第41話:《紳士同盟》
《紳士同盟》。
あたしがそんな謎の組織の存在を知ったのは、この間、アシュタロスさんと何気ない会話をしていた時だ。
―――――
「紳士同盟?」
「はい。ルシフェル様から聞いてません?」
「初耳だよ。どんな組織なの?」
「その名の通り、紳士の、紳士による、紳士のための集いです。会長はエチケットの達人でして、確かルシフェル様も教わっていたように思いますが」
―――――
……謎だ。
アシュタロスさんも説明に困っていたようだし。一体どんな団体なのだろう?
で。実際に見てみるのが早い……というわけではないけれど、あたしは今地獄にいる。ルシフェルが万魔殿に用事があると言ったので、ついて来ることにしたのだ。
「紳士同盟か。久しぶりに訪ねてみるか」
と言うルシフェルに連れられて、万魔殿の裏手にある林に来た。こんなところに誰かいるの?
「ここからは少し歩くよ。私が道をつくるから、真子は後からおいで。足元に気をつけるんだぞ」
紳士!
それから言葉通りルシフェルが草をかき分けてくれること暫し、やがて視界が開けてきた。
目に入ったのは……テーブルセット……?
「今日はいないのだろうか」
またしても無計画な堕天使長が呟いた瞬間だった。
『訪問者、二名確認』
?!
あたしは慌てて声の方を見る。上かっ?
空中に真っ黒な翼を生やした悪魔さん?が浮いていた。なんだか……怪盗を思い出す。黒のマントにシルクハット、顔は見えないけど、鳶色の髪は初めて見る。……って新キャラ?
「人間、か?……」
声から判断して男だろう。彼はふわふわとあたしに近寄って、ずいっと顔を近付けてきた。近い近い!
「え、と……」
目深にかぶった帽子のせいで、表情がわからないから余計に怖い。
「……“二色の血を持つ鎖の子。偶然か必然か、どちらだと思う?”」
「へっ?」
さ、さっぱりわからん……。あたしのことなのか?
するとルシフェルがそっと囁いてきた。
「正直に、思った通りに答えればいい」
んなこと言ったって……。偶然か必然か、だっけ? せめて何が、とか教えてくれよ!
「えーと……ぐ、偶然?」
悪魔さんは何も言わない。だ、大丈夫かな?
「あの……」
「“足元を見よ。世界の土台は全て我々には創り得ない”」
……??
完全に混乱するあたしの前で、その悪魔さんは地上に降り立ち、ようやく帽子を脱いだ。そして胸に帽子をあて丁寧に一礼。
せっかく帽子をとったのに、鳶色の前髪が伸ばされていて瞳は見えない。けれど彼は、ちょっと笑った気がした。
「歓迎します、堕天使長とお嬢さん。ようこそ《紳士同盟》へ」
え、じゃあやっぱり、この人は紳士同盟の関係者?
「久しぶりだな、《アガレス》。元気にしていたか?」
「お陰様で。ルシフェル様もお元気そうで何より」
彼はどうやらアガレスさん、という名前らしい。
「はじめましてお嬢さん」
「はっ、はじめまして!」
「私、地獄の大公・堕天のアガレスといいます。以後お見知り置きを」
うわわ、また凄そうな堕天使さんだ。
彼は向こうにあるテーブルセットを手で示した。
「立ち話も疲れましょう。どうぞあちらにお掛けになって下さい」
***
目の前には湯気のたつお茶。そしてお洒落な家具にぴったりなお洒落なクッキー。
あ、今更思ったんだけど、この雰囲気は“不思議の国のアリス”に出てくるティーパーティーにそっくりです。アガレスさん、帽子屋さんっぽいし。
カップを傾けている帽子屋さん、もといアガレスさんは、あたしとルシフェルが座る時に椅子を引いてくれた。すごく自然に。
しかも、
「レディーファーストです」
とか言って、あたしを先に。し、紳士だ!
