第29話:堕天使長とお料理
「おはよう、真子」
朝、あたしが起きて居間へ行くと、そこには既に身支度を整えた堕天使様がいた。
いやー、朝イチで素敵な微笑をありがとう。
「おはよ。今日は早いんだね」
「えっ、あ、いや。さっき起きたばかりだぞ」
変に気を遣わなくてもいいのに。ジーンズ履いて寝てたなら話は別だけど。
彼の黒髪はサラッサラ。寝癖なんて無縁。結構早くに起きてたんだろうね。
「真子こそ早いな。せっかくの休みなのに」
早い、と言ってもそれほどではないけれど。まぁ休みの日にしては早い、かな。
「だって今日はルシフェルと料理するって言ったじゃん」
「覚えていたのか」
ルシフェルは嬉しそうに笑った。
実はこの間、次の休みの日に一緒に料理の練習をする約束をしていたのだ。ルシフェルはとりあえず慣れるために。あたしはそのお手伝いだ。
しかもあたしは、今度地獄に行く時のための“手土産”用のお菓子も作る予定。ほら、あのパーティーのためのさ。
「じゃあちょっと準備するから待ってて」
「ああ。でも……」
「わかってるわかってる。朝ご飯も作るから、一緒に食べよう。お腹空いたでしょ?」
「まあ」
ルシフェルは素直に頷く。早く起きて何も食べてなかったなら、よほどお腹が空いてるに違いない。
あたしを起こさなかったのは優しさ……なんだろね。うん。
「あのな、真子」
「なに?」
「……べっ、別に真子と料理するのが楽しみで、早起きしたわけじゃないんだからなっ!」
まさかのツンデレ風味キター!
なんでいきなり?!
「真子も、こういう方が好き?」
なんて首を傾げてくる堕天使長様。一体どこで覚えたんだか……。
「ルシフェルはそのままでいいんだよ」
「そうか……。うん、そうかそうか! よかった」
?
「さ、ご飯ご飯♪」
「う、うん」
なんだか機嫌が良くなったルシフェルを残して、あたしは朝食の支度をしに立ち上がる。
よくわからなかったけど……ルシフェルのツンデレ、ちょっと可愛かった。萌えたね!
***
「じゃあ今日は野菜炒めを作ってもらいます」
「はーい」
軽めの朝食を済ませたあたし達は台所に立っている。
あたしはいつも使っている赤いエプロンを、ルシフェルは予備の紺色のエプロンを着けている。うーん、見た目だけなら料理できそうなんだけどなー。
「昼ご飯になるから頑張ってね」
「承知した」
ま、初めてだからね。野菜炒めくらいが丁度良いだろう、と。
あたし達の前には様々な野菜が並んでいる。
「まずは野菜を切って。……あ、ちなみに剣は出さないでね」
「うっ……」
君のボケはお見通しだ!
ルシフェルは悲しそうな顔で手に持った剣を消した。本当にそれで切ろうとしてたの?
「こうか?」
「うん。葉っぱ系の野菜は火を通すとかさが減るから、少しくらい大きくても大丈夫だよ」
「へぇ……」
ルシフェルはなかなか筋が良かった。不器用というわけでもないみたいだし。……まだ料理下手の片鱗も見せていない。
無事に野菜を切り終え、フライパンを火にかける。
「そしたら油をひいて」
「ああ」
……はっ!
「あ、あんまりいっぱい入れちゃダメだからね!」
「え?」
《ドバドバ…》
ぎゃーっ!
「ちょっ、入れすぎ!」
「うわぁっ」
慌てて油をボトルに戻す。あぶねー。危うくギットギトになるとこだったよ。……ちょっとずつ怪しくなってきたぞー。
「そんなに少なくて良いのか?」
「いっぱい入れれば良いってもんでもないんだよ」
「そうか」
さて、油がいい音を立ててきました。いよいよ“炒め”に入りますよ。
「ルシフェル、野菜投入っ」
「はいっ」
火の通りにくいものから順に野菜を入れていく。ニンジン、玉ねぎ、ピーマン、キャベツ。あとは魚肉ソーセージなんかを足しておく。
「熱いな」
「それが料理だよ」
菜箸でフライパンの中身をかき回す姿はまさに主夫って感じ。カッコいいなー。
なんだ、手伝えば普通にできるじゃーん。
「塩と胡椒で味付けしたら完成だよ」
二つのビンを置いてあげる。……と、ルシフェルの動きが止まった。
「胡椒……?」
どうしたんだろ?
ていうか焦げる焦げる!
