第39話:進藤家の事件簿~帰って来た彼ら~
……確かにあたしは、心やさしい聖人君子からは程遠いかもしれないけど。嘘ついたこともあるけど。いくら天罰だとしたって、今回ばかりは……
ひどすぎです神様!
前代未聞。あり得ない。最悪なんて言葉じゃ済まされないくらい。
「…………」
あたしは居間に正座してます。いつも向かいにいるルシフェルは隣に。
代わりにテーブルを挟んで、目の前に座っている一組の男女。
どちらもそう若くはない。
男の方は少し白髪混じりだが、家の中なのにサングラス。
一方、女はサラサラの黒髪を後ろで束ね、スーツを着込んだいかにもデキそうな女。
だが知っているぞ。
デキそうに見えて、この二人、生活力は皆無なのだ。
「とりあえず……」
男がおもむろに口を開く。そして、ニッコリ。
「――ただいま、真子」
「おかえりなさい……」
実はこの二人、
……あたしの両親なんです。
***
ちょっと時間を遡ってみよう。
うちの両親は、世界旅行に行ってたんだけど。前にも言ったように、彼らの職業は“旅人”だから……というか、ホントにお父さんはアルピニスト的なことをしてるんだけど。で、どうやら彼らは急に帰って来て、あたしを驚かせようとしたらしいね。
ここで、前日にあたしがどうやって寝たか思い出して欲しい。
両親が合鍵使って部屋に入って、…………そこからは皆さんの想像におまかせします、はい。
朝からハンパなく重ーい空気の中、今に至るのです。
ああ、なんというタイミングの悪さ!
目の前には微笑んだ両親。隣には、叫び声で起きたとは思えないくらいすっきりした顔のルシフェル。(彼には堕天使としてではなく、あくまで“居候の人間”として振る舞うよう言ってある。)
「さて……」
ニッコリ微笑んだ男、もといお父さん。サングラスの奥であたしとルシフェルを見比べるその目は、多分笑ってないんだろう。
「どういうことかな?」
「いやこれはですね――」
言い訳のしようもない。
だって久しぶりに帰って来たら、娘が知らない男を家に連れ込んでて、おまけに同じ布団で寝てたら……ねえ。
「えーと、肩凝りが……」
も、もう消えてしまいたい……
するとそれまで黙っていたルシフェルが、すっと手を差し出した。まっ、待て! 何もやらかすなっ!
「――はじめまして。真子のお父さんとお母さん」
……って握手しようとしただけかよ。もー、びっくりさせるなよー。両親まで消されるかと思ったわ。
にしても、ルシフェルの天使の微笑みパワーは健在。お父さんも勢いで手を握ってる。
「あ、どうも」ぺこり
「私、真子さんにお世話になっています、ルシフェルと申します」
完璧だ!
素晴らしい挨拶! 流石はルシフェル。まるで結婚の挨拶のようだよ!
「あら、ご丁寧にどうも」
ほら、お母さんも笑顔。イケメンに弱いのはきっと血筋だね。
「ルシフェルさんっていうのね。珍しい名前~。ガラパゴス諸島の方?」
違いますけどー。どこからきたんだその発想。
……あれ? 前にも聞いたことあるような?
「この度は、驚かせてしまったようで」
「あ、いやいや、こちらこそ」
す、すごいぞ世渡り上手!
いやぁ、持つべきものは真にデキる居候だね。さっきの重い空気はどこへやら、今や完全にルシフェルのペースだ。
……けれどね。あたしは大事なことを忘れていた。それは、うちの親は生活力が皆無なだけじゃなく、常識が欠落してるってこと。
そもそも良識ある親なら、いきなり娘の部屋に忍び込んだりしないから。
「ねえ」
口を開いたのはお母さん。じっとルシフェルを見つめて首を傾げる。
「ルシフェルさんって、人間じゃないでしょう?」
…………。
ぱーどぅん?
母上、今の発言は初対面の方に如何なものか。
……っていうか何故に?! 何故にバレた?!
「な、なに言うのさお母さん」
「だって……」
……うん。心配したあたしが馬鹿だった。
「こんなイケメン、人間にいるわけないじゃなーい!」
「!?」
……目の前で若い男に(堕天使だけど)抱きついた母親を見たら、誰だってため息くらい吐きたくなるよね。ルシフェルなんて珍しく硬直してたし。
でももっと慌てていたのはお父さん。
「ちょっとちょっと!」
そりゃいくら自由人なお父さんでも、自分の奥さんが違う男の首に腕まわしてたら……
「ルシフェル君は真子の彼氏なんだから!」
そこかよ?! つーか違うわ!
