第56話:堕天使とスポーツ
「すごい人だな」
「広いですー!」
今日は堕天使 in 市民体育館。観客席に座るあたしの隣にはルシフェルと、その膝の上に座ったウァラク君。まるで親子みたい。
秋といったら、スポーツの秋を忘れちゃいけないよね。とはいえ今日は運動しに来たわけじゃない。代わりに“応援”に来たのだ。
《キュキュッ》
《ダム、ダム、ガゴンッ!》
広い体育館で行われているのは――バスケットボール。
公式試合ではなくて、交流戦のようなものらしい。うちのバスケ部も出場するんだよ。
ウォーミングアップしている選手達の中に、一際機敏な少女がひとり。
「あれ、黎香?」
ルシフェルが首を傾げた。
うん、その通り。あたし達はあの爆弾娘から試合に招待されたのだ(ほぼ強制)。
黎香はあたしと同じで特定の部活には入っていない。が、その驚異の運動能力をかわれ、度々“助っ人”として他の部活に出張している。今回も然りだ。
……そしてバスケ部といえば。
『キャー! 虎谷先輩カッコいい!』
『いいぞ、奏太ー!』
観客席から声援がとぶ。それに応えるように長身の爽やかな少年が軽く走って来ると、まるでお手本のような見事なレイアップシュートを決めた。
我が高校バスケ部が誇るエース、虎谷奏太である。
「みんな、ありがとー♪」
彼はこちらを見上げて手を振った。ああ、白い歯がまぶしいっ!
奏太は以前から人気者ではあったけれども、女装大会以来更に後輩達から慕われるようになっていた。たまにラブレター(!)をもらうようになったとかいう話だ。
「真子、あの籠にボールを入れれば勝ち?」
「ん、まあそんなところかな」
ふーん、と言いながらルシフェルお兄様はウァラク少年を抱え上げ直した。金髪の愛らしい少年はとっても嬉しそう。
と、不意にルシフェルはウァラク君の顔を覗き込んだ。
「いいのかウァラク? 今日は力を貸してやらないで」
「はい、今日は……って、え?!」
「気付いていたぞ、最初からな。お前のことだ、何かしら奏太に礼はするだろうと思っていたし」
「うひゃあ。さすがはルシフェル様だなぁ」
ウァラク君はまん丸な瞳をもっと見開いた。堕天使長はただ笑う。飲み込めてないのは……またあたしだけみたいね。
「……ねえルシフェル、ウァラク君。力を貸すって?」
くつくつと肩を揺らしたのはルシフェル。
「――いいね、真子。わからないことを知ろうとする姿勢は」
「へ?」
「いや、何でもないさ。……真子、たまに奏太が人間離れした動きをすることはなかった?」
? 言われてみれば……うーん……?
「ほら例えば、私が黎香に花瓶を落とそうとした時の」
……。
……あ、ああ! そんなこともあったね。ルシフェルが学校に来てさ。
冷静になってみると、確かにあの時の奏太のジャンプはすごかったかも。あたしは焦ってたから、あまり気に留めなかったけど。
「恐らくあの跳躍は、ウァラクの助力があってのものだろう。我々の身体能力は人間より遥かに勝るからな。補助してやれば、人間も普段以上の動きが可能になるんだよ」
ということは、ルシフェルに頼めばあたしの運動神経も少しはマシに?!
……いや一応、元運動部だけどさ。走るのとかはあんまり得意じゃなくて。ちなみにみんな、運動神経が“無い”ってことは無いんだぜ。
「ふーん。で、それをウァラク君が?」
「はい、あの時はボクがジャンプの手助けをしました。菓子パンをいただいちゃったから。でもでも、今回は補助してないですっ」
あの時というのは花瓶を落とした時だね。どうして今回は無しなの?
「奏太さんが自分でいらないって。“そんなのフェアじゃないもの♪”だそうです」
奏太ー!!
そりゃあんた惚れるわ。選手のカガミだよ。
「おっ、そろそろ……」
ルシフェルの言葉に視線を下ろすと、練習していた選手達はいなくなっていた。いよいよ始まるのね!
***
さて、最初は女子の試合だ。
「真子ちーん、ルーたぁん、チビ君! 応援よろぴく☆」
青いユニフォームに番号をつけた黎香が叫ぶ。
「チビって言うなぁぁ!」
ウァラク君も負けじと叫ぶ。
相手は赤いユニフォーム。市内の高校のようだ。
『お願いします!』
並んで挨拶。背の高い選手ばかりの中では黎香は結構目立つ。が、
「にひひひ~」
ジャンプボールに立ったのは何故か、一番背の低い黎香。うちの学校は勝つ気があるのか?
相手チームも同じことを思ったらしく、余裕の表情だ。
《ピィィーッ!》
ホイッスルが鳴る。審判によってボールが上げられ……
「この黎香様を――」
黎香は膝を曲げて、
「ナメんなよー!!」
跳んだー!!
