第54話:堕天使と紅葉
「真子、火事だよ火事!」
と、朝っぱらからテレビの前で堕天使長が言う。また?!
「最近火事ネタ多くない?……」
あたしは台所から出て、ルシフェルが指差す画面を見に行った。どれどれ。あ、ニュース番組だ……けど。
「ルシフェル、」
「ん?」
「これ山火事じゃなくて、“紅葉”だよ」
まあ、そんなことだろうと思ったさ。
毎年このくらいの時期になると、色んなところで紅葉特集なんかをやったりする。今画面に写っているのも何処かの山の映像だ。きれいだなー。
「こうよう?」
「どう見ても火じゃないっしょ。あれ全部葉っぱだよ」
「……だって赤いから」
……最近ルシフェルは素なのかわざとなのか、わからなくなってきた。
「紅葉って知らない?」
「ああ」
……。
「我々と人間の知識は違うんだよ」
威張るな堕天使。
「あのね、紅葉っていうのは、寒くなるにつれて葉っぱが色付くことなんだよ。赤とか黄色とかに」
地獄には季節はないらしいからな。知らなくても仕方ないか。
「すごいなー」
食い入るようにテレビ画面を見るルシフェル。
「……紅葉、見に行く?」
「本当?」
提案すると、彼はとても嬉しそうな表情をした。だってすごく見入ってたからさ。
「じゃあお昼ご飯持って出かけようか」
ルシフェルはニッコリ笑って頷いた。
……堕天使様がうちに来てから行動範囲が広がった気がする。どちらかといえばインドア派だったあたしが、今や自分から出かけようって言ってるんだもんなあ。
「真子、私に手伝えることは?」
おっと、堕天使様は待ちきれないご様子ですね。
***
お弁当を持ってバスを乗り継ぎ、郊外の植物公園へ。植物園ではなくて、普通の広い公園だ。隅にはちょっとした遊具もある。
「すごい!」
辺りに植えられた背の高い木々はどれも綺麗に色付いている。燃えるような赤、目が覚めるくらいの黄色、鮮やかな橙色。
更に抜けるような青空には鰯雲。涼しい風が心地いい。秋だねー!
「すごい、すごいよ。美しい」
ルシフェルはキョロキョロしながら、しきりに感嘆の声を漏らしている。
「あっちへ行ってみようよ真子!」
「うん」
並木道を二人で歩く。風が吹く度に葉がゆっくりと舞い落ちてくる。和むなあ。平日だから人も多くないし。
……サボりじゃないかって? 心配ご無用。本日は代休なり。先日の文化祭の代休なのです。以前のあたしなら、休日は家でごろごろだったよ。
「来て良かったね、ルシフェル」
「ん、そうだな♪」
サクサクと音を立てる落ち葉の絨毯。秋の音だぁー。
「あっ」
ルシフェルが声をあげて急にしゃがみ込んだ。
「見て」
振り返ってあたしに示してきたのは……おっ、“どんぐり”じゃん。
「いいもの拾った♪」
あたしも小さい時は、出かけた先なんかで木の実を拾って親に見せてたなあ。純粋なんだよ。
子供みたいに喜ぶルシフェルを見ていると、自然と顔が綻んでしまう。こういうギャップ、さすがは乙女キラーだぜ。
「これ食べられるかな?」
純粋というか寧ろ食欲ッ!
いや一応どんぐりは食べられるらしいよね。灰汁抜きとかしたら普通にイケるのでは?!
「えーと他には……」
「だからって探すなよっ」
「冗談冗談」
もう、頼むよ堕天使長。
「しかしまあ、季節というのは暑かったり寒かったりするだけかと思ったが……」
ルシフェルは空を見上げた。
「こんなことが体験できるなら、四季もいいな」
ざわりと風が吹き抜ける。さらさらの黒髪が柔らかく揺れる。本当に、どこにいてもサマになる。
「日本の秋は素敵だな」
「だね」
「食べ物もあればもっと素敵」
……。
「お腹空いたの?」
「……少し」
というわけで、ベンチに座って早めのお昼ご飯。下手にどんぐり食べられても困るからな。
ルシフェルにも作るのを手伝ってもらった昼食を取り出す。
「じゃーん」
「おお」
「……ルシフェルも手伝ったじゃん」
「そうだっけ」
箱に詰め込まれたサンドイッチ。料理音痴でもパンにバターを塗るくらいはできる。
「いただきます♪」
幸せそうにパンを頬張るルシフェル。この美青年が、泣く子も黙る魔王様だとは誰も思うまい。
なーんかいい雰囲気じゃん……とかあたしが思っていたら、ルシフェルは食べ掛けのジャムサンドを手に持ったまま首を傾げた。
「そういえば真子、何かの袋持ってない?」
袋?
フッ、まあ真子さんは準備がいいから、カバンには常にビニール袋が入ってるけどね!
「持ってるけど。何に使うの?」
「落ち葉を持ち帰って焚き火したいんだ。黎香がな、“芋虫”を焼いて食べると美味いって……」
焼き芋虫?!
……。
あ、焼き芋のこと?! 余計なのつけたら一気にグロテスクになっちゃったよ! 黎香の野郎!
「ルシフェル、それ多分芋虫じゃなくて芋を焼くんだよ」
「そうなのか? 良かった……芋虫を探す手間が省ける」
……そこ?