「えー……。仕方ないわねえ」
「ちょっと! 違うから!」
彼氏?! 違うよっ。
「違わないだろう。一緒に寝てたじゃないか」
お父さんが指をさしてくる。こ、このままでは勘違いが……
「ちちっ違うの! ルシフェルはただの――」
「ただの?」
「…………居候?」
……。
「ほらやっぱり一緒に住んでるんじゃないか!」
「そういう関係なのね!」
墓穴!!
お母さんが嬉々として身を乗り出してくる。
「ね! どうやって知り合ったの? 教えてよ、今度本書く時の参考にするから!」
……ちなみに彼女の職業は小説家というやつだったりする。そこそこ売れてるとか売れてないとか。
彼女の言葉に、あたしより先に首を振ったのはお父さん。
「駄目だよ、お母さん。そういうものは本人達の大切な話だ。迂濶に大衆に晒しちゃいけない」
「いいじゃない。参考にするだけよ」
「だからって……」
「あのさ!」
堪らず声をあげたあたし。二人が言い合いをやめてこちらを向く。
「もっと他にないの?」
「他?」
「ほら、だって娘が知らない男と二人暮らしだよ?」
「ああ」
お父さんは鼻で笑う。
「真子だってそういう年頃だろう? そんな小さなことにはこだわらないよ」
いやこだわれ! そこはこだわれ!
「流石はお父さん♪」
「いやあ」
……馬鹿ばっかり。
「そんなことより真子、」
あーあ、ついに“そんなこと”扱いだよ。はいはい何ですかお父さん。
「もうキスはしたのか?」
「はあ?!」
ふざけんなこのセクハラ親父。
「んなわけ――」
「そうよ、お父さん! 一緒に寝てたんだから、そのくらいとっくにしてるに決まってるじゃない!」
馬鹿ばっかり!!
訂正するのも億劫になって、ふと隣に座るルシフェルの方に顔を向けた。
彼はあたしの視線に気付いてこちらを見ると、なんとも言えない微苦笑を浮かべた。でもその眼差しはとても優しい。
「真子のお父さんとお母さんは面白いな」
「そうかなぁ……」
「顔、よく似てる」
確かにそれは結構言われるかも。
「まあ一応、親子だからね」
言うと、ルシフェルは大騒ぎしているうちの両親とあたしを見比べて、「不思議なものだ」と呟いた。
「ん?」
「いや……私には、親がいないから」
そっか、なるほどね……。やっぱり天使はお腹から産まれないってことか。
ところが、ルシフェルの言葉に、うちの両親がぴたりと言い合いをやめたのだ。
「親が……」「いない?」
きょとんとするルシフェル。「ええ」と素直に頷く。
途端に、またお母さんがテーブルを乗り越え、がばっとルシフェルに抱きついた。
「なんてこと! 家なき子なのね!」
「いや、なんというか――」
これにはあたしもルシフェルも困った。
どうしようかと視線を交わしていると、お母さん、首をぶんぶん振って制してくる。
「何も言わなくていいわ! わかってるから! ねえお父さん、住む所がないなら、うちに住んでもらいましょ?」
どうしてそんな結論に至るんだろうかー。
そして対するお父さん、腕を組んで満面の笑み。
「ルシフェル君、」
「なんでしょう……?」
「狭い家だが、好きなように使ってくれ。真子もそれでいいだろう?」
「え、いや、あたしは別に……」
そのつもりだったけど……。でもまあ、親が認めてくれるに越したことはないか。
「なら、決まりだ」
「やったわね! ずーっとうちに居てもいいのよ」
ルシフェルは抱き締められながら、あたしの方に顔だけ向けて「良かったね」と微笑んだ。その腕は軽くだが、しっかりとお母さんの背中に回されている。……どうしてそんなに女性の扱いに慣れてるんだよ。
あ、ほら、お母さんてばすごい嬉しそう。恐らく彼女は、イケメンを手元においておきたかったに違いない。
「よしっ、何か要り用なものはあるかな?」
おいおい。すっかりやる気満々だよこの二人。
「もう何でも言ってちょうだい。大事な真子の旦那様だもの! あ、でも“子供”とかはやめてね。まだ早いわ」
誰も言わねーよっ。発言が際どいよ。
「……真子、任せる」
そ、そんな見つめられても。
でも要るものといえば、とりあえずこれが思い浮かんだ。
「あのー、」
三者三様の視線を受けながら、あたしは口を開く。
「……布団、とか」
「布団?」
聞き返したのはお父さん。
「なんでまた」