《スカッ》
「おりょっ?」
か、空振ったー!?
相手は一瞬呆気にとられた様子だったが、すぐさま立て直すとゴールへ走る。期待しちゃったじゃんかよ黎香。
「ふ……ふははっ、作戦通りサー!」
言葉とは裏腹に黎香はかなり焦りながらダッシュ。
けれど腐っても助っ人。腐っても三ノ宮黎香。彼女の脚力は常人を遥かに越えた。
『ナイスカット黎香!』
「あははははっ♪」
目にも止まらぬ速さでボールを奪うと、助っ人黎香は猛然と走る。
……ボールを抱えて。
《ピィィーッ!》
もう、すごいトラベリングである。黎香てめー、ルールわかってんのかよ。
「すまんっ、黎香の俊足ならバレないかと……」
チームメイトは笑いながら許していたが。ま、交流戦だからね……。
黎香は直接得点にも貢献していた。名プレイヤーというよりは迷プレイヤーだったけれども。だってシュートする度に謎の言葉を叫ぶから。
第一回目の
「飛んでけでけでーんっ!」
に始まり(なんだそれ)、
「ニンジンは赤じゃなくてオレンジー!」
とか(よく見れば、ね)
「ぬぅぅーいっ!」
とか、ただの奇声もあった。コメントしづらいよ。
「あははははー!」
ほら、今も笑いながら全力疾走してるし。ドリブルは覚えたらしい。良かった良かった。
そのまま空いたスペースに到着。ゴール前の絶好のポジション! 行け黎香!
「左手はぁ……、」
まっ、まさかあの名言がついに――?!
「茶碗持つ手ー!!」
知らんがなー!!
***
さあ、続きまして男子の試合。
あ、ちなみに女子の試合はうちのチームの快勝でした♪ ……思うに、向こうのチームが黎香の爆発っぷりに戸惑ってしまったのではないかと。ま、これも作戦のうち?
「いよいよ奏太さんです!」
ウァラク君は嬉しそう。奏太のことが好きなんだね、少年。
女子と同様、ずらりとラインに並んだ選手達。
「はわわ……おっきいですね」
少年が声をあげるほど、どの選手もガタイがいい。背も高いし筋肉もすごい。
中には奏太の姿もある。ユニフォームから伸びる長い手足は筋骨隆々、男子なんだなあって今更ながら感じたよ。いい人オーラは出まくりだったが。
『お願いします!』
相手チームは……うわっ、結構有名な強豪校だ。道理でみんな坊主頭なわけだよ! ちょっと怖い。
うちのジャンプボールは長身の……多分一年生だ。
《ピィィーッ!》
開始早々、ボールを手にしたのは相手チーム。見事にパスを繋ぎ、あっさりとシュート。速い……!
呆然としているうちのチーム。するとひとつの声が響く。
『気にすんな! まだ始まったばっかだぞ!』
あれは確か……ああ、次期キャプテンの期待がかかる二年生の井神君だ。
その言葉で調子を取り戻したか、うちのチームの反撃開始。井神君がドリブルで数人抜き、バウンドパスを出す。
「頼むぜ奏太!」
「はぁい♪」
ふわふわした返事とは真逆で動きは素早い。くるりくるりと華麗にディフェンスをかわし、手から放たれたシュートはゴールの真ん中をすり抜けた。
『っしゃあ!』
『ナイスシュート!』
パチンとハイタッチ。青春だぜ。
「きれいな動きだ」
隣でルシフェルが微笑む。エースの名は伊達じゃないってことだね。
その後も両チーム共に点数を重ね、一進一退の攻防が続いた。
「もう時間が……」
だがウァラク君が呟く通り、残り時間が一分をきった段階で相手にリードを許している状況。
勝ちたい。ここまできたら、交流戦だろうが何だろうが!
しかし相手は強豪校。そう簡単には得点させてくれない。
『諦めんじゃねえぞぉー!』
『走れー!』
観客席も更にヒートアップ。
残り十秒。次期キャプテン・井神君がリバウンドをキャッチした。ボールが向かう先は――
「行け奏太ぁっ!」
パシッ、とボールを受け取りエースは走る。これが決まれば逆転だ。
残り三秒。間に合うか……?!
と、奏太は立ち止まり、ゴールからかなり離れた位置で構えた。あそこから投げるしか間に合わない!
「左手はね――」
言いながら奏太は“振りかぶり”、
「――“添えるだけ”よ!!」
ついに名言来たー!!
……けど。バスケ部のエースはボールをぶん投げたのである。有言不実行もいいとこ!
