第17話:堕天使 VS ……?(Part2)
「行って来まーす」
「いってらっしゃい。今日も無事に帰って来てくれよ」
んな大袈裟な。
でもちょっと嬉しくて、苦笑しながら家を出た。……見送ってくれる人がいるのはやっぱりいいな。
そんなあたしのルンルン気分はマンションから出てすぐにしぼんだ。
……またいるよ。
“奴ら”が我が物顔で道にたむろしていたのだ。
空を覆う黒い影。鋭利な凶器はどんな難関をも突破する。一度その瞳に見入られたら最後、“奴ら”は復讐を遂げるまで決して我々を忘れない。
そう。
奴らの名は――“カラス”。
今日も今日とて賢い彼らは、聖地・ゴミ捨て場に集って朝ごはんの真っ最中。まるで「ネットなんて無駄サ」と嘲笑うように。くそぅ!
辺りはもう生ゴミが散乱して大変なことになってる。臭いもひどいぜ。
共同のゴミ捨て場だから、結局マンションの住民が掃除するのだ。あたしは学生だから、申し訳ないことに、あまり参加できてないんだけど……。
それでもさ、気分はよくないわけ。奥様方も困ってるらしいし。
『カァ』
小馬鹿にしたような鳴き声に自然とため息がもれる。
どうにかならないかなぁ。
なんてどうしようもないことを思いつつ、あたしは学校へ向かった。……遅刻はしたくないからね。
***
その日の夜、あたしは何気なくルシフェルにその話をした。
「カラス?」
「そう。仕方ないんだろうけど困るんだよねー」
「で、真子にケガはない?」
すぐそっちにつなげるなぁもう。大丈夫大丈夫。カラスにやられてたまるかい! あたしは危ないものには手出ししないんだぞ。
「よし、私に任せておけ」
ルシフェルはひとつ頷いた。
「解決できるの?」
「恐らく多少は。要はカラスがゴミ捨て場に近寄らないようにすればいいんだろう?」
まぁできるならそうして欲しいけど。
「説得する」
自信満々な堕天使さん。なるほど、それはあんたにしかできないもんね。
「明日の朝、様子見に行こう」
「うん。お願いね」
「ところで真子」
「ん?」
「ゴミ捨て場とやらは何処に?」
そうか、君はゴミ捨てをしたことがなかったね!
……。
今度から手伝ってもらおうかしら。
***
と、いうことで。次の朝はルシフェルと一緒にマンションを下りてきました。
案の定、奴らはそこにいた。今日は燃えるゴミの日じゃないってのに、一体何のために袋を破るっ?
「あそこにいるカラス達を追い払えばいいのだな?」
ルシフェルの言葉に頷くあたし。彼は腕まくりをする。
「彼らの生活を考慮してやりたい気は山々だが……真子の頼みだ、全力を尽くそう」
朝っぱらから歯の浮く台詞をありがとうルシフェル。おかげで目が覚めたわ。
そしてあたしは意気揚々とカラスに向かうルシフェルを置いて学校へ行った。
が。
その日、学校が終わってマンションに帰り、そのエレベーターの中でのこと。あたしは偶然奥様方と一緒になって。
「こんにちは」
「あら進藤さん、こんにちは」
「あ、そうだ。良かったらこれどうぞ。買いすぎちゃったわ」
どうやら買い物帰りの奥様方から箱ティッシュをいただいてしまった。あざーっす!
「ありがとうございます。助かります」
「いいのよ。一人暮らしなんて大変でしょう?」
……彼女達にはまだルシフェルのことはバレてないらしい。あんまり外出してないからかな。
「ところで今朝の、見た?」
ここからは奥様方のプチ座談会のようだ。あたしは隅っこで聞くだけ。
「見た見た! 立ち上がるレッサーパンダでしょ?」
……ツッコミはしないぜ。
「違うわよ! ほら、ゴミ捨て場にいた……」
……おや?
「ああ、カラスと戦ってた男の人?」
おやおや?
「そうそう! 何してるのかと思ったら、カラスに向かって何か喋ってるのよ」
――まさか。
「あら、でもかなりのイケメンよ。うちの旦那と交換したいくらいだわ」
決定打でルシフェルじゃん!
「世の中面白い人もいたものねぇ」
「あんなに顔は綺麗なのに、どうして変なことするのかしらね」
変人! 変人扱いだよ堕天使長!
誤解を解きたい。が、今はまだダメだ。あたしが変人と一緒に住んでるってことになるのは避けたい事態だ。
あたしはエレベーターを降りるや否や部屋に直行。(あ、もちろん奥様方にご挨拶してね♪)
「ただいまっ」
「お帰り……」
トーン低っ!
居間ではルシフェルが電気も点けずに座っていた。テレビも消えたままに彼はただ宙を見つめている。
とても聞けないけど……多分、うまくいかなかったんだろう。
「あー、ルシフェル?」
「……そうか」
彼はひとりでぼそぼそと喋り始めた。
「最初から対等ではなかったのだ…。油断……彼らの目線は下か……」
怖い怖い怖い。
薄暗い部屋に低い呟きが響く。加えて堕天使長から発散されるオーラまで暗い。
「――真子」
「はいっ」
だから急にふられてびっくりする。
「親玉を探そう」
「……親玉?」
ボスってこと? ……カラスの?!
