第44話:VS 空飛ぶ魔神
前回の続き、大会篇は最後です。
「僕はこの勝負おりますよ、ルシフェル様」
……ところが、だ。
決勝戦開始直前、アシュタロスさんのこの言葉にルシフェル本人をはじめとして観客全員が驚いた。お、おりるって?!
「アシュタロス、お前本気で言っているのか?」
「本気も本気、僕は最初からそのつもりでしたよ」
アシュタロスさんは肩をすくめて笑った。肩から銀髪がこぼれる。些か拍子抜けした風の堕天使長。せっかく気合いたっぷりだったのにねー。
「ルシフェル様が勝つことは確実、そして僕が勝ち進むこともほぼ確定。ですが、たとえ決勝戦で当たっても、僕に戦う意思はありませんでした。だって、貴方の美しい顔に傷をつけたくないですから」
冗談……ではなさそうだ。
「それに、万が一にも上司に勝ってしまってはいけませんし」
「…………」
後ろの席のベルゼブブさんが小さく悪態をついたが、聞かなかったことにしよう。立場的には、ベルゼブブさんだってアシュタロスさんの上だもんね。ほ、ほら、こっちはきっと冗談だって!
《それでは、ルシフェル様の不戦勝になりますが……よろしいのですか?》
とアガレスさん。
「構いません。僕はいつだって優勝できますが、ルシフェル様は滅多に参加なさいませんからね。差し上げます♪」
ニコニコと言ってのけたアシュタロスさんに、ルシフェルは若干顔を引きつらせた。けど、ということは……?
《え、えー……では優勝は、ルシフェル様です!!》
腑に落ちない様子のルシフェル。それでも会場に響く大歓声。ルシフェルが優勝だってさ!
「もったいないよアッシュ~!」
黎香は手摺りをバシバシ叩いて不満そう。どうせ、アシュタロスさんの優勝に賭けてた、とかだろう。
ま、とにかく! 優勝おめでとうだねっ! 賞品は何かなあ?
《おめでとうございますルシフェル様。よろしければ今のお気持ちを》
「え? あー、っと……とりあえずは疲れたな。だが久々の大会で、いい刺激になった」
まだ釈然としない様子のルシフェル。気持ちはわかるが、ここは素直に喜びなさいな。
そうこうしてるうちに、賞品の贈呈式が行われるみたいだ。
《それでは優勝賞品は……》『ちょーっと待ったぁ!』
?!
「優勝は、我が輩を倒してからにしたまえ!」
思いがけない声に会場がどよめく。ルシフェルがはっと見上げた先には……
《会長……》
げんなりした声はアガレスさんのもの。
マジシャンのような黒マントにシルクハット、金縁の片眼鏡、白手袋をはめた手に携えたステッキ。髭を生やした茶目っ気溢れるおじさまが、闘技場の上空にふわふわと浮かんでいた。何やってんだよメフィさーん!
「……何故に?」
首を傾げた堕天使長を、メフィさんは楽しげに見下ろす。
「我が輩だって参加したいもーん♪」
おじさま可愛い!
「こほん……。いや、諸君の頑張りを見ていたらな、我が輩も動きたくなってしまったのだ。だからどうかねルシフェル君、我が輩と手合わせするというのは?」
「それはつまり……」
「ドリームマッチというやつだよ! 諸君、見たくはないかね?!」
メフィさんの呼び掛けに、観客は大歓声で応えた。……決まりだね。
「先生の思い付きは、相変わらず突飛で」
苦笑しつつもルシフェルは剣をすらりと抜く。刀身が光を反射して銀色に輝いた。
力の適度に抜けた構え。彼は空中の紳士同盟会長にピッと切っ先を向け、不敵に口端を吊り上げてみせる。
「よろしい。ちょうど闘志のやり場に困っていたところ。私でよければ相手になろう」
「そう来なくてはな! ――アガレス君!」
《は、はい! それでは急遽組まれました特別試合、ルシフェル様対メフィストフェレス様……開始します!》
《ピーッ!》
メフィさん、戦えるのかな? なんて思っていたら。
「行くぞルシフェル君!」
《パチン♪》
ルシフェルがいつもやるのと同じように、指を鳴らしたメフィさん。その手からは火炎放射! また熱い!
「ッ!」
ルシフェルの背中に現れた黒い影。堕天使長は巨翼を羽ばたかせて宙へと舞い上がる。
「《空間転移》はしないのかね、ルシフェル君?」
「私は別に、貴方を殺したいわけじゃない!」
物騒なことを口にしながら、縦横無尽に飛び回るルシフェル。そして追いかける炎。ってことは、ルシフェルが本気を出したら、メフィさんも殺せるってこと……? や、やだよ! ルシフェル怖い!
