第40話:堕天使長のマジックショー?
うちの両親が帰って来て二日目。
お父さんは朝からどこかへ出掛けてしまったし。あたしは台所で皿洗い、そして堕天使長様とお母さんは居間でテレビを見ながら歓談中。
「真子はね、小さい頃、お昼寝をあまりしない子だったのよ」
「ほう」
「狸寝入りが可愛かったわよ」
「“たぬきの嫁入り”?!」
「違うわよぉ~! アハハ、ルシフェルさんってばかーわいー♪」
……なんつー会話。
っていうか、最近そういう話及び単語が出過ぎなのでは? コメディはどうしたっ。
「……。二人共、お茶飲む?」
「お願ーい」
「ああ」
……ま、あたし達はそこは気にせず普通に、ね。
三人分の紅茶をいれて持っていくと、ルシフェルが額を押さえてため息をついた。
「どしたの?」
「昨夜の酒のせいかもしれない……」
「二日酔い?」
そうかも、とルシフェルは苦笑い。やっぱ影響はあったらしい。余程飲んだんだな。
と、まったりとお茶を飲んでいたら。
《――っ!!》
? 外から聞こえてきたのは盛大なクラクション。
一応確認のためにベランダに出てみる。するとマンションの前、ちょうどこの部屋の真下に軽トラックが止まっているではないか。どうやらそのトラックが鳴らしたみたいだ。
助手席のドアが開き、下りてきたのは――お、お父さん?
「あっ、真子。ソファーを持って来たよー!」
「ソファー?」
お父さんはひらひらと手を振り叫ぶ。
ルシフェルとお母さんもベランダまでやって来た。最初に叫んだのはお母さんの方。
「あなた、車に乗ったのー? 昨日あんなに飲んだじゃない」
「いいや、行きは徒歩だー」
た、確かに大事だよね。アルコールが抜けてるとは思えないし。それで知らないおじさんが運転席にいるのか。
「ちなみに二日酔いは凄まじいぞー」
あ、そ……。
「私もですー」
「おやルシフェル君、ちょうど良かった。このソファー、君のベッドにどうかと思ってな」
そう言ってお父さんはトラックの荷台を指差した。そこには紐でぐるぐる巻きになった黒いソファーが。
「友人が要らないと言ってたのをもらってきたんだ」
「それはそれは……」
ほーぅ。すごいじゃん。それで朝から出掛けてたのか。
「で、お父さん」
「なんだ、真子?」
「どうやって運ぶのー?」
「…………んっ?」
……あー、こりゃあ絶対考えてなかったね。
「……そっそこはお父さんがほら、こうロープを使って――」
「あなたー、無茶なこと言わないでちょうだい。この間も腰を痛めたばかりじゃない」
お母さんがトドメを刺したーっ。まあ健康な人でも、あんなデカいソファーを五階まで持ち上げるのは無茶だろう。
しかもエレベーターには絶対入らない大きさだ。どうするの?
