第27話:堕天使と雨降り
「ルシフェルー、洗濯籠持って来て」
「了解」
堕天使様が運んで来た籠から、室内に洗濯物を干していく。部屋干しだ。
今日は雨なのです。せっかくの休みなのに。
「……」
ルシフェルは窓に張り付いて外を見ている。
「大丈夫かな……」
彼は少し落ち込んでいるがそれもそのはず、明日は夏祭り当日なのだ。どしゃ降りというほどではないけれど、外は暗い。
「心配なの?」
「うん……」
窓にくっついているもんだから、漆黒の髪はすっかり濡れてしまっている。
「せっかく真子と祭りに行けるのに。晴れた方がいいじゃないか」
ため息でガラスが曇るのが見える。
あたしはようやく洗濯物を干し終えた。それから忘れずに某消臭スプレーを吹きかけておく。
「……」
まったく、ルシフェルのテンションが低いとこっちまで気が滅入る。ただでさえ、外が暗いと気分が重いのに。
……そうだ!
「ルシフェル、明日晴れるようにおまじないしようよ」
「おまじない?」
彼はやっとこちらを見た。額に張り付いた黒髪を軽く掻き上げて首を傾げる。
「うん。てるてる坊主っていうんだけど」
「てるてる……?」
ルシフェルは顎に手をやり、
「照れ屋な僧侶?」
と訊いてきた。
照る照る坊主……。顔を真っ赤にしたお坊さんを想像してしまって、ちょっと笑みがこぼれた。
「うーんとね、白い人形みたいなものなんだけど、吊るしておくと次の日は晴れるって言われてるんだよ」
「すごい人形だな。魔力があるのか?」
いや、それはどうだろう。
「ルシフェル、作ってみる?」
「作れるのならば」
と、いうわけで。
あたし達の前には材料が並んでます。材料っていっても、白い布きれとか紐くらいなんだけど。
「丸めて包んで縛れば完成だよ」
「簡単だな。で、どのタイミングで魔力を込めるの?」
どうやら堕天使長は勘違いしているらしい。まぁいいか。
「魔力は……まあ、ほら、適当に」
「ふーん」
……さて、作るか。
布きれを丸めて白い布で包んでいく。ルシフェルも見よう見真似で。
「ここが頭になるんだよ」
「そうなのか」
そして紐で縛って……と。
「これで完成♪」
「本当に簡単だ」
指先で紐をつまみ上げながら、ルシフェルはようやく笑った。ゆらゆら揺れるてるてる坊主は、初めてにしてはちゃんと作れてる。
「もっと作ろうよ真子」
「はいはい」
意外と堕天使様は楽しそうに作業している。……作り過ぎないように気を付けなきゃ。
雨の音を聞きながら、てるてる坊主を作っていると。
「“……主が泣いておられるよ”」
「えっ?」
ルシフェルが唐突に呟いたので、あたしは思わず手を止めて顔をあげた。彼は手を動かしながらも更に続ける。
「“主が泣いておられるよ。実らぬ大地をご覧になって、悲哀の涙を流しなさるよ。背くのは誰か、裏切ったのは誰か――”」
まるで詠うように。悲しい内容なのにどこか懐かしい気もした。それはルシフェルの低くて心地良い声のせいかもしれない。
「それは……?」
ルシフェルはあたしを見て静かに微笑んだ。
「ああ、昔知り合った人間が詠っていたんだ。なんでも、雨は神様の涙だと」
なるほどね。その考え方、好きだな。
「ちょっと悲しい歌だね」
「まあな。優しさは時に残酷だ」
「え?」
どういうこと?
「いや。だがこの詠には続きがあって」
そう言うとルシフェルは小さく咳払いをして口を開いた。
「“主が泣いておられるよ。意思を授かりし人形は、雫に負けぬ炎を燃やす。彼の涙は慈愛の涙。愛が故に、主は泣いておられる――”」
ルシフェルは一息ついて笑った。
「つまり、人間も捨てたものじゃないということさ」
んー、よくわかんないけど、その神様の涙は恵みの雨ってことかな? ルシフェルは時々、哲学みたいな謎めいたことを言う。
「ほら、真子見て。さっきより上手くいったと思わない?」
何事もなかったかのようにてるてる坊主を見せてくるから、あたしはそれ以上何かを聞くことはできなかった。
「うん。上手いじゃん」
「だろう」
……ま、ルシフェルが言わないならそれほど必要なことでもないんだろう。
あたしはペンで照れ屋なお坊さんに顔を描き始めた。
「何してるの?」
案の定ルシフェルが覗き込んでくる。
「のっぺらぼうはかわいそうでしょ」
「のっぺら?」
ああもう。堕天使様にはのっぺらぼうが通じない!
