第22話:浮気現場に突入せよ?!
こういうシーンも、っていう話が……いえ、あの、はい。反省してます。ごめんなさい~っ。でも多分、大丈夫です。多分!
「ごちそうさま」
今日はお休み。ちょっと遅めの朝ご飯。ちなみにメニューはトーストとハムエッグ、コーンスープです。
きれいさっぱり食べて、ルシフェルは皿を台所へと運んでいく。
「今日は何しようか、ルシフェル」
「あ、今日は……」
あたしが言うと彼はすまなさそうに眉を下げた。可愛いなぁもう!
「午前中から少年の所へ行かなければならないんだ」
「家庭教師?」
「ああ。悪いな」
ふーん。せっかくの休みにルシフェルと勉強かぁ。しかも朝から。頑張るねえ、亮平君も。ま、あたしは構わないけどね。
「昼には戻るから」
「大丈夫だよ。頑張ってね」
「無論。伊達に堕天使長やってないさ」
心なしか上機嫌なルシフェル。歯磨きもそこそこに出かけてしまった。
「行ってくる」
「行ってらっしゃーい」
……っと。
そりゃ確かに少し寂しいけども。たまには独りになることも重要。
いくらグダグダしてても誰にも見られないし。ルシフェルといると、無意識にほんのちょっとだけ緊張してるんだよねー。
さて、まずは皿を洗って……
《ピンポーン♪》
……それから歯磨きして……
《ピンポーン♪》
……。
あ、そうだ。本でも読もうかな……
《ピンポンピンポーン♪》
……。あ、やっぱりお菓子――
《ピーンポー……》
だァァっ! 誰じゃあたしのホリデーを邪魔する奴ぁ!
「もうっ、誰!?――」
《ドガッ》
「痛っ」
勢いに任せてドアを開けたら鈍い音。……外開きの戸だもんね。てへっ☆
……さぁ誰~?!、と見てみると。
「うぅ……」
呻き声は足元から。視線を下ろしていくと……
「あ」
「お、おはよう真子ちゃん。朝から手厳しいね……」
鼻を押さえて蹲っていたのは一人の男性。Tシャツにズボンにサンダルというラフな格好。彼の正体は――
「お、おじさん?!」
……と言ってもあたしの“叔父”ではない。男性は鼻に手を当てながらモゴモゴ言う。
「うん。いつも亮平がお世話になってるみたいで……」
そう、鈴木さん家の旦那さんだ。あたしから見れば、まだ若いパパだと思う。だからおじさんってちょっと抵抗あるけど。
ていうか、
「すみません! 大丈夫ですか?!」
「あはは、大丈夫大丈夫……」
鼻血は出てない。でも痛かっただろうなー……ホントにごめんなさい!
「というか、どうしたんですか? こんな朝から」
するとおじさんはすっくと立ち上がって、あたしにしがみついてきたのだ。
「わわっ!」
「どうしたらいいんだろう! 俺、浮気されてるんだよ~!」
あ、鼻赤い。
じゃないじゃない。
浮気? おばさんが?
……。いや、あたしに言われても。重すぎるだろ。
「なんてことだあぁぁ……」
「いや、えーと……」
「だって彼は真子ちゃんの従兄なんだろ?!」
は?!
彼? 浮気相手のこと?
あたしの従兄って……ルシフェル?!