もうさっきのような謎めいた発言はしないみたいだ。
「遠慮なさらず、召し上がって下さい」
「は、はい」
紳士が二人……。緊張するなあ。
もうひとりの紳士であるルシフェルはというと、リラックスした様子でクッキーをつまんでいた。慣れてるなー。さすが坊っちゃん。
「ところでアガレス、」「会長ですか?」
アガレスさんに先に言われて、ルシフェルは気勢を削がれたように頷いた。
「あ、ああ」
対するアガレスさんはふう、とため息。
「これは失礼。今お呼びします」
そしておもむろに指をくわえて――
《ピゥイッ♪》
指笛! カッコいい!
すぐさま羽音が聞こえてきたかと思うと、巨大な茶色の鳥が飛んできて、アガレスさんの腕にとまった。あの鋭い眼と嘴……鷹だ!
……ま、まさかこれが会長……
「メフィ様を」
アガレスさんが一言言うなり、鷹は再び飛び立った。だよね。鷹が会長なわけないよね。
「少々お待ちいただきたく。今参りますので」
言った通り、間もなく鷹が戻ってきた。アガレスさんは懐から皮の袋を取り出すと、その中身を旋回している鷹に向かって放り上げた。鷹、見事にキャッチして飛んでいく。
「生肉です」
なんで持ってるの?! 見た目に似合わずワイルドだな。
でもよく見れば、鷹をとまらせた腕にはきちんと布が巻いてある。爪が食い込まないようにだろう。もしやこの堕天使さん、鷹匠?
しかし肝心の会長さんが来ない。
周りを見回した時だった。あの耳鳴りがしたのだ。アシュタロスさん達が現れる前兆の、微かな耳鳴り。
やがてあたしの目に映ったのは魔方陣ではなく、変な“歪み”。なんというか、空間自体がグニャリと曲がって見える。……これ、似たようなのをどこかで……
「いらっしゃいましたね」
アガレスさんが立ち上がると、歪みの中からひとりの人物が姿を見せた。
『サリュー、アガレス君。一体どうしたと言うんだね』
格好はアガレスさんと似ている。タキシードに黒マントにシルクハット、そして白手袋。ステッキまで持っているから、もう完璧に見た目は“紳士”だ。
違うのは顔がちゃんと見えること。髭をたくわえた、どこかお茶目でダンディーなおじさんだった。
「サリュー、ってフランス語の軽い挨拶だよ」
「へえ……」
ルシフェルがそんなことを教えてくれていると、やっと老紳士はあたし達に気付いたらしい。
「おう、ムシュー・ルシフェル。久しぶりではないか! そちらのマドモワゼルははじめましてかな?」
おじさん……じゃなくて会長さんは、大げさに腕を広げた。なんでフランス語? ちなみに、発音はむちゃくちゃいい。
「アンシャンテ、マドモワゼル。我が輩の名は《メフィストフェレス》、堕天使だ。お会いできて嬉しいよ」
メフィストフェレス……ってあのファウストに出てくる?! このおじさんが?
メフィストフェレス会長はあたしの手をとり、ごく普通に軽く口付けた。いつかルシフェルがレヴィにやったように。うひょー!
……あ、あれ? ルシフェルが若干機嫌悪いような気が……気のせいかな。
「ボンジュール、ムシュー・ルシフェル。相変わらず君は素敵なお嬢さんを見つけてくるな」
「それはどうも」
うん、気のせいじゃなくルシフェルの顔が引きつっている。気付いていないのか、メフィストフェレス会長はルシフェルをハグ。欧米だな。
「ささっ、座りたまえよ。アガレス君、我が輩にも紅茶を」
言われるままに席に座る。この堕天使さん、なんか面白いぞ。
「珍しいじゃないか、君がここへ来るなんて。どうかしたのかね?」
「いえ。真子が紳士同盟を見てみたいと言うから。私も久々に来てみようかと」
「それはそれは。マドモワゼル・マコ、歓迎するよ」
とりあえず笑い返しておく。
が、あたしはさっきからあの“歪み”が気になって仕方ない。どこかで見たんだけどなあ……。
「人間のお客様は初めてかもしれないな。そうそう、我が輩もつい最近、人間界へ行ってきたんだ」
「ほう」
「しかしまあ、ちょっとしたハプニングがあってな。きちんと見てくることができなかった。またいつか遊びに行くよ」
はっはっは、と笑うメフィストフェレスさん。人間界に来ることあるんだ。
……?
