第38話:堕天使と肩凝り?
「ねえ」
今夜はご飯と味噌汁、ポークソテーに海藻サラダ。
夕飯の最中、あたしは箸を置いて目の前に座るルシフェルを見た。
「うん?」
対する彼は茶碗と箸を持ったまま、きょとんとしている。
初めて来た日から思ってたけど、箸の使い方上手いよねー……じゃなくて!
「今日どうしたの?」
「どうしたって……何がだ?」
瞬きをするルシフェル。なんて可愛いっ……じゃなくて!
あたしは何が気になっているかというと……
「んー、なんかそわそわしてるからさ」
いやね。今日の彼は落ち着きがない。
食事の途中で何度ももぞもぞと座り直したり、首を捻ったり、肩をぼきっとやってみたり。
「そうか?」こきん
「うん。なんか変」
「そんなつもりはなかったんだが」こきこきっ
「体の調子悪いの?」
「…………」
ルシフェルはちょっと考えて茶碗と箸を置いた。
「首……」
「首?」
「よくわからないが、首の辺りがもやもやする」
もやもや……。本当によくわからないぜ。
「痛いの?」
「すごく、というわけではないが。背中も何か妙な……固い板でも入れられているような感じがする」
なんだろう?
悩むあたしにルシフェルは笑って手を振ってみせた。
「大したことではない。さあ、せっかく真子が作ってくれた料理が冷めてしまう」
本当になんでもないならいいんだけど……。
その後は、あたしが指摘したからか、“こきこき”はほとんどやらなかった。
***
が、事件は夕飯後、彼がシャワーから戻った時に起きた。
湯上がりの色気たっぷりの姿にもようやく見慣れ始めたあたしは、ホカホカと湯気のたつルシフェルを呼び止めた。(彼の乱れ髪を見られるのは、乾かしたてのこの時だけ! でもそれはおいといて。)
「あれ取ってくれない?」
指さしたのは棚の上にある醤油のボトル。いやぁ、お醤油きれちゃってね。
高い所にあるものを取るのは彼の役目。あたしは届かないからさ。
「ああ」
ルシフェルは手を伸ばし……止まった?
「っ!?」
「どうしたのっ?」
「……いや、なんでもない」
今の表情、絶対なんでもなくないでしょ! 顔しかめてたじゃん。軽く呻いてたし。
「……はい」
いつもより緩慢な動作で、それでもルシフェルはボトルを取ってくれた。
「あ、ありがとう」
あたしはふと思いついて、居間に戻ろうとするルシフェルに背後から近づき、そして……
「えい」
「いッ――!」
ほんのちょっと肩を押しただけなのに、ルシフェルはびくんと体を震わせた。すっかり涙目じゃん。
「何を……!」
「ルシフェルさ、もしかして」
さっきの反応であたしは確信した。恐らくルシフェルは……
「肩凝りなんじゃない?」
それ以外にない! だって思い当たる節が……。
原因は多分――毎日の寝床。
「肩凝り……?」
「そ」
日々かたーい床の上で寝てたら、そりゃ体も辛いはずだわ。ルシフェルはなんにも不満言わないから……。
「あ、そうだ!」
急にひらめいたあたし。
気付かなかったのも悪いし、いつもベッド使ってるお詫びに、さ。
「ちょっと来て」
目を潤ませたまま混乱するルシフェルを手招きする。呼んだのはあたしの部屋の中。
「ここにうつ伏せになってみて」
言ってベッドを示す。もちろんあたしのベッド。
「だが……」
「いいから。ね?」
戸惑いながらもルシフェルは寝そべり、そしてあたしはその上に座る。
「真子……?」
これほど困惑してるルシフェルも珍しい。だが変なことを想像しないで欲しい。あたしが今からやろうとしているのは、
マッサージ
なのだ。
「ちょっと痛いかもね……っと!」
「うあぁっ」
ルシフェルは非難がましそうな目であたしを見た。
「真子……?!」
「我慢して。少しは楽になるから、さ!」
またルシフェルは小さく叫んだ。やっぱり凝ってるんだな、うん。
「ふむ……」
触った感じ、肩っていうか全身がカチコチ。どれどれ……
《ぼきっ☆》
「あ」「くぁっ!」
いや! 別に恨みは全然ないよ? 本当に。
「今……“あ”って……言った……」
ルシフェルは、もはや振り向く気力さえなくなってきたみたいだ。息も絶え絶え。さっきのは…………ごめん。
――でもね。
流石あたし! 荒療治?の甲斐あってか、だんだん体がほぐれてきた。ルシフェルの呻き声も少なくなったし。
「こんなもんかな」
最後に腕まで揉んでやって、ベッドから降りる。
元々マッサージは嫌いじゃないし、前に親から誉められたことあったから自信はあったけど。
「どう……?」
……うん。やっぱり、気持ち良さそうな寝顔見ると嬉しくなるよね。ルシフェルはうつ伏せのままで眠ってしまっていた。
「…………」
その綺麗な寝顔見てたら、なんだか急に恥ずかしくなってきて。だって! あの上に乗っかってたんだよ?!