「ルシフェル、手が止まってる!」
「あ、ああ!」
慌てたように塩を振り入れ……
「いい入れすぎ!」
「わぁっ」
もうパニック状態。一体どうした?!
「真子、さしすせそが!」
「さ、さしすせそ?」
「“こ”しょうって、さしすせそにない!」
えぇーっ!? そこで?
「どのタイミングで入れれば良いの?!」
「今!」
「は、はいっ」
「入れすぎるなよー」
「……あ♪」
……。ここだな、ルシフェルの料理下手の原因は。
まあ、なんやかんやで野菜炒めが完成! すっごい煙だけど……見た目はそれなりになってる。
「できた♪」
ルシフェルは満足げだ。
あのポトフ(……だと彼は主張する)から比べたら、素晴らしい進歩だと思う。
「お疲れルシフェル。熱いうちに食べよう」
んー、子供に料理を教える親ってこんな気分なのかも。
***
「ごちそうさま」
たまーに苦かったり、全体的にしょっぱかったりしたけれど、充分上出来だ。普通においしかったよ。
「初めて、食べられるものを作った気がする」
「あはは」
思うに、ルシフェルは単に練習が足りないだけだな。さすがお坊ちゃんなだけある。
さぁ今度はあたしの番!
「堕天使さんとか悪魔さん達って、食べられないものはあるの?」
「特には。個々に好き嫌いはあるかもしれないが、基本的には何でも食べるぞ」
ふむふむ。んー、焼き菓子なら日持ちするし、たくさん作れるからいいかな。
「真子は何か作るのか?」
「うん。その“パーティー”に備えてお菓子を、ね」
「私も手伝う?」
……!
ルシフェルからそんな言葉が聞けるとは。ちょっと涙が出そ……っ。
「真子?」
「あ、いや! 是非お願いします」
「頑張るよ」
出た、必殺スマイル! もう堕天使長すてきっ!
……ということで、あたし達は再び台所に。
「ところで、何を作るの?」
「チョコサブレとラングドシャだよ」
「??」
うん。わかるとは思ってなかったさ。
何故この二つかというと、卵黄と卵白をそれぞれに使うから無駄がない。そして、友人達にも好評なお菓子なのだ♪
「私は何をすればいい?」
そうだなー。
「バターと砂糖を混ぜてくれる? 白くなるまでね」
「了解」
まずはサブレから。途中で生地を休ませないといけないからね。
「もともと白いのだが」
「もっと白くなるんだよ」
ルシフェルは頑張ってバターを泡立てている。その間にあたしはチョコを湯煎にかけて、と。
「どう? かなり白いと思う」
おっ。なかなかいい感じにバタークリームが完成。これ、そのまま食べてもおいしいんだよね。
その中に卵黄と溶かしたチョコを加えて更に混ぜる。
「いい匂い!」
堕天使様はどうやらチョコの香りが好きなよう。エクレアも好きだからな。甘党なんだよね。
「ルシフェル、粉入れてくれる?」
「わかっ……ゲホッ」
む、むせた!
もうもうと舞う白い粉をルシフェルは手で払う。
「大丈夫?」
「粉、吸っ、て……ゲホ……びっくりした」
あたしもびっくりしたよ。
どうにか薄力粉を入れてひとかたまりにしていく。まとまったらラップに包んで冷蔵庫へ。
「完成?」
「まだまだ。生地を休ませるんだよ」
「……休憩、ということか?」
「ま、そんなところ」
ふーん、とルシフェルは冷蔵庫に軽く指を這わせて微笑んだ。
「かき回されて大層疲れたことだろうな。ゆっくり休んで欲しい」
……面白いこと言うなあ。サブレ生地を労る人(人じゃないけど)、初めて見たよ。ルシフェルらしいね。
じゃあ次はラングドシャを作りますか。厳密にはラングドシャ“風”クッキーだけど。
用意するのはバターと砂糖と薄力粉を1:1:1の割合で。それと残った卵白とバニラエッセンスだ。
「また混ぜるのか?」
「そうだよ」
ボウルにバターと砂糖を入れていると、ルシフェルが尋ねてきた。
「私がやろうか」
「いいよ。疲れたでしょ?」
「この程度で疲れていたら堕天使長は勤まらないさ。それに、あんな力仕事を真子にやらせたくない」
いつもやってるから平気なのに。ルシフェルに優しく言われたら、甘えるしかない。
「ありがとう」
「うん」
……。
……はっ!