「えーと、人形さんにも顔があった方がいいよね、ってこと」
「なるほど、そうだね」
二人で顔を描いていく。
出来上がったてるてる坊主は合計六個。ちょっと多いけど、これだけあれば晴れるだろうさ!
「待って、真子」
早速吊るしに行こうとすると、呼び止められた。
「まだ魔力を込めてない」
ほ、本気だった!
びっくりしたけど、魔力を込めるとか見てみたい。座り直したあたしの目の前で、ルシフェルは並べたてるてる坊主を見つめる。
「……」
じっと見つめて……
「えいっ☆」
可愛らしい掛け声と共に、普通に指を差しただけ。期待を裏切らない!
「まさかそれで魔力が?」
「冗談だ」
だよね。
ふっとルシフェルの目が真剣な光を帯びた。何か呟いているのはわかるけれど、例によって何を言っているかはわからない。
「……よし」
そんな儀式はほんの少しの間だけ。にこりと笑ったルシフェルは満足げに頷いた。
「これで明日は晴れるよ」
そっか。変わったところは見えないけど、堕天使長様がやったなら間違いないよねっ。
あたし達は今度こそてるてる坊主を吊るしていくことにした。
***
「さすがにすぐはやまないな」
窓辺に吊るした白い人形を見ながらルシフェルが言う。頬杖までついて、本当に退屈そう。
あたしはルシフェルを見てるだけで飽きないんだけど。目の保養にもなるしー。
「そうだ」
「どしたの?」
「どうせ外に出られないなら、手紙を書こう」
手紙?
「招待状を、ね。今度真子を紹介するついでにパーティーするから」
「パーティー?!」
「あれ? 言ってなかったか?」
「初耳だよ!」
そうか、と全然悪びれずにルシフェル。いつの間にか高級そうな紙をテーブルに広げてるし。
「あ、そこで真子を料理長に会わせる予定だから。まあ彼は忙しいからな、会えるかどうかはわからないが」
ちょぉっと待てぇい!
「何その展開?! あたし全く聞いてないんだけど!」
「うん、ごめん。それはアレだ、過去の私のうっかりだ」
ごめん、じゃないよ!
平然としているルシフェルは更にどこかからペンとインク壺、蝋燭と判子を取り出した。あっ、羽ペンとかお洒落! ……じゃなくてっ。
「パーティーってどういうこと?」
「この前地獄へ行った時は幹部がいなかっただろう? ただ紹介してまわるのもつまらないから、食事しながらの楽しい会にしようと思ってな」
「そ、そんな大々的に?」
「私が皆に会いたい、というのもある」
まあ、それなら……うん。
「アシュタロスも連れて行くつもりだから、黎香や奏太を誘っても構わないぞ」
言いながらルシフェルは羽ペンをインク壺に浸す。少し思案して紙に文字を連ねた。……文字、というより記号の羅列に見えたけど。
「あいつらにはこれでわかるから」
「秘密の暗号?」
「のようなものだな」
軽く笑ってペンを走らせる。なんだろう、書いてある文字は読めないのに、何故か整っているように見える。多分、完全無欠の堕天使長は字も上手なんだ。……ま、料理はできないけど。
ルシフェルは書き終えると手紙を畳んで封筒に入れ、赤い蝋を垂らしてその上から判を押した。うわぁ、洋画とかでしか見たことない光景だよ。
「宛名とか差出人の名前は書かないの?」
「書かずともこの印璽を見ればわかる」
「見てもいい?」
あたしが尋ねるとルシフェルはそっと、封をしたばかりの書状を手渡してくれた。
「封蝋がまだ熱いから、触るなよ」
「うん」
どれどれ。
「これがルシフェルの判子ってこと?」
「私のと言うか……いや、そうだな。私の印だ。私からだということがすぐにわかる印」
ルシフェルは何やらモゴモゴ言っていた。
んーと判子の図柄は……ライオン? 翼の生えた獅子の絵が、たてがみの細かいところまで丁寧に描かれている。格好いい!