夢中だったからなんにも考えなかったけど……なんつーことをしてたんだっ。
……ま、マッサージだしね! あくまでも!
「あ……」
更にあたしは大事なことに気が付いた。
ルシフェルが寝てるのは、この家に唯一のベッド。……どこで寝ればいいんだ?!
「困ったな……」
あんまり気持ち良さそうだから、わざわざ起こすのも憚られる。これはあたしが床で寝るしかないのか……?
考え込んでいると、ルシフェルが小さく唸って寝返りをうった。眉までひそめて、なんだか苦しそう。夢でも見てるのかな?
「――エル………」
えっ?
寝言を言ったらしいけどよく聞き取れなかった。
すると、黙って寝顔を見ていたあたしは、信じられないものを見た。ルシフェルの綺麗な鼻筋を、滴が伝っていったのだ。
……な、泣いてるの?!
困惑するあたしに、更にルシフェルは眠ったまま腕を伸ばしてきた。
何かを探すように虚空を彷徨う手。ちょっと迷って、その手を握ってみた、ら――
「……うわぁっ?!」
ものすごい力でベッドの上に引っ張られた。
《ごつっ》
「あ痛っ」
勢いで柵に頭ぶつけたし。痛ってーっ!
「ん……――ま、真子?!」
どうやら堕天使様起床。飛び起きるなり、慌ててあたしを覗き込む。
「どうしたっ? 誰にやられたんだ?!」
強いて言うならあんただルシフェルよ。
っていうか……
「手……」
「えっ? あ、あれ? 何故手を握っているんだ?」
彼はびっくりしたように疑問符を大量に浮かべて首をひねっている。そして……
「あ……」
ぱた、と雫が落ちて初めて、ルシフェルは手を離すと自分の目元に触れた。
「私……泣いていたのか……?」
ルシフェルがあんまり呆然としているから、素直に頷くのも気が引けたし。
「……欠伸とかじゃない?」
と、あたしは言っておいた。
それでもルシフェルは「そう……」と呟いたっきり黙ってしまう。額に手を当てて、ベッドの上に座ったまま何かを考えている様子。……変なの。どうしたんだろ?
「……」
「……」
そのままで結構な時間が経った。
まさか「早く寝たい」なんて言える状況じゃないし。ルシフェルは少し悲しそうな顔してるし。
「……ルシフェル、大丈夫?」
「……あ、ああ」
彼はようやくこちらを見て、笑った。
「すまない。今どくから」
「で、でもさ、また床で寝たら辛いんじゃない?」
「平気。慣れた」
もうっ。そういう意味で言ったんじゃないのにな。
あたしは不安なんだよ。なんか、わかんないけど。ルシフェル変だし。
「いや、だから、えーっと……」
どう説明したものかと悩んでいたら。
「……では、」
ルシフェルの方が笑って首を傾げてきた。
「一緒に寝るか?」
……え。
えぇぇーっ?! こここんなイケメンお兄様と、おっ同じベッドで?!