あっ!
「思い出した!」
「どうした真子?」
あの独特の歪み……あたし達はつい最近見たばかりじゃないか。
「ルシフェル、みんなで行ったあの山にあった洞窟……」
「あ」
ルシフェルも思い出したみたいだ。
サバイバルなバカンスの最中、アシュタロスさんが結界で封じた、あの穴。メフィストフェレスさんが出てくる時の歪みにそっくりだった。
「あの、メフィストフェレスさん」
「メフィ、で構わないよお嬢さん」
「あ、じゃあメフィさん。さっき出てくる時に使った穴って……」
「これかね?」
メフィさんはステッキの先で空中にくるりと円を描いた。途端にその円の中がグニャリと歪む。
「そうか」
ルシフェルが呟く。
「貴方の力は“空間”を調節する力だった」
……と、なると。
「メフィさん、あたし人間界で似たような穴を見たんです」
「何?!」
メフィさんはふむ、と唸りながら髭を弄って何か考えていた。が、やがて手をうって。
「おーう、そうだそうだ! 恐らくそれは我が輩が塞ぎ忘れた穴に違いない」
犯人いたー!
「こ、こうしちゃおれん。すまないが、少々席を外させてもらうよ」
メフィさんは慌てて自分が作った穴に飛び込んで行った。
「すみません、お二人共」
傍に控えていたアガレスさんが申し訳なさそうに言う。思った通り、メフィさんはお茶目に違いない。
「全然大丈夫だよ。あ、そういえばアガレスさんの力って何ですか?」
「私の、ですか?」
存在干渉、結界、魔力の弾丸、空間操作……。この調子でいくと、アガレスさんにも何らかの力があるのだろう。
「私の力は地震を操る力です」
そう言って離れた地面を指で示した。するとその場所だけが奇妙に波打ち始める。じ、地震だ!
……と、波打つ地面の真上にあの歪みが出現。
「いや~、参った参った。あの結界はアシュタロス君かね? ますます腕をあげ――って地震?!」
間一髪、メフィさんは地震が発生しているポイントを飛び越えた。おいしいなオイ。
「あ、会長。すみません」
「いや、いいんだ。気にするな」
ジェントルマーン!
「はは、いやぁうっかりしていたよ。後でアシュタロス君にはお礼を言わなければな」
「貴方が穴を塞ぎ忘れるなんて、余程のことがあったとしか」
「それがだね、ムシュー・ルシフェル、我が輩あの辺りに大事な眼鏡を落としてしまったんだよ」
んん~っ? 眼鏡ってもしや……
「メフィさん、それって金の鎖がついた片眼鏡ですか?」
「そう! そうだよマドモワゼル!」
あ、やっぱり湖で拾ったあの片眼鏡だな。持ってくればよかったー…。
と思っていたら、肩をちょんちょんと叩かれた。
「ん?」
振り返ると、ルシフェルが自分を指差して何か訴えている。……あ、そっか。
「……えーとね、あたしの部屋の枕元の机」
メフィさんとアガレスさんは不思議そうにこちらを見ている。
ルシフェルはちょっと考え、それからパチンと指を鳴らした。ゆっくりひらいた手の中には、あたしの部屋にあるはずのあの落とし物の片眼鏡が。
「お……おお~! これだよ! 拾ってくれたのかね? メルスィー!」
メフィさんは大喜びで眼鏡をはめた。おお、似合う。紳士度が更にアップした感じだ。
「君の力は相変わらず凄いな堕天使長」
「先生こそ」
ルシフェルは微笑む。……先生?
「もう先生はやめてくれたまえよ“ルシフェル君”」
メフィさんが先生で、ルシフェルが生徒?