「……さて」
あたしがぼんやりと見ているうちに、あっという間に何通かの封筒がテーブルの上に。仕事が早いっ。
「ルシフェルはデキる男なんだね」
「ん。まあな」
否定しないところもルシフェルらしいよ。
彼は目を瞑り、軽く上を向いた。
「わっ」
久しぶりに背中に翼が出現。あたしは思わず声をあげる。んー、いつ見ても綺麗。
ルシフェルは翼をぐぐっと広げて、体を捻ると不意に腕を伸ばした。そしてなんと羽根を数枚抜き取ったのだ。
「……っ」
鋭い息吹きと共に眉間に皺が刻まれる。その一瞬の表情の美しさに、あたしはつい見惚れてしまう。
ぼーっとしていたら、こちらを見たルシフェルと目が合った。彼は紅い瞳を細めて柔らかく笑う。
「あまり気持ちの良いものではなくてな」
手の上には黒く輝く羽根。光を反射して虹色を帯びている。
彼はそのまま手を自分の口元に持っていき、ふうっと息を吹き掛けた。と、
『――チチッ♪』
わっ! と、鳥になった?!
ルシフェルの翼と同じ色の小鳥が数羽、さえずりながら頭上を飛び回っている。また堕天使様の新しい能力か。
「すごい!」
「そう?」
肩の上に黒い小鳥を止め、ルシフェルは嬉しそうに笑う。
「私自身の能力で皆の行方を突き止めることは可能だが……ま、たまには風情というものを重んじてみようと思ってな。彼らに手紙を運んでもらう」
差し出された封筒を小鳥達はおとなしくくわえる。
全ての小鳥に手紙を渡すと、ルシフェルは立ち上がって窓を開けた。外は相変わらずの雨だ。
「その鳥、飛ばすの? 雨降ってるのに?」
「ああ」
「濡れちゃうよ。鳥も手紙も」
ルシフェルはびっくりしたようにあたしを振り返る。が、すぐに微笑んだ。
「真子は優しいな」
て、照れるよ!
「心配はいらない。私の羽根から生まれているのだから、この子達にもそれだけの魔力が備わっている」
分身、みたいなもの? 確かに堕天使長から生まれたなら安心かも。
「さあ、行っておいで」
ルシフェルが腕を伸ばす。
「……」
「……」
『……』
――飛ばず!
「……何故飛ばない?」
『チ……』
小鳥は困ったように小首を傾げて鳴くばかり。
でもさぁ、ちょっと思ったんだけど。
「ねえルシフェル」
「何?」
「その子達さ、宛先わかんないんじゃない?」
宛名書いてないし。さすがに何も言ってあげなかったらわからないよ、ねえ。
「!!」
堕天使長気付いてなかったー!
「そ、そうか。なるほどな……」
ルシフェルは指に小鳥を一羽ずつのせて。
「では……お前はベルゼブブのところへ。それからお前はレヴィのところへ」
『チチッ♪』
意を得たように小鳥は一声鳴くと、それぞれ暗い空へと飛び立った。
「アスモデウスは……いいか。面倒だ」
うわー、面倒がられてる悪魔さんいた。
「あいつは真子にも会ってるからな。わざわざ襲われるために呼ぶ必要もない」
「襲われる?!」
じゃあ呼ばない方がいいね!
「ベルフェゴールには……いや、レムレース達に言うついでに私が届けるか」
全部の小鳥を外に放って、ルシフェルはあたしに二通の手紙を差し出してきた。
「黎香と奏太に。真子から渡してもらえる?」
「いいよ。あ、でも黎香はアシュタロスさんがいるからともかく、奏太は読めるかなぁ」
「あ」
天然めー。
「んー……真子、奏太に説明してやってくれないか?」
「はいはーい」
……ルシフェルは堕天使長としての仕事の時もこうなのだろうか。まあ、そのくらいがちょうど良いのかもしれないけど。なんか憎めないし。
「では私は、この手紙を渡しに地獄へ行ってくるから」
「うん」
そう言うとルシフェルはいつものように唐突に消えた。
……。
戻ってくるまでにご飯支度するか。ということで、今回はこの辺で――
「忘れてた!」
って戻って来た?!
「わあっ! 随分早いね」
「違うんだ。着替えるのを忘れてた」
「へ?」
「人間の服では行きたくない。それにもし行ったら……ベルフェゴールが怖い」
あーなるほどね。けどだからって……
「めっ、目の前で着替えないでよー!」