ちょっとそれは……
……
い、いや、でもそれでもいいか、仕方ない……。今日ぐらい大丈夫だ、きっと。ルシフェルをひとりにするのが嫌、っていうのもある。
それに、あたしだってふかふかの布団で寝たいもーん。
「嫌ならいいが――」
「嫌じゃないっす!」
嫌なわけないよ。うん。道徳的にはどうだか知らんが。
多分、隅っこに寄って寝れば大丈夫だよね。何もされないよね。天然だからね。
思い切ってベッドに。お、お邪魔しまーす。
「……狭いか?」
「ううん。大丈夫だよ」
自分のベッドなのに、とてつもなく緊張する。
だ、だって、堕天使とはいえ男でしょう?! しかも超絶美形な……。あたし、今夜はドキドキし過ぎて寝れないんじゃないかな。
「……こうしようっ」
「ふぉっ?!」
おまけにルシフェルが、その、体を引き寄せたのだ。ややヤバいっ! 石鹸のいい香りがふわっとして……め、目眩が。
「ル、ルシフェル?!」
「いくらか、狭くないだろう。それに温かい」
そりゃ確かに温かいけどッ!
あたしはルシフェルの腕にすっぽり納まっていた。何してんだよ。うぁぁ近いよ……!
「……嫌いか?」
ルシフェルが不安そうに聞いてきた。それは触られるのが、ってこと? それともルシフェルが、ってこと?
「……」
ふあっ! あの潤んだ瞳でこっちを見てる!
こっこれは仲間にするしか……(某有名RPGより)
「きっ嫌いじゃ、ないよ」
あたしは気恥ずかしい思いをしつつ、やっとのことでそう言った。何この変な空気?!
「良かった。真子、初めてなのかと思ったから」
「は、初めて?」
「こうやって寝るのが」
……。
「……あたし、こんな、男の人と同じ布団に入るのは初めてだよ?」
「えっ」
フリーズした堕天使長。
「…………うそ?」
「ホントッ!」
どんな勘違いしてやがったんだ貴様はっ! セクハラで訴えるぞっ。あたしはまだ純粋な、純粋な……
「まあ、いいさ」
ちょっ、いいの?!
「だって睡眠とるだけだしな」
そりゃまあ、そうですけど……。色気のない発言だな。
いやいやっ、その方がこっちとしては有難いわけで……
……と、とにかく、あのうるうる光線に耐性をつけねばっ。どーしてもルシフェルのあの表情に弱いんだな、あたしは。
そんなことを考えながら、ルシフェルの首に下がったネックレスをぼんやりと眺める。寝る時も外さないのかあ、とかね。
すると暫しの沈黙を破り、暗闇の中で彼がぼそぼそと話し始めた。
「……気持ち良かったからだろうか。久し振りに……夢を、見たんだ」
「夢?」
「そう。遠い昔の夢」
だから寝言とか言ってたんだ。
「嫌な夢だったの?」
「いいや。懐かしくて温かくて……私の、大事な者の夢」
ふーん。じゃああれはやっぱり人の名前だったのか。でも、泣いてた……よね?
きゅ、と僅かに腕に力が入ったのがわかった。ルシフェル……?
「……戻れないと分かってはいても、どれだけ時間が経とうとも、覚えているものなのだな」
そして絞り出すような擦れ声で呟く。……んー。どうやら流れから察するに、ルシフェルは大事な人とお別れしてしまったようだけど。よくわからない。
「ルシフェルはその人のこと、好きだったんだ?」
「好き、か。どうだろうな。……私は自分がわからない。昔も、今も」
「? それって――」
……
微かな寝息が聞こえてきた。ルシフェル、寝ちゃったみたい。まったく、ここからが大事なところだろうに……。
うーん。またルシフェルは過去のことを話してくれなかった。ふん、いつか聞き出してやるぜー!
ルシフェルも寝てしまったので、暗闇の中であたしは目を瞑る。
抜け出そうにも、起こしてしまいそうで動けないし。……仕方ないや。
「…………」
今日はいつもとちょっと違うルシフェルを見たな……。
それも嬉しかったけど、何より彼の役に立てたのが良かった。たまにはこういうのもいいかもしれない。
とりあえず、布団くらい用意してあげよう……
そんなことを考えながら、あたしは眠りにおちていった。
――翌朝起きる大事件のことも知らずに。