「え、ちょっとそれどういう――」
「聞きたいのは俺の方だよ。亮平に勉強教えてくれているそうだね。それはありがたいんだが……最近、勉強の後に嫁と二人で部屋にこもってるらしいんだよ」
おばさんとルシフェルが二人きり? 確かに近頃帰りが遅いけど、まさか……
「勘違いじゃないですか?」
「俺も最初は考え過ぎだと思ったさ。けど今日確信した。大体、休みだってのにこんな早くからうちに来るか? おまけにあいつも張り切って化粧なんてしてるし」
あいつってのはおばさんのことだろう。
まあ、言われてみれば不自然だよね。ルシフェルもルシフェルで機嫌良かったし、挙動不審だし……
と、考えていたら。
「……っ」
微かな耳鳴り。この感覚、確か前にも――
「どうかした?」
「……あ、いえ」
あたしは思わず叫ぶところだったよ。
目の前のおじさんの更に向こう。玄関前の床に“魔方陣”が現れたんだから。しかも見覚えのある模様。
音もなく出てきたのはアシュタロスさんだった。
「ん?」
何か感じたのか、おじさんが振り返る。けれど静かに佇む銀髪の貴公子は見えないみたい。
「……で、だ」
気を取り直したようにおじさんが咳払いをした。
「俺は今から張り込んで浮気の現場を押さえようと思う」
「は、はあ」
浮気、という言葉にぴくりと笑顔を引きつらせたアシュタロスさん。その姿を視界の端で捉えつつ、曖昧に返事をしておく。
「真子ちゃんにもついて来て欲しいんだが」
「あたしが、ですか?」
「だって彼は従兄だろう」
多分、思考回路がつながったのだろう。堕天使様の笑顔がとうとう凍り付く。
氷点下の紫の視線が痛すぎて、あたしはぶんぶん頷いた。
「わ、わかりました! 今から支度するので、ちょっと待ってて下さい」
「ああ。頼むよ!」
……。
おじさんが居なくなったのを確認して、あたしは急いでアシュタロスさんを招き入れた。
「おはようございます、真子さん♪」
「おはよう、アシュタロスさん……」
さすがだ。見事な爽やか笑顔が張り付いている。
けれどその目は明らかに笑っていない。はわわ……!
「どうしたの?」
「事件の匂いがしたので。ルシフェル様が何かやらかした気がしたんです」
エスパー出た! すごい勘だなオイ。
「冗談です」
アシュタロスさんは肩をすくめて軽く息を吐いた。だ、だよねー……。
「どうした、というのは僕が聞きたいのですが」
アシュタロスさんはニコニコしているのに、なんであたしは冷や汗をかいてるんだろう。息が詰まりそうです。
射るような視線に耐えかねて、事の次第を話す。
「ほほう……」
紫水晶の瞳がすうっと細められた。彼は顎に手を当て暫し黙る。
「い、いや別にさ、あああたしは恋人でもないけど、なんて言うの? ちょっとショックみたいな!?」
……だって嫌じゃん。なんかリアルで。
家庭教師と、ってのがいかにもあり得そうなシチュエーションだし。ドラマの見過ぎ?!
「なんかこう、純粋なままで――」
「僕も行きます」
「へ?!」
もはや自分でも何を言ってるのかわからなくなっていたら、アシュタロスさんがそれを遮った。
「いいですか?」
「そ、そりゃもちろん」
うん、ダメって言ったら強攻突破されそうだったし。
「……まさかルシフェル様が《あの方》を裏切るとは思いませんがねえ。しかも人間が相手! あるまじき……いえ、“あり得ない”ことですよ」
アシュタロスさんは何やらぶつぶつ言い始めた。
「あの~、アシュタロスさん?」
「……ええ、僕は信じていますよ。信じているからこその行動なのです」
「あの……」
「真子さん」
「は、はいぃ!」
呟きをはたと止めて、彼はあたしを見据えた。微笑みながらも決意のこもった紫苑の瞳。
「もし万が一、ルシフェル様がそういうことをしていたら……」
「……いたら?」
「上司といえど、全力でボッコボコにしますからね♪」
……ぞっ。
普通に怖い。微笑が逆に怖い。絶対敵にしたくないタイプだ。
「行きましょう、真子さん」
「あ、あの、アシュタロスさん?」
「はい」
「えーと、ルシフェルってモテるだろうし、その、そういうことは……」
「皆無とは言いませんよ。彼はなかなか……って真子さん?!」
ぶふぁっ! 鼻から出血!