「ほれ♪」
《パチン♪》
でも、早く何とかしないと。このままでは、逆にルシフェルがピンチだ。一応攻撃を避けてはいるが、自由自在な炎の軌道は、少しでも読み誤れば黒焦げになってしまいそう! ましてや反撃の暇もない。
《ゴォォォ!》
つーか近い! 炎が近いよメフィさん!
『髪が焼けるぅぅ!』
焦げ臭いと思ったら、隣のレムレースさんの頭で火事発生! 消火消火!
『髪が焼けるぅ~』
魂さんには髪がないでしょ!!
レムレースさんに軽く叩かれてる魂さんを見ながら、あたし達は火事をどうにか鎮火。ふーっ。
その間にも炎は放射され続けている。もはや闘技場に陽炎が揺らめいているくらいだ。
すると、煙の中から黒い塊がふわりと近づいてきて。
「おーぅ、エクスキュゼ・モワ、マドモアゼル! 貴女方をこんなに熱い目にあわせてしまうとは!」
メフィさんが、くいっと帽子を持ち上げて現れた。
「オイ、メフィストフェレス。ちぃっとやり過ぎじゃねえか?」
「はは、確かになベルゼブブ君。あいわかった、このくらいにしておこう」
素敵なおじさまは快活に笑うと、空高く飛び上がった。そうして、手にしたステッキでくるりと円を描く。
「撤収ー!!」
円の中はグニャリと曲がった虹色の空間。その中に炎がどんどん吸い込まれていく。だから撤収なのね。きっとあそこは異空間か何かだろうな。
すごい勢いで消えていく炎を見つつ、ベルゼブブさんが解説してくれた。
「メフィストフェレス。別名は“空飛ぶ魔神”。あのジジイが操る炎は煉獄の炎だ」
「れんごく? って、地獄でグツグツ釜茹でに使う炎かいっ?!」
「だな。あれが当たったら、てめえら人間はかなりヤベェとこだったな」
グロいこと言うな黎香!
いや、でもリアルに恐ろしいぞ。侮れないなジェントルマン!
『え?!』
さっき燃えてたレムレースさんの血の気が引いた(ような気がした)。
『俺、大丈夫ですかね……?!』
「てめえは生身の人間じゃねェだろーが」
よ、良かったねレムレースさん。
やがて炎が全て吸い込まれ、異空間への入り口はメフィさんによって閉じられた。
それにしても、さっきからルシフェルの姿が見えない。大丈夫かな……?
漸く土埃と煙が晴れてきた時。闘技場に、人影が見えた。……良かった、ちゃんと立ってる。剣を支えにしてはいるけど。
「げほっ……かはっ……」
彼は苦しげにむせながら、その切れ長の瞳でメフィさんを見上げた。いつの間にか翼は消えている。代わりに、数枚の黒い羽根が足元で燃えていた。
「ま、……」
堕天使長は恨みがましそうに額を押さえ。
「――前髪が燃えたぞ! どうしてくれる!?」
半泣きで怒鳴った。普通に元気じゃん。
「いやいや、君はどんな髪型でも美しいよ」
「そういう問題ではないっ! だがその言葉は有り難く受け取っておく!」
見た感じ、それほど変化はないけれど。やっぱり気にするのね。乙女かっ。
「……アホじゃねーの、アイツら」
……あたしもそう思ってしまったよベルゼブブさん。
メフィさんはひとしきり笑い……そして、笑みを引っ込めた。ふっと空気が張り詰める。
「……お遊びは終わりにしようか、堕天使長」
再び片手を挙げたメフィさん。
「焼き払え――《クー・ダ・グラース》」
《パチンッ♪》
一直線の軌道を描いて、ルシフェル目がけて伸びる炎。彼は地面に立ったまま動かないけれど。
炎が、速い。先程までとは違う。攻撃のためだけに繰り出された炎は、真っ直ぐにルシフェルを狙い――
「?!」
……あ、あれ?