まだお昼だし、午後は焚き火してみるのもいいか。おやつに焼きたてのお芋って、素敵じゃないか。
サンドイッチを食べてから、あたし達はビニール袋に落ち葉をごっそり詰めた。この植物公園は火気厳禁なので、持ち帰って家の近所にある別の公園へ行くことに。
***
あたしとルシフェルは、散歩などでよく来る近所の公園にやって来た。以前、ルシフェルが砂場にクレーターを作ったっけなあ。うん、今日も公園には小さい子は少ない。
「焼き芋ー♪」
スーパーで買ったサツマイモをアルミホイルにくるんで、拾って来た落ち葉をかぶせ、そして着火。パチパチはぜる枯葉の山を前に、堕天使長は既に楽しげだ。
「まだかかるよ?」
「構わないさ。待つ時間が長いほど、美味しく感じられることもある」
そりゃそうかもしんないけどね。
「今日は食べ物の話ばっかりな気がするよ。ルシフェルにとっては“食欲の秋”だね」
ルシフェルは一瞬きょとんとしたが、すぐに破顔した。
「ああ。食欲の秋だ」
ホントにわかってるのかしらん?
もうもうと立ち上る煙が目にしみる。ちょっと休憩、と首を巡らせたあたしが見たのは。
「……ん?」
この辺りではあまり見ないような真っ赤な車。一台の自動車が公園前の道路を走っていき……やがてバックして戻って来た。んんっ?
「なんだ……?」
あたしの視線に気付いたらしいルシフェルが呟く。
見覚えのある車。その運転席から降りて来た茶髪の女性。
適当教師・楢崎先生だった。
「よ、進藤。と彼氏さん」
「違いますッ」
「え? 違うって、お前進藤じゃないのか?!」
「……」
「ジョークだよジョーク。そんな冷たい目で見るなよ」
楢崎先生は軽く肩をすくめる。今日はスーツではなく思いっきり私服だ。まあこの人がスーツ着ること自体、数えるほどしかないのだが。
「えーと、あんたは確か……」
「真子と一緒に住んで――」「従兄です!」
あぶねー。危機感ゼロか。
「従兄、ねえ。ふーん。で、お前ら何やってたんだ?」
「焚き火で焼き芋ですよ。秋を満喫中です。良かったら先生も一緒にどうです?」
「おっ、いいのか」
楢崎先生も加えて三人で火を囲む。異様な画だな、これ。
せっかくなので、あたしは気になってることを聞いてみることにした。
「楢崎先生、結局ベルゼブブさんとどうなったんですか?」
「ベル……? 誰だ?」
「ほら、あの文化祭の時の。茶色の長髪の人ですよ」
楢崎先生はしばし思案し、それからようやくああー、と頷いた。
「あいつか、あのめちゃくちゃ私好みの奴。そういう名前なのか。へえー、変わってんな」
な、名前も知らないままなの?!
「一緒にいたんじゃないんですか?」
「ああ、いたな。おごってもらったり、行列に並んでおいてもらったり、教頭の自慢話の時に囮になってもらったり……」
完全に使われてるよ堕天使さーん!
「ま、名前なんて聞かなくたって、私が進藤の担任してりゃ会う機会はあるだろ」
楢崎先生はあっけらかんと笑う。どこまで本気なんだか。
「……ところで先生、どこかに行く途中だったんですか?」
問うと、茶髪教師は慌てた様子で声をあげた。
「いや、そうだった! 今から友達と遊びに行くんだったわ。今何時かわかるか?」
「んーと、3時35……」
「マジ? ヤバいなー」
あたしは携帯を取り出して見た。楢崎先生は全然困ってなさそうな声音で呟く。
「やぁ困った困った。約束の時間からもう1時間も過ぎてる」
待たせすぎだよ! 早く行けよ適当教師!
「ん、中途半端に遅刻するよりか、思い切り遅れた方がそれっぽいじゃん。時間を間違えてた~とか」
……何がそれっぽいんだか。
おいこらせ、と立ち上がって埃を払うと、これまたのんびりと背伸びをひとつ。
「ふあ……。仕方ない、そろそろ行くかな。お前らも行く?」
「どこへ、ですか?」
首を傾げたルシフェルに、楢崎先生はニヤリと口端を上げて。
「植物公園に、紅葉を見に」
なんたる偶然!
「行きたい! ねっ、真子?」
「……さっき行ったじゃん」
「え?! 嘘っ?!」
大丈夫か堕天使長。
先生は真っ赤な愛車へと向かいながら、背中越しに手をあげた。
「じゃあまたな二人とも」
「お疲れ様です」
「さようなら」
「あ、今度そのベルなんとかに会ったら伝えてくれ。“髪色かぶってるから、いっそのことお前の長髪をピンク色に染めてやる”って」
うん、逃げた方が身の為だベルゼブブさん。
やがて真っ赤な自動車はエンジン音を響かせ、楢崎先生を乗せて公園前の道路を走って行った。よく駐車禁止とられなかったな。
《くるる……》
これは、エンジン音じゃないね。
「焼き芋っ♪」
どうやらさっきのは腹の虫の声らしい。あたしも、お腹空いてきた気がする!
つーことで、焼き芋を取り出してみることにしたのだった。ちょうど火も消えそうになってきたし。
「ルシフェル、熱いから気を付けて――」
「わかってるよ……ぅあっつ!?」
……。
おやつへの道程はどうにも険しいようですな。