「あ」
声をあげたのはルシフェル。
「私がやりますよ」
「え?! ダメよルシフェルさん、そんな細い体で! ケガするわ!」
……あっ。あー、なるほど。
あたしはルシフェルの考えがなんとなくわかった。ちなみにお母さん、ルシフェルは細いけど筋肉すごいんだぞ。と言ってみる。
「(ねえルシフェル、もしかして……)」
「(私の力を使えば造作もないだろう)」
「(いやっ、でも普通の人間は物体移動とかできないんだって)」
ひそひそと話していたら、ルシフェルはニヤリと口端を吊り上げて。
「(任せておけ。私にいい考えがある)」
***
「本日は私のためにお集まりいただき光栄至極。皆さんに魔法の時間を体験していただきましょう♪」
ベランダを背にして立ったルシフェルは、あたし達家族に慇懃に一礼してみせた。
「さて、あちらにありますひとつのソファー、私が今から瞬間移動させて見せます」
「……まさかルシフェルさんがマジシャンだったなんてねぇ」
隣でお母さんがしみじみと呟いた。
ルシフェルが言っていた“いい考え”。それは、堕天使様の職業がマジシャンだということにして、手品でソファーを移動させたことにするのだ。
定職に就いてるってことにもなって、一応、一石二鳥なのかな。
「種も仕掛けもありません。私が指を鳴らすだけで、ソファーは部屋の中に移動するでしょう」
ルシフェルはすらすらと言って、片手をあげた。
「いきますよ。ワン、ツー、……」
「……」
「スリー!」
《パチン♪》
あたし達は部屋を振り返ってみる。
「おおっ」
「まあ!」
そこにはちゃーんと黒いソファーベッドが。やるなルシフェル。
「すごいわルシフェルさん! どうやったの?」
「ふふ。企業秘密です」
ホントに秘密だよ。堕天使だからです、とか。
お母さんとお父さんはしきりに感嘆の声をあげながらソファーを調べている。
あたしは満足そうなルシフェルを見上げた。
「上手だったじゃん。手品師になれるんじゃない?」
「手品、というのは仕掛けがあるんだろう? 私のはないもの」
「そうだけど……。話し方とか本物みたいだったし」
どこで覚えたんだか……。
するとルシフェルはちょっと得意そうに。
「テレビで見た。私の記憶力はすごいんだから」
あ、そうでしたか。
***
「えっ、もう行くの?」
「うん」
午後になるとお父さんとお母さんは荷物をまとめ始めた。昨日来たばかりなのに……
「ウフフ♪ 二人を見てたら、なんだか恋物語が書きたくなっちゃった」
「え?!」
ルシフェルはというと、お父さんのカバンに荷物を詰める手伝いをしている。せっかく仲良くなったのにな。
「お父さん、次はどこに行くの?」
「そうだなあ。フランスあたりにでも行くか」
羨ましいっ!
けどあたしは地獄に行ったことがあるもんね。ちょっと自慢したい気分。
「――悪いな、また出掛けてしまって」
「ううん」
ああもう行っちゃうのか……。寂しくないと言えば嘘になる。やっぱり家族は温かい。
そんなあたしの顔を見てお母さんは笑う。
「大丈夫よ。ルシフェルさんがいるじゃない。真子、すごく楽しそうよ」
そ、そう?
あたしは隣に立つルシフェルを見上げた。彼はしっかり目を合わせて微笑んでくる。
今度はお父さんが口を開いた。
「ルシフェル君、真子を頼むよ。大事な娘なんだ」
……! そんなこと言ったら照れるだろうがっ!
「はい」
ルシフェルも真面目に頷くし。……嬉しいじゃねえかコノヤロー!
「……じゃ、行くか」
「そうね。二人共、元気でね。また連絡するわ」
去り際、ドアを開けた状態で立ち止まるお母さん。
「ああ、そうそう」
そしてあたしの耳元に口を寄せて囁いた。
「昨日の続き。みっつめはね――」
***
「うーん……」
再び二人だけの部屋。ルシフェルは早速ソファーに寝転んでいる。
「気持ちいい……」
三人くらい座れそうなソファーベッドだが、長身のルシフェルは足が少しはみ出してしまっている。それでも床に寝るよりはいいんだろう。
「真子、座る?」
体を起こしてルシフェルが聞いてきた。紅い目がとろんとしていて、いかにも眠そう。
「いや、大丈夫」
「そう……。あー、そうだ」
と、堕天使様はダルそうに。
「真子の父親、ずっとサングラスをかけていたのは、目が悪いからか?」
「あ、うん、まあね。お父さん、何か言ってた?」
「ああ、昨日の夜に少し……」
モゴモゴ呟くと、ルシフェルはくたっと横になって目を閉じた。
そうそう、お父さんは目が悪い。片目は視力がほとんどないはずだ。あたしが生まれた時には既にそうだったと思う。“冒険”中に事故にあったんだとか言ってた気がするなあ……。見られたくないからなのか知らないけど、四六時中サングラスなのだ。ルシフェルにも話したのかー。
そんなことを考えていたら、すぐに寝息が聞こえてきて。
「……すー……」
……また寝ちゃったよ。疲れてるのかな。
苦笑しつつ、毛布を持って来てかけてあげる。風邪ひいたら大変だし。
ん? そういえば堕天使って風邪ひくの?