ルシフェルの目前まで迫っていたはずの炎が……消えた?! まるで見えない壁に阻まれたかのように、メフィさんの攻撃は霧散してしまったのだ。一体、これは。
「……ようやく本気かね、ルシフェル君」
「…………」
メフィさんを見上げて佇むルシフェル、その顔に笑みはない。
「どうしても、斬られねば気が済まないか。メフィストフェレス」
「君ならば最初から我が輩の攻撃を消すことができたはず。なのにそれをしないというのは、我が輩に対して失礼ではないかね?」
だんだんと二人の気迫が強くなっていく。誰もが息を詰めて成り行きを見守っている。
「ルシフェル君。君は優しいが……時折、方向を誤る」
「……そうだな。それは私自身が一番よく知っている話だ――」
ゆらり。剣を持ったルシフェルが揺れる。かと思えば、既にそこにはいない。
勝負は一瞬だった。
「……何故なら私は堕天使長なのだから」
「……!」
姿を消したルシフェルが次に現れたのは、宙に浮いたままのメフィさんの前。冷たい声で自嘲したような彼の手には剣。その切っ先は……メフィさんの腹に深々と突き刺さっている。
「メフィさん?!」
ルシフェルが、メフィさんを刺した――?! あの顔、あの声。あれはルシフェルじゃない……!
ステッキが老紳士の手を離れて落下していく。堕天使長はそのまま腕に力を込めた。
「……“消えよ”」
「ルシフェル!」
……たまらず叫んだ瞬間、
《ぽむっ♪》
「……へっ?!」
何とも可愛らしい音をたてて、メフィさんが煙になった。いや、“消えた”。
呆然とする会場に朗々と響き渡ったのは、
《ブラボー! それでこそ我が愛すべき“エペ・ルージュ”!!》
紛れもない、メフィさんの声だ。ど、どういうこと?!
「……先生、悪趣味」
呆れたように笑って、ルシフェルは剣を鞘へと収める。その表情も声も、普段と変わらない優しき美青年だ。
地へ降り立ったルシフェルの元へ歩み寄ってきたのはダンディーな紳士。メフィさんは楽しげに、観衆へと手を広げて無事をアピールしてみせた。
『あ、焦った……』
『こ、怖ぇ……』
レムレースさん達がへたり込んでいる。気持ちはよーくわかるよ。もう……ルシフェルとメフィさんのバカっ。あたしもびっくりしたっての!
後ろで口笛を吹いたのはベルゼブブさん。さすがに彼にも予想外の展開だったらしい。
「やってくれるなァ、あのジジイ。マジで命懸けてンのかと思ったっつーの。あー、くそったれ、ビビったぜ~」
おっそろしい堕天使二人は、握手とハグで健闘を称え合っている。
そりゃ確かに激闘ではあったけどさ。心臓に悪いなあ。
「いつから気付いてたのかね、ルシフェル君?」
「円を描いて空間をねじ曲げた時だな。メフィストフェレス……地獄の炎と幻を操る堕天使。もっと早くに気付くべきだった」
「十分だよ。よくぞ見破った」
地獄の炎と……幻?
「つまりは、ルシフェルが戦ってたジジイは幻影だったっつーことだな」
解説ありがとうベルゼブブさん。幻だから剣を刺しても消えちゃったのね。なるほど。
さ、今度こそ本当に賞品の贈呈式だ。
《お二人共、お疲れ様でした。そしてルシフェル様は優勝おめでとうございます。それでは会長、賞品の贈呈をお願いします》
「承知したアガレス君」
何かな何かなー♪
「賞品は……我が輩とのドリーム・マッチ! ……で、ではないから安心したまえっ」
ルシフェルにジト目で見られ、メフィさんは慌てて咳払い。と、バサバサと飛んできたのは……アガレスさんの鷹だ! 鷹さんはくわえていた包みをメフィさんの手に落としていった。
「これが賞品だよルシフェル君。我が《トロイメライ》のタダ券だ。これを使えばどの商品も無料になるぞ」
「え」
賞品を受け取るルシフェルの動きが止まる。
「私……」
「ど、どうした? いらないのかね?」
「いや、有り難いのだが」
ため息を吐き、ド金持ち堕天使長は心底残念そうな声音で。
「私の財産ならば、トロイメライ社自体を買うことさえ可能だと思うのだ。まして商品なら、買い占めてもお釣りがくる。その券の使い道がないだろう?」
……あんた今、この場にいる全員を敵にまわしちゃったぞ。
「だよねルーたん! お金は使わなきゃだよねー!」
前言撤回。黎香以外の全員ね。く、くそぅ。
当然メフィさんも絶句していたが、すぐに笑うと、その券をぴらぴら振ってみせた。
「ははっ、確かにそうだなルシフェル君! いやはや、我が輩としたことが、とんだ失礼をしたね。この券は……後で出場者の諸君に配るとしよう! 我が輩を楽しませてくれたお礼だ!」
メフィさん太っ腹!!
