第3話:天然、そして美形
「ただいまー」
親は世界中を旅行中(豪華客船で世界一周! 仕事関係でもあるけれど)。そしてあたしは一人っ子。だから家には誰もいないはず……なんだけどついつい小さい声で言ってしまう。
「おかえり、進藤真子」
けれどその日は返事があった。
そうしてあたしはようやく、今朝から一緒に住むことになった変人の存在を思い出す。
「…………」
やっぱりまだ慣れない。玄関にひょっこり顔を出した美形なお兄さん。……目の毒だわ。
「どうした? 進藤真子」
「いや何でも……」
今日の学校は二割増しで疲れた。もう朝からクラスじゃ“消えたビル”の話題で持ちきり。あたしは彼のことがバレやしないかと気が気じゃなかった。……こりゃ多分、リアル都市伝説になるわな。
「……あ、のさ」
ところで、なんだかこういうこと言うのは恥ずかしいんだけど。
「そろそろフルネームで呼ぶのやめてくれない?」
「ではなんと呼べば?」
それ言わせる?
「や、名字か名前か、さ」
すると彼は困ったような表情を浮かべた。
「そうか……人間には名字とかいうものがあったな。すまないが、お前の名はどこで区切るのか教えて欲しい」
えー……。じゃあ今まで単にわからなくて「シンドーマコ」って呼んでたのね。
「あたしの名前は進藤、真子。進藤が名字で真子が名前」
「わかった」
彼は大真面目に頷いた。
「では、真子」
「な、なに?」
名前で呼ばれて少しドキドキしてる自分がいます。……アホくさいとか言わないでください。
「私からも幾つかお願いがある」
真剣に言うので緊張していたら。
「私のことも名で呼んで欲しい」
「え、ああ」
――そういえばまだ呼んだことなかったかも。
「ルシフェル……?」
彼は満足げに頷いた。……なんだか可愛い。
「それと、」
居間に向かいながら再び彼が口を開いた。
「うん?」
「私は外へ出てはいけないだろうか」
いけなくはない、けど。そもそもそっちからウチに来たんだし。でも……
「普通の人には見えない、とかそういうお約束の設定はないの?」
もし並んで歩いていたら……少女マンガ的勘違いを招くという結果は目に見えている。そういう意味じゃないのかな?
「無論、ある」
「なら――」
「地上の、人間として生活してみたい」
あーはいはい。普通に見える感じでってことねーなるほどー。
…………だぁ?!
そ、それは困るって。だってそんなことしたら、まさしくあたしとあんたが一緒に住んでるってバレるっしょ。絶対周りに勘違いされちゃうよっ。
「……ダメか?」
「ダメ……じゃないよ、うん」
やめてそんな潤んだ瞳で見ないでください。……あたしはどうも彼のおねだりに弱いらしい。
まぁ……見た目は普通の人間だし、ちょっとくらいなら……。
「あんまり派手なことしないでね」
「わかっている。真子に迷惑はかけない」
うむ、それならよろしい。
まぁ彼の“派手”の基準があたしと、というか一般人とどれほどズレているかはすぐにわかるのだけど、それはまた別の話。
「でもさ、その格好のままは流石にまずいよね」
そう。ルシフェルの今の格好は普通からは程遠い。
西洋の騎士のような黒の上下。更にその上から羽織った闇色の長衣は銀糸で豪奢に彩られている。いわゆるゴスロリの“ゴシック”というやつに近い。
似合っているのがすごいが……これでは相当目立つ。
「そうか? 似た格好をした者を何人か見かけたが」
それ多分、そういう趣味の人かイベントに参加する人だよ。
うーん。かといってあたしの服貸してもなぁ。
何しろ彼はあたしより頭一つデカい。入るかどうか。
「よし、じゃあ明日は休みだし、買い物行こう」
「いいのか?」
ルシフェルは目を丸くしている。
「いいのいいの。あたしケチじゃないからそのくらいします」
もうこうなったらとことんやってやるわ!、なんて。
……本当は、ちょっとしたデートみたいで楽しみだったりするんだけどね。
「一緒に行くのは構わないけど、その代わり、見えないようにしててね」
「心得た」
よし、では明日はお買い物ということで。
さてさて。そろそろ夕飯の支度しないと。
「ルシフェルー。カーテン閉めて電気点けて食器こっちに持って来てくれない? あとテーブルも拭いてくれる?」
「承知」
彼はとっても便……素直だ。
***
「ねぇ堕天使さ……じゃなくてルシフェル」
微妙な空気の夕食を終え、あたしは思い切って彼に切り出した。
「色々と聞きたいことあるんだけど、いい?」
「そうだな。今朝はあまり話す時間がなかった。私に答えられることならば答えよう」
完全に押し掛けだったからね。
あたしはまず素朴な疑問からぶつけてみることにした。
「なんであたしの家に来たの?」
「なんとなくだ。次は?」
「ちょっ、待てぇい!」
おいマジかコラ。よりによって「なんとなく」って!
