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傷跡


 宝石を思わせる鮮やかな光彩。降り注ぐ木漏れ日は地上へ等しく温もりを届けようと、聖母のような(いたわ)りの手を差し伸べてくれる。


 その光はベンチへ腰掛ける僕だけでなく、等間隔に設けられた花壇へも注がれていた。

 咲き誇るのは薄紅色のツツジ。力強さを漲らせて生きる喜びを全身で訴える様は、自らの存在を懸命に主張しているようだ。


 その逞しさが羨ましい。いや、正直妬ましい。彼らのように活力に満ちていた過去は確かにある。けれど、それを遙か昔のように感じてしまい、はっきりとは思い出せない。


「本当に情けない。だけど、愚痴をこぼせるのはこの場所だけなんだ」


 自嘲の笑みを浮かべ、両手を眺める。


 僕は無力だ。人生の地図をなくし、進むべき道を見失った。どれほどの時間を彷徨ってきたのかもわからない。弱った心と体を引きずり、ここで隠れるように休息をとる儚い存在に過ぎないのだ。


 ほんの僅かな時間、休ませてくれるだけでいい。目的地へ向かう力を取り戻し、まだまだ歩き続けなければならない。


 立ち止まれない。果てるわけにもいかない。


〝たとえ君に何かあったとしても、僕は生きるよ。絶対に、守り抜いてみせるから〟


 両手をきつく握り、あの日の決意を思い出す。それが、歩き出すための力をくれる。


 顔を上げると、大型公園の柔らかな光景が視界一杯に広がった。

 生い茂る草木と初夏の花々。その先へ伸びる石畳を目で追えば、陽光にまばゆく煌めく水辺までもが見渡せる。そうして青空へ視線を上げれば、軽やかに舞う鳥の姿も。


 それらの光景は、不思議と心を落ち着かせてくれる。あの人と一緒にいた時のような、穏やかな気持ちにさせてくれる。その想い出にすがってしまうからこそ、何度でもこの公園へ足が向いてしまう。


 あの人が、大好きだったこの場所へ。


〝今年も綺麗に咲いてくれてありがとう〟


 咲き誇る花の(かたわ)らへかがみ、愛おしそうに花弁へ指先を伸ばす君。そんな君と緑の息吹を感じながら、のんびりと散策をした。


〝この間、面白いことがあったのよ〟


 他愛ないことを取り留めもなく話し、仕事のストレスからも解放される至福のひととき。


〝いつか、子どもと三人で散歩したいね。犬を飼うのも素敵だと思わない? 情操教育にもいいし、赤ちゃんの免疫力も高まるって、小児科の先生が言っていたの〟


 穏やかな笑顔が好きだった。その朗らかさは太陽のようで。きっと、周囲へ咲く花々にも活力を分け与えていたはずだ。


 けれどもう、その笑顔を見ることはできない。時の経過は僕の傷跡を癒やしてゆくけれど、それと引き替えに君の記憶が薄れてしまうことが寂しくて、悲しくて、そして怖い。


 痛みを忘れてしまうのは薄情だと思うけれど、傷を負ったままでは生きられない。心へ巻き付けていたはずの包帯を知らぬ間に解いた僕は、消えることのない傷跡を抱えて、君がいなくなった時間を生きてゆくしかない。


 溜め息へ、鬱屈(うっくつ)とした気持ちを乗せて吐き捨てる。穏やかな気持ちを取り戻しながら、そっと空を仰いだ。すぐそこで、君が見ているような気がしたから。


「いつも弱音ばかりで、本当にごめん」


 頭を振り、(かたわ)らへ置いたボディバッグを手繰り寄せた。鎮座する水筒を払いのけ、小箱を取り出す。カバーをわずかにスライドさせて、摘まみ上げたのは一粒のチョコレートだ。


 口へ放り込むと、ビターチョコのほろ苦さが広がった。それを舌で転がし、奥歯でそっと噛み砕く。中には、ホワイトチョコでコーティングされたミルクチョコレート。

 初めに味わった苦みのお陰で、続く甘みが一層引き立てられる。しかし、中間層のホワイトチョコが甘みを程良く緩和させ、絶妙なバランスで味わいを調和させている。


 三者のバランス。それが自分と重なり、思わず苦笑が漏れた。こんな風に見事な調和を果たせたのなら、僕の人生も違っていたのに。


 チョコレートを相手に、憎らしい気持ちになってしまった。こいつの粗でも探そうと、パッケージをあらゆる角度から眺めてみる。


 三層構造を売りにした大手老舗メーカーの市販品で、商品名は三重奏。層と奏をかけており、パッケージにはピアノと楽譜が描かれている。コンビニでも置かれているほどの定番商品で、容易に手に入るのがありがたい。今ではこの味に慣れすぎてしまい、チョコと言えばこれという程に、脳の奥深くまで刷り込まれてしまっている。


「初めて食べたのは小学生の時か」


 まさか、三十才を過ぎても食べ続けているとは思いもしなかった。

 でもこれは、無意識の内に自分自身への(いまし)めを含んでいるに違いない。あの日に起こった出来事を決して忘れないために。


「人生の縮図、だったか……上手いことを言ったもんだよな」


 以前に聞いた、ある言葉が蘇った。


 このチョコレートが持つ綺麗な卵形は、誕生を意味するフォルムなのではないかと言っていた。そして苦みと甘みを持つ味わいは、人生の縮図を現しているようだとも。


 気付けば笑みが漏れ、ベンチへ座りながら前のめりの体勢をとった。すると、小箱から仄かに漂うチョコレートの甘い香り。それは鼻腔を通り抜け、脳と心を支配するように全身へ巡ってゆく。

 いつまでも変わらないその香りが、僕を感傷的な気持ちにさせる。不意に滲んだ涙と共に、七年前のあの日が蘇える。


 箱へ染み付いた残り香のように、今もまだ〝君〟への想いが消えなくて。

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