「では! そろそろ閉会するとしようか」
《はい、会長。レムレースの皆さん、今回の教訓を生かして日々の鍛練へ臨んでください。ご来場の皆様も、本日はお疲れ様でした。それでは最後に出場者の皆様に盛大な拍手を!》
***
「ふー……」
お祝いしてくれる観客の方々にもみくちゃにされ、出場者の皆さんと挨拶。更にはハイテンションなメフィさんと話をしていたら、家へと帰ったのはもう夜だった。疲れたねー。
「お疲れ、ルシフェル」
「ああ、お疲れ」
ルシフェルは黒衣のままソファーに座り込み、自分の隣をポンポン叩く。はいよ、座れってことね。
「……前髪焦げたんだが」
まだ言ってるよ。隣で見上げたルシフェルの前髪は、まあ近くで見ればちょっと焼けてるかな?ってくらい。
「そんな気にするほどじゃないって。また伸びてくるよ」
「そう?」
むしろそのくらいで済んだ方がラッキーだよ。
……あ、そういえば。
「せっかく優勝したのに賞品もらってないね」
タダ券は結局色んな悪魔さんや堕天使さんに配ってたみたいだし。
「まあ構わないさ。賞品をもらうのが目的ではないし、レムレース達の勉強になったのならばそれでいい。皆、楽しんでいたようだしな」
よくできた性格だなー。こんな姿を見る度……時々見せるあの怖さが信じられなくなる。どれが本当のルシフェル?
そう言うと、ルシフェルは一瞬だけ目を見開いたけど。次の瞬間には優しく微笑んで、あたしの頭を軽く撫でたのだ。
「恐がらせてしまったようだな。すまなかった」
ほ、惚れてしまうよ!
「どれも私だよ。本当の私」
「表裏がある? に、二重人格?!」
「うーん、表裏という概念とは……いや、そういうことにしておこう」
ルシフェルは腕組みすると、ソファーに深々と腰掛けた。そうして目を細めて遠くを見つめる。
「実力社会だからな……。威厳、というやつか。力のない者は上に立つことはできない。現に私も、今の地位は力で得たのだからな。元からの授かり物と言ってしまえばそれまでだが」
「ルシフェルは優しいからリーダーになれたんだよ」
「そうだろうか……そうだと、いいのだがな」
と、唐突にルシフェルはくつくつと肩を揺らし始めた。
「ふふ、聞いてくれ真子。メフィストフェレスの最後の攻撃、あれを防いだのは私じゃないんだ」
メフィさんの最後の攻撃……あっ、あの消えちゃった炎? クー……なんとかって。
あたしはてっきり、ルシフェルの能力で消したのだと思ってたが。
「あの攻撃は甘んじて受けるつもりだった。何があろうと私なら勝てるし、別段優勝に興味もなかった。私はまだ実力の1割も出していなかったのだから。しかし手助けされたからには、勝たねばなるまいと思ってな」
しれっととんでもないこと言ったよね。
「えーと、じゃあ誰が防いだの?」
「私でも先生でもない。“結界の専門家”の仕業だ」
……!! 確かに彼はずっと闘技場の方にいたけれども。ならあの時壁に当たったように見えたのは、本当に結界に当たっていたのか。
「内緒だぞ、真子」
「う、うん。でもなんでわざわざ? ルシフェルを優勝させたかったのかなあ?」
決勝戦にも出なかったし。その割に、準決勝までは結構本気だったような。
「さあな。だがあいつと戦わずに済んで良かった。私とてあいつを殴りたくなどない」
「友達だから?」
「う、……まあ、そうだな」
……絶対それだけじゃない、気がする。いや、なんとなくの勘だけど。
「それより、真子は何もなかったか? 最前列なら色々と大変だったろう」
「うーん、ちょっと熱かったけどね。メフィさんの炎とか。――あ」
「ん?」
どうしよう。あの“声”のこと言おうかな……
「……ううん、何でもない」
やっぱりやめようっと。別に今はあたしピンピンしてるしね。空耳かもしれないし。
「そう? なら、いいけれど」
ルシフェルは不思議そうに首を傾げていたが、やがてパン、と膝を叩いて立ち上がった。
「よしっ、食事にしよう!」
「はいはい」
つい笑ってしまった。作るのはあたしでしょうよ。
「ちょっと待っててね。すぐに準備するから」
「もちろん。真子の料理のためなら、私はいつまでも待つさ」
……戦闘中との差が激しいな。ルシフェルってやっぱ多重人格者?
まあとにかく。ルシフェルがそう言ってくれるなら、あたし頑張るよー!