いかんいかん。あたしも何かやらなきゃ。
「真子、このくらい?」
「オッケー」
卵白とバニラエッセンスを入れて更に混ぜる。ふるった粉も投入して生地の完成♪ クッキーにしては柔らか過ぎる、ってくらいが丁度良い。
「これは休憩させないのか?」
「うん。えーと、こっちの生地はタフだから!」
「なるほど」
天板にシートを敷いて生地をのせる。焼くと広がるから、ちょっとずつでいいんだ。
あとは余熱したオーブンに入れて焼くだけ。
「真子、すごい。大きくなった」
張り付くようにオーブンの中を見ていたルシフェルが興奮気味に言った。
本当にでろーんと広がるのだ。バ○ルスラ○ムみたいにさ。
……うーん、バターのいい匂いがしてきた!
焼き上がったものは金網にのせて冷ます。これはルシフェルの仕事。
あたしはどんどん焼いていく。たくさん作らなきゃいけないからね!
「そろそろ休憩終わり?」
最後の天板をオーブンに入れ終え、ルシフェルが言った。うむ、そろそろいいかな。
冷蔵庫から出したチョコサブレ生地はカチカチに。ま、この気温ならすぐに柔らかくなるだろう。
「真子、それ凶器だよ凶器。固すぎて食べられないよ」
「大丈夫だって」
本気で不安げなルシフェルに笑って、生地を麺棒で伸ばしていく。
「ほら、ちゃんと伸びるでしょ?」
「……そのまま焼くのか?」
「まさか」
このサイズで焼かないよ。夢のようなお菓子になるけど。お菓子の家を作るわけじゃあるまいしさ。
……あ、お菓子の家、作ってみたいかも。
「良かった」
ほっとしている堕天使長様は一体どこまで天然なんだか。
クッキー型でサブレ生地を抜いて、これも天板に並べていく。
そしてアクセントとして塩の登場! ほら、スイカに塩の原理で。
「真子、それ砂糖ではないぞ」
「塩でいいんだよ」
いくらあたしでもそんな初歩的なミスはしないぜ。
「じゃあこれも使う?」
と差し出されたビンは
「……ルシフェル、胡椒は使わないよ」
「そう」
んー、スパイシーになって案外いけるか?
でも冒険をする勇気はない。だって悪魔さん達にあげるお菓子だもの。
サブレに塩を振ってオーブンにイン!
「早く焼けないかな」
「つまみ食いしちゃダメだよ?」
「わ、わかってるよ」
***
冷ましたクッキーにチョコクリームをサンドして、ようやく二種類のお菓子が完成♪
壊れないように空き箱に詰めていく。我ながら大量に作ったなー。
「夢のような箱だな」
「味見する?」
「いいのかっ?」
そんな物欲しそうな顔してたら、ねえ。
パッと顔を輝かせたルシフェルに、クッキーをひとつ手渡す。彼はそれを頬張って……
「……美味しい」
極上の微笑いただきましたー!
「美味しいよ真子! 皆もきっと気に入ってくれるだろう」
「ありがと。ルシフェルも手伝ったんだからね」
ルシフェルはちょっと照れたように笑う。
「私にも、できるんだな」
「うん、結構上手だと思うよ」
嘘じゃないよ。天然なのはまあ……仕方ないけど。
「ところでルシフェル、パーティーってどのくらいの規模なの?」
「そうだな……とりあえず幹部は数名出席予定だ。他の高位の悪魔達にも声はかけたが。まあ万魔殿の料理長に言って、料理を作らせるだけだな」
「すげー!」
なんか豪華!
「もふっ……驚くほどではないよ」
「え?」
「堕天使長の私が出席する時点で、超豪華なんだから」
……それは、そうか。
ルシフェルが胸を張るのがなんだかおかしかった。
っていうか!
《バリボリ》
「食い過ぎじゃあっ」
「もぐもぐ……え?」
手にサブレを持った姿勢のまま固まる堕天使長様。
「だって、真子の作るお菓子は美味しいんだもの」
うっ!
だ、ダメだ。この潤んだ瞳に屈しちゃいけない。
「ほ、ほら、後でいっぱい作ってあげるから」
「……必ずだぞ?」
よしよし。後でちゃんと作ってあげなきゃね。
「ルシフェルが満足するくらい作るから、ねっ?」
「♪」
言ってからあたしは激しく後悔。
……ルシフェルが満足するくらいってかなりの量じゃないかぁぁ……。堕天使長は驚異の食欲を誇るのです。
「ル、ルシフェル、やっぱり――」
「真子、楽しみにしているよ」
……。
……仕方ないなー。いつか作ってやるよっ。
実際のレシピを基に書いてます。作者もお菓子作りはたまにしたり^^