「ねえルシフェル。先生って?」
「ん? ああ、私にエチケットやマナーを教えてくれたのが先生なんだよ」
あー、アシュタロスさんが言ってたな。っていうことは、ルシフェルの優雅な所作は紳士同盟で身についたものってことか。
「ルシフェル君はとても出来がよかった。まあ彼だから当然だが。我が輩は《エペ・ルージュ》と呼んでいたよ」
「紅き剣、という意味だ」
へ、へえー……。なんか凄い。
「ところで、この紳士同盟ってどういう団体なの?」
あたしが聞くと、メフィさんはちょっと胸を張って。
「我々の理念は《ビー・ジェントル》、すなわち紳士たれ!というものでな」
そこは英語なんだ?!
「主な仕事はティーパーティーを開くことと、レムレースの養成だ。我が輩が会長で、アガレス君が補佐というところだな」
ほぉー。前者はまあ、アレとして。レムレースさん達があんなに礼儀正しいのは、紳士同盟のおかげなんだね。
「レムレースだけでなく、堕天使はほとんど皆会長の指導を受けています。時々、万魔殿などへ出張するんです」
とアガレスさん。
彼はそうだ、とメフィさんを見た(厳密にはメフィさんの方を向いた。前髪で目が見えないからさ)。
「会長、そういえばそろそろ“あれ”の時期ですよね」
“あれ”?
「おおーぅ、そうだったな。ルシフェル君、今年はどうするかね?」
「そのことだが。久しぶりに私も参加しようと思っていたんだ」
「それは有難い! 彼らにもいい勉強になるだろう」
なんだなんだ? 毎年恒例の行事か何か?
「お嬢さんも是非見に来るといい」
メフィさんがウィンクしてきた。見るって、何を?
「ルシフェル……」
「内緒♪」
堕天使長はただ笑う。もう、みんなでそうやって!
***
結局“あれ”については何も聞けず、それでも二人の紳士と楽しいティータイムを過ごすことができた。
アガレスさんは物静かでミステリアスな人だけど、優しかったし。メフィさんはどこか胡散臭いけど、お茶目で憎めないダンディーなおじさまって感じ。
「やぁ~、今日は楽しかったよ」
「こちらこそ、ごちそうさまでした」
クッキーも紅茶も美味でした♪
「アガレス君、あれを」
「はい」
ふわりと飛んで行ったアガレスさんは、小さな箱を持って戻ってきた。
「楽しい時間をありがとう。我が輩達からのささやかなお礼だよ」
「あ、ありがとうございます」
うわあ、またお土産頂いちゃったよ! なんだろう?
「では、」
ルシフェルが見下ろしてくる。
「帰るか」
「うん、そうだね」
二人の紳士はそれぞれ、あたしの手の甲に恭しく口付けた。ルシフェルには握手とハグを。
最後にアガレスさんがそっと近づいてきて、あたしだけに聞こえるように小さな声で囁いた。
「“――もしも糸に沿うならば、鎖の子は王を護り、同時に翼を縛り、そして滅ぼすだろう”」
聞き返す前に、鳶色の髪の堕天使は離れていってしまった。
意味が理解できないままに、ルシフェルの瞬間移動で運ばれる。
「オルヴォワール、マドモワゼル・エ・ムシュー。また近いうちにお会いしよう」
***
「ねえルシフェル、アガレスさんってどんな堕天使さんなの?」
自分の家に戻ってから、あたしはルシフェルに尋ねてみた。
「どんなって?」
「いや、なんか難しいこと言うから……」
「アガレスは未来がわかる、らしい。“らしい”というのは、彼の言葉が本当ではないことがあるからだ」
へえー。
「しかもなかなか予言をストレートに言ってくれないそうだ。アガレスの話は謎掛けのようだと」
確かに! ってことは、あれは予言だったかもしれないのか。ぜ、全然わからなかった……。
「あ、お土産を見てみないか?」
「そうだった!」
ルシフェルに言われて、箱を開けてみる。入っていたのはケーキ皿みたいだ。
ん? この綺麗な草花の模様……
「も、もしかして《トロイメライ》製?」
「だな」
わわっ、またしてもブランド品もらっちゃったよ! けど今回はあたしも使えるね。
「すごいなー。こんなものくれるなんて」
「それは、な」
ルシフェルは平然と言った。
「メフィストフェレスは紳士同盟の会長兼、トロイメライのオーナーだからな」
しょ、衝撃の事実発覚!!