「この辺りのカラス達の長に直談判する。ここに集まるのは若い奴ばかりだ」
「若い?」
「長になるくらいなら私の言葉もわかるはず。それだけの年月を過ごしてきたカラスを探す」
……なんか妖怪みたい。ほら、長い間使った道具には魂が宿るって言うじゃん。長老的なカラスにしか言葉が通じない?
「でも、どうやって探すのさ」
「聞く」
「聞くって……カラスに?」
「ああ」
……。マジで? あたしもやるの?
カラスに向かって「あなたはボスですか?」とか聞いてる女子高生。
…………痛い。できれば関わりたくないタイプだ。
「二人ならすぐだから。私は負けたままは嫌だ」
そう言うルシフェルは案外負けず嫌いなんだろうな。あたしもだけどさ。
……。
まぁなんて言うか。頼んだのはあたしだし。そのくらいなら……
「よっしゃ。やろう、ルシフェル」
ゴミ捨て場の平和はあたし達が守るよ! あまりカッコよくはないよ!
それに……あたしには“ボス”の心当たりがあるのだ。
「心強いな」
笑いながらルシフェルは立ち上がり、ようやく部屋の灯りを点けた。と、初めて彼の姿がはっきり見えてあたしは思わず声をあげた。
「ちょっ、ルシフェルその格好……」
「ん?」
戦ってた、と聞いたから多少の予想はしてたが。
服は珍しく皺がつき、泥のような汚れまでついている。だが何より驚いたのは、電気のスイッチを押したままの、指。
「ケガしてんじゃん!」
ああ、と彼は手を見下ろす。その指には黒いものが結構ついていて……多分、血だ。うわわっ!
「大したことはない。止血するのを忘れただけだ」
とても忘れるような量には見えないんですけど。指先から手の甲まで垂れてるんですけど。
あたしは急いで救急箱を持ってきた。
「しみるかもだけど我慢!」
「え? え?」
無理矢理手を掴んで消毒液で血を洗い流す。
「ぃッ!」
やっぱそれなりに傷ついてんじゃないか。もう。
……っていうか、手が綺麗だよルシフェル。指長いし、すべすべだし、白いし。“手タレ”になれる……いや、じゃないじゃない!
「ぱっくり切れちゃってるよ。痛かったろうに」
「つつかれた。私としたことが……迂闊だった」
見た目ほど重傷ではなかったので、軽く絆創膏を貼っておく。堕天使様はその絆創膏に興味を持ったようだ。
「短いな。ベタベタするし」
「絆創膏はそんなもんだよ」
「包帯に比べて手軽でいい。地獄に持って行こうか」
包帯は……巻くのが大変そうだもんね。
「人間界の方が便利なものもあるんだなぁ」
なんてしみじみ言うもんだからちょっとおかしかったよ。
……あ、そうだ♪
「ルシフェルー」
あたしは首を傾げるルシフェルに向かって手を挙げてみせた。
「……?」
いや何って、
「ハイタッチしよ!」
「排他……?」
字が違ぇ。
「一緒に頑張ろうって意味だよ」
「そうなのか」
ルシフェルもくすっと笑って片手を出した。あ、誤算。背が高過ぎて届くか……?
あたしは軽く背伸びして。
「では明日は、」
「二人で頑張ろうっ!」
《パン!》
***
更に翌日の放課後。
あたしはひとりで校門の前にいた。良かった、人がいなくて。
目の前には一本の桜の木。ただ見上げてるわけじゃあない。あたしが見ているのは高い位置の枝にとまった一羽の、カラス。
「…………」
『…………』
特徴といえば他のカラスより少し大きいくらいか。でもよくわからないが確信はあった。こいつが――“ボス”だ。
このカラスはいつもこの木にとまっている。物音にも反応しないし喧しく鳴くわけでもない。そしてあたしは……他のカラスがこの木にとまっているのを見たことがない。
「あの~……」
さあ覚悟を決めて! そんな小さい声じゃ届かないぜあたしっ!
「……かっ、カラスさんはこの辺のボスですかっ?」
うわ聞いちゃった聞いちゃった! 恥ずかしい……!
『………』
にもかかわらずカラスさんは無言。
……。
「よ、よかったらお話があるのでついてきてください!」
『…………』
「…………」
……。何やってんだろうあたしは。
ボスなんてそんな簡単に見つかるわけないしね。カラスに言葉が通じるとは思えないし。
……はぁ。
あたしは諦めて帰ることにした。ルシフェルが多分捜し出してくれているだろう。
恥ずかしくて自然と足早になる。――が、
《バサバサッ》
ふと聞こえた羽音。何気なく辺りを見回せば
『カァ』
……!