「昨日はちょっとアレだったけど……いつもルシフェル、居間で寝てるからさ。せめて何か敷くものがないと、やっぱりしんどいかなって」
ホントはベッドが欲しい……いやむしろ部屋が欲しいところだが。流石に床寝の状況はどうにかしたいよね。
「別に一緒に寝ればいいじゃない。その方が暖かいわ……色々とね」
「お母さんッ!」
「やぁねー。冗談じゃないの」
それより、早くルシフェルから手を離しなさい。
「ふむ……じゃあそれはお父さんがどうにかしておこう。他にはないのか?」
「いやー特には」
「ルシフェル君は?」
「私は……真子がいれば何も」
「「……!!」」
場が、一瞬凍り付いた。ルシフェルだけが“何か悪いこと言いました?”的な顔で、きょとんと首を傾げている。
い、今のって、そういう、ほら、えーと……っ
「……熱いわねえ」
これが復活したお母さんの第一声だった。今あたしは最高に恥ずかしいぞ。
そんな中、ルシフェルはそろそろと立ち上がろうとする。
「扇風機……」「いらないから!」
そういう“暑い”じゃないんだよ天然!
「は……ははは! 面白いなルシフェル君は」
お父さん、若干顔が引きつってます。
「おーぅ、そうだ! そんな面白いルシフェル君に、真子パパの武勇伝を……」
「あなた、それは後回し」
ポン、と手を売ったお父さん。間髪を入れずに遮ったお母さん。
「挨拶回りしなきゃいけないでしょう? 久し振りに帰ってきたんだから」
「ああ、うん。そうだね……」
お父さんはちょっと子供っぽいところがある。今も僅かに残念そうな顔をしていたり。
その点、お母さんは既に出かける準備をしている。
「そういうことだから、少し行ってくるわね。帰って早々だけど」
「あ、うん。車は?」
「レンタカーで十分よ」
なんだかんだでお母さんはしっかりしてる。知識人と言われるだけあるな。
「夕方には帰るから。晩ご飯、楽しみにしてるわ♪」
前言撤回しようか。
でもあたしは間違っても「あんたがやれよ!」なーんて突っ込まない。
「久しぶりに真子のご飯かぁ。安心して食べられるよ」
「あら、それはどういう意味?」
……彼女はまあ、“ルシフェルと同じ”なアレなのです。彼女が台所に入ると、ちょっとした惨事になりかねないので。
「じゃあ行ってくるわね」
「はい」
「行ってらっしゃーい」
………。
ふう。嵐のような二人がいなくなり、あたしは台所へ。
「真子?」
「夕飯の支度だよ」
二人が帰ってくるまでに用意せねば。今日はいつもよりは豪華にしようっと。
「そうか。楽しみにしているぞ」
ルシフェルはニコリと笑う。ああカッコいい。
……そ、そういえば、さっきの言葉って、その――
い、いや、やめておこう。
「ねえ真子」
「うん?」
「私、真子の両親に嫌われてはいない?」
「……むしろ好かれてるよ、きっと」
「良かったー」
ホントに結婚でもする気かよ。
***
「相変わらず美味いなあ」
お父さんは箸をおいて満足そうに言ってくれた。
「そりゃ一人暮らししてたら、嫌でも慣れるよ」
「あら真子、今は二人暮らしでしょ?」
「……」
ま、まあ張り切った甲斐があったかな。本日のメニューはビーフシチューでした♪
久々の家族での食事は賑やかで楽しかった。主にお父さんが語っていたのだが、さすがは世界を廻っているだけあって、それはもう、新鮮な話だらけだった。
《雪男を追っていたら遭難した話》
とか、
《ヨーロッパの街中で出会った老人にチェス十二連敗》
とか、
《登山して山頂に自分の銅像を造ろうと試みた話》
とか。
新鮮、且つ、すっごくどうでもいいような話。あたしは結構好きなんだけど、ルシフェルは……
と伺い見ると、ルシフェルも案外楽しそうに聞いていた。良かった良かった。
お父さんはそんなルシフェルを更に気に入ったようで。
「飲もう、ルシフェル君!」
と提案。そっか、ルシフェルは酒が飲めるんだもんね。
「ビール、あったかしら」
立ち上がるお母さんをお父さんは呼び止めた。
「いや、買ってきたヤツがあるだろう」
「ああ、あのワイン?」
自分たちの荷物から持ってきたのは一本の瓶。どちらにしろ、学生の家に酒はないよお母さん。
「ルシフェル君には、葡萄酒の方がいいだろう?」
お父さんは瓶を掲げて悪戯っぽく笑う。ルシフェルは何故だか驚いたようにその顔を見つめ、戸惑ったように小さく頷いた。ワイン好きなのかな?