聞くんじゃなかったよ……。あたしは想像力が逞しいんだからッ。
***
「いいんですか? こんなプライベートなとこ入っちゃって」
「いいよいいよ」
あたし(とアシュタロスさん)は鈴木家にお邪魔していた。ちなみに堕天使様の背には黒い翼。あたしの後ろでほんの少し浮いている。
部屋の構造は一緒だけど、やっぱり小さい子がいる家族の部屋っていうのは、大分あたしの部屋と印象が違う。ちょっとだけ……羨ましい。
「亮平君は?」
「ああ、勉強会が終わったら友達と遊びに行くって」
ふーん。じゃあもうルシフェルの家庭教師のお仕事は終わってるわけだ。
「……で、ここが寝室」
この中にルシフェルとおばさんが……
おじさんは声をひそめながらも、盛大なため息を吐いた。
「やっぱりやめた方がいいのかな……」
「そ、そんな。頑張りましょうよ!」
い、言い出しっぺが弱気……。
「俺も何度か彼を見たことがあるが、あの綺麗さであの優しさは反則だろう。背も高くて……あんな完璧な人間は見たことがないぞ」
人間じゃないですから、とは口が裂けても言えない。
「大丈夫ですって! ルシフェルもおばさんもそんな人じゃありませんよ」
と、それまで黙っていたアシュタロスさんがあたしの耳元に口を寄せた。
「(……真子さん)」
「(なに?)」
「(これ、“健全なコメディー”ですよね?)」
「(……。コメディーかどうかは微妙なとこだけど、健全ではあるよ)」
「(なら安心です。きっと彼は既に僕らに気付いてますが……)」
彼は軽く笑うとふわりとあたし達を追い越し、そして寝室の前で――何故か固まった。
「(?!)」
やや遅れて、あたしとおじさんも寝室の扉の前へ。(と言ってもおじさんにはアシュタロスさんは見えてないけど)
……ん? 何やら声が……
『――っ……ぁ』
おじさんはぴくっと震えた。その顔がみるみる青ざめていく。
あたしは更に耳を澄ます。
『はぁっ……ゃ……』
…………。
もうなんか。
色々と、よろしくない。
『――ちょっ、そこは……あっ』
……恐らくあたしは完璧に無表情だったろう。思考停止したもんで。
だって声をあげてるのは明らかに……ルシフェルなんだから。
「ふ、……」
唐突に、今まで静止していた堕天使が笑い出した。
「ふふ……ふはは……!」
俯いたようなその表情はよく見えないけど……おっそろしい“殺気”だけは感じられた。
うわあ、何か変なオーラが出てるよ。
「あははははっ……!」
ダメだ。完全にアシュタロスさんが壊れた。
今や、悪魔というよりむしろ鬼神と化した堕天使様。命の危険を感じる。マジで。
見えていないはずだが、おじさんまでびくっと辺りを見回した。
「……?!」
多分、何か本能的に感じるところがあるんだろう。
対するアシュタロスさんは。
「いい度胸ですルシフェル……裏切りか否か……確認させてもらいますよ」
言うが早いか、ニッコリと笑って足を軽く引く。と、
「――ふっざけんじゃねえーッ!!」
《ドゴォン!》
凄まじい音と共に扉が開け放たれた……というより吹っ飛んだ。アシュタロスさんの華麗な蹴りが炸裂したのだ。
部屋の中には
ベッドにうつ伏せのルシフェル。
傍らに座ったおばさん。
「なっ……!」
「あなた?! それに真子ちゃんまで?」
二人共びっくりした顔でこちらを見る。
一応言っておくが、服はちゃんと着ている。“健全”、だからね!
何の躊躇いもなく部屋に入ったのはアシュタロスさん。ふわふわと中を見渡して一人頷く。
「おや、おやおや……なるほど、そういうことでしたか」
ルシフェルははっとしたように、浮いているアシュタロスさんを見上げた。
「(お前っ……)」
「どうやら勘違いでしたね。すみませんルシフェル様」
その場の誰よりも早く状況を理解したらしいアシュタロスさんは、爽やかに微笑んでルシフェルに頭を下げた。
「そちらの方々にも申し訳ないことをしました。でも楽しかったのでよしとします♪」
そう言うとアシュタロスさんは例の如く消えてしまった。べ、別人だわ。
ていうか、ホントに暇潰しに来てただけかよ。
「な、な、何が一体……?!」
呆然としたようなおじさんは、未だに口をぱくつかせている。そりゃそうだろうね。何もないところでいきなりドアが吹き飛んだんだから。
しかしあたしが気になるのは部屋の中。一体二人は何をしてた……?
「真子」
ルシフェルが起き上がって、立ち尽くしているあたしの方へ歩いてきた。
「何をそんなに焦っている……?」
「っ!」
彼は心底心配そうにあたしの、その……頬に触れた。や、やめてくれっ、そんな目で見られたら……!