バスケとは思えない剛速球は真っ直ぐにゴールへ向かい、そして――
***
「お疲れ奏太!」
「おめでとうございます奏太さん!」
「ありがと♪」
あたし達は体育館の外にあるベンチに腰かけていた。
反応からお分かりとは思うが……奏太が放った決勝ゴールは見事に決まり、うちのチームは男女共に勝利という素晴らしい結果になったのです。
本日の英雄殿はジャージ姿でペットボトルの蓋を捻る。
「みんなの応援があったからよ♪」
満足げに笑う視線の先にはひとつのバスケのゴール。庭とかによく設置してあるアレだ。
奏太と同じジャージを着てボールをついているのは、これまた今日の英雄である井神君。ヒュッ、と放たれたボールは
《ガゴッ》
バックボードから跳ね返り、リングを通り抜けて落ちた。
それを拾ったのはルシフェル。井神君にアドバイスを受けながら、堕天使長様は見よう見まねでドリブルを始めた。見ているうちに、バスケをやってみたくなったらしい。
付け加えるならば、井神君にはルシフェルは見えてもウァラク君は見えていないはずだ。
「……あっ、そうそう」
隣で奏太が少し声をひそめて言う。
「ウァラク君、ゲーム中に助けてくれたでしょ?」
「なっなななんでですかッ?!」
狼狽し過ぎだ少年よ。わかりやすいなあ。
「ふふ。ウァラク君が助けてくれてなかったら、俺、ケガしてたもん。真子ちゃん、俺が相手チームの選手とぶつかった時、わかる?」
ああ、あったあった!
奏太がパスを受け取るためにジャンプした時、ディフェンスの選手と接触してしまったのだ。
「あの時ね、体がふわっと浮いたみたいな感覚があって。ああ、堕天使さんが助けてくれたんだなって思ったのよ♪」
そう言って奏太はウァラク君の金髪を撫でた。ウァラク君は顔を赤くして首をすくめる。
「助けないって言ってたのにごめんなさい! でも、あのままじゃ着地の時に足を捻ってしまうって思って……」
可愛いな、もう!
あたしは少年をぎゅっとしたい衝動を必死で抑えていた。罪な可愛さだぜ。
奏太はニッコリと笑う。
「いいのよ♪ むしろ感謝してるわ。ありがとね♪」
それから耳元でこしょこしょと、
「――大丈夫。ルシフェルさんには黙っておいてあげるから♪」
と囁いた。なるほど、一応上司にあたるからな。
そのルシフェルは……とあたしがまた視線を移すと、彼は井神君にバスケの指導を受けてました。井神君が何かを言い、ルシフェルは頷く。
それから堕天使長は軽く膝を曲げて構えると、フリースローを放った。
《ガンッ》
……が、残念ながらリングに弾かれてしまう。いくら堕天使長様でも、いきなりできてたまるかい。
思わず笑うと、奏太もつられたように軽く笑い声を漏らす。それから、急に静かな調子で口を開いた。
「――昨日ね、夢を見たのよ」
「……夢?」
奏太は頷いて目を細める。
「そう。バスケの試合の夢なんだけど。俺、マンツーマンディフェンスしててさ、そしたらいきなり背中に翼が生えたの」
「翼が?」
「まるで堕天使さん達みたいな翼よ。だからね、予知夢みたいなものだったのかなぁって思うわ。実際に今日は堕天使さんの手助けがあったわけだし」
予知夢、ねえ……。
ぼんやり考えていたら、足元にボールが転がって来た。追いかけてルシフェルもやって来る。
「見た目よりも難しいんだな、これ」
と完全無欠の堕天使長。あたしがボールを拾ってあげるとルシフェルは、
「……この方法なら簡単なのに」
と呟いてゴールに向かって小走りに近付いていった。かと思うと、先程よりも膝を曲げてトン、と地を蹴る。
《パシュッ!》
「え……」
「わ……」
「あら……」
ボールは見事リングを通り、ルシフェル自身も軽やかに着地。
これにはさすがの井神君もぽかんと口を開けた。何故ならルシフェルが決めたのは……
「あ、あれって……ダンクシュート?」
初心者にして大技ダンクを華麗にやってのけたのだから。いくら長身とはいえ、かなりの脚力とセンスが必要になるはずだが。やるな堕天使!
天然な本人は、あたし達がびっくりしていることにも気付かず、ただひたすらシュートが入ったことを喜んでいる。
「見た真子?! 入ったぞ!」
「あ、うん……」
む、無邪気……。
だが、そんな天才的プレイヤーを“彼”が放っておくわけがなく。
「是非うちのチームに!!」
……いや、それは無理な話だよ井神君。だって高校生じゃないし。そもそも人間じゃないし。
「確かにルシフェルさんが入ってくれたら、きっとうちのチームは負けなしね♪」
面白がってるだろ奏太っ!
負けなしというか何というか、勝負にならないのじゃなかろうか。
「ルシフェル様は渡しませんー!」
そしてどうやらウァラク君は本気で言っているし。人気者だね堕天使長。
……しかしまあ、ついにバスケ部からもスカウトされたか。もちろん断って――
「試合後には打ち上げもするんだぜ!」
……。
「食べ放題に行ったりとか――」
「入る入る!」
って食べ物につられるなよ堕天使長! いつもの如く!!