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第25話:堕天使と夕焼け

 本を片手に紅茶入りのカップを傾ける男。

 もたれた窓から差し込んだ光が、艶やかな黒髪にきらきらと反射する。鼻筋の通った端正な顔立ちはまるで彫刻のよう。

 見る者全てを虜にする美青年は、優雅に紅茶を一口啜り――


「……ゴホッ!」


 ……むせた。



 背中をさすってやると、ルシフェルは咳き込みつつ振り向く。


「ごめっ……」 


 あ、涙目。

 もう、せっかくいい感じだったのになー。ルシフェルがやると何でもサマになるんだもん。あたしには背景に美しい庭園まで見えたってのに。

 ……まあ、彼らしいといえばそうなんだが。


「ふう……助かった。紅茶を飲んで死んだなんて、洒落にならないからな」


 堕天使長様は特にね。人間なら確実に三面を飾れるよ。


 あ、ルシフェルがいつも窓辺で本を読むのは、うちの居間には椅子がないからなんだよね。だから、ご飯を食べる時も床に座る。


 ついでだから間取り的なものを紹介すると……

 台所は居間が見えるところにあって、更にあたしの部屋も居間に隣接している。他にも小さな部屋があるけど……あれはガラクタ置き場。納戸ってやつ。ちなみに風呂とトイレは別。ちゃんと洗面所もある。

 学生の一人暮らしにしちゃ随分といい部屋だと、自分でも思う。

 ……え? 誰もお前の部屋の構造なんて知ったこっちゃない? ガーン!


「私が明かりではなく、窓辺の光で本を読むのにも理由がある」

「そうなの?」


 ルシフェルはピッと指を立てて得意そうに言った。


「ずばり、環境への配慮」 


 堕天使長は地球に優しかった!


「チキュウオンダンカ? 大変らしいじゃないか。現に近頃は日に日に暑くなっているし……」


 ……。


「ねえ」

「ん?」

「最近暑いのって、温暖化のせいだと思ってたの?」

「違うのか?」


 勘違い発覚!


「それも少なからずあるとは思うけど……。でも暑くなってきたのは季節のせいだよ」

「!!」 


 やっぱ彼は天然でした。

 そういえば地獄に季節ってあるのかな?


「そ、そうか……地上にはそんなものがあったな」


 しばらくして立ち直ったらしいルシフェルが、呆然としたように呟いた。地獄にはないのか。なら、仕方ないよね。

 「せっかく調べたのに……」とか何とか言っている。環境問題知ってて四季知らない方がびっくりだって。


「今は夏が近いからね」

「なつ?」 

「そ。季節には春夏秋冬があって、気温ももちろん違うし、季節ごとに生き物も違うんだよ」


 ルシフェルは不思議そうに首を傾げている。


「住みにくくはないのか?」

「まあ、確かに大変な時もあるけどね。でもその季節にしかできないこともたくさんあるよ」


 住みにくい、なんて考えたこともなかった。当たり前だったから。 

 なんだかルシフェルといると当たり前が当たり前じゃないって気付く、なんてね。


「地獄では気温の変動は少ないんだ。地域によって暑い、寒いの違いはあるが」


 ほうほう。確かにあたしが行った時も、地獄は暑くもなく寒くもなく快適だった気がする。


「日本は特に四季がはっきりしてるんだよ」

「そうなのか。では、その夏とやらにしかできないことはあるのか?」 

「そりゃーいっぱいあるよ」

「例えば?」


 んー。ホントにいっぱいあるからなー。


「夏祭りってのがあるよ。花火大会とか、盆踊りとか、ラジオ体操とか。海に行ったりプールで泳いだり」

「ふむ」


 ふむ、とか言いながらルシフェルは多分全然理解してないと思う。聞き返してたらキリがないから気を遣ってるのかも。ま、実際やってみればわかるよ。

 ……と考えてから、そんな夏の行事をルシフェルと一緒にするのを当然と思っていることに気付いた。それを楽しみにしていることにも。


「あと食べ物なら……」

「食べ物!」


 すごい食い付き。食いしん坊だもんな。


「アイスやかき氷は絶対食べることになるね。スイカ、そうめん、鰻……あと、お祭りに行ったら屋台のもの色々食べるよ」

「祭り、絶対行こう!」 


 ……うん、いいよ、食べ物目当てでも。祭りに誘ってくれるのなら!