あたしはどうにか煩悩?を振り切ると、思い切って聞いてみる。
「ねえ、部屋の中で何してたの?」
「それはね」
答えはおばさんから返ってきた。手に持ってるのは……
「パンフレット?」
「そ。これよ、これ」
どうやらそれは通信教育の案内のようだった。おばさんが指差しているのは……なになに? “マッサージ”?
……ああっ! そういうことか!
「その教材、買ったのか?」
おじさんもようやく解凍し、おばさんに向かって首を傾げつつ尋ねた。
「ええ。彼ってば無料でこんなに熱心に勉強会をやってくれるから、せっかくだしやってみようと思って。練習も兼ねて、ね。本当はあなたにやってあげたくて……」
「お前……!」
あーあ。安心しなよおじさん。浮気なんてされそうにないよ。
なんだか夫婦水入らずのところ悪いし。
「……あたし達は帰ろうか、ルシフェル」
「そうだな」
そろそろ昼だし、と笑うルシフェルの笑顔にほっとする。なんか脱力……。
***
「――まさか!」
自分達の部屋に戻り、あたしから勘違いの話を聞いたルシフェルはクスクスと笑い続けた。
「あり得ない」
「もうっ。結構あたし達は必死だったんだからね!」
恥ずかしいくらいにね。
「アシュタロスが怒るのは、まあ、分かる気がするが。何故真子まで?」
うっ。それを言われるとどう返していいのか……。
「と、とにかく! なんか嫌だったの!」
「そう」
ルシフェルは更に肩を揺らす。は、腹立つ……!
「大体、あんな紛らわしい声出さないでよ」
「紛らわしい?」
部屋の向こうから聞こえたルシフェルの声。切なげで、色っぽくて。あれは本当に焦った。
「襲われてるとでも思った?」
「はあ?!」
「安心しろ。私は女ならむしろ襲――」
「ルシフェル!!」
突っ込みどころが多過ぎる……! そして全然安心できないぃっ!
「変態扱いするよ!?」
「……冗談なのに」
今のは完全にアウトだ堕天使長。
「だって仕方ないだろう。私は背を、翼の辺りを触られることに慣れていない」
……あ。
そうだ、ルシフェルは前にも黎香に触られて同じようなことを言った。
「練習、というのは聞かされていたし。せっかくの好意にあれこれ言うのは不粋だと思うしな」
まあ真子なら触っても大丈夫、と笑うルシフェル。それなりに大変だったんだね。
「うーん。ま、頑張ったんだね、ルシフェル」
「え? あ、いや……」
あたしが言うと、ルシフェルは少し驚いたようだった。
それから急に真面目な顔で。
「だが、」
宝石みたいな紅の瞳が揺れる。彼は呟くように言った。
「真子がそこまで心配してくれて、嬉しかった」
珍しく目を合わせずに言われた言葉は、それでもとても嬉しくて。思わず惚れ直しそうになった。
?
惚れ“直し”?
二回目……?
「――すまない。コメディーなのに」
いいよ別に! ムード台無しだよ!
というか、堕天使さん達はそういうことを気にし過ぎなんじゃなかろうか。
「ここでオチとしたら、アシュタロスが壊した扉について言及すべきなのだろうな」
「無理しなくていいから。でも、どうするの?」
「……。どうにかなる」
コラ。
「それよりも真子」
「なに?」
ルシフェルは朗らか笑顔で、嬉々として提案してきた。
「これからは“そういう”ジャンルの話も――」
「ダメ」
「……」
いくら冗談でも一蹴したくもなるわ。
「アシュタロスさんに言い付けるよ?」
「冗談だから! それは勘弁してくれ……!」
ルシフェルは慌てたように顔前で手を振った。
「真子も見ただろう? あいつは怒ると本っ当に恐ろしいんだ」
確かに今日はアシュタロスさんのキャラが崩壊してたね。もしや彼が最強?
「もう。あんまり変なことすると、ご飯作らないよ?」
「なんて爽やかな日差しなのだろう。まさしく絶好の散歩日和ではないか。耳に届くは小鳥の囀り――」
……“健全”、ね。
なんだかあたしも、堕天使長様の扱い方がちょっとわかってきました。