「……あ、グラス、ありますよ」
言ってルシフェルが取ってきたのは綺麗なワイングラス。って、あれはいつぞやの《トロイメライ》製のペアグラス!
「おっ、気が利くね~」
思いがけないところで役に立った。ありがとうレムレースさん。
「さぁてルシフェル君、月見酒だ!」
「つきみ……?」
地獄には月見の文化はないらしい。
なんやかやと喋りながら、お父さんとルシフェルはベランダに出てしまった。風邪ひくなよー。
「大丈夫かしらルシフェルさん。お父さん、お酒強いんだけど」
「ルシフェルも強いって言ってたよ」
あたしはお母さんと二人で、彼らの姿をちらりと見た。既に乾杯なんかしちゃって……
「……ねえ真子」
するとお母さんがテーブルに頬杖をついて、こちらを見ながらニヤリと笑う。
「どこであんなイケメン捕まえたのよ」
「へ?! い、いや、それは……」
言えない。いくら親でも、“ある朝目覚めたら部屋にいました”なんて言えない。それはあたしにとってもルシフェルにとっても、非常にマズい気がする。
「まっさか“月から降ってきました”、なんてファンタジーなこと言わないでね!」
あながち間違ってもいない、と思う。小説家の想像力は侮れないな。
「んー、まあね、お母さんはそういうことは気にしないけれど」
しないのかよ! 自分で訊いておいて!
「だぁって、世界をフラフラしてる、あんな男と結婚したのよ?」
そ、そうでしたね……。
「で、話を戻すけど。いい? 彼氏に相応しい男の条件は三つ――」
「いや、ルシフェルは彼氏じゃない……」
「いいから聞きなさい」
お母さんはこほん、と咳をして指を立てた。
「ひとつ。イケメンであること!」
「えっ、まさかの見た目重視?!」
もっと性格的な話をされるのかと思ってたんだが。……まあ、その点ならルシフェルは軽くクリアだ。
「ふたつ」
ツッコミを華麗にスルーし、続けるマイマザー。さすが変人。
「金持ちであること。世の中カネよ♪」
現実的思考キター☆
よくあたしはまともに育った、うん。これもルシフェルは軽くクリア。
「……っていうのは冗談で」
冗談かよっ!
「確かにそれも大切だけどね、一番大事なのは次よ。みっつめは……」
《ドン》
お母さんがようやく真剣な顔をした時、ベランダの方で何かがぶつかる音がした。な、何事?
「うぃ~……」
……悲しいかな。酔っ払いがいる。言うまでもなく、我が父です。てめーが呑まれてんじゃねえよっ。
ルシフェルがあたしのお父さんに手を貸しながら、部屋にあがってくる。
「まあっ、ルシフェルさん! ごめんなさいね~」
「いいえ」
慌てるお母さんにルシフェルは笑う(母親の態度が!)。
堕天使様の様子は全然普段と変わらない。酒に強いってのは本当なんだろう。お父さんが潰れるくらいだから。
***
その後、お母さんとお父さんは居間で寝袋で寝ることに。二人は慣れてるみたいで、床だろうと室内で眠れるだけいいとお母さんが言っていた。
で、ルシフェルはというと……
「ん……久々の酒だったな……」
あたしの隣で微睡んでおります。
居間に場所がないため、あたしの部屋に来た……というか来させられたのだが。さすがに床で寝ろ、と言うのは罪悪感があって、また同じ布団で寝ることになったのだ。
……もう、いいや。
「酒の匂い、大丈夫?」
「うん、平気だよ。そんなにしないし」
「なら良かった」
それから少しの間があって、ルシフェルは小さな声で呟いた。
「あのな真子」
「うん」
「……きっと、大丈夫だからな。私がいるから」
「……うん?」
「いや……。こっちの話」
?
……あっ。お母さんからみっつめ聞くの忘れてた。
……ま、いっか。どうせ明日もいるんだし。明日も大変そうだなあ。