道沿いの家の屋根に、あのカラスが。
その後もあたしがちょっと進む毎に、カラスが追いかけて来てはとまる。まるであたしの言葉を理解したかのよう。
――もしかして本当に……?
結局そのカラスはマンションの前まで着いてきた。
「ル、ルシフェル!」
そのまま部屋に駆け込むと。
「お帰り、真子」
極上の微笑を浮かべたルシフェルがお出迎え。
「うまくやったみたいだね」
「へ?」
彼が指差す先。ベランダの柵には黒い影。
「あ、うん……」
『カァー』
あのカラスが、自慢気に一声鳴いた。やっぱりこいつがボスだったのか……。
「こんなにすぐ見つかるとは思わなかった。すごいな、真子」
言いながら彼は窓を開けてベランダに出た。例のカラスはじっとルシフェルを見つめている。
堕天使長はコホン、とひとつ咳払いすると重々しく口を開いた。
「……白き知恵者に黒き翼の王より申し上げる。地に住まう人間の頼み、貴公の知恵を貸してもらいたい」
なんだなんだ、何やら格好良いんですけど。知恵者? 王?
『…………』
カラスさんはというと。
黙ってルシフェルを見上げ、やがて―――頭を下げた……ように見えた。
ルシフェルは満足げに微笑んでそっとカラスさんの頭に触れると、そのまま小声で何事かを囁き始めた。
「――」
『…………』
……うーん、よく聞こえないや。所々“ゴミ”とか“譲歩”とか“美食家”とか聞こえてくるけど。グルメ?
しばらくあたしは二人の様子を見ていた。カラスさんの目って意外と綺麗だな、とかね。
「真子」
ようやくルシフェルは振り向く。どうやら終わったらしい。
「あ、お疲れ様」
「真子からも彼にお礼を」
へ? 彼って、カラスさんだよね?
「えーと、」
変な感じだけどとりあえず。
「ありがとうございました」
『カァ~』
あ。カラスさんは一声鳴くとあっさり飛んで行ってしまった。
「で、どうなったの?」
「交換条件付きで」
そ、そんな相談をカラスとしてたのか。すごいな堕天使長。
「どんな条件なの?」
「それは―――」
***
可燃ゴミの日、朝。
ゴミ袋を持ったあたしの傍らにはルシフェル。彼の手にもまた小さなビニール袋。
あの後、ゴミ捨て場の様子も変わった。集積所の隣に木製の台が置かれたのだ。もちろんルシフェルがどこかから持って来たもの。
あたしがゴミ袋を捨てると、ルシフェルは横のその台にビニール袋の中身をひっくり返した。出てきたのは野菜クズやら期限切れの食材。
カラスさん達との交換条件、それはルシフェル曰く
「ゴミを荒らさない代わりに“食事場”を用意する。きれいに食べる代わりに、人間は食事中にちょっかいを出さない」
というものだった。この台はカラスさん達の食事場というわけ。
……そして。
驚くべきことにルシフェルがあのボスと話をしてからというもの、カラスの被害がぱったりとなくなったのだ。代わりに食事場の野菜クズとかをしっかり食べていく。なんて無駄のない! ……まあうちのマンションだけっていうのが、なんともルシフェルらしいんだけどね。
更には。
「進藤さん、進藤さんの従兄さん。おはよう」
「あ、おはようございまーす」
「おはようございます」
声をかけてくれたのは別の階に住む奥様。
そう、ついにあの噂の変人があたしの同居人だとバレたのである。
……恐るべし奥様ネットワーク。
「ホント、最近はゴミ捨て場がきれいでいいわねぇ」
そう言う奥様もゴミ袋とは別に袋を持っている。ルシフェルがやりだしてからというもの、自然とうちのマンションの慣習になったのだ。
「あなたのおかげよ。ありがとうね」
「いいえ」
ルシフェルがにっこり微笑む。
なんとびっくり、ここの奥様方の間では彼がカラスと“戦って”撃退したということになっているらしい。……そりゃ誰も“交渉した”だなんて思わないだろうけどさ。
「鈴木さんから聞いたわ。何でもとってもお勉強がお出来になるとか」
「いえ、そんなことは」
「進藤さんも羨ましいわぁ。こんなにカッコいい従兄さんがいるなんて」
「は、はは……」
すいません、似てなくて。
「従兄じゃなくて彼氏さんなんじゃないの~? もう、言ってくれればよかったのに――」
「……真子」
喋る奥様を遮ってルシフェルがあたしを見た。
「時間、大丈夫? 学校なのだろう?」
「あ、うんっ」
ナイス助け船! 長くなりそうなので離脱しますっ。
「あらごめんなさいね♪ いってらっしゃい」
「気を付けて、真子」
「ありがとうございます」
ルシフェルはあたしだけにわかるように小さく頷いた。ありがとう!
「じゃ、行ってきまーす!」
……これはまったくもって余談なのだが。
イケメンで礼儀正しくて賢く優しい、カラス騒動のヒーローであるあたしの“従兄”は、毎日のように奥様方のお茶会に誘われる日が続いた。……恐るべし奥様ネットワーク!