「あ」


 あたしの微妙な心境を知ってか知らずか、ルシフェルが窓の外を見て声をあげた。


「どうしたの?」

「綺麗……」


 視線の先には、夕焼け空。

 だんだん日が長くなってきたせいか、まだ完全に橙色には変わっていない。でも逆に青と紫と、絶妙に溶けた色が本当に綺麗で。筆で描いたような雲が濃く染まっている。

あたし達はしばらくの間、その光景に見惚れていた。


「真子、」


 ルシフェルが名残惜しそうに窓から目を離してあたしを見る。


「外へ行かないか?」

「今から?」


 今日は平日だったし、もう夕方だし……


「あの空を、もっと見たい」


 ……。


 確かに窓で切り取られた風景は小さい。

 それに。 

 ルシフェルなら一人でも外へ飛んで行って、思う存分見ることができるのに。


「……うん。行こう」


 ルシフェルは嬉しそうに微笑んだ。あたしは心の中でお礼を言う。


 ――誘ってくれてありがとう。



***



 思えば久しぶりの散歩。あたし達は川沿いの道をのんびり歩いていた。

 前の時はルシフェルが子供とあんまり上手くいかなかったけど。大丈夫、今は小さい子は帰る時間帯だ。


「んー、やはり外は良い」


 隣で伸びをする堕天使様。つーか勝手にうちへ転がり込んできたのはそっちだろうが。


「気を抜くと翼を出してしまいそう」

「狐やら狸やらじゃあるまいし」

「……?」


 ああ、通じないか。尻尾。

 けどホントにやめてくれよー。また見られたら厄介だし。


「何、それ。狐? 狸?」

「いや、何でもないよ。……あっ、ほら、すごい」


 あたしは空を指差す。もうすっかりオレンジ一色になった大空を、細い雲がゆったりと流れていく。

 ……和むなぁ。


「……」


 会話も忘れて、目の前に広がる夕焼けに見入ってしまう。

 そんな中、あたしはあるものを見つけた。


「ルシフェル、あれ」


 ポツン、と見える小さな光。星みたいだけど……


「……宵の明星」

「え?」


 ルシフェルがそっと呟いた。……微かに震える声で。


「どうしたの?」


 聞けば即座に「何でもない」と首を振る。彼は笑みを浮かべながら、その光を見た。


「私は、あの星が好きなんだ」


 宵の明星って、金星だっけ? 学校で習った気もするけど。


「いや、愛して然るべき……と言う方が適っているか」 


 言葉の意味はよくわからなかったが、いつもと違う様子であることはわかった。紅い瞳は星よりも遠くを見つめている。

やがて何かを振り切るように再び首を振ると、ルシフェルはあたしを見下ろして小さく笑った。


「同じ色だ。真子も、私も」


 あたし達はどちらも夕焼け色だった。あたし達だけじゃない。周りがみんな橙色。……暖かい色。

 

「ルシフェルさ、なんか嫌なことでも思い出したの?」

「何故?」


 何故、って……。あんな奇妙な様子だったら誰でも尋ねたくなるわ。


「ねえ真子、知っている?」

「なに?」

「金星は性を司る星でもあるんだよ」


 つまり、と最高級の美貌を持つ堕天使は口の端を吊り上げた。


「真子は、私に襲われないように気を付けなければならない」

「はぁ?!」 

「冗談冗談」


 にこやかに笑う彼に、さっきまでの影は見当たらない。はぐらかされた気もする……まあ、大丈夫ならいいけど。

 ……でも襲われるのはやだな。ルシフェルが色っぽいのはそれが理由か? いや、じゃないじゃない。


「最近そういうネタ多いよ。変なことしたら追い出すからね!」


 って、あれ……? ルシフェルの様子が変だ。


「追い出すって……冗談なのに。やはり真子は私のことが……」


 うわー! 堕天使長凹んでる! それこそあたしは冗談だったよ!


「ご、ごめんルシフェル。嘘だから。追い出したりしないから!」


 だってルシフェルはそういうことしないでしょ。


「本当?」


 ヤバい……。か、可愛過ぎる……!

 そんな表情されたら追い出すわけには行かないじゃん!


「ほら、ルシフェルのこと信用してるしさ」

「……」 

「だってルシフェルは紳士だし」

「……」

「そ、それに今の生活気に入ってるんだから」

「うん、やはりな」


 切り替え早っ。その妙な自信はどこから沸いてくるんだ。

 ていうか、ちょっと打たれ弱いんじゃ? お坊ちゃんだからか?!



「あれ、欲しいな……」


 唐突にルシフェルはぐっと手を伸ばしてかざした。先にあるのは……


「太陽?」 

「うん。綺麗な光」

「いくらルシフェルでも太陽は無理だよ。熱いし」

「そうかぁ」


 そんな単純な理由か、とあたしが笑うとルシフェルも悔しそうに笑った。

 でも太陽を手に入れたい気持ちもちょっとわかる。そのくらい真ん丸な夕日は見事だった。


「……私の手はいつも光には届かないんだ」

「え?」

「いや。あの夕日が美味しそうだと思って」 


 また食べ物っ。

 ミカンかな。柿かな。見えなくもないのが悔しい。あー、お腹空いてきた!


「ルシフェル、そろそろ帰ろう?」

「そうだな」


 ルシフェルはもう一度夕日を見上げ、眩しそうに目を細めた。


「……届かない……だからこそ、お前は――……」


 ……? 何か言った気がするけど聞こえなかったよ。

 ま、いいや。


「あのね、ルシフェル」

「何?」

「夕焼けを川原で見たら、夕日に向かって走る風習があるんだよ」


 なんとなくすごい嘘を吐いてみた。ら、


「本当に?!」


 引っ掛かった!?


「やってみたいなー」


 言い出した手前、断れないあたし。……仕方ない。青春してやろうじゃないのォォっ!


「行くよルシフェル!」

「あ、ああ」


 走りだしたあたしの背に向かって、ルシフェルがおずおずと声をかける。


「ま、真子」

「何っ?」

「家、反対方向だが……」


 早く言えぇっ!

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