「ホントに?」
「嘘をついてどうする」
嘘でもいいからもっともらしい理由が欲しかったよ。
「本当に、何故お前の家を選んだのかはわからない。ただここだ、と思ったのだ。ここならば、あるいは――ここにしなければと」
「ふーん……よくわかんないけど、直感ってことね」
「恐らくは」
ふむふむ。彼の眼差しは真剣そのものだ。こんな場で冗談を言うような性格ではないということは今日のやり取りでわかっている。多少納得はいかないけど、まぁいいか。
「うん、なら次ね。地上の査察って言ってたけど具体的にどういうこと?」
ルシフェルの柳眉がひそめられた。
「……その問いには答えかねる。我々天使や悪魔の類はふとした行動が人間の命に関わることも多い。仕事についてはあまり深く聞かないでくれ」
とかなんとか言って“家出”、だったりして。
……でもここは追求しないでおこう。だって怖いじゃん。このひと涼しい顔してビル一つ消しちゃったんだから。
「了解。じゃあさ、ルシフェルはどこから来たの? やっぱりて……えーっと、地獄?」
“天国”と言いかけて慌てて訂正する。彼が言うことに従えばルシフェルは堕とされた天使、ということになるから。
「いかにも」
彼は神妙に頷く。
「いかにも私は地獄から来た。もともとは天国にいたのだがな。この翼も白かった」
いつの間にかまたあの真っ黒な翼が背中に生えている。そう、だよね。天使といえば純白の羽に金色の輪っかだもの。
いやぁ実際に天国とか地獄ってあるんだねー。目の前の彼が何よりの証拠。
「天使も堕天使もいっぱいいる?」
「ああ。ついでに言うなら悪魔も一柱や二柱の次元ではないな」
「悪魔……」
「とはいえ、お前が描いたような姿の者が大勢いるわけではない。大抵は普通の人間と同じ容姿をしている。むしろ人間が……いや、やめよう。ともかくそういうわけだ。本性は、また別だが」
私も含めてな、とルシフェルは一瞬だけ自嘲気味に笑って付け足した。
「じゃ、じゃあルシフェルも変身できるの?」
「まあ」
「見たいなー」
あたしが言うと彼は少し考え、やがて何かを思いついたようにピッと一本指を立て、楽しそうな笑みを浮かべた。
「私が何になるか当てられたら見せてやろう」
「えー、なにそれー」
くつくつと肩を揺らす彼。可愛いなオイ。やっと緊張も解れてきた、のかな?
「ヒント。怪物ではない。多分お前も知っている動物だ」
「動物……」
あたしはルシフェルをじっと見てみる。
「……狼?」
「違うな」
「カラス」
「違う」
「猫」
「違う」
「えーじゃあキツネ?」
「それは私じゃない」
当たんないって!
「残念」
笑うルシフェル。
くっそぉ。悔しい! 見てなさい、いつかちゃんと調べてやるんだから。
「他に聞きたいことはあるか?」
「……今はとりあえずないかな。なんか色々あたしにはわかんない事情がありそうだし。狭い家だけど、まぁよろしくね」
ルシフェルは眩しそうに目を細めてこちらを見る。
「変わっているな、真子は」
「え?」
「私がこうして急に転がり込んでも受け入れ、世話を焼いてくれる」
「だって確かにびっくりはしたけど、そんな困ることもないっぽいし」
それに。
「一人より二人暮らしのほうが楽しそうじゃない?」
お世辞とか建前じゃなくて、本当にそう思った。最初は怪しいことこの上ないと思ったけど、話しているうちに悪いひとではないのはわかったし、……イケメンだし。あたしはもうこの堕天使との生活がちょっと楽しみになってきていたのだ。
と、いきなり彼があたしの目の前に手を伸ばしてきた。思わず身を引くと。
「――……」
ほとんど吐息のような彼の呟き。途切れ途切れに聞こえる言葉は聞いたことのない奇妙な響きで。何をするのかと固まっているあたしの額の前で……“印”?というのだっけ、それを切った?
「な、何?」
「余計なことかとは思ったが“呪”をかけておいた。真子に何かあればすぐわかるようになっている。私が来たことで真子に危害が及ぶようなことがあってはならないから」
……全然変わらない気がするけど、彼が言うなら多分そうなんだろう。
「そうなんだ。ありがと」
そして彼はあたしを真っ直ぐ見て真顔で。
「安心しろ。何があろうと私が真子を守る」
そう言った。ルシフェルは、歯の浮くような台詞に口をぱくつかせるだけのあたしに軽く微笑って立ち上がり、「もう休むか」と向こうの部屋へと入っていった。
あっちの部屋は……
「あたしの部屋?!」
我にかえって部屋に突進してしまう。勢いよく戸を開けてとりあえず、そう、とりあえず――
「何やってんの」
彼は既にベッドに腰掛けて、服のボタンを外し始めていた。……すなわち、寝る準備。
「何、と言われても。私にも睡眠をとる権利くらいあると思うのだが」
違う違う!
説明しましょう。前述の通りあたしは一人暮らし(だった)。寝室はひとつ、ベッドもひとつ。そして今ルシフェルが座っているのが唯一のベッド。まさか、
「……一緒に寝るの?」
「嫌か?」
そういう問題じゃないぜ!
あー、男女が一緒に寝るのって教育上よろしくないんじゃない?
「ほら、なんて言うか、」
「ああ、そうか」
頷くルシフェル。よかった、察してくれたか。
「なるほど。狭いのだな」
「へ?」
「承知した。私は向こうで休もう」
言って、居間へ戻っていく。
「そういうことじゃないんだけどなぁ……」
思わず苦笑が漏れる。どうやらやっぱり彼はちょっと天然みたいだ。
「ま、いっか」
結果オーライ、かな。