様は納戸の扉を見つめ、難しい顔で唸る。
「物が入り過ぎ。扉を開けたら雪崩の予感」
あはは、やっぱりかー。伊達に片付け下手を自称してないぜ! でもちょっとグサッときたぜ!
「……ん?」
すると今度はその表情が凍り付いた。どうしたのかと問う間もなく、こたつの中へと引っ込むルシフェル。あ、こたつむり。
ややあって慌てた様子で顔を出したルシフェルは、髪を乱したまま青ざめてあたしを見上げた。
「ど、どうしよう」
「え?」
「虎竜、壊れた!!」
うっそ?! まだ比較的新しいのに。
「はわわ……どうしよう真子。温かくないよ!」
……って、オイ。
「ははっ。大丈夫だよルシフェル」
「へ?」
あーもう。なんて面白いんだ天然堕天使。
あたしは屈み込んでこたつむりの黒い尻尾をつまみ上げた。尻尾……こたつのプラグを。
「これが抜けちゃったから温かくなくなったんだよ」
ルシフェルがずるずるとこたつごと移動するもんだから、コンセントが抜けちゃったんだね。
「……壊れたわけではない?」
ぽかんとしているルシフェルに、あたしは苦笑しながら頷いてみせる。
「よ、よかった~……」
心底安堵しているよう。こたつから半身を出したままとろけちゃってる。いやー、あたしも一瞬焦った焦った。
「で。ルシフェル、掃除……」
「出たくないぃ。けど掃除ぃ」
むむ、これは選択ミスだな。先にこたつを出すんじゃなかった。
葛藤していたらしいルシフェルはしかし、急にがばっと身を起こして。
「だがな真子、やるなら本気だからな! これを掃除していたら夜が明けてしまうと思うぞ!」
な、なんかいきなり怒られた!
「す、すみませんっ」
勢いで謝ってしまった!
ルシフェルは再びごろりと横になると、自分の隣をポンポン叩いた。入れって?
……うん。
「お邪魔しまーす♪」
あたしだって日本人、こたつは大好き♪ ああ気持ちいいなあ~……。
ルシフェルと近くてドキドキしてるのは秘密。一緒に寝たこともあるってのにさ。ま、人外だし? そういうこっちゃないか。
「というわけだから今日は掃除は休み。真子と二人で暖まるんだ♪」
布団にもぐりながら言う堕天使長が可愛過ぎ。もう掃除なんてどうでもいいやって気分になる。
「でも、」
「んー?」
「ご飯は食べたい」
……。あたしに出ろってか。
嫌だぁい。もうちょっとだけ暖まらせて……
「では、こうすればいいか……」
ルシフェルが何やらぶつぶつ言っているのが聞こえる。それと同時に硬いものがぶつかるような音も。何事?
布団に潜ろうとしていたあたしはテーブルの上を見た、ら……そこにずらりと並んだ調理器具一式。本来なら台所にあるはずのそれらをせっせと移動させているのは、言うまでもなく。
「な、何してんのルシフェル?」
「ここで料理できたら、真子も楽かなと思って」
言ってるそばからお玉が瞬間移動で出現。更には空中に包丁が……って危なッ!
気遣いは嬉しいんだが、なあ。天然なのかわざとなのか。
「あのねルシフェル、火も水も使えないで料理は無理!」
「!!」
……多分、前者だな。つーか食材もないし。
こたつから出るか……。まー、仕方ないよね。あたしもお腹空いた。ちゃちゃっと終わらしてのんびりしようっと。
「あっ。真子、この虎竜の熱を使えば……」
そういう問題じゃないんだよ天然堕天使長! そんな火力なら、あたし達は今頃丸焼けだぜー♪
……あ、結局掃除してないや。
……。
ね、年末に頑張ろう!