「んー……」
なんか子供みたい。可愛いなー。……はっ! これが母性本能ってやつ?!
……うん、それにしても。相変わらず綺麗な顔。
くっきりした目鼻立ち、細めの顎、長いまつ毛、形の良い眉、きれいな紅色をした薄い唇……。作り物みたいに完璧だ。
そんな顔を見てたら、なんだかイタズラしたくなって。あたしはその高い鼻をつまんでみた。
「……んぁっ?!」
聞いたことないような情けない声をあげて、堕天使長は飛び起きた。で――
「わっ!」
……勢いでソファーから落下。す、すまん。
「……?!」
キョロキョロしているルシフェルには心の中で謝って、あたしは素知らぬ振りをする。こんな大きなリアクションをするとは思わなかったぜ。
「……真子?」「あたしじゃないよ」
あ、やばっ。気付いた?!
「そう」
信じちゃうの?! 絶対今の返事は犯人ですって言ってるようなもんじゃん。さすがは天然……。
「……すー」
そのままルシフェルは何事もなかったかのように眠ってしまった。
あたしはふとお母さんに言われた、彼氏三ヶ条の最後のひとつを思い出した。
――「いい? 真子のこと守ってくれるとか、愛してくれるとか含めて、真子が信じられる人を選びなさい」
あたしはルシフェルのこと、そういう意味で好きかどうかはわからないけど。でも、信じられる。
お母さん、ルシフェルは合格だよ。
***
その夜。
この日は一人で。いつものように布団に入ったあたしが、夜中――というか深夜――トイレに行こうと部屋を出ると。
「?!」
あー、そりゃもうビビったね。あたしは小心なんです。
真っ暗な居間に大きな黒い影が見えたんだから。
「……真子?」
だよね。ルシフェルしかいないよね。
見慣れない影だったのは、堕天使様が翼を生やしていたからだった。
「な、なにしてるの? こんな夜中に」
「眠れなくて」
暗闇に慣れてきた目で見た彼の紅い瞳は、爛々と輝いていた。全然眠くなさそう。昼間いっぱい寝たもんね。
「夜は色々考えてしまっていけない。だから少し、散歩して来ようかと」
ルシフェルはベランダに出る窓を開けた。生温い風が吹き込んでくる。
「散歩?」
「ああ」
尋ねるあたしの目の前で、堕天使長はベランダの柵にひょいと飛び乗った。って、危ねーっ!
「ルシフェル?!」
「行ってきます♪」
あたしの心配を余所に、ルシフェルは柵を――蹴った。彼の姿が視界から消える。
飛び降りた?! と焦った次の瞬間には
「あ……」
バサッ、と微かな羽音がして、下の方から大きな影が舞い上がってきた。そ、そっか。翼があるんだから大丈夫なんだよね。
堕天使様は実に優雅に街の方へ滑空していった。……あんな姿、天使にしか見えないのにな。
と、あたしはルシフェルが戻ってきた時のために、ホットミルクを作ってあげることにした。蜂蜜入りのね。これ飲むと気分が落ち着くんだ。
いつ戻るかわからないので、とりあえずカップをテーブルに置いておく。そしてあたしは部屋に。眠くて眠くて……
……おやすみなさーい。
翌朝、案の定ルシフェルはなかなか目を覚まさなかった。生活リズムが崩れちゃってるねー。
「ルシフェル、朝だって」
「んー……あと少し……」
か、可愛い。けど負けるなあたし!
「ルシフェル、朝ごはん――」
「おはよう真子」
早いッ! 食べ物に弱いッ!
あんまりいっぱい昼寝させちゃダメなんだな、うん。これから気をつけよう。